「蟲師 続章(後半エピソード)(TVアニメ動画)」

総合得点
71.0
感想・評価
411
棚に入れた
2383
ランキング
1439
★★★★☆ 4.0 (411)
物語
4.1
作画
4.1
声優
3.9
音楽
4.0
キャラ
3.9

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ネタバレ

退会済のユーザー さんの感想・評価

★★★★★ 4.4
物語 : 5.0 作画 : 4.5 声優 : 4.0 音楽 : 4.5 キャラ : 4.0 状態:観終わった

1話ごとの感想を書くと長くなってしまうので、結局は私感ばかりの感想になってしまいました。

自分の子供の頃は、霊感が強くて周囲から気味が悪いと言われるガキでした。

『蟲』という存在を「霊」と捉えると、合点が行くストーリーが多く、全レビュー削除前の1期の感想は大絶賛していたと記憶しています。

しかしながら、続章前半は急に魅力が薄らぎ、感想を書くことはありませんでした。

後半エピソードになって、共感できるストーリーが続出したので、持論を含みながらもストーリーに沿った感想に書き換えたいと思います。





あくまでも自分だけの持論なのですが、

「生命は、生命を吸って生かされていて、吸い上げた生命を糧に生き延びている。」

と思っています。



家族や親戚、親類縁者、友人知人等、人と繋がる事で互いに生命力・精神力を補填しあい、個々の生命力・精神力を維持しあっている。
自分には足りている生命力を分け与え、自分に不足している生命力を分けてもらい、持ちつ持たれつで助け合って生かされている。
個人の生命力が平均で100だとすれば、0~多くても20くらいまでを周囲の人達と補填しあっていて、周囲の人に生命力を20補填してあげていて、誰からも補填を受けていない人の現生命力は80という事になります。
平均で100のうち、家族や親戚・親類縁者に自分の生命力を計20を分け与え、代わりに家族や親戚・親類縁者の生命力を合計で20分けてもらい、平均100として生かされているんです。
あくまでも平均でですが、100の生命力を「生命力の束」と考えれば、80しか持ち合わせない人の束は細く、補填しあえる家族が少なければ、束を増やして補強する事もままなりません。
しかも年々歳を重ねる毎に生命力を無条件で消費していて、高齢になればなるほど束が細くなっていくと考えれば、0になってしまうのが寿命という事になります。
生命力を100持っていて、補填している生命力が20、補填されている生命力が20という人が亡くなった場合、補填されている生命力を返還し、補填している20をそのまま分け与えた残りの80を、更に故人に関わりの深い人に無条件で分け与えます。
不謹慎かもしれませんが、個々の深い悲しみが増せば増すほど、残された家族の精神力や生命力は太く強固になるという事になります。
同居している家族が多いほど補填しあっている相手も多く、何世代にも渡って同居していれば、生命力や精神力は太く強固に保たれるのです。

補填するというのは、もちろん無意識に本人が望んで助けたいと思っている相手のみで、逆に怨みや憎しみが深い相手には、無意識のうちに生命力・精神力を奪い取り、生命力・精神力を廃棄しようとする力が働きますので、怨みを買うような言動は慎むに越した事はありません。
人の怨みを買えば生命力・精神力を剥ぎ取られ、人に怨みの矛先を向けても、相手の生命力・精神力を剥ぎ取る代償として、自分の生命力・精神力をも剥ぎ取っているのです。
「人を呪わば穴二つ」です。
「この偽善者め!」という言葉がありますが、例え見返りを望んでいたとしても邪な気持ちがあったにしても、その時の行い自体は「善行」なんですよね!
「この偽善者め!」と人を罵る人に限って、どんな時でさえ一切の善行をしない人なんです。
見返りを望まない善行が1番望ましいのですが、人の事ばかり罵って一切善行をしない人よりは、見返りを望んだ偽善者の方が数倍マシという物です。

