ピピン林檎 さんの感想・評価
5.0
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
私たちは、なぜ「まどマギ」にこうも感動してしまうのか(short version)
この大ヒットアニメには5人の魔法少女が登場するのですが、そのうち、魔法少女"契約"を受け容れる動機や願いと、その結末が、本人の感情推移と共に詳しく描き出されているのは、{netabare}美樹さやか、暁美ほむら、鹿目まどか{/netabare}、の3人でしょう。
ここでは、この3人について個別にそれぞれの役回りと見どころを検討していきます。
※なお、{netabare}序盤の華々しい活躍のあと突然退場してしまう先輩少女(巴マミ)と、少し遅れて登場し終盤手前で退場してしまう少女(佐倉杏子)の二人の先輩格の魔法少女の感情推移{/netabare}については、外伝マンガ『魔法少女まどか☆マギカ ~The different story~』に詳しく描かれています。
→これも、結末部分が若干ブレてしまっていますが作画・ストーリーとも傑作だと個人的には思っており、まどマギが気に入った人には特にお勧めです。
★美樹さやかへの《同情》 - 片想い少女の絶望の物語
{netabare}
美樹さやかは、主人公鹿目まどかの親友なのですが、映画前編(TV版第8話まで)では、本来の主人公である鹿目まどかではなく、この美樹さやかの方がいち早く魔法少女になる決断をし、魔法少女の実際の姿を知って苦悶し、そしてやがて絶望してしまう物語、と受け取る方が適切なほどの活躍ぶりを見せます。
美樹さやかは、この年代の少女に相応しく、身近な恋をしており、その片想いの少年のために自分のたった一回の奇跡のチャンスを捧げてしまうのですが、少年は彼女の献身に全く気付きもせず、残酷にも彼女の親友の告白を受け容れてしまいます。
もし『魔法少女まどか☆マギカ』が、この前編(TV版第8話まで)に描かれた美樹さやかの絶望の物語として完結してしまったとしても、私はそれだけで、総合評価4.0(=80点相当)以上を付けたことでしょう。
私たちが美樹さやかに抱く感情は、きっと、《同情》、すなわち、悲しい境遇にある他者に対する憐憫の感情(~は可哀想だ、という想い)でしょう。
良くも悪くも、美樹さやかは、その感情や行動の推移が、魔法少女というよりは等身大の中学生少女であり、その点で彼女は私達が自分と同じ目線で物語を追える存在でしょうし、男であれ女であれ、さやかと似たような片想い経験のある方は、彼女の物語にとりわけ深く共感することでしょう。
{/netabare}
★暁美ほむらへの《共鳴》 - 病弱少女の誠実の物語
{netabare}
前編が美樹さやかの失恋から絶望に至る感情推移を描いた物語だったのに対して、後編は、前編では殆ど謎だった暁美ほむらの行動動機と感情推移を描いた物語と見ることが出来るでしょう。
しかし、美樹さやかの物語が、おおよそ私達の想定範囲内(私たちの日常生活でも起こりそうな感情推移の範囲内)のものだったのに対して、暁美ほむらの物語は、私達の想定を超える大きな振幅で彼女の変貌を描いています。
美樹さやかは、鹿目まどかや志筑仁美という親友や上条恭介という身近な想い人のいる、普通に元気で快活な女子中学生として描かれているのですが、暁美ほむらの場合は、もともとは、心も体もか弱い、自分に自信が持てない臆病な少女、まどかの中学校に転校する直前まで心臓の病気で病院で寝たっきりの、これまで友達の一人も持った経験のない、まどかがいなければおそらく転校先のクラスでも浮いてしまう苛められっ子タイプの少女だったことが後編(TV版第10話)で明かされていきます。
しかし、その病弱で臆病な少女が、自分のたった一人の「友達」のために、あらん限りの気力を振り絞って何度も何度も奮闘する姿が、いつの間にか私たちの心を激しく揺さぶるに至ります。
もし『魔法少女まどか☆マギカ』が、この後編(TV版第10話まで)に描かれた暁美ほむらの過酷な運命への抵抗の物語として完結したとしても、私はその時点で、総合評価4.5(=90点相当)以上を付けたことでしょう。
そして、その場合、私たちが、暁美ほむらに抱く感情は、きっと、《共鳴》、すなわち、悲しい運命に懸命に立ち向かう他者に対して、心から応援する感情(~よ頑張れ、という想い)でしょう。
正直な話、私たちの多くは、『魔法少女まどか☆マギカ』を初めて鑑賞して、この暁美ほむらの誠実さに心を射抜かれて、この作品が大好きになってしまうのだと思います。
{/netabare}
★鹿目まどかへの《憧憬》 - 真打ちヒロインの降臨
{netabare}
しかし、この作品の本当の奥深さは、ここを更に超えた地点にあります。
私は、この作品を初見して、暁美ほむらの誠実さに感激して、TV版を5回以上おそらく10回近く通しで視聴し、それから劇場版が公開されると早速、前編・後編を毎週のように鑑賞しに出掛けたのですが、そうやって劇場通いをしているうちに、ふと、それまで余り深く読み取れてなかった鹿目まどかの決断に至る心情の描かれ方とその結末の見事さに魅了され始めて、改めてこの作品に感嘆の気持ちを強く持ちました。
それはきっと、ラスボス魔女(ワルプルギスの夜)を前にして、魔法少女となったまどかが、「もう良いんだよ。そんな姿になる前に、貴方の想いは全部わたしが受けとめてあげるから」と呼びかけて、劇場スクリーンいっぱいにズームアップされていく、あの神々しいシーンを目の前にした時のことだと思います。
