leojojo さんの感想・評価
3.5
物語 : 4.0
作画 : 3.0
声優 : 3.5
音楽 : 3.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
「姫の犯した罪と罰」というキャッチコピーについて
{netabare}皆さんがこのキャッチコピーに疑問を抱いていたようなので、ほぼ公式の見解と私の解釈をここに書かせていただきます。長々と書いてしまいましたが各段落<>でまとめてあります。
原典の「竹取物語」では、かぐや姫は <月で(一説では恋愛関係の)罪を犯した罰として、卑しい地上に、しばしの間流された> 。
高畑勲監督は、「…罪を犯してこれから地上に下ろされようとしているかぐや姫が、期待感で喜々としていることなんです。それはなぜなのか。地球が魅力的であるらしいことを密かに知ったからなんですよ、きっと。しかしそれこそが罪なんだと。しかも罰が他ならぬその地球に下ろすことなんです。なぜなら、地球が穢れていることは明らかだから、姫も地上でそれを認めるだろう…」と語っている。確かに、月の人は仏様の格好だから、欲を悪と思うだろう。だが、姫が羽衣を着せられそうになった時の「穢れてなんかいないわ」に、地上の人として生きることが罰などではないという思いが篭っている。 <月の人にとっては罪深き穢れである感情も人間は大切に思っている> 、という人間賛歌のメッセージだと読み取れる。
私はかぐや姫と、ドストエフスキーの「罪と罰」の主人公、ラスコーリニコフの間に二つの共通点に気付いた。
1.かぐや姫の地上を愛しながらも嫌う二面性、そしてそれが空回りした結果命の犠牲があったこと。
2.より幸福になろうとして社会規範から離れすぎた結果、不幸になってしまったこと。
姫は期待された「女」になりきれずに、自分勝手であったことが罪であるという考えだ。「にせもの」の「女」にしかなれなかった姫は「にせもの」の恋を突っぱねるが、それでも様々な形で人に愛されていたと気づく頃には、 <身勝手さの罰として愛なき月へと連れ戻されてしまう> 。
深読みのし過ぎだとか素直に見た方がいいという考え方もありますが、キャッチコピーという作品の本質をインパクトをもって表すフレーズとしてこれを選んだのには、訳があると思います。{/netabare}