ぷれんばにら さんの感想・評価
4.7
物語 : 4.5
作画 : 5.0
声優 : 4.5
音楽 : 5.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
日本人だからこそ作れる作品
{netabare}『森本哲郎氏の本で読んだのですが、彼がドイツを旅行していた時、列車の中でこんなことがあったそうです。彼は松尾芭蕉の俳句集を読んでいた。前に座ったドイツ人大学生と会話が始まった。「何を読んでるんだ?」「俳句だ」「俳句って何だ?」となったので、「枯れ枝に 烏の止まりたるや 秋の暮れ」という句を訳してあげた。「枯れ木に烏が止まっています。秋の暮れ」とね。
するとその大学生は、こう言ったそうです。
「それで?」
欧米人にとって、「枯れ木に烏が止まっています。秋の暮れ」では、ストーリーが何も始まっていない。だから「それで?」と聞き返してしまう。
しかし日本人で「それで?」なんて聞き返す者は一人もいない。聞いた瞬間に誰でも、沈む夕日を背に、枯れ枝がスッと伸びていて、烏がポツンととまっている姿が思い浮かぶ。そして秋の憂愁が村全体、町全体、国全体を覆っていくイメージがすぐに湧く。烏の黒一点が秋の中心であるかの如く風景を締めている。人によりニュアンスの相違はあれ、こんなことを日本人なら誰でも瞬間的に思い描く。』
『「古池や 蛙飛びこむ 水の音」という、日本人なら誰でも知っている芭蕉の句がありますね。日本人なら、森閑としたどこかに境内の古池に、蛙が一匹ポチョンと飛びこむ光景を想像できる。その静けさを感じ取ることができます。しかし、日本以外の多くの国では、古い池の中に蛙がドバドバドバッと集団で飛びこむ光景を想像するらしい。これでは情緒も何もあったものではない。』
これらの文章は、2005年に出版されたベストセラー「国家の品格(藤原正彦氏著)」からの抜粋です。藤原氏は松尾芭蕉の句を例にとり、他国民にはない日本人の情緒深い感性の素晴らしさを説いています。私も藤原氏と同感です。これらの俳句を読んだ時に感じるような温かい気持ちを、私達は大切にしていかなければならないと思います。
さて、私は「たまゆら~hitotose~」というアニメを観て真っ先に「このようなアニメを作れる国は日本以外に絶対にない」と思いました。それは日本のアニメの制作技術がどうとかそういうことではない。藤原氏の言うような日本人の持つ感性がなければ、神奈川県横須賀市汐入や、広島県竹原市の情景、そしてそこで青春を生きている少女達の日常を、これほどまでに美しく描くことは出来ない。そういう感情です。
本当にどのストーリーも心が温まるものばかり。しかしその中で私が特に気に入ったのは、7話『竹灯りの約束、なので』と12話『新しいひととせ、なので』です。7話では、竹を叩く音や街の人々が準備をする様子、直前まで降っている雨等が丁寧に描かれており、竹原の街並みに竹灯りが並ぶ最後のシーンは、まるで自分もぽって達と同じ場所にいるような気持ちになり、何とも言えない感動を覚えました。また12話では、ぽってが言う最後の台詞「今目の前にある宝物は、時が経てば消えてしまうけど、お父さんのカメラで写真に残したら、私は大切な宝物の瞬間にいつでも言える。おかえりなさい」が最高に気に入りました。私自身この言葉を聴いて、写真の見方が大きく変わりました。
本作品は、主人公達が何か一つの目標に向かって進んでいくような話ではありません。しかし12話まで観終えた時きっと「良いアニメに出会ったな」と思うはずです。その気持ちは、他にはない日本人の素晴らしい感性そのもの。この先どんなに世界が変わっても、私達日本人が決して忘れてはならない、大切な宝物です。
PS:2013年7月より第二期が放送開始です。新キャラクターも登場するようで、どんなストーリーになるか今から待ち遠しい限りです。{/netabare}