蒼い✨️ さんの感想・評価
4.6
物語 : 5.0
作画 : 4.0
声優 : 5.0
音楽 : 4.5
キャラ : 4.5
状態:観終わった
作品の私物化。
アニメーション制作:キティ・フィルム、スタジオぴえろ
1984年2月11日に公開された劇場版作品。
高橋留美子による漫画作品が原作ですが、押井守監督の創作によるオリジナルストーリーです。
【概要/あらすじ】
空は太陽が眩しく、カモメの群れが舞っている。
大地に目を向けると人の姿が消え、赤茶けた廃墟となった友引町。
レオパルト1戦車の上で双眼鏡を覗き込んでいる面堂、車体にビキニ姿でうつ伏せのサクラ先生。
池となった水たまりの上をウォーターバイクで遊んでいるラムにカクガリとチビ。
さながら資源ゴミ置き場のようでありながら稼働している家電に囲まれながら日光浴をしているメガネとパーマ。
そして、水辺で放心している諸星あたるがいた。
彼らを残して全てが無くなってしまったかのような世界で、何事もなかったかのように遊んで過ごしている。
非常識なふしぎな出来事が日常茶飯事の『うる星やつら』でも、流石にありえない光景である。
何が起きて、こうなってしまったのか?話は友引高校が健在だった日常。文化祭の前日に遡る。
【感想】
商業的には成功した前作の『オンリー・ユー』を失敗作としてノーカン扱いにしてまで、
押井守監督が、アニメ映画監督の原点としている作品です。
『うる星やつら』である必然性が無いストーリーでありながらも、
それでいてアニメ映画史に名を残して名作扱いされているという複雑なものであります。
wikiでの、この映画の項目から辿って知ったのですが、
アニメ脚本家・首藤剛志(しゅどうたけし)のコラムの162-167回と169回にある裏話を読んでしまうと、
押井守氏のアニメづくりのスタンス。プロデューサーへの騙し討やら工作をして、
徹底的に周囲を追い詰めて後に引けない状態にしてまで100%自由な創作活動を可能な環境作りをする執念。
前作での鬱屈がモチベーションなのでしょうが、作品の私物化へのプロセスが凄まじすぎます。
ラノベやアニメを深夜アニメに翻訳するのがお仕事の今時のアニメ監督とは違う生き物ということが見えてきますね。
アニメ監督がみんながみんな、押井守だったら業界がメチャクチャになって潰れてしまいますね。
希少価値と実績があるからこそ、押井守が押井守であり得るのです。
『うる星やつら』とは、あたるとラムのラブコメが中心であるはずなのですが、今作では舞台の配役の一人にすぎない。
あたるは終盤では目立っているのですが、ヒロインのラムの影が薄い。
ラムの存在が物語の重要なファクターであるにも関わらずです。
押井守自身の文学性・美意識・思想を具現化する装置として、
『うる星やつら』のキャラと世界を借用した二次創作的な内容であり、
ゲストである昭和の名優・藤岡琢也らによる台詞回しのケレン味や物語の緊張感が高橋留美子のそれとは全く異質。
試写会で高橋留美子が『これは、私の作品とは違いますね』と途中で退席したのは有名な話。
ラブコメとして密度は薄く哲学的なストーリーは、やっぱり『うる星やつら』ではありえない。
それでありながらも、幻想的な不思議な魅力のある世界観の演出力。
グループ・サウンズのモップスのメンバーであった星勝による音楽と合わさって微睡みの中の心地にさせてくれます。
押井守個人のオリジナル作品では難解さと娯楽性の偏りなどで商業的にコケたであろうものが、
高橋留美子が生み出した数々のキャラクターの魅力によって助けられていると思います。
それは、『うる星やつら』の監督降板から1年後のオリジナル作品『天使のたまご』で大コケ、
そして、『機動警察パトレイバー』で復権を果たすまでの計4年間の押井守氏の業界での変遷を見ると解ります。
この映画作品は高橋留美子の『うる星やつら』でのルール違反に抵触している部分があって、
だからこそ原作と相容れないとも言います。
それは、終盤にあたるの(押井守の解釈による)自分自身の気持ちをはっきり言い切ってしまった。
男の気持ちは男にしかわからないし、女の気持ちは女にしかわからない。
やはり、高橋留美子と押井守は作家性において水と油なのでしょう。
監督のカラーが人を選ぶクセが強い作風。また、古い作品ですので合わない人もいるかもしれません。
しかしながら、映画作品としての完成度といい後学のために鑑賞する意義の作品であると私は思いました。
これにて感想を終わります。
読んで下さいまして、ありがとうございました。