karinchaco さんの感想・評価
4.3
物語 : 4.5
作画 : 4.5
声優 : 4.0
音楽 : 4.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
複雑なテーマが絡み合う家族の物語
ガンダムシリーズのオリジナル劇場版第2弾の作品。
この作品は、時間軸的にはこれまでのガンダムシリーズの延長線上にあるものの前作の逆襲のシャアから30年後ということもあってかなりの部分で変化しているものがあります。具体的に例を挙げると・・・
・新たな敵クロスボーンバンガードの登場。
・これまでの敵ジオン関係者の出てこない。
・MSのサイズが18m~20mクラスから、15mに縮小されている。
・MSの開発元がアナハイムからサナリィに移る。
・敵方(CV)のMSがモノアイではなくなる。
・これまで盛んに語られたNTがほとんど出てこない。
こんなところでしょうか。時代の移り変わりを最大限に生かして、新シリーズを立ち上げようとした意図の伝わる設定変更でした。作品ごとに世界観も時間軸もガラッと変わる現在のガンダムシリーズを見ている人にはピンと来ないかもしれませんが、当時としてはかなり画期的な出来事だと思います。このことからも、新シリーズにかける意気込みが相当なものだったと推測できますね。
結果的には、このF91シリーズで映像化されたものはこの作品だけだったのですがMSV(プラモデル)としてのシルエットフォーミュラシリーズや、漫画作品でクロスボーンガンダムが制作されるなど一定のメディアミックスは行われました。
ただ、変わらなかったものもあります。まず、主人公の年齢層ですが今作も高校生のシーブックが主人公です。やはり、ガンダムシリーズの主人公といえば何気ない日常から、いきなり戦争に巻き込まれMSに乗り込んでしまうという黄金パターンが存在しますからね。この作品もそのパターン通りです。
その他にも、正規軍の理不尽さについて十分に描かれています。特に、主人公たちが博物館のMSを利用してコロニーを脱出しようとしているときに連邦軍の部隊の前にだして盾にしようとする様はZガンダムのティターンズの横暴ぶりを見ているようでした。
そんな、連邦軍に攻め込んだコスモ貴族主義を唱えたマイッツァー・ロナは孫娘のベラ・ロナ(ヒロイン セシリーの別名)に素晴らしい理想論を語りますが、結局のところ軍を掌握している婿の鉄仮面カロッゾ・ロナはバグという人間だけを殺す兵器でフロンティアⅠの住人の虐殺してしまいます。どんな理想論も、力がないと実現できないという皮肉なのかもしれません。この理想論と戦争。人間の感情に左右されない兵器の開発。といったテーマはその後のテレビシリーズのガンダムWに受け継がれていきます。
また、一方で家族というテーマもこの作品にはあります。主人公シーブックはコロニー公社の技術者の父と、サナリィでバイオコンピュータ開発をしている母のもとに生まれた庶民です。それと対照的に、セシリーはロナ家に生まれるものの母がパン屋のシオ・フェアチャイルドと駆け落ちしたため、貴族の生まれであるが庶民の家庭育つというバックグラウンドを持ちます。
{netabare}そんな、二人は途中で敵、味方に分かれて戦うことになりますが、セシリーはコロニー脱出の途中で死んだと思っていたシーブックが、実は生きていてロナ家のお屋敷に潜り込んで感動的な再開を果たしますが、ベラとして生きていくことを決めた直後だったので戸惑います。その潜入のせいで、シーブックの父が命を落とすことになってしまうのですが、その後、戦場で再び会いまみえたセシリーがロナ家を裏切りシーブックの元へ帰ったことで少しは救われたのではないかと思います。
その他にも、研究者として家を出たはずの母親がMSの研究をしていたことに憤る、シーブックの妹リズとの確執や、ラストバトルで行方不明になったセシリーを探索するのに母親の作ったバイオコンピュータの技術を使ってシーブックが探し出すシーンとか家族をめぐるエピソードには事欠きません。
劇中で、「ニュータイプって個人的には不幸だった」というセリフがありますが、これもあえてなんでしょうね。父を亡くしたばかりのシーブックに向けての発言なわけですが、確かに過去作の主人公の生い立ちは戦時中ということを差し引いても不幸なものばかりですね。そんな主人公たちに比べればシーブックはかわいく見えるのも事実です。{/netabare}
いろんなところにテーマがちりばめられている作品ですが、純粋にストーリーだけ追ってみても十分に楽しめると思います。むしろ、ガンダムということを意識せずに見たほうが面白い作品かもしれません。