人を敬い愛しむ、自然を敬い生き物に敬意を払う。
生命力・精神力を強固にする、自らが出来る唯一の方法なんです。

平和な世の中が続き人口が増え核家族化が進むにつれて、個々の生命力や精神力は少なく細くなり、補填しあえる家族や親戚も減り、個々の精神力は弱い物になりつつあります。
これも不謹慎かもしれませんが、大きな戦争の後は、亡くなった方々の生命力を豊富に吸収し、太い精神力で驚くほどの復興・経済成長を成し遂げて来たのが日本人です。
大東亜戦争は勿論のこと、日清・日露戦争、戊辰戦争にしてもそうでしたよね!
もちろん戦争なんぞを一切望んでいる訳ではありませんが、平和が続き人口が増え核家族化が進み、近隣のコミュニティーは崩壊し、隣に誰が暮らしているかも知らず、道ですれ違っても挨拶すらせず、困っていても誰も助けず気づいていても見て見ぬふり・・・。
ただでさえ個々の生命力は細く弱くなり精神力も貧弱になりつつあるのに、草花を排除し森林を伐採し動植物の住環境を破壊している。
動物も植物も虫でさえも「生命力」を持つ補填しあえる存在だというのに・・・。
だからかもしれませんが、平和で恵まれた環境であるハズなのに自殺者ばかりが増え、精神が病み、生命力自体も歪み始めています。

生命の儚さ・生命の尊さを感じることもなく、平然と時間と生命力を浪費している現代って、平和なのでしょうか?

戦争は反対ですが、「戦争をしていないから平和である」という考え方も間違っているように思います。



自分は現在、猫2匹犬5匹と共に生活しています。

2匹の猫は、生まれてスグにビニール袋に入れられてドブ川に投げ込まれていたのを保護したものです。
本当は3匹だったのですが、そのうちの1匹は保護した直後に天に召され、2匹が生き残りました。
犬の1匹も、柱に縛られて瀕死状態であった所を保護したものです。
本当は他の犬と2匹で柱に縛られておりましたが、他の犬も保護した直後に息を引き取りました。

不思議だったのは、天に召された・息を引き取った直後から、他の猫や犬の容態が改善に向かったという事実です。

自分も以前に、健康診断で「糖尿病の疑いが有り」との結果を受け、再検査をした結果『初期の糖尿病』と診断された事があります。
その直後くらいから以前飼っていた猫が重度の糖尿病にかかり、半年の闘病生活の後に天に召されたのですが、猫が亡くなった直後くらいから自分の糖尿病が改善に向かい、今では何事も無かったかのように健康的な生活を送っています。

猫が自分の糖尿病の身代わりになってくれたのだと思っています。

父も亡くなり、近親者は姉1人のみとなった自分を支えて補填しあってくれているのが「猫2匹犬5匹」なのだと思い、本当に感謝している今日この頃です。



そんな「生命」と「霊」を足して割ったような存在なのが『蟲』であると、自分は認識しております。






続章の前半は共感出来る内容が少なかったのもありますが、なんと言ってもガルパンの「総集編」のような、『見たくもない、どうでも良い内容の「トーク番組」を間に挟んでいた』からに他なりません。

あんなに心待ちにしていたのに、完全に『興醒め』してしまって、蟲師熱が一気に醒めたと同時に、怒りさえ覚えた物です。

ガルパンもリアルタイムで見ていたら、今ほど高評価にはなっていなかったかもしれません。



OPなしで始まった回は特に良かったですね!

うしろ髪を引かれるような、何か忘れてるような気がしているのに思い出せない歯がゆい気持ちとか。
失って気が動転して ただ佇んでる時とか・・・。
んっ?何だ!気のせいか!と、自分に言い聞かせてはみた物の、何処と無く腑に落ちない気持ちとか・・・。

EDに入った時の、あの何とも言えない不思議な感覚を楽しむのが、この『蟲師』という作品の最大の醍醐味だと思っています。



家で飼っているペットと意志が通じる。
観葉植物に話しかけると観葉植物が喜ぶ。

「そんなオカルト有り得ません!」

と思われる人も多いでしょう!
でも、そんな事を言い出す人って、探せばけっこう居るものです!
そんな事を下手げに人に言うと、正に「変人」扱いをされて、人は自分を避けて通るようになりますから、なかなか聞き出すのは大変なんですけどね!

