「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲(アニメ映画)」

総合得点
80.8
感想・評価
729
棚に入れた
4210
ランキング
437
★★★★★ 4.1 (729)
物語
4.4
作画
3.9
声優
4.0
音楽
4.0
キャラ
4.2

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ネタバレ

renton000 さんの感想・評価

★★★★★ 4.4
物語 : 4.0 作画 : 5.0 声優 : 4.0 音楽 : 4.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

罪深いなぁ

あらすじは他の方のレビュー等をご参照ください。

 初見でした。90分くらい。劇場版第9作目。
 この映画が初見なだけではなく、クレヨンしんちゃんシリーズの映画自体が初視聴でした。もちろん、記憶にないだけで子供のころに何か見ているかもしれませんけどね。
 総評としては、「泣ける話」といった感じです。ヒロシが八面六臂の大活躍をしていました。


良かったところ:{netabare}
 ありきたりかもしれませんが、しんちゃんが階段を駆け上がるシーンは良かったですね。「自分の後方が迫ってくる」というのは、この作品においては「過去が迫ってくる」ということなんだと思います。一定の感覚で引いていくカメラが「時間」ということですね。そして、しんちゃんは、観客側(未来側)に向かって走る。このシーンでは、「過去」と「未来」とその間にある「時間」を主体にしていたからこそ、しんちゃんがカメラの中心にいなかったのだと思います。
 大人のヒロシやミサエではなく、子供のしんちゃんが「過去にとらわれないように未来に向かって走る」というのは、この作品の軸の一つですからね。非常に上手く演出していたと思います。
 ただ、ちょっと尺が長すぎるような気もしましたけど。まぁ気にするほどじゃないですかね。

 「足の匂い」という象徴物も良かったと思います。これはヒロシのキャラ設定としてあるものなんだと思いますが、この作品においては「ヒロシの歩んできた過去」なんだと思います。この「ヒロシの歩んできた過去」は、全ての人を救えるような効力は持ち得ませんでしたが、ヒロシ自身とヒロシの家族だけは救うことができました。
 自分の歩んできた過去は、誰も彼もを救えるわけではなく、守りたい人だけを救えるんだってことでしょうかね。この描き方も、とても良かったと思います。
 個人的には、ちょっと気持ち悪かったですけどね(笑)。
{/netabare}

テーマ:{netabare}
 テーマ自体は、「過去と未来をどう捉えるか」ということに集約されるんですが、ここを中心に多角的に展開していたように思います。

 その一つとして「家族」というものがあったと思います。
 ヒロシの回想シーンには、かなりの尺が使われていました。その内容は「懐古」なんですが、描かれるのは楽しいエピソードだけではありませんでしたよね。恋人との別れや仕事で怒られるシーンなどのイヤなものも入っていました。懐かしさ(過去)の中には、良いことばかりではなく、悪いことだってあるんだよ、と描写されています。
 ですが、童心に返った大人たちは、楽しいことばかりを繰り返しています。仲間内でケンカをすることもなく、ただただ遊びという楽しさを享受しているだけです。
 つまり、この作品は、過去の全てを受け入れる「懐古」に対しては肯定的に見ているのですが、逃避的で良いとこ取りな「懐古厨」に対しては批判的に見ているということです。

 だから、ヒロシの子供時代の「月の石」のエピソードが入っていたのでしょう。
 このエピソードは、童心どころか子供に返ってしまったヒロシが、「過去の楽しさを享受できるかどうか」ということが主眼に置かれていたのだと思います。
 ヒロシは、自分の子供であるしんちゃんを前にして、「月の石」を諦めざるを得ませんでした。子供の前では大人になるしかなく、そのためには子供の自分を捨てなければならない。過去の辛い思い出も受け入れなければならない。過去の良いことも悪いこともひっくるめて大人になる。そして、自分が大人になって初めて、自分の子供と家族になれる。

 「大人の子供化」や「安易なノスタルジー主義」に対する社会風刺ですが、家族観をベースとする描き方は原恵一監督の得意としているところですね。「カラフル」や「河童のクゥ」なども社会風刺作品ですが、ベースにはいつも「家族観」を置いていました。


