woa さんの感想・評価
4.0
物語 : 4.0
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
日常という名のユートピア
のんのんびよりの舞台は限界集落である。住民はほとんどが高齢者。小学一年生から中学三年生までの生徒が同じ教室でそれぞれの指導要領に沿った「自主」学習をしているような廃校まったなしの学校。そこに東京からの転校生がやってくるという話である。
ここまでだと都会と田園のギャップなどの文明批判かと思われるかもしれないがそういう側面も確かにある。たとえば小学生のれんげが東京からの転校生の垢抜けた様を見て自分たちのいる場所は「田舎」なんじゃないか?という疑問に対して夏美は人にとっては「田舎」のように思えるが野生動物にとっては都会であると煙に巻くのである。確かに「田舎」は商品選択の自由が都会よりも小さく、交通の便も悪く、行政や介護福祉サービスを受けにくいかもしれないが、それは文明化の弊害である環境破壊に関与する割合が少ないことを意味し、自然で暮す動物たちにとってはある意味適した環境だろう。ただこの夏美の答えに周囲は納得しないし、問答に気を取られた彼女たちはバスを乗り逃がす。そして2時間の待ち時間に唖然としてその話は終わるである。ここからがおそらくこの作品のテーマなのだが、野生動物にとってはユートピアであるが人にとっては不自由この上ない環境(空白の2時間)をどうするか?日常的なコミュニケーションを密にすることで補填するほかない。都会の人間が当然受けてしかるべきと考えているアメニティの恩恵に代わるサービスを自らの手で創り出す他ない。この2時間の待ち時間を苦痛に満ちたものにしないために彼女たちは何気ない遊びや会話を開発しそれらを精一杯楽しもうとするのである。
東京から来た新住民である蛍や彼女の家族が田舎の共同体に参入するにあたって直面した困難や葛藤はこの作品では描かれない。それは否認であるかもしれないが、学年に分け隔てられることのない友情や周辺住民との密なやり取り、豊かな自然環境を通じての学習、腐食した床が抜け落ちてしまうことへの手書きの注意喚起、それらはそこで生活していく人々の日常をよりよくしたいという実践なのである。しかし実現してしまったユートピアがディストピアになってしまうように彼女たちの日常も節々からその終わりを感じさせる描写がある。最年長で二年後には学校を卒業する小毬と小学一年生のれんげが一緒にグライダーを飛ばすのは日常の終わりを予感させる表現としてはあまりにも示唆的である。
このアニメに関してはこの程度ではまったく語り足りないが、最終話で妖精に扮したれんげたちが視聴者に向かって手を振っているのはこのような表面的な文明観などでは割り切れない複雑な印象を与えてくれる。冒頭の時間が止まったかのような田園風景が流れる中にれんげが一人で現れるのは結局われわれ現代人にとっての日常アニメとはなんなのか?という問いを喚起せざるえないし、それに対してはれんげが一人で夏美の待つ場所に達するように視聴者自身が個々に暫定的な答えを出すしかないのである。