「PSYCHO-PASS サイコパス2(TVアニメ動画)」

総合得点
84.8
感想・評価
2438
棚に入れた
13710
ランキング
273
★★★★☆ 3.8 (2438)
物語
3.8
作画
3.9
声優
3.9
音楽
3.9
キャラ
3.7

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ネタバレ

北山アキ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.4
物語 : 3.5 作画 : 3.5 声優 : 3.5 音楽 : 3.5 キャラ : 3.0 状態:観終わった

おそろしい論理のすり替え

1期観たが、新編集版は観てない。
1期感想 http://www.anikore.jp/review/683840/

最終話感想
ディストピア的結末だった。
量刑の基準をその犯した行為を基準とするのではなく、
その行為を犯した人格に求めることが問題なのである。
シビュラがカムイを裁けないのは、心理診断を基準とし、
行為をないがろしにしているからだ。
あきらかに致命的な欠陥を抱えたポンコツシステムである。
バグレベルの話ではなく、設計思想の間違いだ。
そんなポンコツだから、裁きを下す資格はない。
これは至極単純に終わる話のはずだ。

ところが、常守も結局はシビュラの申し子なので、
シビュラの規律の中でしか思考できない。
だから、集団的サイコパス判定というオカルトチックな結論にとびつく。
(それはシビュラとカムイという例外にしか適用できないだろ)

今の日本の法律で言えば、刑法が対象とする単位は自然人のみだ。
しかし、刑法以外では、自然人ではない法人や人格なき社団という集団を単位とすることもある。
だから、民法上の主体として賠償責任を問われたり、
行政罰の主体として行政処分の対象となることもある。
ただし、裁かられるのは人格ではなく行為だ(人格の成立に関わること以外)。
ただし、法人として金銭罰や営業停止処分はあっても、
それを構成する自然人が丸ごと身体的自由が制限されるなんてことはない。
法人を解散させることはできるけど、身体的実態なんてないのだから
法人を禁固刑にするなんてできない。

集団判定のもう一つの可能性として、株式市場がある。
ここでは経済的パフォーマンスに加え、経営者の履歴や資質も評価される。
とは言え、人間の脳みそは替えられないが、社長の入れ替えは容易なので、
会社と人体は器として全く別物なので、モデルにはならない。

そもそも集団心理なんて実体は存在しない。
集団心理という妄想に取り憑かれた個人の心理が個別に存在するだけだ。
まずは、個々人の心理が不可視のネットワークで繋がっていることを証明しなくてはいけない。
人類は統合思念体機能をプリインストールされているのか?

物語としては、常守はカムイにシビュラを潰す一歩手前まで導いてもらったのに、
最終的にはシビュラの延命に力を貸してしまった。
論理的に破綻しながらもシビュラ勝利エンドなのだと思う。

あくまで、今の社会の価値観に基づいた僕の判断に過ぎないけれど。

9話感想
「ブレードランナー」を観てたらいつのまにか「羊たちの沈黙」になってたような残念感。
(原作は「羊たちの沈黙」のほうが「電気羊」より面白かったけど。)
狂った社会の話から狂った個人の話に萎んでしまったな。
1期からそうだろと言われればそのとおりなんだけど、2はもっと変態さんの話だったんだな。
この社会は色相が価値の基準であり、色相はその人間の価値である。
突き詰めてゆくと、良い色相は道徳的正しさであり、経済的健全さであり、性的な魅力でも有る。
社会の価値基準が変われば、性的魅力の何たるかも変わる。
シビラの申し子である東金さんはその最先端を独走しているので、常守さんの色相の純潔(処女)性に欲情している。
俺がお前の初めてを奪ってやる的に。
※羊たちの沈黙とかのプロファイリングは、フロイトの影響が強く、最終的に性欲で片付けるからね。

8話感想
{netabare}経済省が提案したパノプティコン?
「市民の行動と経済活動を監視・記録することで犯罪を未然に防ぎ、最適な生き方を導く」?
この時代の経済省のキャリア官僚は相当に頭が悪かったらしい。
この文章の前半と後半の間に、全く因果関係が無い。
役所には規制サイド(規制強化)の業務と推進サイド(規制緩和)の業務があるはずなのだが、
なんとなく規制サイド一辺倒にしか聞こえない。
もし、推進するのが「最適な生き方」だったら、それは経済省の発想とは思えん。
それとも、システム屋さんとズブズブだったのかな?経済団体が総賛成だったのかな?

フーコー的に言えばパノプティコンってディシプリン「規律-訓練」という内的支配を導くもので、ある意味でモラル、ある意味では監視者や内なる監視者に擦り寄って思考を放棄すること、総公権力化に結実する。
これは国民が政府への批判力を失うことであり、政府の意のままに行動することに繋がり、その意味で犯罪は減るな。
また、個々人が均質な、仕様の同じパーツになることで交換可能性や代替性が高まる。教育投資が減り、教育の効果・効率は上がる。そして、投資の予見性が高まり、つまり、リスクは減り、リターンを得やすくなるので資本の拡大に繋がるかな。
ここまでなら、百歩譲って経済省というのも分からなくはない。
だけど、なんで唐突に「最適な生き方」に繋げるのだろう?
多様性は失われてる可能性が高いから、その時点の「最適」と言っても選択肢は限られている。そもそも「最適」が極めて曖昧な概念だ。
「生産性を重視した人的資源の配置」の意味だろうか?

