101匹足利尊氏 さんの感想・評価
4.0
物語 : 4.0
作画 : 3.5
声優 : 3.5
音楽 : 4.5
キャラ : 4.5
状態:観終わった
勇者パンチで日常を取り戻せ!
前日譚小説『鷲尾須美は勇者である』は鑑賞前に、
電撃G`sマガジン2015年3月号の後日談小説は鑑賞後に読了。
カラーリングと全体構成、魔女結界を思わせる樹海、梶浦語らしきBGMのボイス…。
何かと『魔法少女まどか☆マギカ』と似ていると比較される本作。
私は一方で違う部分も多い作品だと感じました。
勇者と魔法少女の違いなど色々ありますが、
一番大きな違いは運命に対するアプローチの仕方だと思います。
『まどマギ』では{netabare} 世界か日常か選択が迫られた時、世界を取りました。
プラスがあればマイナスがあり、希望があれば絶望がある。
例えアルティメットになっても、何かを取るには何かを諦めねばならない。
条理で構築された『まどマギ』らしい選択でした。{/netabare}
対して本作では {netabare}世界も日常も両方取りに行きました。
そもそも彼女たち勇者に突きつけられた〝満開"の代償としての〝散華"に至っては、
条理には程遠い、ありがちな神のきまぐれな不条理。
いずれにせよ、それが世界の仕組みだから全部を取り戻すのは諦めよ。
などという理屈を勇者たちは良しとしませんでした。
「なせば大抵なんとかなる!」などと微妙に前向きな勇者五箇条を掲げ、
勇者パンチで、そんなつまらない運命など木端微塵なのであります(笑)
この辺りのバトルのノリは自分にとっては、もろスーパーロボット系でしたねw
最終決戦で{netabare} 飛んできた元気玉?…私にはアクシズに見えました(笑) {/netabare}{/netabare}
そしてどちらかというと本作は日常を重視していました。
その日常アニメぶりは異空間内で戦う変身ヒロイン物にしては異例でした。
バトルアニメなのに日常シーン構築のため、舞台となった四国にロケハンを重ね、
聖地巡礼が可能なレベルにまで日常の再現に努めています。
この日常のかけがえのなさは、日常アニメ覇権主義に一石を投じる狙いもあった
『まどマギ』ではあり得ない展開だと思います。
そんな日常の中で、極め付きは車いすでしょう。
半身不随という設定を軽々しく扱えないというスタッフの信念のもと、
ロケハンで実際に車いすで行動できるか検証が重ねられたという車いす。
あの車いすには単なる設定以上の存在感がありました。
それを一番、実感したのは、{netabare}車いすのまま入浴したシーンでした。{/netabare}
以上の点から、本作を『まどマギ』みたいなアニメとして観ようとすると、
どうしても展開がぬるいとか、
勇者パンチでストーリーまで破綻したように映る危険性があります。
とか言いつつ私も最初は『まどマギ』みたいな作品として敬遠していた口ですがw
きっかけは『まどマギ』でも日常重視の別アニメとしての楽しみ方をオススメしたいです。
ただし日常にフォーカスするあまり、
外の世界の説明が小説に回されたのは残念でしたが…。
それ以外は概ね障害突破の方法論がある意味アニメらしい佳作だったと思います♪