あしすと さんの感想・評価
4.1
物語 : 3.5
作画 : 5.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
ようじょ虐待ダメ、ゼッタイ
原作未読です。
バトル設定は大好きでしたが、自分のアニメの好みからするとちょっと描写が残酷すぎると感じた作品、という感じでしょうか。
以下、割と酷評気味だと思います。
{netabare}自分は主要キャラが死亡したり、迫害・差別をされたりする展開だと気分が悪く感じてしまうタイプです。
バトルものであれば人が死亡する展開があるほうが「リアリティーがある」と感じる層も根強くいるかもしれませんが、
残酷さを強調することが「リアリティー」に繋がるのであれば、私にとってそんな方向性の「リアリティー」なんかくそくらえですね。
というわけで、世界観設定などに必然性があろうとも、幼女虐待・幼女差別・幼女死亡という展開があるこのアニメは自分にとってなかなかしんどいものがありました。
まぁでも、これはあくまで個人的好みです。
残酷な描写だけは辛かったですがバトルの展開や緊迫感は好きだったので、最後まで問題なく視聴することができました。
しかし、ここから先は個人的好みというよりは、世界設定についてのちょっとした疑問点。
「なぜ呪われた子供たちは差別されているのですか?」
この点が自分にはどうしてもしっくりきませんでした。
{netabare}つまり、
・ラノベフィクション世界とはいえ、舞台は「東京」
・ガストレアの侵略から世界を守るための大きな役割を呪われた子供たちが担っている(呪われた子供たちなしでは世界はすぐに滅ぶ?)
・いくらガストレア因子を宿しているとしても、呪われた子供たちは見た目も中身(思想)も単なる子供と変わりない
・呪われた子供たちを追い詰めすぎて逆ギレされたら、圧倒的な戦闘力で逆に自分が殺されかねない
これらから導き出されるべきは、「積極的な虐待」ではなく、できるだけ関わらないようにするという「消極的差別」ではないですか?
だって、事実上平和を守ってくれているわけですから、社会が寄ってたかって積極的に差別するのは大人げなくないですか?
見た目が単なる幼女を虐待したら、夢見が悪くないですか?
虐待して万が一逆ギレで自分が殺されたらシャレにならなくないですか?
以下、妄想です。
呪われた子供たち関連で設定を作るなら、どちらかというと
・ガストレア対策の要として、子供たちの生活は政府によって保障されている
・ただし保障とは名ばかりの実質的監視で、生活には困らないが社会からは隔離されている
・一般市民からは畏怖の対象となっており、できるだけ関わらないようにされている(「あんまりジロジロ見ちゃいけません!」的な)
・呪われた子供たちは、世界から特別視されて普通の生活を送れない自分の境遇に虚無感を感じている
・子供たちを差別する過激テロ組織が存在する(爆弾事件が起こるような下地はある)
…というほうがしっくりくる気がしたんですが、これは自分が残酷描写を好まないからそう思うだけなんですかね…?
こういう設定にすれば、少なくとも日常の胸糞が悪い描写は少し抑えられるような気がするのですが…。{/netabare}
まぁ、こんな素人の戯言なんか原作者さんは百も承知で、そんな生ぬるい描写にするよりも、ともすれば胸糞が悪くなりかねない描写を徹底することをこの作品の特長にしたのでしょうが…、そうだとしたら自分はその感性にはまったく共感できなくて、
「なんかハッピーエンドになりそうにないから、続きが気になって原作に進もうとも思わないし、アニメ2期も別に期待しないかなぁ」
という感じでした。
いや、この作品が嫌いな訳じゃないんですよ。
むしろバトルやキャラの設定は相当好きだったんですよ。
だからこそ残酷描写のロイヤルストレートフラッシュみたいな展開が悲しくて悲しくて…、ついこんな方向性のレビューになってしまいましたm(_ _)m{/netabare}