れのん。 さんの感想・評価
4.6
物語 : 4.5
作画 : 4.5
声優 : 4.5
音楽 : 5.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
純粋なこころのファンタジー
原作既読
2014年4月~6月(全12話)
監督 岩崎太郎 シリーズ構成 菅正太郎
キャラクターデザイン 山﨑絵里
制作 ブレインズ・ベース
原作 葉月抹茶(月刊ガンガンJOKER 全7巻)
◆原作について
葉月抹茶さんは若い女性漫画家ですが、その作品は、独特の淡い色彩世界のイメージがある。
「君と紙ヒコーキと」・「一週間フレンズ」の二つの作品で共通しているのは、主人公の男性は「草食系」。ヒロインはとてもピュアで、なにがしかの人間関係の困難さを持っている。そして、四人くらいの男女のグループの話になり、そのなかでの恋愛要素は淡い。自分はもともと、女性漫画作家原作のアニメが好きな方だが、「一週間フレンズ」も女性らしい作品世界だと思う。
このような葉月さんの作品世界のアニメ化として、「一週間フレンズ」の水彩画のような作画、色彩、やわらかなキャラデザは、きわめて優れているという印象を自分は持った。
◆主題歌
op 「虹のかけら」, ed 「奏(かなで}」(スキマスイッチの曲のカバー 歌;雨宮天さん)とも、音楽が作品世界と結びついておりすばらしい。
◆登場人物について
長谷君(cv )の方には、話しかけた動機からして恋愛要素があるわけだが、彼は藤宮さんに何度忘れられてもくじけず、毎週月曜に「俺と友達になってください」という。「俺とつきあってください」ではない。これは、藤宮さんが本当はだれよりも友達がほしいと思っていることを知っているからでもある。長谷君には思いやりの心がある。
藤宮さん(cv 雨宮天さん)の方は、夏の海の前後から、長谷君が別の女子と仲よさそうにしているのに、もやっとしたり、好きということばをなにかの時に言いたくなったり、と変化はある。
四人の主要キャラのキャラ設定・性格が、絶妙。
長谷君には、かなり明確な長所・短所がある。(これは四人とも、明確)。その長所短所が、ストーリー展開上、必要。
四人各自の長所短所が、結びつきあい、補い合い、響き合っている。
長谷君あっての藤宮さんであり、将吾あっての長谷君である。
藤宮さんのけなげさや優しさは折り紙付きだけど、あの純粋さとけなげさは、小六の時から高二まで、結果的に純粋培養されてきたことによる。
普通より純粋な人というのは男女を問わずリアルにもいるものだけど、そういう人は、純粋ゆえ、自分自身の中に、時には他人に、よこしまさ、影の部分を他の人以上に見つけやすくそのことに悩みやすいと思う。
純粋な上にそういう悩みがない人というのは、子どもがそうだと思う。藤宮さんの場合は、子どものような純粋さを持っているけれど、おとなっぽく理性的な面があるので、全体として子どもっぽい人、という印象ではない。子どもっぽいのは、天然キャラの山岸 沙希(cv 大久保瑠美さん)である。
自分は、長谷君のキャラや物語の一部については、原作の方が好きな気がする。それは、たぶん、アニメ化するにあたって、1話目のストーリーを、その後の展開や尺から考えて原作から変更していることにも原因がある。
原作の方が、はるかに、長谷君はかっこいい。男らしい。
アニメ&漫画の中のキャラだが、ある程度のリアリティがあるので、キャラとしての魅力が生まれているのだと思う。藤宮さんの場合は、見た目の可愛さもあるが、その魅力は圧倒的に、その内面と、内面からくる表情やしぐさ、等々にある。
雨宮さんの演技もすばらしい。印象に残っているのは、雨宮さんが藤宮さんを演じるにあたって、「自分は藤宮さんのように純粋じゃないので、藤宮さんの声をあてるときには、自分自身を純粋にしようとこころがけていた」と話していたこと。
◆設定と物語について
設定は、リアルに考える人には、ありえなさすぎで違和感があるかもしれない。そして、このような記憶喪失を扱うドラマ等は、他にもかなりある。
ただ、本作においては、とりわけこの設定そのものがファンタジーで、藤宮さんというキャラをなり立たせるためのみに、必要不可欠だった設定である。
親しい人との記憶というのは、それが家族以外だったとしても、人にとってどれ程大切なものか計り知れない。
その記憶が完全に失われるというのは、いわば、自分自身の中のきわめて大切なもの、かけがえのないものが、毎週、死ぬと言うことである(それが嫌だから、藤宮さんは誰とも友達になろうとしなかった)。
さらに、長谷君にとっても、前の一週間に藤宮さんと過ごした時間の記憶が藤宮さんから消え去ってしまっていることは、辛い喪失だった。
ただ、長谷君には思いやりの心があって、自分より辛いであろう藤宮さんのために、それでもなお、毎週何度でも、「俺と友達になってください」というのである。
長谷君が藤宮さんと話したい、親しくなりたいと思ったのは、桐生君に「顔」といってるように、異性として惹かれたからである。
だから、「俺と友達になってください」というのは、いきなり何の人間関係もないところからの、告白のようでもある。
このときの長谷君の不屈?のねばりづよさは、アニメより原作の方がすごい。
しかし、藤宮さんは少女漫画をよく読んでいて、「偏った知識」で、友達とは恋バナをするもの、と無邪気に思ったりはしているが、そもそも、異性への感情というのを、海に行った頃、「好きという言葉を、さいきん、いいたくなる・・」あたりで、淡い気持ちとして、疑問として自分のうちに始めて見つけたりしている。
で、この物語は、独得な純粋さをもっているので、彼氏彼女としてつきあうというのでなく、長谷君の中に異性としての藤宮さんに惹かれるというのがきっかけとして強くありながらも、親しい友達に、あらゆる困難を乗り越えてなる、という一点に、より集中したものである。
なぜなら、藤宮さんが誰よりほしいと願っているのは、彼氏なんかじゃなくて、、友達なんだと言うこと、そのことを、長谷君は知っていて、藤宮さんのそばにいて藤宮さんの笑顔をみたり親しくしたいと言う自分の気持ちを、友達になってください、ということで、彼女に伝える。
「だからこのとき、何度でも言うと決めたんだ。。。」
長谷君のことを、女々しいというのは、桐生も確か言っていたし、そう感じる視聴者もいるだろう。長谷君の、男らしい側面は、アニメより原作の方に強く感じられる。とにかく、何度でも、友達になってくださいと、言おうと決めたと言うだけで、だれにでも、これはできることではないね。