北山アキ さんの感想・評価
3.6
物語 : 3.0
作画 : 4.5
声優 : 3.5
音楽 : 4.0
キャラ : 3.0
状態:観終わった
これはいいハーレム
原作未読
最後まで観て
{netabare} 新しいヒロインが次から次へと登場したが、物語的盛り上がりはないまま終わった。
なので、関係性や感情変化のダイナミズムは生まれず
結局、女の子が可愛いアニメの域に留まったのはもったいない。
ただし、ただ可愛いだけでなく、ビジュアル的にすごく可愛いという点は良い。
問題は主人公に葛藤が無いというか、心理描写がほぼない。
ハーレム維持には重要なポイントだが、同時にラブストーリー展開の障壁でもある。{/netabare}
6話まで観て
テーマが見えてきて、ハーレムでも工夫次第で面白くなる好例だなと思い始めている。
他人とは決して分かりえない存在だ。
その存在を想像力で補完して認識するのが人間だ。
勝手に憧憬や理想あるいは憎悪を他人に投影し、勝手に他人を解釈して生きている。
ある意味、世界なんて妄想だ。
この作品では、人間関係の媒体に創作行為を挟むことで、そんな虚実の不確かな揺らぎを可視化している。
{netabare} 認識は所詮は虚実ないまぜの像に過ぎない。
リアルなんて想像と現実、演技と本音、錯覚と正気が交錯し、境目が溶けて、
相互干渉しながらできあがるものだからだ。(そしてそのプロセスは完結することなく繰り返される)
主人公の「加藤」という架空のギャルゲヒロインに向けているはずの情熱が
ふとした瞬間に実物の加藤に向かっていたりするのはそういうことだ。
加藤は加藤で、自分ではない「加藤」に向けられている情熱を、
自分に向かっているものと錯覚(たぶん願望)したりする。
演じている設定がいつの間にか自分の人格の一部になることもある。
二人とも頭ではゲームの話と分かっているつもりなのに、分かっちゃいない。
ゲームと現実の境界線が曖昧になっていて、その部分にこそ願望があるからだ。
また、ゲームの話という建前が立ちはだかり続けるからこそ、
認識の更新は繊細かつ頻繁になり、ラブとコメが成り立つ。
他のヒロインと主人公の関係でも同様の仕掛けは見られる。
「ゲーム制作」をトリッキーな舞台装置として用いて、
認識の不断の更新という作用を心の機微として表現し、
上手くラブコメ的なものに落とし込んでいる。
ただのハーレムものとは一味違う。{/netabare}
0~2話感想{netabare}
ここまでのところ物語の発展性はあまり期待できない。
キャラの掛け合いもびみょう。
でも観てしまう。
女の子のデザインがカワイイのも含めて画全体がきれいなのもあるけど、
今のところ一番の面白味は演出。
輪郭線の色使いの狙いは良く分からないけど、
画のレイアウトみたいなところに惹かれる。
主人公の二次オタ設定はハーレムを長続きさせるためのもので、
「神のみ」の桂馬のような超然とした分析力や判断力を持たせるためではない。
むしろ積極的にバカ。ガキ。
それはそれで年相応だと思う。
その辺をどう感じるかが今後の視聴の分かれ目になる感じがする。{/netabare}