私は別にキリスト教とか、その他何か特別な信仰をもっている、とかそういうことは別段ない人間ですが、もし神が降臨するとしたら、きっとこういう感じになるのかも知れない、と思わず《錯覚》してしまう、そんな不思議な魅力をこの作品から感じ取りました。
上に述べたように、『劇場版魔法少女まどか☆マギカ』の前編は、「美樹さやかの失恋と絶望の物語」、後編は、「暁美ほむらの誠実と奮闘の物語」、と受け取ることは勿論可能だと思うのですが、それでも、この映画を前・後編通しでじっくりと鑑賞すると、やはり、これは、「鹿目まどかによる魔法少女達の救済の物語」と受け取るのが一番しっくりくると思います。
(※因みにファンの間では、魔法少女に変身したまどかは「まど神様」と呼ばれています)
一見どこにでもいる平凡で普通の女子中学生と受け取られがちな鹿目まどかですが、注意して観察していくと、母親や父親、あるいは他の魔法少女たちとの関わり方のうちに、その非凡さの片鱗が確りと描き出されていることを見ることは可能です。
例えば、劇場版では残念ながら省かれていますが、TV版での父親の言葉によれば、まどかの母親は「何かを達成することが夢なのではなくて、何かを頑張っている、そうした生き方そのものが夢である」人であり、まどかもまた母親のそうした生き方の影響を知らず知らずのうちに強く受けていて、序盤で、特別な願い事もなく、あっさりと魔法少女になることを決めた理由を、「マミさんみたいな魔法少女になれたら、それで困っている人達を助けられたら、それだけで私の夢は叶ってしまうんです」と、述べてマミさんを感激させています。
そして、その母親によれば、まどかは「悪いことはしない、いつも正しくあろうと頑張っている、もう子供としては合格だ」と褒められる自慢の存在なのですが、そうした、まどかの「正しくあろうとする」姿勢は決して独り善がりのものではなくて、ちゃんと周りの人達全員の言い分や願いや想いを推し量って、「それが必要であるとしたら、躊躇わずに行動できてしまう」(続編映画『叛逆の物語』での暁美ほむらの言葉)強さと優しさを備えた特別のものなのです。
そういう意味では、美樹さやかが、心の強さ、という意味で一番平均的で等身大の存在、そして暁美ほむらは、平均よりもずっと脆弱な心を隠し持ちつつ無理に無理を重ねて奮闘している健気な存在であって、それぞれ私たちの琴線に直接に響く、分かりやすいキャラクターであるのに対して、鹿目まどかの場合は、平均よりもずっと心が強くて寛大な、特別な存在として、実は描かれていると思いますし、その特別さが、私たち視聴者に、なかなか鹿目まどかの魅力が理解されない原因となっている、と思います。
以上、先に述べたように、私たちが、美樹さやかに抱く感情が《同情》であり、暁美ほむらに抱く感情が《共鳴》という、それぞれ身近な感情であるのに対して、私たちが、鹿目まどかに抱く感情があるとしたら、それは、《憧憬》、すなわち「自分もこのように、強く優しい存在でありたい」という感情なのだろうと私は推測します。
{/netabare}
そして -これが肝要なのですが- この《憧憬》は、きっとこの作品の制作者が抱いた感情だったと思うのです。
結局のところ、制作者側(脚本家?)の想い描いた鹿目まどかのイメージがどこから来たのか、を考えると、やはり{netabare}《聖書》に描かれたメシア(救済者)のイメージ{/netabare}・・としか答えようがないように思います。
その辺の考察は、色々難しいのですが、「まどマギ」TV版レビューの後半にひと通りまとめました。
http://www.anikore.jp/review/734886/
★作品評価《まとめ》
暁美ほむらの誠実を描いた時点(TV版の第10話まで)で、私は、既にこの作品はアニメとしては出色の「名作」と呼ばれるに相応しいものとなっていたと思うのですが、その先にさらに、鹿目まどかの決断を描き出したことによって、私は、この作品が、アニメに限らず、文芸ジャンル全体の中でも、特別に高くまた深い「傑作」となった、と個人的には評価しています。
勿論、作品の評価は人それぞれのものであり、また、この作品の大ヒットには、製作者(制作者ではなく)側のマーケティングの巧みさも当然あったのでしょうけど、それでも、これ程までに私たちを魅了してくれる作品を、放送しばらく後、および上映当時に鑑賞できたことを私は素直に喜びたいと思いますし、この作品の成功をベンチマークとして、今後さらなる高みを目指した作品が制作されていくことを期待したいと思います。
★《未鑑賞者にはTV版と劇場版のどちらを薦めるべきか》
TV版には、劇場版(前編)では尺の関係で残念ながら省略されてしまったエピソードが幾つかあるため、本来ならばこれから「まどマギ」を鑑賞する方にもTV版の視聴を薦めたいところです。
しかし、色々な方々のレビューを読んでいると、せっかく「まどマギ」を鑑賞し始めたのに、このTV版では
①絵柄がどうしても苦手でついていけない
②ストーリーがなかなか面白くならない
・・・という理由で、途中で断念してしまう方が発生しているようです(多くは第1話か第2話で断念)。
その点、劇場版の方は、
①作画・音響・演出etc.がパワーアップしており、キャラデザが苦手な人でもTV版よりは作品に惹きこまれ易い、
②前編の視聴を始めれば、途中でスイッチを切らない限り自動的に魔法少女の裏設定が明かされるTV版第8話分までを鑑賞することになり、そのまま後編へと進み易い、
という利点があるので、これから初めて「まどマギ」を鑑賞する方、そしてTV版を断念してしまった方にも、この劇場版の方を薦めてみる価値は十分あると思います。