偽ニュー隊長 さんの感想・評価
4.5
物語 : 4.5
作画 : 4.5
声優 : 4.5
音楽 : 4.5
キャラ : 4.5
状態:観終わった
1期と劇場をうまく繋いだ(85点)
オリジナルTVアニメ2期
全11話
個人的満足点:85点
アニメ系統:SF
世間では何かと不評が目立つ2期ではありますが
シビュラの穴をついた上手い作りだったと思います。
さらには劇場版で登場する新キャラを上手く掘り下げており
劇場で登場する新キャラを上手く物語りに入り込ませている作り。
劇場版で肉体的にも精神的にも異常に強い朱も2期を乗り越えたからこそかと感じております。
11話という短さもあり、怒涛の展開を見せはしますが
決して理解できないほどの展開ではありません。
サイコパスの世界観を理解していれば十分に追える範疇かと思います。
個人的には1期、2期、劇場まで含めてサイコパスだと思っています。
以下、私個人の妄想全開勝手な解釈をダラダラと書かせていただきます。
駄文となっており、また嫌悪感をもたれる方もいらっしゃるかもしれませんが、どうぞお許しください。
また、やや劇場版にも触れるため劇場ネタバレも含んでいますのでご了承ください。
{netabare}
まず、2期の主人公は完全に朱だということです。
ここで「これじゃない」という方々もいると思いますが
そもそも1期から朱が主人公だったと思います。
1期から通して朱の成長物語という位置づけだと思っています。
1期の時に狡噛と槙島の対決物、もしくは狡噛の復讐劇だと考えていた人には
2期は1期と全然違うじゃねえかと思われたかもしれません。
確かに狡噛と槙島のやり取り、小説などからの引用とかの
会話劇も物語の見所のひとつではあったと思いますが
サイコパスはシビュラというシステムにゆだねられたユートピア(ディストピア)
の中でそれに疑問を持つ人達の抵抗の物語かと考えます。
槙島:自分の意思で決められない世界は壊してしまえ、人間は人間らしく生きるべきだ。
狡噛:シビュラの犬になっても自分の信念(正義)は貫く
朱:シビュラには疑問はあるが今は必要、いずれ必要なくなる日がくる。
鹿矛囲:シビュラの犠牲になった人達の恨みを晴らす
そんな立ち位置の中で朱がどのように考え、どのように行動していくのかというのが
サイコパスという物語であろうと私は思っています。
そういった意味では、朱が物事を考えるときに狡噛の幻影(妄想)が出てきて考えるシーンは
いい演出だったと思いますし、その時のアイテムにタバコを使ったのも良かったと思います。
朱の中で狡噛がいかに大きな存在なのかというのが伝わってくる作りです。
しかし、やはり2期のターニングポイントは4話だったのではと思います。
あのシーンでこれはサイコパスじゃない!なんて思った人もいるでしょう。
大量虐殺でさめた人もいるものと思います。
しかし、あのシーンは1期の1話ですでに予想できた展開ではないでしょうか?
サイコハザード、色相の濁りは伝染するというのは1期で散々描かれています。
さらには執行官と監視官の役割についても宜野座が1期で散々言ってきたこと。
これだけの条件が揃っていれば、あのシーンでこれはやばいなと想像するのは難しくありません。
私は4話後半でむしろやっぱりそうなるのねとしか思いませんでした。
シビュラの穴をえぐい形で付いてきたなと感じるイイシーンだったと思います。
まあ、青柳監視官を強襲型ドミネーターで撃ってしまうあたりかなりえぐいとは思いましたがw
物語全体を通して言えば、朱包囲網がすごかった。
同僚にも信じてもらえず、マザコン東金による追い込み、鹿矛囲によるテロ。
そして、シビュラからの鹿矛囲抹殺命令。
最後に心が折れそうになる朱の背中を押したのが狡噛の妄想という演出も素晴らしかった。
1期から通して朱は狡噛に影響されながら成長していく、そんな作りになっていたと思います。
だからこそ劇場で狡噛と初対峙した時、朱が狡噛のやや上をいったのが非常に嬉しくあったし
朱と狡噛の問答での説き伏せ方もより際立った作りになったかと思います。
そんな目線で観ていた私からすると2期否定して劇場って面白いのだろうか?
2期否定したら劇場に矛盾を感じないのかな?
とか考えてしまうわけです。
1期、2期、劇場まであわせてサイコパスという作品に深みが出るというのが私の考え方となります。
{/netabare}
つらつらと書かせていただきましたが
つまり、何が言いたいかというと
2期が無ければ劇場版の面白さが半減するんじゃね?