退会済のユーザー さんの感想・評価
4.4
物語 : 4.5
作画 : 4.5
声優 : 4.5
音楽 : 4.5
キャラ : 4.0
状態:観終わった
ストーリーラインのシンフォニー<勝手に擦り合わせ>
見始めてこれは断念しちゃうかなとも思いました。ベタさと次が見える展開が、あまりにも綺麗すぎて、と思いましたが徐々に焦点の当て方が違ってきて見入ってしまいました。
本作は音楽モノでありながら、群青劇でもあり、トラウマ等々根深いものもあって、そこら辺の本筋に当たるラインが視聴側にとってどれを中心に観るか、誰に感情をダブらせるかによって印象が違ってくる気もします。
ただ自分的にはいい感じに収まったというのが率直な感想。大まかに分けると
a:音楽
b:シリアス面
c:群像劇:恋愛
a:本作の音楽というか、演奏面での演出において作画(音を表す絵やアイキャッチ)なども勿論魅力ですが、その時の感情や、これまでの苦しさだったり、演奏に物語をこれでもかって位落とし込んだのが新しかった。それがb、cにも繋がってくるので、イコール演奏が演奏だけにならず、物語としても演奏としても深みを増す効果になっていたし、あれだけ派手な演出を納得させるには、こういったバックボーンあってこそだと改めて感じた。
b:シリアス面と言っても人それぞれですが、主に公生の母とピアノのトラウマで。これは結構根深くて、公生にもどっぷりダブったし、母の子供に対する教育ってのも分からなくもなかったり。病気で時間が無いのもありますし、私は最初本作が綺麗すぎると書きましたが、ここら辺からドロッとした感情がどのキャラクターみても描かれていて(尺の違いはありますが、バランスを感じました。暴力は過剰でしたがw
c:群像劇として、abを生かしてた部分がかなりあって、でもabがcを生かしてたりする。同じような事をabでも書きましたが、本作の良さは本筋に当たるabcを上手く調和させていることだと感じます。これってちょっとでもずれたら大分印象変わると思う。逆に描いてほしいどれかを重視して観ると軽く肩透かしをくらうかもしれませんね。最後の手紙や椿推しだった人に関しては特に観方分かれそうですが、「色々な異なった要素がまじり合って、ある効果を生み出している」シンフォニーを上手く調和させた意味でも、上手い纏めだったと思うでありんす。てかこの終わりじゃないと辻褄が合わない。
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勝手に他のレビューアーさんとの擦り合わせ
・何に主軸が置かれているのかよく分かんない。
本作は上で書いた通り普通、本筋に当たるストーリーラインがあるものなんですが、本作はどれが本筋なのか分からないorどれも本筋に当たる位描かれていることから、全体としては纏まっているんだけど、点を見つめると濃ゆい。それを随所に求めると納得いかない描写に移るのも頷けます。私は調和と取りましたが裏を返せば、平均的とも取れるわけで、主軸が分からないのも仰る通りだと感じます。
・ドロドロしてない&亮太の立ち位置
これも主軸がハッキリしていないからドロドロにならないという点が大きいかと。(尺+中学生)また亮太の立ち位置は残念ではありますが、元々嘘を始めから知っていた唯一の共犯であって、彼のイケメン性格上。時間のないかおりと、時間が止まっている公生を考えて、あのような立ち位置でいた気がします。
・トラウマの扱い方
本作のトラウマ克服談は決してベストな演出として描かれているかと思うと、ベストではないと仰る通り。ただ公生が自ら罰として生み出していたトラウマなんです。病名を出すのはアレですが無意識に幻聴幻覚を生み出していたのでしょう。またあのような精神が混濁した状態で演奏したりすることについては、モラル的観点からすれば意にそぐわないとは感じます。ただピアノで受けたトラウマを克服する手段としてピアノで乗り越えるのが妥当だとは思います。
・ポエム長
本作は度々書いていますが群像劇側面を持った音楽アニメです。本来綺麗な映像と音があればセリフは蛇足になる。これは私自身も最初違和感を感じていましたが、奏でることより、届けることを重視した為、このような手法をとったのではないでしょうか。演奏の凄さを強調する為だったなら、わざわざ綺麗な音を潰してまでセリフを吐くのは考えにくい=届けるという演出を、どうしても観てる側にも届けたかった、そのように感じます。
・かおりの死を何故受け入れられたのか
まず母の死を克服できたのが大きいのと、それまでの流れから死ぬことは分かっていたはず。最後の演奏のgood byeのセリフからも鑑みて。ただそれまで塞ぎ込んでいた公生もそこにはいて、演奏本番までフラフラでした。ただ彼は気付く、これまで自分は届けられてばかりで、自分は届けることが出来ていないと。演奏者しか体現出来ない演奏中の心理というのは再三本作では語られていて、単純に疲弊した心の闇をアウトプットし、演奏後の得も言えぬカタルシスが彼を救ったとも取れるし、単純に音楽と向き合っている時間=彼女の死と向き合う時間でもあったはずで、結局は常識で考えれば無理がある講釈ですが、こんな風に考えていますw
暴力、ギャグは弁解なしw
全体を通してどこを主軸に観るかによって印象が大分変わる作品ですね。