nyaro さんの感想・評価
5.0
SFとしてもエンタメとしても最高です。3回目でも集中して見られます。
追記 改めて視聴。最高に気持ちがいいSFでした。
22年の総括に合わせて見直し。簡単に流し見するつもりが見入ってしまいました。本作は22年ベスト3、そしてSFアニメのベスト10には確実に入れたい作品でした。
少年少女が見ても楽しめると思います。その点で電脳コイルのリメイク的扱いを受けているみたいですが、厚みも深さもストーリーも段違いです。
{netabare} 本作の結末は、人間を知らないAIの暴走がメインテーマです。これは私の好きなSF小説・アニメ「ビートレス」に見られます。AIのシミュレートに人間の情報が加わることで、AIは人間に希望を見付ける。やっぱり「ウォーゲーム」という映画は「勝ち負け」の問題なので浅いですが似ています。
人間と人類の定義の差は、アシモフのSFに登場するAI「ダニールオリバー」の悩みでした。これをイライジャベイリという地球人との交流で達成しています。
運命論とその否定はベースにありますが、一方でAIの振舞は最終的に因果関係を超越しているような話もありますので、全部わかっている風でもあります。
ただ、そこは人間が不在でした。未来は意思=(人間の本質)によって変えて行ける?あるいは人間の次のパートナーたるAIが加わることで運命を越えられるのか?
人間が因果関係に縛られていて、時間の枠=次元の枠にとらわれているという点では映画「メッセージ」に見られます。メッセージは運命を受け入れたときの達観と取る見方もできるので、必ずしもハッピーエンドではありませんでした。
実存主義から構造主義に行った認識が間違ったのか、とも思えます。人間の本質はやはり進化なのでは?という感じもありました。冒険を忘れた人類は概念的にも物理的にも地球という檻に閉じ込められた。ただ、それは檻であると同時にゆりかごなのだ、と。
小説「揺籃の星」では結果的に彗星は地球に衝突し、人類は外宇宙に向けて旅立ちます。本作はそれを回避し、それでも人間は外宇宙を目指さなければなりません。人間は未来に希望を持ちます。
環境問題も相まって、ニュータイプや逆シャアに対する回答にも見えます。
最後の6名目は誰か。それは本作がAIと共存する未来の話ですから多分そういう事でしょう。
必ずしもSNSや企業が宇宙開発に絡むことを否定的にとらえていないのは、情報の制限はするべきではなく、広く人類が協力しあうと大きな成果が生まれるということかもしれません。{/netabare}
やっぱり改めて非常に良いアニメだと思います。視点を沢山与えてくれますし、エンタメとしてもとても面白いです。SF設定、SFギミック、演出はもちろん、キャラデザや作画、様々な映像技術において、最高水準だと思います。 3回目を見て、初回より集中して見られるのですから、たいしたものです。
主観的評価では95点/100点です。△5点は単に満点の作品はないという意味です。ほぼ満点だと思います。
以下 初回のレビューです。
SFが未来を救う?常に時代を作ってきたのは新しい発想でした。
未来に夢を見るSFではなく、今の現実を考えるSF…に見せかけて、従来の形ではない未来をデザインしましょう、そういう話だと思います。かなりの名作だと思います。
が、結果的にSF的な読解力がいらないと言った前半に比べて非常にSF的な読解力が求められる後半でした。
さて、さきにオマージュ的な部分の目立ったところです。上げればキリがないです。
アイザックアシモフのロボットシリーズに出てくるダニールは人類と人間の定義を統合することができました。一方ジスカルドはその両者を定義できずロボット3原則によって自壊してしまいます。
ビートレスのAIヒギンズは人間が定義できず悩んでいました。その結果自律型のAI…娘であるレイシアを人間界に放ち人間と共に行動することで人間とAIがともに生きる未来を作り出しました。
映画「メッセージ」に登場する宇宙人は因果関係を持たない言語によって未来も過去も現在も区別を持ちませんでした。
「巨人たちの星」シリーズで、惑星表面を覆うネットワークのスーパーコンピュータ。ヴィザーに対して宇宙船のコンピュータ、ゾラックがいました。セブンとトゥエルブの関係に似ています。
