takarock さんの感想・評価
3.7
物語 : 3.5
作画 : 4.0
声優 : 3.5
音楽 : 3.5
キャラ : 4.0
状態:観終わった
原恵一監督のイズム
2007年7月公開のアニメ映画。上映時間は約140分。
故・小暮正夫氏の児童文学作品「かっぱ大騒ぎ」「かっぱびっくり旅」という原作はあるものの、
ほぼオリジナルアニメ映画といっても差し支えないと思います。
監督は、クレしん映画「オトナ帝国の逆襲」「戦国大合戦」等を手がけた原恵一監督。
「簡単なあらすじ」(知っている方は飛ばしてください)
東京の郊外、東久留米市に住む小学5年生の上原康一は、
下校途中に大きな石を見つける。
石を割るとそこには干からびた謎の生物が!?
この謎の生物こそが、江戸時代から300年間石の中に閉じ込められていた河童のクゥであった。
康一は家族を説得してクゥと一緒に暮らしていくことになる。
こうして、クゥと共に過ごす夏休みが始まる。
序盤ぐらいから本作のストーリーの全体像というのは、大体予想できていました。
康一とクゥの出会い→河童のクゥの存在が世間で問題となる
→クゥとの別れ、そして康一の成長といったところでしょうか。
ただ、予想以上に様々なテーマを盛り込んできて、
子供の成長ということに関してだけでも康一だけでなく、
同級生の菊池紗代子の話も絡めてきているので、
かなりのボリュームになっています。
そして、ストーリー全体像の予想ができると言っても、
本作は、ストーリーで引きつけるタイプの作品ではないと思います。
家族愛であったり、クゥとのハートフルなやり取りなどが見所なのだと思います。
そんな中で私が注目したのは、至る所で散見される「原恵一監督のイズム」です。
どういうことか説明する前に、
本作の舞台の作り込みについて少し触れたいと思います。
これも原恵一監督のイズムなのかもしれませんが、
原恵一監督が手がけてきた「クレしん映画」同様、
本作も徹底した舞台の作り込みをしています。
下校途中の小学生たちの会話、住宅街の様子、家の間取り、
近所のスーパーマーケットの様子、コンビニのやる気のないバイト店員等々
まるで東久留米市の生活模様をそのまま切り取ってきたかのようです。
いや、東久留米市に行ったことないですけどねw
そのように思わせてくれるということです。
ジブリ作品なんかもそうなのですが、
実写ではただの背景である日常風景をアニメーションで再現すると、
「よくぞここまで再現した」というある種の感動を覚えます。
そして、そこには視聴者を物語の世界に引き込む強い説得力があるように思えます。
故に河童というファンタジーな存在をすんなりと受け入れることができるのかもしれません。
アニメーションならではの魅力とでも言うのでしょうか。
これをそのまま実写でやるとすごく陳腐化するんですよねw
少し話が逸れましたが、
本作における原恵一監督のイズムとは如何なるものなのか、
それを①家族観、②自然観から捉えていきたいと思います。
①家族観
上原一家は、近年の家庭によく見受けられるであろう
互いが互いに干渉もせず、無関心の冷えきった関係とは対極の、
家族全員で食卓を囲み、一家団欒する非常に温かい家庭として描かれています。
また、飼い犬の「オッサン」も家族の一員であり、
困難が立ち塞がった時には家族一丸となって立ち向かい、互いに支え合っていくという
原恵一監督の「家族とはかくあるべき」という願望、ないしは、主張なのかもしれません。
ただ少しだけ言わせてもらうと、この一家、状況を受け入れすぎですw
そもそも河童を飼うということもそうですし、
マスコミや見物人に家を取り囲まれても激しく取り乱すような場面もないですし、
TV出演にしたって、「TVに出れる~」とどこか浮かれていますからねw
これだけ好奇の目に晒されれば、マスコミに対する拒絶反応が出そうなものですし、
康一にしたって、河童のことでいじめられているのですから、
TV出演を喜ぶなんて若干不自然なような気もしますが・・・
まぁどこか抜けている一家だと思うことにしましたw
②自然観
夏休みにクゥと康一は岩手県の遠野に行きます。
遠野は東京と比べて、多くの自然を残しており、
自然と戯れるクゥと康一は生き生きとしています。
「子供は夏休みにはこのような経験をして欲しい」という
メッセージが、もしかしたら込められているのかもしれません。
しかし、そんな自然を残す遠野でも、現在では河童は生存していないのです。
クゥの台詞で「父ちゃんが言ってた。 人間は道や地べたをオレたちから奪い、
そのうち風や空や神様の居場所まで自分達のものにしちまう。
それと引き換えに魂をなくしてしまうだろう、って」というのがありますが、
ここに原恵一監督の自然観が集約されているように思えました。
①と②は決して押し付けがましく主張していません。
そして、ここから導き出される原恵一監督のイズムというのは、
人間は自然を破壊し、利便性を追求してきたが、
それは本当に豊かな生活と言えるのだろうか?
どれだけ便利な世の中になったとしても、
人としての心や絆というものは決して失ってはならない。
これが、私が感じた「原恵一監督のイズム」です。
勝手に私が感じたこの原恵一監督のイズムが、当たらずといえども遠からずであるならば、
携帯(写メ)文化なんかにいい顔をするわけがないです。
「クゥちゃん可哀想・・・」と呟きながら
写メでパシャパシャ撮っている人たちのシーンだけ見ても、
ここに心なんてものはない!と強い嫌悪感を示しているのが伺えます。
マスコミから向けられるカメラや見物人から向けられる携帯には
非常に怯えていたクゥですが、
上原一家とデジカメで記念撮影をする際にこんなことを言います。
「このピカピカ(カメラのフラッシュ)は全然怖くねぇよ」
大事な人たちとのかけがえのないこの一時を
大切な思い出として写真に残しておく、
そこには心があるということなのかもしれません。
先日私はとある喫茶店でコーヒーを飲んでいたのですが、
向かいのテーブルでカップルが食事をしながら
互いにスマホをいじっている姿を目撃しました。
この光景を原恵一監督が見たらどう思うんでしょうねw
スマホ(道具)に支配された心なき無機質な食事風景。
いや、しかし決めつけはよくないです。
男:「ここのパスタ、ちょっと辛くない? 残り食べてあげようか?」
女:「え~そんな辛くないよ~ 心配しすぎだよ~」
な~んてハートフルなやり取りをスマホ上でしているのかもしれませんからねw