蒼い✨️ さんの感想・評価
1.6
物語 : 1.0
作画 : 1.0
声優 : 2.5
音楽 : 2.5
キャラ : 1.0
状態:観終わった
今どきの中学生は、どう思っているのだろうか?
アニメーション制作:A-1 Pictures
2015年4月4日 - 9月26日に放映された全24話のTVアニメ。
原作は、東毅が『週刊少年サンデー』にて連載していた少年漫画作品。
監督は、佐藤真人。
【概要/あらすじ】
鑑純一郎。23歳。無職、女子高生である妹・純音と二人暮らし。
自宅警備員の兄を持ち肩身の狭い妹から働けと日々せっつかれる彼は、
“YD(やりたいことしかできない病)”に罹っているから不可能だと主張する。
仕事なんてつまんない。イヤイヤやってられるかよ!
彼にとってのやりたいこととは、深夜アニメとネトゲ三昧の日々であって、
彼のアニメブログは閲覧数のランキング1位争いをしている。
だが、彼はソフトボールの高校選抜に選ばれてる運動神経の妹が振り回す金属バットに屈した。
ついでだが、完全にインドア派なニートの純一郎は運動能力は低い。
就職先に妹・純音が選んだのは、兄・純一郎に無断で応募した純一郎の母校の非常勤講師。
実は純一郎は若干17歳で“ネイチャー”“サイエンス”に論文が掲載された、
物理と科学において人類最高の天才的頭脳の持ち主であり、
大学卒業後に世界中の研究所の誘いを断ってニートをしていたという。
世界的に有名な逸材が母校に来てくれたと歓迎する腰の低い校長に対しても彼はヤル気無しの馬耳東風。
担当するクラス・3年2組に来ても純一郎は教師のやり方なんて知らないしと、
クラス全員で一緒にスマホゲームアプリをプレイすることで生徒の性格や人間関係が解ると自己紹介に用いる。
クラス内にてイジメが発生。そういう事態も彼独自のやり方で解決していく。
アニメ開始数話で純一郎は、ある事情で母校をクビになって、
彼の教育の場を妹が通う銀杏学園に理事長・柊暦にスカウトされて移すことになるのだが、
彼にとっての授業とは知識を教えることではない。
世の中のルールなんてつまんねー!ルールは自分で作れ!世間の常識・既成概念をぶち壊す。
常識という思い込みや生徒の悩みを鑑純一郎の非常識でぶち壊して解決していく。
自分で課題を作り自分で解決していくという自分好みの人間に生徒を改造すること。
“電波教師”鑑純一郎の24話にわたる物語がこのアニメである。
【感想】
原作者はエロ同人出身で、『あずまんが大王』キャラで漂流教室ネタをやって、
殺し合いするようなのを描いてた感性の持ち主。
『新世紀エヴァンゲリオン』をネタにした本がそこそこ有名らしい。
エヴァ本は読んだことはないのだが。
一応、原作は全26巻中で小学生編に入る前の15巻まで読んだ。
アニメは7巻62話までを順番を変えたり再構成。
観たところ、一般的には酷評されてるアニメに違わず一話目から作画が崩れていたり酷い。
ていうか作画が崩れてない週が無い。ガルパンのキャラデザの杉本功が担当なんだけどね。
ライブシーンと食事シーンが作中に存在している場合、
その出来がアニメを測る指標となりうるんだけど、どっちも作画が手抜き以下でキツイ。
作画の不味さに加えて妹の純音担当が、声優経験の無いアイドルで声がきつくて演技が棒だとか、
アニメ版が批判されている理由の数々が一般的にはそれかな?
本当、一話目で声優志望の女子高生相手に『声優を舐めるな!』と主人公に偉そうに説教させておきながら、
棒読みアイドル・松井玲奈を主人公の妹役に話題性だけで使っていることから、
こういうダブスタを平気でやってるアニメがチャンチャラおかしいと思った。
女性キャラに有名アイドル声優多数起用なので、なおさら大人の事情配役が目立つ。アイドルに罪はないのだろうが。
原作ファン視点の、原作は面白い!アニメがダメ!という責任転嫁な意見がネットではあるんだけど、
自分から見ても原作がダメだから、アニメもこんなものになったとしか言いようがないかな。
極々簡単に説明すると天才的頭脳を持つオタクという設定のニート教師「鑑純一郎」が主人公で、
授業と称して自分のペースに相手を巻き込んで新たな体験をさせることによって教科書には無いことを教えて、
生徒の価値観・既成概念をぶち壊し、ドヤ顔の上から目線で洗脳して、
どうだ?凄いだろ?これが本当のお前だ!押し付けられた、くだらないルールなんて捨てろ!
