sherlock さんの感想・評価
4.6
物語 : 5.0
作画 : 4.5
声優 : 4.5
音楽 : 4.5
キャラ : 4.5
状態:観終わった
不完全と無完全…
では、アニメを観た率直な感想から
今回の作品は“全能者のパラドックス”がテーマとなっていて
個人的には一期よりも複雑で面白かった!
従って、決して子供向けではないことは明言する(笑)
良い子は色相が濁るから観ちゃダメ!絶対!
まず、今回の作品の重要そうな部分を簡単にまとめてみた
【前提】
{netabare}シビュラシステムは自分に裁けない免罪体質者を自分に組み込むことで完全性を保っている{/netabare}
【問題提起】
{netabare}鹿矛囲は全ての人間を免罪体質者にすることができるため
シビュラシステムは誰も裁けなくなり完全性が否定される
↓
ただし、鹿矛囲自身を取り込むと免罪体質者でないものをシビュラシステムに組み込んでしまうため
シビュラシステムの完全性が失われる
↓
また、社会からの鹿矛囲の末梢という選択肢も
シビュラシステムが裁けない者が存在してしまうことを認めてしまう
↓
だから鹿矛囲をシビュラシステムにより裁こうとする
↓
しかし鹿矛囲は複数の人間の集合体であるため彼を裁くためには
同じ人間(免罪体質者)の集合体であるシビュラシステムを裁けることにしてしまわなければならない
↓
そこでシビュラシステムは完全性を保つため、社会に必要であり続けるために自分たちを裁くしかなくなる
↓
だが、それはシビュラシステムを構成するもの(免罪体質者)を否定してしまうことになる
↓
パラドックスが生まれる{/netabare}
【結論】
{netabare}個々がクリアでも集団としてサイコパスを測定し裁くことができるシステム(?)を確立した{/netabare}
【新たな問題提起】
{netabare}しかし、これは別の問題を孕んでいて集団が集団を裁く場合裁く側の人間が変わると
裁きの結果が変わってしまう可能性がある
=裁くものと裁かれるものの関係性によって罪の重さは変わってしまうのではないか?
(シビュラシステムの不完全性はまだ消えない…){/netabare}
このように最後はシビュラシステムの新たな問題について皆に考えさせる結末となった
そこで、今回僕は上述に示す新たな問題の他に様々な問題について自分なりに考えてみた
(間違っていると思う方もいるとは思いますが大目に見てやってくださいw)
問1)
{netabare}個々がクリアでも集団として見たときに犯罪係数が上がる場合とは一体どういう状況なのか?
その一例としてクリアな人間同士の思想が対立した場合が考えられる
その場合、新たなシビュラシステムだとクリアな二人とも悪だと決めつけてしまうということなのだろうか?
⇒これではあまりにも犠牲が大きすぎる気がする…
逆にクリアな人間ばかりの集団が一つの目的をもってクリアで居続けたとしても
本来個人ではクリアではない人間が集団思想を受け入れ(=もしくは洗脳されて)集団に隠れていた場合
どのようにして探し出して裁くのだろうか?
⇒偽りは偽りであって存在に対する無ではない…
自分を偽り、理解を越えたものから目をそらして否定し
社会もしくは人間に依存することで安らぎを得る人間で形成される社会とは
今まで裁けなかった者(免罪体質者)たちの考え方に従うだけの社会になってしまう…
そんな社会を“正しい”とは言えない気がする…{/netabare}
問2)
{netabare}複数の集合体を裁くシビュラシステムという集合体は本当に一つで良いのだろうか?
裁きとは天秤で重さを測るのと似ていて
シビュラシステムがいくら優れたものを集めた集合体だとしても
ある基準に対して重い(悪)か軽い(善)かという相対的な基準でしかない
従って、基準というのは複数ある必要がある
なぜなら個人を裁くために複数の個人(免罪体質者)という基準を設けたように
集団を裁くためには複数の集団という基準を設ける必要があるからだ{/netabare}
問3)
これはPSYCO-PASSを最初に見たときに感じた疑問で
シビュラシステムの根本的な問題だが…
{netabare}犯罪係数299と300の違いとは一体何なのか?
この300という数字にリーサルの基準を置いて
299まででノンリーサルの人間たちを数値化して分類できるとは到底思えない…
先ほど述べたように裁きとは絶対に相対的なものであるから
僕は犯罪の度合いを数値化すると矛盾が生じてしまうのではないかと考えている
このように裁きとは裁くものによって全く異なってしまう曖昧なものなのだ
従って、法律という基準の他に皆がもたなければならないのが“倫理”である
常に人に流されず自分で考えることを止めない信念と共に
一人一人が自分の中に何が起きてもブレない倫理観をもつことで
社会が正しい方向へ導かれるだろう…
また、人の倫理観は時間と共に変化することで裁きの基準も刻一刻と変化していくことだろう
そうやっていつか理想的な司法体系になることを願っている…{/netabare}
は~い、ということで皆さ~ん、起きてくださ~い!終わりましたよ~笑
このアニメは唐之杜さんに思わずW.C.(What Cup[size]?)と聞きたくn…じゃなくてw
“絶対に(人を)裁けるモノ”が“絶対に裁かれない者”をどうやって裁くべきなのか?
と我々に問いかけてくれるアニメなので
興味がある方はぜひ一度観てみてはいかがでしょうか?(●´ω`●)