えーっと……パッとしない普通の学生でした(笑)。
学生時代と言っても、小・中・高・大とだんだん人は変わっていくものだと思うのですが、僕はだいたい一貫して、それほどリーダーシップを発揮するというタイプでもなく、運動ができるとか勉強ができるとかでもなく、ごく普通の学生でした。
絵を描くのは好きでしたが、美術部に入っていたわけでもないので、美術部の子の絵を見ると「ものすごく上手だな、すごいなー」って思っていましたね。
部活動は、小学校がスピードスケートでした。僕が育った小海町って、標高が高くて、すごく寒いんですよ。湖が凍るので、冬の体育の授業はスピードスケートだったりするんです。で、僕はそれを部活としてやっていました。
中学時代は男子バレーボール部。なぜか部長をやってました(笑)。 高校時代は弓道をやっていました。
こうして考えると、わりと体育会系でしたね。でも大学に入ってからは、児童文学研究会というサークルで絵本を書いてました。絵を描くのはやっぱり好きでしたし、物語を考えるのも好きだったので。
高校生のときからあんまり勉強はできなかったけど、受験勉強の合間に自分の好きな物語を勝手に作ったりとかはしていたので、その延長という感覚でしたね。
僕は、もともとアニメーション監督になりたいと思っていたわけでもないんです。アニメーション業界にいたわけでもなく、ただ、作品が作りたくて、1人で勝手に作り始めただけです。それが『彼女と彼女の猫』であり『ほしのこえ』だったんですけど、それがきっかけで監督という仕事をやるようになったので、なんというか、もう、流れですね。
作りたいものを作り続けていただけなので、最初は仕事という感覚もなかったです。
もちろんたくさんいます。宮崎駿さんもそうだし、村上春樹さんもそうだし、庵野秀明さんもそうです。押井守さんにも影響を受けていると思います。ただ、それぞれご本人を知っているというわけではないので、性格とか人格とかまではよくわかりませんし(笑)、そういう意味では彼らの作品には影響を受けているけど、人物としての彼らに興味を持っているわけではありません。
人間として影響を受けた人となると、以前勤めていたゲーム会社の社長でしょうか。とても尊敬している方です。作品制作において細部まで徹底的に神経をとがらせる態度とか、その作品の先にお客さんの存在があることを常に意識するようにするとか。商品としての作品制作のやりかたを、僕はその社長から教えてもらいました。
実際の絵作りの方法については、僕には師匠にあたるような人がいないんです。
アニメーション業界は、普通、スタジオに入って先輩の下について演出を学んでいったりするので、師匠とか先生に当たる人を皆さんそれぞれ持ってらっしゃったりするんですけど、僕は自分1人で始めたのでそういうのがなくて。
時々、そういう師匠みたいな人がいたらよかったなって思うこともありますね。
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