これからは自分のルールで面白く生きろ!と説教するのが基本のアニメ。むしろ、
人の生き方にケチをつけて鑑純一郎のルールを生徒に押し付けているだけにしか見えないのは気の所為だろうか?
銀杏学園に移ってからは生徒が多数出てきたりで、鑑純一郎先生との触れ合いコメディ色が強くなっていくのだが、
女生徒が作者好みの属性をまとってるだけで薄味な生徒のオンパレードで、そのコメディも大して面白くもない。
原作を読む限り、子供の可能性・子供の未来を無制限に賛美する一方で、
基本的に無能な大人しか出てこないくせに大人の意見はカスだ!と全否定。出てきてもモブで若者の付属物。
純一郎を批判する大人は学歴だけが取り柄のエリート意識を鼻にかけたヤラれ役、はっきりいって雑魚ナメクジ扱い。
主人公を認めていない批判的な登場人物は権力だけで頭が悪い、学歴だけで中身が無い、
残りは名無しのキャラしかいない。アニメでは該当するヤラれキャラを削ったり、
セリフを変更したりで若干マイルドになっているけど恣意的にすぎる。そして、オタク賛美・オタク全肯定もセット。
チャレンジは若者の特権。若者は世間や教師のくだらない言葉に耳を貸さずに好きなことだけをやって生きろ!
てのが話の根幹。だが、作品のメッセージが全然心に響かない。
そりゃ主人公が原作者から最強頭脳チートをプレゼントされて、それを笠に着て好き勝手言ってるだけ。
大卒即ニートで社会経験がゼロである主人公の言葉に深い人生観や含蓄が無い。
主人公の権威付けに“日本政府”“サイエンス”“ネイチャー”“世界的科学者”
から認められているという設定をつけて、こんなスゴイ主人公が言ってるんだから本当のことなんだぞ!
って、それっぽい空気を作ろうとしているのだが、絵に描いた餅に思えるのは気のせいだろうか?
純一郎の理解者のみが若くして才能あふれるという設定付きの世界的な科学者だったり経営者だあったりで有能扱い。
有能であっても純一郎に全く勝てなかったり、卑怯な真似して敗北フラグを立てたりで、主人公の聖域化に余念が無い。
主人公の極論の数々に対して喧々諤々・賛否両論で展開するのならともかく、
主人公大正義ありきで、授業など相反するものを全否定してるので、やっすいストーリーだなっと思った。
一応は一般漫画なのだが、作者が出来ると設定すれば主人公が何でも出来ちゃうところに、
『またオレ何かやっちゃいました?』
な“なろう主人公”に通じるものがある。
授業を真面目に受ける奴はつまんねー!という思考の持ち主。
この主人公は上から目線で人にダサいアダ名を付けてばかりだし、
他人に対してのレッテル貼りに一番ご執心なのが主人公。
俺の言うとおりにしてればいいんだよ!進むべき道はそっちじゃない!
なんか引っかかると思ったら“ARIA”のアリシアさんの指導方針と真反対だったので得心した。
レッテル貼りと言えば、botのようなテンプレガリ勉、テンプレチンピラ、テンプレオタクがこの作品には多数存在する。
人間は個性が一番大事!というメッセージ性を作品に持たせたいらしいが、
所詮は鑑純一郎と関わり感化されていくキャラ以外は、
色分けされた属性に従って十把一絡げで同じ顔と性格をしたモブしかおらず、
それを目にするたびに、ひとりひとりの個性や自主性などどこへいったの?
と個の人間性を認めていないのは、作中の勉強君キャラじゃなくて、
むしろ、この作品世界の創造主たる作者ではないのか?と思わずにいられない。
一クラスの全員に名前と設定が作られた、アニメ版の『けいおん!』や、『魔法先生ネギま!』ほどの個への徹底さが無い。
やりたい事と、やっている事が実にアンバランスなのである。
勉強くんもモブも見下されて描かれている原作を読む限りは、作中のヒエラルキーが、
天才主人公()>>>>>天才・スキル持ち>>>名あり生徒>>オタク>体育会系>>モブ生徒>>ガリ勉=教師
と意図的な世界、要は作者がオタク主人公が最高であり褒め称えられるべき存在という扱いで、
その他の登場人物は主人公の家畜かヤラレ役で、主人公が好き放題出来るように調整された作者お手製の箱庭。
天才設定だから漫画の中で何を言っても作者から肯定される主人公に優しい世界。
ルールなんて作った奴がおかしいんだから、従う必要がない!俺がルールだ!