とフィクションのあまりはっきりしない設定について意味の無い問いを投げかける暇つぶし。

でも、これがシビュラよりましかもしれない可能性もある。
シビュラにおけるディシプリンて、基準が色相だから、即物的でディスクール(これもフーコー用語)が無いから、モラルハザードも起きやすいと思うのですよ。

一期の感想でも書いたけど、シビュラはあまりにも装置装置してて、可視的なので、権力としては、(経済省的な意味ではなく)フーコー的な意味でのパノプティコンのような強度を感じない権力形態ですね。
でも、いわゆる先進国には向かないけど、開発途上国には向いてるシステムかもしれないんで、輸出して儲けたほうがいいと思います。
(差別的な意味じゃなく、途上国には途上国のニーズがありますから。途上国に先進国と同じ人権とか民意とか合議とか環境とかそういうがんじがらめのルールの上で競争しろと言っても、それじゃ途上国にいつまでも勝ち目なんかありませんから。途上国はトップダウンのスピード決済、強みを活かした一点突破とかで戦わなきゃ)

それとフーコーは読んでおいて損が無いのはまちがいありません。
ただし、ぼくは読んだこと無い。(いわゆるフーコーマルコスものはいくつかあるけど)
このアニメ書いた人が読んでるかどうかは知りようもないな。{/netabare}

7話まで観た雑感{netabare}
今更ながらだけど、この国のシステムについて想像してみる。
・いわゆる刑事事件を扱っている主人公が刑事局刑事課ではなく「公安局刑事課」に所属しているので、そもそも刑事警察という考え方がなく、他も全てひっくるめて公安警察しかなく、全ての犯罪を公安マターだと考える制度の可能性がある。
・また、司法警察権もなく、全てが行政警察権なのかもしれない。
・色相の濁りで犯罪性を裁定されるが、何も実行していなくても、潜在犯と判定されるだけで身体的自由を奪われる。逆に、色相さえ濁らなければ自由を保証される。人を殺すことが罪なのではなく、その結果、色相が濁ることが罪状みたいになってる?「人を憎んで罪を憎まず」システムか。
・基準が色相なので、冤罪は存在しない。色相的な意味での現行犯逮捕が基本?
・エリミネーターは情状酌量しない。この意味で、法の下の平等においては、形式的平等と実質的平等のうちの前者に偏った考え方を採用している。
・民事事件がどう処理されているのかは不明。
・行政事件の処理も不明だが、このシビュラの下では、行政不服申し立てをしようとした瞬間、公安犯罪者にされてしまいそうだ。国家賠償請求権などたぶん存在しないのではないか。
・厚生省以外の行政機構が不明。所掌する業界内の利害調整機能は必要なので、たぶん普通にいろんな役所がある。
・国会の構成及び政治家の役割が不明。資源の選択的再配分機能は必要だが、普通選挙で選ばれた政治家にさせるようには思えない。
・シビュラがポピュリズムにどう配慮しているかは不明
・犯罪優生学的なものの発達が必要かな。とはいえ、その「犯罪」の定義はだいぶ今の日本のものとは違うかな。{/netabare}

4話までの感想
{netabare}1期の感想でも書いたが、PSYCHO-PASSの世界はモノ(脳みそ)に依存している時点で、現代日本より脆弱なのである。
しかし、個人のオリエンテーションが上手くいっていたので十分に機能してきた。
問題は、2期の段階で、シビラによるオリエンテーションの管理の質が変わってきたことなのだろう。

システムの構築段階と、ある程度完成してしまったシステムの長期運用段階では
オリエンテーションのアプローチが異なる。
構築段階に生まれた世代の人間にはシステムに対してある程度の参加意識や責任感が生じるだろうが、
運用段階に入ってから生まれた世代には旧世代からシステムを押し付けられているという意識しか残らない。
その後継世代の不満を解消するためには、システムが未完成なまま半永久的に構築され続けていて、自分たちもそこに参加しているという自覚を錯覚させなくてはいけないのだが、シビラやドミネーターという装置の中にシステムを閉じ込めてしまったがために、それができにくくなってきているのではあるまいか。

バグに対する過剰反応と言える局長の抹殺命令を見るにつけ、システムがすでに長期運用段階に入り、新しい価値を提案することで行うオリエンテーションに限界が来ており、既存のシステムの保存ばかりに目を向けたオリエンターション管理に偏重しつつある状況を見て取れる。
これは制度疲労であり、すでに終わりの始まりにはいっていると言える。
なんてな。{/netabare}

投稿 : 2015/01/01
閲覧 : 349
サンキュー:

7

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