erimingo さんの感想・評価
4.5
物語 : 4.5
作画 : 5.0
声優 : 4.0
音楽 : 5.0
キャラ : 4.0
状態:今観てる
つまみ見て切ってたけどふと12話を見てドはまりした、超面白い
==以下1~11話を見たときのごちゃごちゃな感想=========
かなり下のほうを見たほうがいいです!
グラスリップ。このタイトルが既になんか不穏な気がする。
true tearsが「私、涙あげちゃったから..」
だったようにこのグラスリップも、グラスを覗いてタイムスリップ~みたいなノリなんじゃないかと思ったら、まさに現実と理想、虚構の世界のような描写がたくさん出てきておもろい。
主人公の天然女、透子は可愛いけど天然すぎてなかなかもどかしく感じるときがある。
それよりも面白いのが、ダビデとよばれる男の子。サブ主人公のような立ち位置で透子に「やっと見つけた」とか言って迫る。
庭にテントを張って暮らす変人。いや普通にキチガイすぎて笑えるww
家庭環境から根無し草の心情になってしまったダビデ。
この作品はダビデの「いつか不意に訪れる唐突な当たり前の孤独」とそこから孤独感をどうなくしていくかをテーマにしてるんじゃないかと思う。
青春期特有の恋愛や友情、将来に対する不安などからくる不安定な心情。
また、同様に孤独感や自身の存在意義に対する疑問や自意識の肥大化に対してうまく向き合えないような心情。
さらにはそこからの現実逃避や理想の追求をしたために発生する虚構の世界。
それらの世界観と心情を時に止め絵を使ってガンガン強調して描いていく。
そこにクラシックのBGMがのって盛り上がる盛り上がる。
12話にいたってはぶちあがる花火を見て、もう花火に対する怨念のようなものがバンバン爆発するような感じで最高の気分だった。話の内容は暗いけどね。
ダビデが未来の欠片が聞こえるのは、
つまり未来というのが、青春を謳歌する5人のことであり
彼らについて未来を覗きつつ、1~11話まで見てみたところ、
なんと透子以外の4人が見事に2つのカップルを形成するという話となっている
たださちは透子のこともひろのことも好きで、しかし透子との関係にどこか終着点をみつけたいと思っている様子
さちと透子の関係はおそらく中学~高校までの経験が関連している
約束の場所は過去に二人が話し合って決めたもの
OP映像では親友としか思えない二人の描写がある
さて未来では2つのカップルが成立し、1人余りものができるわけだが
この余り物になる透子が「いつか不意に訪れる唐突な当たり前の孤独感」を感じることになる本人である。
だからダビデが未来の欠片を見た、透子の声を聞いたというのは透子が余り物になってその孤独感に苦しんで声をあげたことを意味している
12話で描かれた冬の世界は、透子の見た未来の欠片だが、この世界に登場するダビデは本人曰く、本物ではなく透子の想像上のダビデの投影らしい
しかし4人については彼らは別の意味で本物ではないという。つまり彼らは透子の想像上の投影というわけではないが、実際は事情があってその場所にはこられなかったから本物とはいえないということである
透子「なんでもない…なんでもないの..」孤独感を感じた透子が放つ言葉。
透子はおそらく自分の未来がああなってしまうことを感じ取っている。
さちは関連した文学をひろに勧めている。状況をよく理解しているのはさちかもしれない。
同様にさちは透子の親友であり、異常な好意を抱いている為に透子を守ろうとする。あるいは守りたいと思っている。
だから、ダビデには警戒心が高い。同時に彼に透子を救って欲しいとも思っている。
ひろ君との恋愛と、透子の問題、ダビデへの警戒と期待。この狭間で揺れ動くのがさっちゃんだと思う。さっちゃん可愛いよさっちゃん、ひろそこどけよおら
透子の見ている世界には想像上の投影が多く出てくる。こいつ精神疾患じゃね?と思いたくなるほど
だから未来の欠片は基本的に未来のことが見えてるけど、たま〜に投影が写ってる程度の解釈で良いと思う。だから当たったり外れたり。
近くにいるのに見えない、とはさっちゃんの言葉だがこれは親友でも理解し合えないようなことを意味するのだと思う
さっちゃんは病弱になったせいで高校にいけなくなって本が友達みたいになったのではと、まさに「いつか不意に訪れる唐突な当たり前の孤独感」をさっちゃん自身が経験したことがあるということになる。
今作のテーマがそれだとすれば、メインの人物はやはり、ダビデ・さっちゃん・透子になるだろう。
そして、関連するテーマを扱っている文学をさっちゃんから借りて読んでるのがひろだ。
