ossan_2014 さんの感想・評価
4.1
物語 : 4.5
作画 : 4.5
声優 : 4.0
音楽 : 3.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
異能のエコノミー
2015/1/22少し修正
日常系というよりラブコメといった作品だが、いずれにせよ物語の駆動といった点で、「異能」は冷遇されている。
主人公の日常の外では、それなりに世界の構造にかかわるようなバトルの存在が暗示されてはいるが、主人公とそれを取り巻くラブコメ状況からは、バトルどころか、禁欲的といいたいほど「異能」の影響力を執拗に排除するような物語展開が貫かれる。
では、その「異能」とは、そもそも何なのだろう。
いつごろから登場した物なのか定かではないが、あまたの物語でその物語の中心部を占める「異能」だが、他の超現実的な能力に比べて、際立った特徴がある。
例えば「超能力」であれば、物理学の延長上にその効果や原理が設定される、SFと同様の制限が必要となる。
ビルを破壊することはOKだが、破壊されたビルを元通りに再現する能力は、「超能力」として描かれることは、通常は無い。
「魔法」であれば、魔法を含んだ「世界の仕組み」を丸ごと創造してやる必要がある。
しなくても構わないのだが、その場合は、世界の輪郭自体が不定形になるため、物語の足場になるはずの設定が場面ごとにあやふやになり、物語の足がとられて転倒しかねない。
創造が不完全であると、どこかの「劣等生」のように、後付の設定が延々と作り出されなければ物語が維持できない、という事態に陥ってしまう。
いずれにせよ、これら「超能力」や「魔法」は、その物語世界の構造それ自体と深く結びつくことなしに存在ができない。
「異能」は、これらの縛りから完全に自由だ。
むしろ、これらの設定上の理屈付けができない、あるいは理屈付けを放棄した超常能力を、「異能」と呼んでいるのかもしれない。
どんなに突飛であっても、この世界では「そういうものだ」という了解で、理屈付けや世界設定との整合性ぬきで登場させることのできる「異能」は、物語作者から見れば、非常に使いやすいワイルドカードだろう。
突飛な「異能」だけ思いつけば、あとは「そういうもの」を前提に話を転がすだけだ。
物語世界創造上の省エネ効果は計り知れない。
本作の「異能」も、とても原理が説明づけられない、自由で強力な超常能力だ。
が、物語創造のエコノミーどころか、ラブコメにすらほとんど利用されることはない。
便利なワイルドカードが物語の駆動から慎重に排除されるのは、ひたすら異能は「カッコイイ」ととなえる、主人公の強力な美意識によっている。
「バトルの力」等々の実利など不純だと退け、存在それ自体の「カッコよさ」に異能の価値はあるという逆転した美意識は、物語創造のエコノミーという「実利」に対する、相当に強力な批評性を帯びているように思う。
誰得の批評性なんだ、という気もするが、恥を知る物語作者であれば、この作品を視聴した後では、少なくとも、「カッコイイから」を超える説得力を提示できなければ、物語世界に便利なワイルドカードとしての「異能」を登場させることはできなくなるだろう。
その意味では、結構やっかいな作品が現れたものだ。