 もう一つだけ重要なことを挙げておきます。それは、大人にとっての過去ではなく、子供にとっての過去のことです。
 カザマくんは、「懐かしいってそんなに良いことなのかな?」と聞いていました。そして、しんちゃんは階段のシーンで、一度も後ろを振り返らずに前を向いて走り続ける。
 つまり、大人にとっての過去とは良きも悪しきも受け入れるべきものですが、子供にとっては過去なんて気にせずに、未来だけを向いていれば良いということですね。同じ過去を共有できないからこそ、大人たちは子供たちを敵視していました。
 この「大人と子供は違うんだ」というメッセージは、この作品の根幹に当たるんだと思います。子供は子供であるだけで十分なのですが、大人が子供になってはダメなんだってことですね。
{/netabare}


 この作品の罪深さについて、少しだけ苦言を呈したいなと思います。
 前提として、「物語の評価」と「泣けたこと」の関連について述べます。この作品は結構泣けたんですけど、私は泣けたからという理由で、作品に高評価を付けるようなことはしていません。泣くかどうかは私の主観ですし、「物語の評価」は客観でしたいと思っていますから、それぞれ別物として考えています。そもそも私は簡単に泣く方ですから、自分の泣きセンサー自体を全く信用していないっていうのもありますけどね。


対象年齢①:{netabare}
 この作品の対象年齢ってどうなっているんでしょうか?

 私は、「物語の評価」に関してだけは、明確な採点基準を設けています。公表はしていませんが、3点を基準に、4項目について±0.5点で評価点を付けています。そのうちの1項目で、かつ最も重視しているのが、この「対象年齢」です。子供向け作品でエログロや難解なテーマを描いていたら不適切、みたいなことです。
 例えば、まどマギ。私は、深夜にやっていたから傑作として評価しています。ですが、もし子供向けとして日曜日の朝にやっていたら、問答無用で駄作にしていたと思います。まどマギは、子供向けとしてはふさわしくありません。

 クレヨンしんちゃんのアニメのメインターゲットは、園児から小学生くらいまでだと思います。子供の中でも、とりわけ幼い世代を射程に入れている。この世代の子供たちは、どこまでこの作品を楽しめたのか、すごく疑問に思えました。中盤までは楽しめたのは間違いないでしょうが、終盤も楽しめていたのでしょうか?

 もちろん、楽しめたと言う人もいるでしょうし、子供には分からないって言う人もいると思います。主観的には、いろいろな意見があると思うのですが、作品内の表現から見ると、子供には分からないよねって言っていたと思います。
 それは、上で挙げたカザマくんのセリフ「懐かしいってそんなに良いことなのかな?」があるから。このセリフは、未来だけを見ている子供には「懐古」なんて分からないよね、というのを作劇上の前提としていたからあったはずなんです。それは子供たちが「オトナ帝国」に支配されないことにも表れています。
 つまり、原監督自身もこの作品を、子供向けではなく大人向けだと認識していたのだと思います。
{/netabare}

対象年齢②:{netabare}
 私は、この作品を「大人も楽しめる」作品だと聞いていました。
 「大人も楽しめる」というのは、「子供も大人も楽しめる」ことであるはずです。でも、この作品のターゲットに子供は入っていません。子供向けを標榜するのなら、自殺阻止エンドになんてしなかったはずです。分かりやすい敵キャラクターを配置して、バトルの末の大団円にしていたでしょう。子供には、ストレートなメッセージでなければ伝わりません。
 つまり、この作品は、「大人も楽しめる」作品ではなく、「大人だけが楽しめる」「子供を対象としない」作品になっているんだと思います。

 この作品を「大人だけが楽しめる」作品であると評するなら、それは構わないし、むしろ堂々とそう宣言すべきだとすら思います。そうであれば、この作品は傑作かそれに準ずる作品として評価されるでしょう。カザマくんのセリフを入れた以上、原監督が目指していたのは、この「大人のためのクレヨンしんちゃん」だと思います。