もしかしたらこのアホが難解な文学作品を読み取り、自分なりに青春な答えを出して関わってくるかもしれない。
最後はその四人が孤独型決戦兵器グラスゲリオンに搭乗し、真の孤高のボッチを求め、あるいは真のカップルを目指して殴り合いを始めるだろう。そして背景に福井県の美しく気高い花火がぶち上がり、その下ではリア充カップルのやなゆきがイチャイチャしているのに対して怒りを覚える視聴者が、グラスゲリオンが祭りをぶちこわしていってくれるおかげで感動して涙するに違いない。
最終話タイトルの流星とは、グラスゲリオンの放つ戦火の光が、花火の上がる夜空に瞬く、終末の流れ星である。
結論は「さっちゃん可愛い」
==最終話視聴後の感想=======================
はい、どうやら私は麻薬中毒患者となっていたようで、上では恐ろしく怖い文章を書いています、てへぺろ。
この作品の構造がわかりました。
タイトルのグラスリップ。
グラスというのは透子の実家がガラス工房であることからすぐにそれと結び付けていましたが、これは実は麻薬・マリファナの隠語です。
つまり、麻薬によって幻覚症状を見る、という状態をグラスを通して幻想の世界を見るとか未来を見るとか未来のかけらとか綺麗に綺麗に描いているだけです。
ダビデは同様に未来のかけらが見えるようですが、この二人が未来のかけらを見るには触媒がいるといわれてますよね。
透子にとっては実家がガラス工房だったからグラスが最もトリップできる触媒です。あるいはそれに似ているキラキラしたものは触媒になりうる。
そしてグラスはマリファナの隠語。
ダビデにとっては彼はひとりで山へ登って緑に囲まれているときが一番リラックスしているように見えるので、緑がもっともトリップできる触媒です。
マリファナの隠語は日本では、葉っぱ・緑などとも言われます。
そしてピアノの音なども触媒となる。これは音楽による催眠効果のようなものも一種の麻薬みたいなものだからでしょう。あるいは葉っぱ吸うときはたいていクラブで酒飲みながらギャーギャーしてる印象だからそこを綺麗に描いてるだけと解釈しても面白い。
そして、このアニメを見て?????と困惑している視聴者こそがグラスリップというアニメ(麻薬)によってトリップしている。
それがこのアニメの構造です。面白い。
そしてOPの映像は1話の前の状態での、各キャラクターの相関関係を示している。同様にEDの映像、特にニワトリは各キャラクターのモチーフになっている。
エンディングにはニワトリが5羽並んで歩いているのと反転してキャラが6人歩いている映像がありますが、このそれぞれのニワトリとキャラが対応しています。ニワトリが1羽足りないって?はい
後から飛んでくるとんび・タカ?がダビデです。自由気ままに飛び回って居場所に固執しない鳥、ダビデですよね。
それからニワトリにも色の違いがあって、3番目の幸ちゃんに注目すると、茶色のニワトリ。青い卵を産む特徴を持つ茶色のニワトリがいます。この青というのが病弱で薄幸の美少女である幸ちゃんと対応しているわけです。同様に白いニワトリは健康な卵を産む。そして以上の考察からジョナサンはダビデではなく透子だといえます。
1話では透子とダビデのジョナサンについての不思議な会話がありますが、透子はニワトリを小屋に入れるのはかわいそうだという。
自由にしておきたいと。
しかしダビデは反発する。ネコに襲われたらどうするんだ?と
ニワトリには選択肢が不足しているといってますよね。
これはすべて彼ら自身に置き換えることができます。
ニワトリ5羽は舞台となる町に住む5人を示しています。
彼らには選択肢が不足している、だからここに居る。そんな彼らが小屋という居場所さえもらえないのか。とダビデは怒っているわけです。
それはつまり透子達5人はダビデのようにピアニストの母親について世界中を回るような渡り鳥のようなことができる選択肢はないのに、家すらもらえずテントで暮らすしかないのか。というダビデの主張なわけです。
ダビデはジョナサンというニワトリ(透子)がほかのニワトリ(ほかの四人)とは少し違っていることを理解しつつも、ジョナサンの境遇に自分を重ねて嘆いている。さらに「襲われたらどうする?」というんですけど、まあ仮にテントで女の子が暮らしてたら襲われちゃうかもしれませんよね。そこで透子が「ジョナサンは私が守る」と言って自分の家にいれてあげるんです。そこまで考えるとちょっと感動できますよね。
みんなそれぞれ自分に対応したニワトリを部屋にいれるわけです。
まあすぐ破たんするんですがねw
それをする必要がないのは自由で居場所のない鳥に対応するダビデだったわけです。
あの1話でこれほど語れるとは...
