kurosuke40 さんの感想・評価
4.2
物語 : 4.5
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.5
キャラ : 4.0
状態:観終わった
ギャルゲー風ハードボイルド
原作未読
見逃していたけど、素晴らしい題材だ。
コメディチックに描かれているけど、ラブコメではない。ハードボイルドである。しかし、ちょっと悲しい。久しぶりに舌を巻いた。
この作品にはラブコメにある「ラブ」は登場しない。まずあるのは少女たちの「悩み」だ。そこに男がふらっと現れ、彼女たちを適切に導き、「悩み」を解決する。そんな男に「ラブ」を抱く前に、少女たちは男の記憶を無くす。その所業は、記憶をなくした少女から顧みると、神に救われたようである。そして男は知られることなく静かに立ち去る。
かつてマリリン・モンローは「私は、わがままでせっかちで少し不安定。ミスをおかすし、自分をコントロールできないときもある。でも、もしあなたが私の最悪の時にきちんと扱ってくれないなら、私の最高の瞬間を一緒に過ごす資格はない」と語った。主人公桂木は最悪の時にある少女たちをきちんと扱うことだけを目的とし、最高の瞬間を一緒に過ごすこと無く消える。これをハードボイルドと言わずになんというか。そしてその男がギャルゲー大好きと両立するという命題がこの作品の面白いところだ。
{netabare} 主人公桂木はギャルゲーが好きであり、「落とし神」と称されるほどの腕前を持つ。個人的にあんまり詳しくはないのだが、ギャルゲーとは本来、可愛いキャラクターと最終的に付き合うことを目的として、その手段として仲良くなったり悩みを解決したりするというゲームだったのではないかと思う。しかし昨今の噂を見聞する限り、どこどこのキャラが可愛いというよりは、どこどこのシナリオが良いという評判を耳にする。恐らく目的と手段が逆転しているのだ。そして桂木も例にもれず、むしろ筆頭例として、彼にとってギャルゲーの目的とは、「ゲーム内の少女たちの「悩み」を解決して救うこと」になっている。まるで神様のようだ。そして「救うこと」が彼にとって喜びになっている。4話のクソゲーと最終話が顕著である。ゲーム内の相手なのだから、そこには一般的な男子が女子を助けるときに持つ「肉体関係を持ちたい、付き合いたい、だから恩を売りたい、好かれたいので助ける」などという偽善的な理由は一切ない。あるのは彼女らを救いたいという気持ち、神の如き「博愛」精神だけである。ただ問題はその愛はゲーム内にしか向いてないところなのだ。
しかし、物語はこの桂木を否応なしに現実の少女たちを救うように仕向ける。ギャルゲー大好き桂木は現実はクソだ、という態度を取るため、自分が好かれること、付き合うことなどはやはり埒外。彼は首輪を外すという大目的のために、現実の少女たちを救う。少女たちに関しては救う以上も以下の目的もない。彼は(ギャルゲーで培った)観察眼で少女らを観察し、(ギャルゲーで培った)知識で「悩み」に憶測を立て、(ギャルゲーで培った)適切な導き方を図り、彼女らを解決へと導くのである。そして桂木はただ救うことが目的であるために、それ以上に彼女らに関わることはない。
ここに結果としてハードボイルドが成立するのである。
なにこれ、笑ったらいいの? ハードボイルドを高尚な物だと勘違いしてた奴らのためのアンチテーゼなの? でもやっぱり桂木は格好良いんだよ、この野郎。
ただ悲しいのは桂木は、偽善的な理由もなければ、現実の少女たちを助けたいなどとも一切思ったことがないだろう、ということである。ただ必要があったのでギャルゲー理論を当てはめて攻略しただけなのだ。やはり彼の愛はゲーム内にしか向いてない。助けた少女たちも記憶をなくしてるので彼を現実に引っ張るきっかけがなさそうだが、今後どうなっていくのか楽しみである。
ギャルゲーの目的と手段の逆転と、ハードボイルドを結びつけたのは慧眼。また設定として救済後に記憶が消えることで、主人公を根無し草にせず、学内でハードボイルドを展開させれたのも上手い。また記憶がなくなることで神聖な感じにさせるのも良い意味で狡い。タイトルの適切さもポイント高い。
それと個人的にOPとEDが良かった。OPはサビで神聖な音楽と合わせて、遠近感を無視して異次元を歩く桂木から神様らしさが出てたし、EDは記憶が消えなければ本来出てくるはずだった彼女らの愛を見せたのも、良い見せ方だと思う。
ちょっとコメディは寒いところもあったけど、こりゃ抜け目ない大作なわけだ。
戯言。ハードボイルドの条件と、最終話について
{netabare} 今まで漠然としてたハードボイルドというものを、桂木くんのおかげでなんとなく条件が掴めた気がする。
1,ただ助けたいという博愛精神。邪な気持ちや偽善はご法度。これはギャルゲーで(歪な形で)培える。
2,「悩み」の種類やそれを解決する方法。「先生や上司は、教え子や部下がなぜ失敗したのかがわかるからこそ、先生や上司なのである」これはギャルゲーで大いに培えるよう。
3,(特に若いうちは)容姿。現実は非情である。
ただ「救う」という目的だけを持ち、相手の悩みを見抜き、適切に解決へと導く桂木の姿は(形は)ハードボイルドでやっぱり格好良い。そうなるのにギャルゲーって案外有効ではある。それに女性にとって最悪の時にきちんと扱う術を学ぶ必要はあるだろうし、それを学べるギャルゲーって凄い!
……と伸ばしかけた手にストップをかけるのが最終話である。
最終話は、(いるかどうかわかんないけど)本当の救済の神様と、落とし神の比較である。
本当の神様は救済は一人づつかもしれない、祈りが来ても無視するかもしれない、救済は義務で嫌々やっているかもしれない。
落とし神は、ゲーム内の少女たちを同時に救うし、依頼が来たら優先して救う、そして救うことが自身の喜びになっている(神様以上)
……でもやっぱり救う先がギャルゲーってのは滑稽だよね、(人間未満)というオチである。
ギャルゲーに効用があるのは確かだが、そこまで人間がのめり込むものじゃねーよという意図であろう。{/netabare}
{/netabare}