そんな化学・科学では解明出来ないような、にわかには信じがたい「不思議な現象」を『蟲』という形で教えてくれているのが、蟲師という作品の1番の魅力だと思っています。



地球全体が生きていて、火山の噴火や溶岩の流出等で生きている証を地上に見せつけ、様々な恵みを地上に与え、その恵みの養分を吸って地表で様々な生命が芽吹き、生命が生命を支え、共存して生きている訳です。

生命って、動植物や人間だけの物ではなく、ありとあらゆる物に「宿る」訳で、時には生命体とは思えない物まで生命を宿す場合が有ります。
良く見るのが、御神体として祀られている「石や岩」。
神社や寺に奉納される「人形」。
御守りなんてアイテムもその一種ですし、宝石や鉱石なんて良い例ですよね!

石や岩や宝石や鉱石に、元から「生命や意志」が有ったと思いますか?

でも不思議な力やパワーを受けていると感じる人は多いんですよね!

訳も理由も分からないけどパワーを感じるって、感じるって思った人がオカシイだけなのでしょうか?



山々にも木々や草花にも谷や川にも土地にも、大自然には生命が無数に存在し、我々には理解しがたい次元の世界も存在してるのかもしれず、納得の行く説明など出来ない不思議な現象も日々当たり前のように起こり続けています。

日本人特有の「曖昧さ」が作り出す『罰が当たる』という考え方の根本って、ご先祖様等ではなく「大自然や天変地異」への恐れから出ている訳で、大自然も天変地異も『命』そのものなんです!

目に見える命もあれば目には見えない命もあり、そんな『見えない命の形としての「蟲」』という存在を、ただの作り話やオカルトの類いと決めつけずに、こじつけでも良いので自分の事、自分の身の回りの事として捉えながら、この作品を見返してみて頂きたいです!



きっと『今の自分や今の自分の生活環境に「何が足らないか」が見えてくるでしょうし、今の自分の考え方や常識観念に「疑問」を抱けるようになる』事でしょう。。。





童謡や童話って、残酷であったり無情であったり、大人の現実を突き付けてくる内容の物が多く有りますよね!
それは、日本に限らず世界共通のようです。

今の日本では、教育上良くないという一部のクレーマーの意見を尊重して、人の死ぬ話がダメだとか、性的描写がダメだとか・・・。
そんな親に育てられた子供たちは、その親の変に偏った価値観が絶対だと思い込み、そのような作品を毛嫌いする傾向にあります。

残酷な童謡や童話が多いのには歴とした理由があり、逆に子供の教育上に必要だからこそなのですが、理由をつらつらと書き始めると長くなるので、止めておきます。

それでも自分の子供の頃は、『まんが日本昔ばなし』や『世界名作劇場』とかで、子供向けの残酷な話を放送していた物です!

勿論、ストレートに残酷な絵柄を放送していた訳ではなく、残酷な内容の作品をオブラートに包む形での放送でした。

そのオブラートの包み方を巧妙にして、深夜に大人向けとして放送しているのが『蟲師』という作品なのでしょう!




後半エピソードは、現象を中心に制作されていて、影踏みであったりタイムループであったり神隠しであったりと、実に面白い内容が多く、しかもシナリオ・構成も実に蟲師らしくて、本当に楽しめました。

相当大変だったと思いますが、手描きにこだわった作画・背景が、この作品の雰囲気を素晴らしい物にしているという事は、素人目に見ても理解出来ます。

時間が有った時にでも、1期から通して見返してみたいと思います。




この『蟲師』という作品は、大袈裟に言えば「民俗学」にも通じる、正史には残らない『日本人の歴史』そのものであり、土地や地域に残る「言い伝え」の伝承とも言うべき作品であり、後世に残して行きたい『素晴らしい作品』であります。

何処となく感覚が分かり、何となく身に覚えがある。

だからこそ、『心に訴えかけてくる物』が有るのだと思います。



まだまだ、制作可能な内容ですので、ぜひ3期4期と続けて頂きたいです。

都会で暮らす人が山に入り、鬱蒼とした大自然に当てられ、『急に不安になり恐くなり「身震い」を覚える』という感覚が一番適切な表現だと思います。

そんな雰囲気の素晴らしい作品だと思います。

投稿 : 2015/03/07
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