あと、最終話でジョナサンは冒険者、ほかのニワトリは哲学者の名前だ。制作者がゆきなりに言わせますがこれも重要かと。
哲学者はその場とか机でじいーっと物事を考えて動かない。つまり居場所を固定するのが哲学者です。これは透子以外の4人のことをいってます。
そして透子ですが、この子は鳥(ダビデ)に近づこうとして冒険するわけですね。ニワトリが鳥と並んで飛ぼうとするんですよ。二人で並んで座ろうとしたようにね。だから透子は冒険者であるジョナサン。完璧
難しいところはこれくらいかな?
後は最終話の流星の解釈。
ここは、緑に囲まれた中で大量のグラスを空中に投げましたよね?
つまり大量の葉っぱに囲まれて大量の麻薬を摂取するわけです。
どうなりますか?やばいですよね。トリップしますよそりゃ
透子とダビデは二人でものすごい幻覚の流星群を見るわけです。
そしてほかの人たちはまあ常識的な流星群を雲の切れ間からちょいちょい見る。
よくあった未来のかけらのセリフ
「あの日、君と同じものを見た」これはこの幻覚の流星群を指しています。
重要なのはほかの人たちが見ていたものとは違うということ。
つまり最終話の未来のかけらがそれ以前のダビデと透子に聞こえていたりしたわけです。
結局、メタ的な作品の構造は麻薬で、
テーマは幻想と、その中における思春期の微妙な成長
最後の透子の表情には良い女になったなあと感動しました。
こういう天然でアホなだけの女は嫌いだったので1話はつらかった..。
キャッチフレーズの「一夏の不思議な体験」ってのは確信犯だと思います。
キャラも青春して不思議な体験したけど、それ以上に視聴者である自分のほうが不思議な体験しちゃってるので。麻薬摂取...。
あと「唐突な当たり前の孤独」が思春期特有の自分探ししがちなダビデのテーマですが、これの返答になるのが「誰かといっしょにすごした忘れらない居場所」になるわけで。この居場所というのは気候・場所・人間それらすべてを統合した思い出のシーンのようなものだと思います。
そしてその居場所というキーワードはすべて各話のタイトルと止め絵のハーモニー演出によってしっかりと強調されているわけです。すごい。
止め絵が意味わからんって言ってた人はそこまで読み取れなかったんでしょう。気づいたら全然違和感なくなる。
あと姉ちゃんのてへぺろはすっげえうざいけどこれは流行を取り入れたんでしょうね。病院で入院してる彼氏のくだりはよかったです。
音楽がもう最高で、サントラほしくなる。
あと、最終話で透子はもう一度ピアノを、ドラマチックなのが聞きたいと注文しますが、おそらく12話の世界に納得がいかなかったからダビデとくっつく世界が見たかったんでしょうかね。だからドラマチックなのを聞きながらダビデといちゃいちゃするのを見ようとしてた。
しかしダビデはどうも離れていっちゃいそうな気もうすうすしてたから、流星を見たときはあえて「孤独なのはさびしかったよう」って嘘ついた?
ほんとはいちゃいちゃできる未来が見えたんじゃねえかと
ここはまあ単純に考えてもいいとは思いますが、それだと2回ピアノを聞いたことの説明がつかないので嘘ついたんじゃねえかな?深いね
んで、最後のシーンは透子って実際に名前呼ばれてます。
テントも母さんも消えたけど、たぶんダビデは家の中に住み始めた。
そして最後の最後のシーン。
あれは山の緑の中でグラスでしたよね?
このアニメの構造は、麻薬の隠語、グラスと緑、それによる幻覚を見るトリップ。グラスリップ終了という制作者による壮大なネタバラしだと思います。
理解できる人が少なすぎてあんま人気でなかったけど、予想ではおもしろーいって言ってあってるかどうかわからん変な哲学的で難解な考察をしまくる人が大量に湧いて、おまえらちょっと麻薬吸いすぎだよ?頭大丈夫?というメッセージを制作者が最後に視聴者に提示して大団円で終わるはずだったのではないかと予想。
12話はめちゃくちゃ面白い、true tearsのOPで使われてた変な割り方の演出も見れるが、いかんせん1話~11話がつまらなく感じてしまう部分もある模様。個人的には演出はそこそこよかったけどキャラデザがやだ。
true tearsとかWUGみたいなキャラデザでこの物語をやってほしかった。
まあそこは各人の好みやね