 ですが、子供向けを前提にしていないのに、「子供向けとしても成立している」と評してしまったり、「大人が楽しめるからいいじゃないか」と開き直ってしまったりするのは、間違っていると思います。この子供をないがしろにする発想は、作品内における「オトナ帝国」の在り方そのものです。あくまでも謙虚に「大人向け」を宣言すべきです。

 私は、子供向けのタイトルでは、きちんと子供向けをやってほしいと願っています。
 この作品は、「誰もが知っている家族」でなければ成立し得ないものです。その中でも「野原一家」でなければいけないものだったとも思います。つまり、「クレヨンしんちゃん」という作品でなければならなかった。
 ですが、子供向けの「クレヨンしんちゃん」からは逸脱してしまいました。子供向けのタイトルを冠して、堂々と大人だけを対象とした作品にしてしまった以上、この作品に功罪の両面を見るしかないと思います。子供向け作品で、大人向けをやっていることは功ですし、子供を除外してしまったことは罪だということです。
 「子供向け」としては駄作、「大人向け」としては傑作、とするのが正しいように思えます。


 しんちゃんの最後の「おかえり」に、私はすごくドキッとしました。あのセリフは、居心地のいい「オトナ帝国」からのヒロシの帰還をいうのであって、同時に辛さもある現実の中にヒロシを落とし込むものでした。「懐古厨」にとってのバッドエンドに相当します。
 ですが、ヒロシたち大人に救いがないわけではありません。ケンとチャコという、大人に夢を見せてくれた存在が生きているからです。だからヒロシは、「懐古厨」にならずに、あくまでも「懐古」で留めることができた。
 ヒロシは、しんちゃんから「おかえり」と言われる前に「ただいま」と自分から言っています。自分から「オトナ帝国」からの帰還を宣言していたのです。ヒロシに先に言わせた監督の意図をくみ取りたいし、私もヒロシと同じように自分から「ただいま」と言いたい。

 「クレヨンしんちゃん」が本来子供向けであることを無視して、大人向けとして絶賛することは、自分が「オトナ帝国」の一員になってしまったかのような違和感を感じます。私は、何としても「オトナ帝国」の一員になることだけは避けたい。
 「クレヨンしんちゃん」は子供向けであるべきです。この作品の「対象年齢」を減点したいと思います。
{/netabare}

おまけ:{netabare}
 「対象年齢」のところは、「対象年齢」を評価対象にしていない人には全く関係ない話ですけどね。
 「クレヨンしんちゃんは子供向け」というテーゼに対して、「クレヨンしんちゃんは大人向け」というアンチテーゼを見せたことは評価しますが、捨てていいテーゼではないと思いました。ジンテーゼにはできなかったんでしょうか。

 カザマくんのセリフが無ければ、すなわち、子供を除外することへの配慮が見えなければ、私は「この作品こそがオトナ帝国だ」と批判していたと思います。映画館に来た親子に対して「親だけが楽しんで行ってね」というのは、「オトナ帝国を批判しながら、オトナ帝国を作る行為だ」ってことです。

 ヒロシと「オトナ帝国」の違いって、結局は子供への配慮のところに表出すると思います。この作品について、「この作品の良さが分からないのは子供だから」みたいな意見がありましたけど、これを言ってはダメですよね。その人自身が「オトナ帝国」になっているし、この作品自体を「オトナ帝国」にすることにもつながってしまうと思います。
 「子供には面白くないかもね。すまんね。でも大人は楽しめるんだよ」という姿勢じゃないとダメですよね。ヒロシは過去の良し悪しの両方を受け入れる姿勢を見せたわけですから、私たちも同じように功罪の両方を受け入れる謙虚さを見せるべきだと思います。

 この作品のもう一つの罪を記載しておきます。
 この作品は非常に優れた作品です。それゆえ、これ以降の劇場版は、常にこの作品と比較されているだろうことは想像に難くありません。比較するのはもちろん大人たちです。この作品は「懐古される万博」そのものになっているのだと思います。
 いくらこの作品が優れていたからといって、「懐古厨」にならないように気を付けなければいけませんね。
{/netabare}

投稿 : 2015/04/19
閲覧 : 586
サンキュー:

5

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