にゃんた さんの感想・評価
3.0
物語 : 3.0
作画 : 3.0
声優 : 3.0
音楽 : 3.0
キャラ : 3.0
状態:今観てる
規制獣との戦いに期待
(視聴中ゆえ未評価)
原作既読
私達人間の多くは肉を食べる。
ある生物が他の生物を食べる場合、自らの手で他の生物の命を絶ち、捕食するわけだが、
今の日本で実際に屠殺現場をみたことのある人がどれだけいるだろうか。
文明が進み、そうした生々しい実態に触れずに、でもしっかりと他の生物の捕食をしている人間達ほど、自分達(+他の生物)に適した地球環境を壊していく。
反対に、ジャングルの原住民のように、自分達で屠殺して捕食する生々しい生活をしている人達ほど、環境破壊とは無縁だったりするのも面白い。
この作品は、地球上の生態系の頂点にあると自称しながら、生態系という実は生々しい生命同士のぶつかり合いから目を逸らしてノウノウと生活している現代社会の人間(=読者)を、生態系の現実にグググっと引きずり込む。
引きずり込んだうえで、作者の主張を聴かせる。
原作の生々しいグロ表現は、その引きずり込みのために必須だと思う。
最近のアニメでは、グロ表現に対してこれでもか!というくらいの規制がかかっており、
その画面の不自然さに笑ってしまうほどだ。
原作がグロい表現をするには当然理由があるわけで、その表現に十分踏み込めない場合には、原作の主張したいことをボカして表現することになってしまうことも多い。
表現の自由は憲法で保障された基本的人権であり、法による規制が許されるのは、他の人権を侵してしまう場合であって、それ以外は自由なのが原則だ。
児童ポルノが法で規制されているのも、それがモデルとされる児童の人権を侵してしまうからだ。
では、グロ表現を(自主)規制するのはなぜか。
子供(や一部の大人)が見て真似をする→社会に悪影響を及ぼす、などという抽象的な理由だろうか。
こんな理由では法的な規制はできない。だから「法による」規制はされていない。
それにも拘らず、なぜ自主的に規制をかけるのか。
子供が簡単に手に取れるマンガ本では自主規制していないのに、子供があまり観ない深夜のテレビ放送画面で自主規制をすることの意味は何だろうか。
動画の方が悪影響が大きいということなのだろうか。
「残虐描写があるから見ない。見せない」
これは奇しくも、原作が表現しようとしている「生々しい生態系から目を逸らす現代社会の人間」と似た構造だ。
5話の段階では、原作のグロ表現をやんわりと間接的に表現することで上手く工夫している。
現時点ではこれでも状況が伝わるので十分だが、原作はどんどん激しさを増して展開していくので、今後の表現は難しいはずだ。
どこまでグロ表現に踏み込めるか注目したい。