woa さんの感想・評価
1.0
物語 : 1.0
作画 : 1.0
声優 : 1.0
音楽 : 1.0
キャラ : 1.0
状態:途中で断念した
超自然的なイベントとしての集団妄想
4話で挫折。
超自然的なイベントが5人のキャラの間に発生し彼らの心情変化を追うというシチュエーションコメディー風の話。これだけならなかなか面白そうに思える。しかし日常の空気感作りが致命的に失敗している。例えば男女5人で一緒に登校するだろうか。朝に5人も固まって歩いていたら普通に邪魔であるし、登校時間が一つの集団でその時に集中してしまうのは集団内の役割分担上あり得ないのだ。小学生の集団登校ではないのだから。
イベントが発生した唯と義文が校門で3人を待っていたことが示すように、特殊なイベントを介してしか何もコミュニケートできないのでは学園生活を舞台にしている意味はないのだ。
最大の問題は発生する日常をより楽しませるためのイベントが彼らの抱えるトラウマを浮き彫りにする方法だ。超自然的なイベント自体の影響が彼らに心裏を開かせるというやり方は学校が舞台のこの作品にとって非常にまずいだろう。
超自然的なイベントとは要するに集団妄想である。学生生活や課外活動から疎外された登場人物たちが寄り集まって、より閉鎖的な空想遊びを始めてしまっては過去の「トラウマ」は乗り越えられたとしても他の部員との適切な距離感を失ってしまう。他の作品の日常系キャラが楽しげで内面が無いように思えるのはそのキャラにそのようにふるまう必要があるからである。
私たちだけが真実の世界についての認識を共有しているという認識は紛れもなく狂気によるものだ。日常系のキャラが楽しげで内面が無いように思えるのはそのキャラにそのようにふるまう必要があるからである。
イベントがカルト集団内の出来事であるならばそれはトラウマを乗り越えたというよりも、トラウマがあった過去から継続する現実を逃避しているにすぎない。もちろん嫌な事から逃避しなければやりきれない時もあるかもしれないが、逃避をこの作品のようにトラウマの解決に利用してはならないのである。
そもそも安易に表に出てこないからこそトラウマは抑圧なのであり、特殊なイベントのような認識の書き換え程度では何も変わらないだろう。もし妄想程度で解決できる悩みならそのトラウマを抱えているという設定自体が彼女たちの妄想であり遊びなのだと見た方が良いかもしれない。
登場人物、引いては作者のステロタイプな内面を提示されても、知り合いでも親族でもない一視聴者としてはドン引きしてしまうのだ。
この作品がとった炎上マーケティングについて。問題は炎上の質だろう。視聴者の期待を裏切るマーケティングと作品の関係というのはそれ自体一つの作品なのであるからもっと「品」性をもってやって欲しい。
良くある萌え豚御用達アニメがセクハラ紛いの描写がなければ視聴者の関心を引き付けられないのと同じでマーケティングにおいても、中身がない作品ほど品性もないのである。