ossan_2014 さんの感想・評価
3.3
物語 : 1.0
作画 : 4.5
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 1.0
状態:観終わった
砂上のハードボイルド
【文章整理。内容に変更はありません】
テンポ良いアクションと声優の卓越した演技に支えられた軽妙な会話、雰囲気たっぷりの完成度の高い音楽。
「傷だらけの天使」や「探偵物語」のような軽ハードボイルドなドラマを見て育った者には、たまらない魅力を感じさせるアニメだ。
好きなところを上げるとキリがないほどなのだが、それだけに、作品全体を無価値にするような根本的な欠陥が残念でたまらない。
本作が連想させる軽ハードボイルド・ドラマが、すでにハードボイルドの一種のパロディであったように、現代(制作年代も含む)では、ハードボイルドはパロディとしてしか存在できないのではないか、という難問について、真剣に考察した形跡を見ることができないのだ。
文学としてのハードボイルドの核心は「報道カメラの視線」だ。社会の外部から入り込んだ「報道カメラ」によって切り取られた光景は、社会内で自明とされた風景を異化し、異形の光景として突きつける。
ハードボイルドの特徴としてあげられる「感情を排した乾いた描写」「非情な視点」は、「報道カメラの視線」を支えるための表現上の工夫だ。
その主人公がしばしば私立探偵であるのも、「外部」から「社会内」へ視線を進入させる装置としての必然でもある。
カウボーイ=賞金稼ぎを主人公としたのは、探偵との類似性に着目したためだろうが、いい目の付け所だ。
だが、優れたハードボイルドは、その裏側に、自身は社会の外部にいるのかという探偵の自問と、外部でありたいという欲望の挫折がまといついている。
この、「社会」と「視線」の緊張関係が、ハードボイルドを成立させ、その魅力を支えているのだ。
緊張関係に全く気づいていない、考察していない結果として、本作のカウボーイは、完全に物語世界から浮遊してしまっている。
「社会の外部」に立てるような特権的な足場は無いのではないか、恣意的に決断するだけでは内部から出られないのではないかという認識の広まりが、ある時期からハードボイルドが失速した背景であり、パロディとしてしかハードボイルドは成立しない現代の難問だが、「外部の視線」性を理解できずに、無頓着に探偵を考えなしに模倣しようとした結果として、カウボーイは単なるアウトローと堕して、端的にこの物語世界の異物だ。
普通の一般市民が、タイヤのある地上車で地面を移動し、旅客機で惑星間移動する世界で、カウボーイは、大量破壊兵器を搭載した惑星間飛行の能力のある航空機で、都市上空を飛行することを許されている。
カウボーイに資格審査らしきものはなく、前歴の怪しい、身元の不確かな犯罪歴のある人間でも、大量破壊兵器を行使できる。
そのような非社会的存在に特権を与えて動員してまで取り締まりをする必要があるほど、逃亡犯による経済的その他の損失が、社会を根本的にむしばみ衰退させている描写は無い。
上記のような物語世界の根幹にかかわる不自然は、ハードボイルドの本質についての考察を放棄して、安易に「社会外存在」=アウトローを導入したことからくるご都合主義の表れだ。
カウボーイは、物語世界の一部としてそこに内在して生きる人間ではなく、その時々の「ムード」を表現するために都合のよいマネキンのアウトローが、「社会」の外に配置されているかのようだ。
マネキンが置かれる場所として、舞台となる、中華街風、サンフランシスコ風、シカゴ風の各都市も、単に既存のハードボイルドに多いというだけで導入された、世界の中でどう関連して存在しているのかも不明の、書割同然にしか深みを持たないのも必然だ。
チャイニーズマフィア風の犯罪組織が、どのようにして権勢と影響力を得ているか全く不明なのも、もはや不思議ではない。
物語世界=「社会」を作る上でのこれらの考慮の無さは、作り手が、「社会」とそこに緊張感をもって侵入する「視線」のせめぎあいというハードボイルドについての真剣な考察を思いつきもせず、ひたすら外見的な雰囲気だけしか視野になかったことを証明している。
伏線や設定の空白部が語られないのも、「語りすぎないスタイル」ではなく、単にご都合主義のフォローが不能であるだけとしか思えない。
雰囲気だけ楽しんでくれという言い訳もあるのだろうが、せっかくこれほどまでの表現力がありながら、実は表現しているものが何もないと随所で目についているのでは、ムードに浸りたくとも水を差されてままならない。
本当に、本当に、惜しい。