ostrich さんの感想・評価
4.4
物語 : 3.5
作画 : 4.5
声優 : 5.0
音楽 : 4.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
「こじらせ」と「死生観」
■「こじらせ」
すごくどうでもよい話だけれど、私は女子の「こじらせ」が好物だ。
世の中には「こじらせ女子」などという言葉もあるが、馬鹿を言ってはいけない。
こじらせていないっぽい女子も飲みの席で若干、立ち入った話なぞすれば、
何らかの「こじらせ」がぽろっと出てくるものだ。
非常に私見にまみれた見解だが、こじらせていない女子などいない、
さらに言えば「こじらせ」は女子であることの証左だ、と私は確信している。
そこで、本作である。
私が本作でもっとも心揺さぶられたのは、第8話、{netabare} あなる の告白シーン{/netabare}だった。
{netabare}あのシーン(に限らず物語全般そうだが)で あなる は、
「あのひとがいなくなれば、大好きなあなたはわたしのものになるかも知れないけれど、
わたしはあのひとのことも大好きだし、そもそも、そんなことを思う私って最低!」
というような、ただでさえ込み入った思いを抱いているのだけれど、
それをストレートに言うわけにはいかないので、「性格の悪いことを言うよ」と前置きしたうえで、
さらに込み入った話をしてしまう。
しかも、あなる は自分の気持ちを言語化することに長けていないので、そのいら立ちも含めて、
大好きな じんたん に攻撃的になってしまうわけだ。
ちなみにこのシーン、やたらと あなる の尻(と書くとなんだか妙なニュアンスになってしまうが)を
強調する構図になっているのだけれど、これはエロが目的ではなく「女子」の強調だろう、と思う。
つまり、この「こじらせ」こそが「女子」ということなのだ。
いやはや、こんなに素晴らしくこじらせた告白シーンはアニメに限らず、あまり見たことがない。
もちろん、つるこ も あなる と似たような思いを抱いている。
ただ、 つるこ は あなる よりも自分の感情を理性で抑圧することができるので、
あなる のような感情の爆発は物語の後半まで起きない。
それゆえに、彼女の「こじらせ」は あなる よりも一段深いものになっている。理性的な女子ゆえの「こじらせ」だ。
また、本作にはこの上記女子二人と似たような「こじらせ」を抱いている「ゆきあつ」がいる。
彼は男子だけれども「女装子」だった。女子的なこじらせを抱えた男子、ということだろう。{/netabare}
本作は前述シーンに限らず、単なる萌えではない、
リアルな女子像(つまり、「こじらせ」を抱えた女子像)を構築しており、
私のように女子のこじらせを眺めてニヤニヤしている外道の類には、もう、それだけでご馳走だった。
性差で作品を論じるのは野暮な気もするが、これは、やはり女性脚本家だから描けたのだろうな、と思う。
ちなみに めんま に「こじらせ」が用意されていないのは、彼女が女子ではなく、
内面的には「女児」だから、と言い訳して、本項を閉めさせていただく。
■人生を数秒で描写したOP
私は本作のOP、とくにイントロ部分がたまらなく好きだ。
超平和バスターズ6名の子供時代の立ち姿から、
めんまを除く青年期5名の立ち姿になり、青年期めんまで終わる、あのイントロだ。
なんか言葉にするとそれこそ野暮になりそうなので、くどくど書かないように努めるが、
私の死生観というか人生観というかは、あのイントロにすべて表現されている気がする。
私が、かつて、生きていた友人知人たちを思い出すときの感覚にとてもよく似ているのだ。
みんなで「いっせーの!」でスタートした人生も、やがて一人、また一人と消えてゆく。
そんな当たり前で残酷な真実をああいう優しいタッチで受け止めていくことができれば、
そりゃ悲しいことには違いないが、そればかりではない何かを生み出すこともあるだろう、
といったようなことを私は思っているのだ、おそらく。