原作を読んでも、そんな頭脳系ヒーロー様をでっち上げて、
持ち上げ役の科学者や経営者たちに純一郎スゲー!純一郎サイコー!を言わせる繰り返し。
むしろ、これは東毅が作ったルール内で東毅が作った唯一の模範解答に辿り着けるよう設定された主人公の話だから、
色々おかしいよね。善戦する人物は必ずといっていいほど鑑純一郎に共感しているしね。
新作ゲームで対戦したら主人公のためだけに作った都合のいいバグハメ技を利用してゲーム世界王者に完勝。
そこに辿りつけた主人公スゴイ!みたいな話を恥ずかしげもなく作ってしまう。そういうのを自作自演という。
その後にバグ利用抜きで世界王者と再戦するけど、やっぱり主人公以外は主人公の引き立て役だし。
あと一番いかんのは、序盤で前述のソシャゲをプレイして課金プレイヤーとの格差に不満を漏らす生徒たちを見て、
罪のないソシャゲサイトをクラッキングしてデータを書き換えて仕様にない自作のチート武器「ルールシェイカー」を、
不正にゲームに組み込んで身内の生徒全員に配ったこと。
『ルールに不満ならルールを変えろ!』
不正チート武器を貰ったことで歓喜する生徒たちに満足してドヤ顔な主人公・鑑純一郎は。
彼はルールに縛られないヒーローであるかの如く描写されている。
だが、これってサイバー犯罪じゃないだろうか?名前のセンスも痛々しいし…。
ルールが敵ならば信号機は要らないし、サッカーで手を使っていい。不法移民は入国管理局に従わなくていいし、
東毅の漫画の電子書籍を無料で世界中にばらまいても犯罪にならない。
極論ではあるが、鑑純一郎の台詞に違うことなくルールを守る必要がないとは、そういうことなのだ。
それにしても電波教師どころか犯罪教師、だが作者公認特権で罪に問われないし発覚しない。酷いと思った。
作者が漫画家として冠茂が幅を利かせてた当時のサンデー編集部に拾われるまでに、長い紆余曲折があっただけに、
勉強出来る奴の価値をゼロにしたり脳筋キャラを頭脳最強設定のオタクが叩きのめすという作風に、
オタクの逆襲というルサンチマンじみたものを感じる。
やりたいことだけやって没頭してれば才能が生えてくるのはフィクションの世界であって、現実もそのとおりなら、
原作者は藤子F先生クラスの大先生になってるわけで、原作者も本気で信じて話を作ってるとは思いがたい。
原作漫画のシナリオ自体が、雷句誠や渡瀬悠宇と揉めた飯塚編集の意向があったかもしれないけど。
名あり生徒キャラも才能?を作者にプレゼントされて勝手に生えてくるし、
普通の生徒・普通の人間の人生の悩み・進みたい道を見つけていく過程なんて全く描かれない。
○○は△△の才能があるじゃないか!お前はそれを磨き上げろ!
学校の勉強なんて意味ないから止めとけ!好きなことだけやりながらそれを武器にしろ!
みたいな事ばかり主人公は言うが、大器晩成という言葉がある通りに成長曲線には個人差があるし、
人間の才能や適正はひとりひとり異なる。
特技というのは、日々の学習・研鑽・人からの教わりから積み重ねで磨き上げていくものじゃないのかな?
夢を叶えるのも、地道な努力や軋轢がセットになっていて、
決して楽しいことだけの、お気楽な道ではない。
才能有る無し関係なく、とにかく目の前のことに必死になってたら、
あっという間に歳をとって自分の後ろに道が出来ていた。
才能を見つけて伸ばしていくのもゲームのキャラ育成みたいにスイスイといかないのが世の常であって、
それに対して、電波教師の世界は天性の才能&スキル至上主義の展開に帰結しているので、
主人公・純一郎の言葉は現実に生きている人間の濃密さに対して絵空事過ぎて人生観を触発する物語になりえない。
原作で続きを読んだら、バスケ勝負をすることになり、正規のバスケの練習を積み重ねて実力をつけた努力の敵選手を、
バスケ素人の主人公側が一目見ただけで相手の能力をコピーする特殊能力を工夫して実力差を覆して勝つ話があるし。
作者が肯定するものが、作者が下に見ているものより本当に尊いのか?というと話の説得力が薄いのである。
作者は、一部の天才たちとの圧倒的な才能差を見せつけられる一方で、天才たちの陰で才能が無くても、
地道に積み重ねた人間の苦悩と強さも描いたスラムダンクを読みなさいと言いたい。
原作者・東毅が、鑑純一郎の台詞を通して藤子・F・不二雄先生を尊敬してます!みたく取り繕ってるけど、
“ドラえもん”を読んで何を感じたのか?ドラえもんのメッセージは、
・ひみつ道具を使っても心根が不純ならば、ろくな結果にならない。
・人生は七転び八起き。上手くいかないこと、つらいことが一杯あるけど、負けない打たれ強さが大事なんだぞ!
