蓬(Yomogi) さんの感想・評価
4.1
物語 : 4.5
作画 : 4.0
声優 : 4.5
音楽 : 4.5
キャラ : 3.0
状態:観終わった
タイトルなし
10年ぶりくらいに見返した。
もともと女性の自立がテーマとの感想を持っていたが、今回はまた違った感想を持った。
ちょうど「塔の上のラプンツェル」を見た後なのでその違いも際立った。
長い映画で描き出そうとしているものが複数あるので、しっかり見ないと何が言いたいのか読解しきれない。
また、見る人の年齢や性別で心に響くポイントもぶれることだろう。
その中で、今の自分が一番注目したのがアリーテ姫と魔法使いボックスの関係性である。
ボックスは拙い魔法しか使えない劣等感と、同胞から見放された孤独感を抱えながらそれを自分で認めることができない。
貧しい村人に対して威張り散らし、幼い自己愛を守ることばかりに時間を費やしている。
そして自分を死に至らしめるかもしれないアリーテ姫を恐れ彼女を支配してしまう。
アリーテ姫は聡明ながら周囲の期待に背けず、大っぴらに反抗することはない。
彼女は自分を取り巻く環境が間違っていると既に分かっている。
本当は自由に生きたい、けれど誰もそれを自分に期待していないということが分かっている。
つまりこの時点でアリーテ姫は周囲に絶望しているといって良い。
だから彼女は簡単にボックスの魔法にかかり心を失ってしまうのだ。
ボックスは姫を絶望に捕らえることで自分が傷つけられる可能性をなくすが、同時に自分自身の絶望も突きつけられることになる。
自ら動こうとしなくなたアリーテ姫は、そのまま助けを待つばかりで努力をしないボックス自身に重なるからだ。
物語としてはアリーテ姫が心を取り戻す描写が難しい。
自分はアリーテ姫の語りで非常に心揺さぶられたが、物語の構造自体としては独白のみで自我を取り戻すのは相当に姫の意志が強くなくてはならない。
眠り姫でいえば、王子様のキスもなければ目覚まし時計もなく、意志の力で起床時間に起きるようなもの。
「塔の上のラプンツェル」で姫の自立は、やはり最終的に男性の力を借りて成し遂げられていて、自ら行動を起こすとはいえ、あくまで他人の影響や協力のもと成されるものだった。
しかしこの映画は完全に、一人の女性の内面世界で精神的な脱皮を成し遂げている。
アリーテ姫は誰の手も借りずに、自分の自問自答で支配からの自立をしてしまうのだ。
これは良い悪いのレベルの話ではない。
根本的にこの話は大人に向けられた物語であるということなのだ。
他人に教えられるのではなく、自分の心と対話し、自分の価値観を確立する。
その過程が孤独であることを受け入れた上で自らの足で進むことを選ぶ。
自分の人生を自分で選択し、その責任を負う。
そういう物語なのである。
アリーテ姫が自立する際に他人の協力を必要としなかったことに非常に心を動かされた。
かつて見たときはそんなこと微塵も感じなかったのに、だ。
多くの物語が仲間と助けあい、親子の愛を信じ、運命の相手と手と手を取り合うことを賛美する。
しかし、そうではない現実も多くあるだろう。
仲間に裏切られ、親子で心が通じ合わず、運命を信じようにも襲ってくるのはつらいことばかり。
「こんなはずじゃない、こんなの自分の本当の姿じゃない」そう思うことも多い世の中である。
まさにボックスの直面している問題はそうだ。
全てを周囲の、他人のせいにすることで努力をしない言い訳に代えることができる。
自分のことを自分で背負う覚悟がなければ、人生はいつまでたっても「こんなはずじゃなかった」の連続なのだ。
誰かが助けてくれたり、引き上げてくれたり、見出してくれる。
そんな物語はアリーテにもボックスにも何の役にも立たない。
そして我々のなかにも、そんな物語が役に立たない人は大勢いる。
だからこそ、この物語のアリーテ姫のように自分自身の心の声に耳を傾け、自分の脚で立つことを選ぶ勇気が必要なのだ。
つまり「こんなはずじゃなかった」という挫折を経験した人ほど、この作品は胸が締め付けられるのだと思う。
アリーテ姫は強い主人公だから、最後までボックスを助けない。もちろん制裁もしない。
自分を卑下するボックスに「なんでそんなに自分を悪く言うの?」と問いはするが、彼女はボックスに救いの手を差し伸べない。
そんな救いの手は役に立たないことをアリーテ姫は知っている。
地面に落ちた宝物に目を奪われているうちは前に進めない、そんなボックスにかまうよりも自分が前に進むことのほうが大事だから。
最後にアリーテ姫はボックスに言う。
「あなただけが特別なんじゃない」
人は人として生きるしかほかにない。
自分の生き方を自分で見つける、それだけのことが如何に難しいか。
人の時間は有限だ。時々忘れそうになるけど。
人生の節目にこの作品を見ることができて良かった。