じたん さんの感想・評価
4.4
物語 : 4.5
作画 : 4.5
声優 : 5.0
音楽 : 4.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
電脳化した世界での自我の獲得
まず電脳化した世界を目に見える形で、しかも高い完成度で表現すること自体がすごいです。
さらにもう一歩踏み込んでその世界で起きるさまざまな社会問題まで扱っています。
観終わった後きっとあと30年たっても全然観れる作品なのではと思いました。
さて、中身の方ですがこの作品を読み解くには根底にあるstand alone complexという現象を理解することが大切です。
電脳化した世界では個人の持つ情報が瞬時に拡散され共有されます。つまり個の情報が共有化、並列化されることで意識的にしろ無意識的にしろ他者に内包されるという状態が起き、その結果全体としての行動が起きる。
これがS.A.Cという現象です。この現象が「笑い男事件」をもとに語られていきます。
ストーリーの中一見意味のないような話題もこのS.A.Cという現象を根底に据えて最後収束していく展開が見事でした。
とここまではこの攻殻機動隊の表面上の説明です。コインの裏表でいったら表側です。一方裏側にはどんなテーマがあったのかを勝手に考えてみました。ネタバレを含む自分勝手な考えですが良かったらどうぞ
{netabare} 作中に何度も登場する言葉にゴーストというものがあります。これは自我や魂といったものを表しますがこのゴーストの獲得というテーマが作品全体にわたって存在します。
この自我を獲得するための説明がおもしろいんです。電脳化した世界では人間と機械がどちらからも接近している状態が起きます。
つまり人間の方は自らを義体化、電脳化することでより機械の方に近づき、機械の方はAI(人工知能)化、あらゆる情報の共有化により、より人間に近づいていきます。人間と機械の中間地点をXと置くならば、このXの中に少佐やバトーさらにはタチコマが含まれています。
ではこのXの中にいる個の特定方法は何でしょうか?
姿、形でしようか?
たぶん違います。身体自体は取り換え可能なのでここに差異は生まれません。
では本人の持つ記憶でしょうか?
これもおそらく違います。高度に電脳化された世界では記憶すらも取り換え可能です。
こう考えていくともはや内部には自らを特定するものがないんです。
笑い男は人間の方からXに近づく過程を考えて、人間にとって個の喪失は絶望なのかと考えました。
しかし少佐は反対の方から考えることで可能性を見出します。すなわち機械の方からXに近づく過程です。それがまさにタチコマの自我を獲得していくエピソードです。そしてその可能性とは「好奇心」です。
言葉を付け足せば外部への好奇心です。これこそが高度に電脳化した世界で他者とは違う「自分」を規定するものだというのです。しかもそれは人間を観察することでなく機械の方を観察することで浮かび上がってくるというのが本当に面白いです。
自我の獲得といった個の特定への一つの答えが好奇心であると作品では語られました。
これを受け私はひとまず自分の中に自分を規定するものはなく、外部への好奇心、ありていに言えば外部との関係性によって自分という存在が規定されると一般論でまとめ納得させましたw
{/netabare}
ちなみに萌え要素はゼロです(笑)
ビルの上から夜の街に飛び込む少佐から情報という海に飛び込む「個」を想像しました。