woa さんの感想・評価
3.0
物語 : 3.0
作画 : 3.0
声優 : 3.0
音楽 : 3.0
キャラ : 3.0
状態:観終わった
登場人物の心理描写がすごい
このアニメはリアルタイムで1話だけ見てそのまま放置してしまったのだが、あらためてみるとストーリーや設定はもちろん異常な状況下のキャラクターの心理描写(これがそのまま終末論的世界の趨勢に反映されている)には終始圧倒され通してしまったのだが基本的なテーマは2つある。
1つは幼年期の脱却だったと思う。自他の未分化な幼年期を抜け出して、変わっていく環境や他人や自分の感情に向き合うことを「楽しい」といえるツグミは、幼年期の友達を待ち続けていた彼女がその思い出の場所=無明領域から完全に抜け出したことを示している。また世界が楽しい思い出としての幼年期を繰り返すとして人間を新たな鉱物的存在として一つになることを目論むミナシも最終的に四肢の自由を失いながらも他人や姉の気持ちではなく自分自身の気持ちを認めることになる。
元々ツグミが無明領域(幼少期の記憶)に残されてしまったのは彼女たちが大人の無理な要請に従ってその無明領域を作り出してしまったということの責任と罪の意識からであるが、他方彼女を一人にして行ってしまった主人公たちも様々な幼少期の葛藤を経由して抑圧していた記憶であるツグミの場所へと、今度はツグミたちに無明領域を作らせる原因を作ったイクスのパイロットとしてその無明領域が作り出す怪物と対峙するために赴くことになる。そして精神浸食をうけながらも自らの記憶を導き出し、最終的には彼らはツグミを置いてきぼりにしてしまった罪の意識から10年後に彼女を迎えに行くという決意をすることになる。特に双子の妹であるササメは、姉を置いてきてしまったことに加えて自分が主人公の思い人として主人公の記憶の中で姉とすり替わってしまったことへの罪の意識から自分の肉体を失っても姉を迎えに行こうとするのである。
もう一つのテーマと思われるのはおそらく意識の問題だろう。人間は無明領域の中では無機物となってしまうのであるが、エピローグで部分的な物質化なら治癒する可能性があることを示唆される。ただおそらくそんな可能性よりも重要なのはその治療の過程で意志疎通をするための存在が必ずしも人間の意識ではなくても良いということだろう。たとえばヘイトは自分のぬいぐるみと意志疎通を図ることで快方に向かっている様が描かれる。その際に満足げに話しかけるのが自分の最高の恐怖はぬいぐるみに心がないとわかったときだというセリフなのである。またマアムは寝たきりのエミルに自分の小説の感想を尋ねたりしているのであるがそれに応答しているのがエミル自身かどうかは実はわからないのである(実はすれ違っているのではないのか、無明領域であるように自分の声を他人を通して聞いているだけなのではないのかという疑問がある)が話を聞いたエミルがほほ笑むのを見ればそれはエミルが応答していると取れる。つまり実際に話をしているという事実は顔の筋組織の運動、外から観察できる主観的事実にのみ依拠している。これもヘイトのぬいぐるみも同じ道理だとすれば、この場合の「治癒」への試みとはそこに意識があるかどうかではなくそばに意識があってほしい誰かがいるかどうかという問題がすり替わっているのだと思う。実際に「脳死」患者に話しかけると実際に意識のない人間がほほ笑むように応えてくれるように見えるという話は現実でもよくある話であるし、それ自体が病気を治すことにはならずとも「安楽死」などという安易な言葉では片付けられない様々な問題提起をしてくれるはずである。実際生命維持の費用など現実的な問題もあるが、なぜ単純な筋組織の運動、物理的事象に人間があれほど多くの意味を見出しコミュニケーションしようとするのか?と考えることは有益だろう。
このアニメは意識に物質的な制約があると同時に物質以上の可能性もごくわずかながらあることを教えてくれると思う。