「それでも世界は美しい(TVアニメ動画)」

総合得点
77.2
感想・評価
1161
棚に入れた
6497
ランキング
641
★★★★☆ 3.8 (1161)
物語
3.7
作画
3.7
声優
3.7
音楽
3.9
キャラ
3.8

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ネタバレ

退会済のユーザー さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0
物語 : 4.0 作画 : 4.0 声優 : 3.0 音楽 : 5.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

タイトルなし

本作一番の衝撃は、三元老や1話の宿屋一家、メイド三人娘(?)といった面々がアニメオリジナルキャラであるという点だ。
とくに三元老。原作に登場していたとしてもまったく違和感のないキャラ造形であることは見事と言う他ない。(まさかコイツら、リヴィウスが心を閉ざしていた頃もあんな会話を繰り広げていたのだろうか……?)
つうか、リヴィウスが耳年増なのって、このじじぃ共が原因なんじゃ……。

それは置いとくとして。
本作は【なにを描きたいのか】と、その為の工夫がうまくかみ合った、優れた作品だ。
何を描きたいのか、これはもちろん世界が美しいということ。

その為の工夫――設定が、アメフラシの儀式と、メインキャラ二人の関係性だ。

晴れと雨、二つの気候のイメージを感情に例えるなら、晴れは文字通り晴れやかな気持ち、雨は沈んだ気持ちだろう。そして、リヴィウスの生い立ちや過去、ニケの性格を考えるなら、普通は、母を殺されたショックで世界を征服した雨の大国の国王リヴィウスはそのまま雨を降らし続ける。
そこへ、晴れの公国の姫君二ケが嫁入りし、リヴィウスの心を覆っている悲しみを消し飛ばし、空に青空が広がる――というお話になったはずだ。
雨模様は、不吉な展開への暗示やキャラの沈んだ気持ちの比喩としてしばしば用いられている。

ところがこの作品は、逆をいく。
晴れには渇き、雨には潤いといった、それぞれに抱くマイナー目なイメージだ。
これが実に上手い。転から結に繋がる場面でのアメフラシは、想いが心に染みこんで、心が洗われていく様子を視覚的に強調することが出来ている。
これがずっと雨模様なら非常に辛気臭いところだが、普段はカラッと渇いた晴れ模様で、雨の光景が用いられるのはエピソードのクライマックスのみ。そこにあの抜群に巧い歌が加わってくるのだから、感情を揺さぶるには充分だ。

また、エピソードの重要なファクターとなるアメフラシの儀式に関する設定も、よく考えられている。
心の浄化効果をもつアメフラシ。作中ではこの儀式がなんでも解決する万能の能力っぽく描かれてはいるが、実際、そうなるだけの理由がある。
儀式に必要なのは、儀式を望む者と、その者の想いにニケが応えたいと思うかどうかだ。
本作ではニケがアメフラシを呼ぶ理由の大半がリヴィウスだが、それはリヴィウスの、人としての美しさが源となっていることが分かる。

ニケが様々な難関や問題を通じてリヴィウスの人柄を、その美しさを知り、その美しさが潤いの雨を呼ぶ。
ニケと出会い、ニケのアメフラシに触れ、リヴィウスはそれを美しいと思う。世界を征服しても満たされない渇いた心が美しいと思える雨は、ニケがリヴィウスを美しいと感じたから。つまりリヴィウスが自分以外のなにかに対して美しいと思えるのは、彼自身の心が美しいからということになる。
だけど、そうしてリヴィウスが他人を、自分を取り巻く世界を美しいと思えるのは、ニケという存在がいて初めて成立する。
言わば、リヴィウスが提示する側で、ニケが証明する側なんだ。

主人公とヒロイン二人のキャラ造形、アメフラシの設定、この作品はどれもが欠けても成立しない。
ニケが自分の思う美しさを提示するだけでは、リヴィウスの必要性が薄れてしまう。ただヒロインが語るありがたい価値観をうんうん頷いて聞くだけのキャラでは魅力がない。
リヴィウスと言うキャラがいて初めて、ニケの歌にも説得力が生まれるんだ。
人と世界の繋がりを綺麗に描いた、優しい作品。

投稿 : 2015/07/26
閲覧 : 244

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