退会済のユーザー さんの感想・評価
4.0
物語 : 3.5
作画 : 5.0
声優 : 4.5
音楽 : 4.0
キャラ : 3.0
状態:観終わった
そうさ 女の子は まわり道をしても夢の海へ着けばいい 重たい十二単なんか脱いで 生きようぜ〜〜♪
かぐや姫にとっての幸せを、おじいさんは見誤ってしまった。
生き物の真の幸いとは何なのか、そこに根っこはあるのか、やはり、高畑節ですね。
はじめに全ての幸せと恵みは完全に得られており、試すように天からの誘いが訪れる。これがこの先のこの子のためと、きらびやかに整えられ与えられた幸せの器から、漏れこぼれていったものは…。
あんなにも技を持って生活力のあった人々、色とりどりの季節を感じさせた山の暮らしが…。姫たるに相応しいものを追い求めて、何でできているのかわからない世界になってしまう。
強烈に、現代への批判がみえて苦しかったです。
ウググググ
この視聴後に襲うガチの反省感が、ポニョやルパンにインスタントラーメンを美味しそう〜に食べさせてる宮崎作品とは違うんだなと思います。
かぐや姫の寓話性は女の生き方についての話だったのかもしれませんが、私は高畑節特有の暮らし方と職人の描写ばかり気にしていました。
{netabare}
うちの婆さんは、山で育った人でして、肥やしを担いで歩いたとか鶏を育てたとか、兎の締め方見るのが辛かったとか、漬け物や保存食の作り方とか、そういう時分の話を聞くと鮮烈に土に根ざしていて、ものスゴイんです。
しかし彼女は、高度経済成長の中街で働いて大人になり、山の暮らしは次第に脱ぎ捨てていきました。脱いで新たに着込んだのは…
コレがあれば便利、が、コレが無いと出来ない、に取って代わるのは、依存させる消費社会のせいなのか?
(u_u)
画面でガリガリと動く描線を眺めながら、この作品の中にいきづく職人精神を感じました。
作品内でも、職人の人々が印象的に登場しました。
竹細工をしていた竹取の翁、山で木をくり抜いてろくろ引きでお椀を作っていた木工師、おばあさんの機織り、玉の枝を造らされた職人、炭焼きをしていた山の人。
今は消えゆく手仕事の描写が気になって。
ものを作ること。生活に必要だから作る、あるもので作る、自然に還るもので作る、売るために作る、役立つために作る、遊び心で作る、自己投影のために作る、人と関わるために作る、この土地から歴史が失われないために作る…
山では雉を獲っていた捨て丸が、町では人様のものを盗らねば生きて行けなくなって。最後に、農作業に精出して「作る側」に戻れていたのは、若人への希望を託したんでしょうか。
アイドルかぐやは白昼夢。モブ奥様を大切にね!!
{/netabare}
何が書きたかったんだっけな〜(´-`)
生きる手応えや充実感を確かめよ、って高畑寺の座禅でビシイと叩かれるよーに感じさせる話でした。ハイ、すみません。すみません。精進します。
月のお迎えが来た時の音楽はいやに軽くテンカラリンと驚くほど陰りなくのんきでした。人間の卑しい苦悩や、崇拝や感動など露知らずですよ、といった、あっけらかんとしたノリでしょうか。空気を読まないってこういうことかァー、と地上の人々と一緒に固まりました。
生活の描写は素晴らしく、しかしかぐや姫の心情や行動選択はわかるようでわかりづらいので(古典世界での女の生き方の制限と、月のファンタジー色が混ざって考えが見えない)、キャラクター点は低くなりました。
「私はこの地で何をしていたのか」という、虎になった男のような後悔の念は、わかりやすく非常に美味しいと思いましたが。
そこからの追い上げを観たかったですが…そういった欲求は、ハッピーなドラマの旨味成分に毒された現代人の娯楽感覚でしょうか。
枯れるものは枯れる。ものは壊れる人は死ぬ。やがて季節はめぐる。物語は否応無く終わり去る。
地球の循環の中から抜け出た姫は月から、我々愚かな俗なるものを静かに照らし続けるのかもしれません。
タイトルはトム・ソーヤの冒険のテーマソングの替え歌です。
そうさ つらい時は 顔を空に向けろ
忘れた夢が見えるよ 自由なけものみたいに走ろうぜ〜♪