退会済のユーザー さんの感想・評価
4.2
物語 : 5.0
作画 : 3.5
声優 : 3.0
音楽 : 5.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
空想の存在に恋することは罪なのか
以前に、手塚治虫先生の「ある街角の物語」を見ました。
非常に美しく、哀しく、しかし希望の持てる作品でした。
一方のこちら「人魚」も美しくて素敵なお話のように思えます。
しかしその全容は前者よりはるかに哀しく、残酷で、救いのない物語。
下にストーリーを書き起こしてみました。完全にネタバレなので、それでも良い方のみお読みください。
{netabare}
ある国にひとりの少年がおりました。
その少年は人一倍想像力が豊かで、いつも一人で色んな空想をしては幸せに浸っているのでした。
ある日、少年は一匹の人魚に出会いました。
一緒に海の中で戯れたり、楽器を弾いたり。楽しい日々を過ごしました。
少年は人魚を自宅に住まわせることにしました。当然両親にも紹介します。
しかし、両親は怪訝そうな顔つきをしています。そう、まるで変人でも見るように。
ある国では、自由に空想することは禁止されています。
少年は連行され、尋問を受けることになります。
「お前の見たのは只の魚だろう!正直に言え!」
少年が人魚だと言い張るとどんどんエスカレートしていく尋問、いや拷問。
ようやく解放されたときには、少年は人魚の事を思い出せなくなっていました。
悲嘆にくれる少年は、海の中へ入っていきます。
そして、なんと人魚に再会できるようになったのです。
少年は人魚と共に海の向こうへ消えてゆきます。
少年自身も人魚となって・・・。
補足:この劇中では人魚は架空の存在と考えられています。そして少年の見ていたものは紛れもなくただの魚なのです。
{/netabare}
空想は、自分だけの世界です。それはどんな理由があろうとも他人に干渉されることが許されていいはずがありません。
しかし、手塚先生が若き日を過ごした日本は自由気ままに空想することすら許されなかったのでしょう。
今でこそ漫画の神様なんて囃し立てられていますが、その地位が確立されるまでの彼に対する周囲の目はどれほど冷たかったでしょう。
そんな手塚先生の苦しみや悲しみが、この映像を見ているだけで伝わってくるようでした。
私たちが今見ているアニメだって、人の作った空想なのです。
アニメに出てくるキャラクターやマスコットに魅力を感じること、恋い焦がれること。一度くらいはあると思います。
それを異常なことだと、恥ずべきことだと非難されたら、どう感じるでしょうか。
これからの日本がそんな社会にならないことを願っています。
追記:二つ、疑問点が浮かびました。
{netabare}
1.「少年」は単なる一キャラクターか、作者の自己投影か。
手塚先生の実体験に基づいた心情を表現しているなら、後者ということになるでしょう。
しかし、あくまで社会情勢をテーマにしたということなら先ほど書いた‘手塚先生が若き日を過ごした日本~’は完全に的外れな妄想ということになります。
この所、実際はどうなのか気になります。
2.この物語はBADエンドかHAPPYエンドか。
少年は、人魚と共に海へ消えていく・・・。その光景が何故か物悲しくて、悲劇のように捉えていたのですが、むしろ少年の想像力が蘇り空想の世界へ解放されたことは幸せかもしれません。
このアニメのテーマは「人間の空想の力こそ強さ」みたいなものらしいので、作り手としては前向きな終わり方を目指したんだと思います。
ただ自分はやはりどこか悲しい、報われないお話だと思います・・・。
{/netabare}
好みとしては「ある街角の物語」のような明るい作風が好きですが、「人魚」は好き嫌いにかかわらず見入ってしまった作品でした。
作画はアニメとして受け入れられるか厳しい位に簡略化されているので、人を選ぶでしょう。
アニメは絵より話で選ぶ、という方になら是非見てほしいと思いました。