「たった一つの冴えたやり方」では、人間の脳に寄生する生物を滅ぼすために恒星への衝突コースを選択します。
映画「ウォ―ゲーム」では核戦争に突入しようとするコンピュータに〇×(三目並べ)を教えることで戦争を回避します。
新時代の「逆種のシャア」+「攻殻機動隊」がフレームではありましたが、肝心な部分でより大きなメッセージがありました。
テーマです。一つはシンギュラリティーを恐れるな…AIは絶望ではなく人間を救う力になるということ。
そして、科学はまだその先にパラダイムシフトがあるということ。11次元という言葉が出てきますが、まだまだ人類は宇宙を知り尽くしていないぞ、ということでしょう。あるいは次元を超えて拡張せよ、と。
因果関係の問題と合わせて本当に今の人間が認識できる科学が正しいのか。「人間原理」的な認識認知を行っているのが今の人類で、本当はもっと広い視点の科学があるんだぞ…と。
もう少し視点を落としたとして、AIはAIとかシンギュラリティ―という言葉に踊らされているだけで、本当に理解しようとしているのか。AIを恐れるのではなく人間をどう定義するか、させるか。AIが人間と共に発展して行くためにはどうやって学習させてやればいいのか。
未来予測をしてわかった気になっていますが、限界を超えるために頭使っていますか?と問われました。
そう頭を使えばAIシンギュラリティ―も環境も国際問題も解決できるんじゃないですか?人間の限界をなんで決めてるんですか?それは科学にせよ政治にせよAIにせよ枠組みにとらわれていませんか、ということだと思います。
分類でいえばAIものですね。ネットの海の電脳空間、シンギュラリティ―の先にある恐怖、AIの人間性の獲得というのもあるのですが、AIとともに生きる未来はもっと人間に可能性を与えてくれるのではないですか?という話だと思います。
テーマで近いのはビートレスだと思います。が、本作は現在のネットの状況や世界情勢などを踏まえてより突っ込んだ内容になっていると思います。
AIものだけでなく環境やネット社会…というより今の閉塞感に対するマインドについてのメッセージだと思います。未来が見えない中で必死に頭を使っていますか?と。
過去のSFがいっぱい出てきます。それはSFを読んで映画を見て、みんな未来を考えてどうなってゆくかを想像=創造してきたよね?今はなんで頭使って未来を考えないの?未来に夢を見て努力しないの?と叱られている気がします。
相当な社会科学的なメッセージが込められたかなりハードなSFだと思います。大満足でした。そしてエンタメ性も相当なものでした。
3時間なので前後半分けて視聴しました。いや後半の疲労感が半端ではないです。面白さに引きずり込まれながらも常に頭を使わされました。
まあ、まだ1回見終えたばかりなので、もう2回くらい見ると思います。
そうそう、ゆりかごから出る=JPホーガン「揺籃の星」彗星の設定などそのままですね。
あるいはアーサーCクラーク「幼年期の終わり」…ですね。オーバーマインドの結末…物質ではない人間に…人類補完計画…
本作の結末はこの2作とどう違うでしょうか?結末はご覧いただければ、と。
追記 最後のセカンドセブンがトゥエルブを通じて語っている場面をもう1度見てみました。彼らの問答はハイデッカー的な死や時間の概念をベースにしているみたいですね。 2人が手をつなぐ場面の「選択」という言葉からするとサルトル的な実存主義もあるんでしょうか。
残念ながら哲学は苦手なのでなんともいえませんけど。しかし、ここで心葉の結末=予知せざる未来を見る限りは未来は決まっていないということで、セブンポエムも万能ではないということでしょう。
七瀬心葉=セブンズポエムのような印象です。しかし「心葉」という名前は「言葉」の新しい概念…つまり心が口というデバイス以外でつながる新しいコミュニケーションという風にも見えます。
{netabare} ただ、彗星の質量のくだり…で、実はこの結末自体がすべてセブンの計算通りとも見えます。最後の一人も多分セブンセカンド…いやセブンサードかもしれません。ちょっと蛇足だった気もします。{/netabare}