比較して電波教師じゃ、“どこでもドア”を作る!という夢のような道具への憧れだけ。
思想的な部分では、やりたくないことはやるな!好きなことを見つけて、それだけを頑張れ!
そしたら才能が生えてヒーローになれる!みたいな。
一体、作者は“ドラえもん”を読んで本当に大事なことは伝わらなかったのだろうか?と思ってしまう。
ヒーロー願望みたいな部分に、むしろ江戸城本丸を格闘家ヒーローに変貌させた江川達也じみたものがあるのだが。
結果至上主義で努力と挫折の中にある人間性などの軽視にゲーム脳みたい価値観が作品にはあり、
頑張ったけど思い通りにならなかった人間に対して全然優しくないなと感想を持ってしまう。
夢旅人に生きるのも堅実に生きるのも人それぞれで人がとやかく上から目線で言うことではないだろう。
自分の理想とは違う他者に対してのレッテル貼りと差別の精神こそが鑑純一郎ではないだろうか?
世の中の多くの仕事を平凡でつまらなくて価値がないものとして主人公が見下してるし、
一人一人が好きな道で自由にヒーローになればいいさ!という物語。
うん?作者にアルバイトでも経験があればそんな結論にならないはずなんだが?
世の中にはいろんな職業の人がいて、それが繋がっていて社会を作っている。
主人公の台詞がいい大人の作者からのメッセージなら、『ないわー。』としか言いようがないし、
実は単に親や教師に逆らいたい盛りの10代に媚びて作られただけだったのほうが、まだマシに思える。
親は子を叱るもの。職場の先輩は後輩を指導するもの。
世の中は出来た人ばかりではないが、それらは必要だからやっていることである。
つまらないこと?やりたくないこと?とは一体、何だろうか?
単に現実社会に適応出来ずにストレスを感じていて逃げたいから否定してるのではないのか?
例え、やりたい道に進んだとしても理想と現実のギャップは少なからず存在する。
上手くいかないことだらけだし、叱責されることも少なくない。やりたいことを見つけること自体がゴールみたいで、
その先にあるものが、成功しました!で終わってるこの物語は、道を志し学ぶ過程が描かれてない。
やりたいと思う!とやり続ける困難さの違いに一切触れてない時点で主義主張も無責任甚だしい。
本気でその道に打ち込み学んで成長しようとするならば、やりたいことだけやってれば楽しい!とは大嘘なのである。
作者がリアルな社会と人との繋がりが希薄なままに描かれた、俺の考える理想郷の最高の教師の物語。
今はわからないけどオレは特別な才能がある天才だ!やれば出来る!オレの本当の居場所はここじゃない!
周りはバカばっか!大人は夢を忘れたつまらない人間!
等といった考え方の未成年を想定して、それに媚びて作られたのが原作の『電波教師』であり、
それを元に作られたアニメは良くなりようが無く実際に何から何まで全てが微妙で奇跡のような出来になってしまった。
まあ、原作の続き読んだら本校に移ってバトルモノに路線変更して授業せずに、
将棋やスポーツやFPSフライトゲームで点数争奪戦やってるし、
本校校長の座をかけてTVゲームで勝負したりしてるし。
熱血っぽい展開を繰り広げられているが、
教育とは何ぞや?なんて広げた大風呂敷を、全く畳めていない。
単に読者に興味を持ってもらうために過激なことを言ってるだけであって、
実はそんなに深く考えてストーリーが作られていないのかもしれない。
それとは別に、アニメ化部分でも御坂美琴の偽物みたいなキャラいるし、
原作の続きでも御坂妹モドキやらハルユキのパクリみたいなキャラがいるし、
割と志が高くない作品であるには違いないと思った。
アニメよりも原作に対する感想のほうが多いですが、これにて終わります。
読んで下さいまして、ありがとうございました。