1934年度に放送されたおすすめアニメ一覧 17

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年代別アニメ一覧

計測不能 1 1934年度アニメランキング1位
動絵狐狸の達引(アニメ映画)

1933年12月31日
★★★★☆ 3.6 (5)
16人が棚に入れました
東宝映画の前身組織のひとつP・C・L(写真科学研究所)が1933年に制作した、全11分のトーキーアニメ。 ある夜、豪傑そうな侍に化けた狐が、古寺にやってくる。侍の正体を知らぬままイタズラ心を生じた子狸は、一つ目小僧などに化けて侍を脅かすが、相手はひるまない。子狸から応援を請われた親狸は、強力な変幻技で侍に迫るが、大した効果はない。やがてマシンガンまで持ち出した侍に親狸は追いつめられてしまう。絶対の窮地に陥った親狸だが、その時、子狸が機転を利かせて。 1931年の創設時からアニメ映画の可能性を模索していたP・C・Lが初めて制作した劇場アニメ。企画を推進したのは、以前は松竹の現像部長だった増谷麟。増谷は松竹蒲田撮影所の字幕描きの経験もあるスタッフ・大石郁雄を招聘し、当時としてもモダンでハイセンスな本作の作画を担当させた。時代を超えて観客を笑わせる、ナンセンスギャグアニメの秀作といえる。

計測不能 1 1934年度アニメランキング1位
のらくろ伍長(アニメ映画)

1934年3月9日
★★★★☆ 3.6 (5)
15人が棚に入れました
昭和期前半を代表する田川水泡の国民的漫画『のらくろ』。その初めてのアニメ化。 のらくろ伍長が所属する猛犬連隊。本日ののらくろは非番だった。焼鳥屋の屋台に行ったのらくろは、店の主人におだてられ、先日、ライバルの山猿連隊との銃剣術の試合で快勝した武勇伝を誇った。5人分もの焼鳥をたいらげ、目蓋が重くなるのらくろ。そんな彼は、かの山猿連隊の面々が猛犬連隊の機密書類を奪い、気球で逃走しかける場面に遭遇。花火工場から花火を持ち出し、これを当てて気球を墜落させようと図るが……。 それまでイソップ童話の翻案アニメなどを作ってきた横浜シネマ商会が、本作の制作を担当。同社の主力クリエイターの村田安次が、11分の本編時間の中で手慣れた作画と演出を披露した。

計測不能 1 1934年度アニメランキング1位
お猿の三吉 突撃隊の巻(アニメ映画)

1934年3月24日
★★★★☆ 3.3 (6)
14人が棚に入れました
お猿の三吉率いる突撃隊が、白熊軍の陣地に攻め入る。三吉の乗る戦車、それにお猿の三勇士(当時、美談として語られた「爆弾三勇士」が元ネタ)の活躍で、白熊軍は潰走する。政岡憲三の弟子であった瀬尾光世が創始した日本マンガフィルム研究所の作品で、同社の第1作『お猿三吉・防空戦の巻』の続編にあたる。『お猿三吉』シリーズは同社のヒット作品となり、以降も『元禄恋模様・三吉とおさよ』『お猿三吉・おい等の艦隊』『お猿三吉・闘ふ潜水艦』と、多数が制作された。

計測不能 1 1934年度アニメランキング1位
月の宮の王女様(アニメ映画)

1934年10月25日
★★★★☆ 3.7 (4)
14人が棚に入れました
横浜シネマ商会が1934年に公開した、全12分のトーキーアニメ映画。 美しい花畑の中にある、平和なリスの国。その町外れの家には愛らしい女の子が住んでいたが、彼女はリスの仲間ではなかった。優しいリスの老婆に拾われ、今まで平穏に生活してきた女の子だが、ある日、彼女は悪いカエルの大将にさらわれてしまう。事態を認めたリスたちは団結して女の子を救いに向かうが、カエルも群れをなして応戦してきた。そんな騒ぎの中、一羽の雁が近くに飛来。実は月の宮の使者である雁は、かつて行方不明になった月の宮の王女の行方を探していたという。 横浜シネマ商会の主力クリエイターだった村田安次が得意の切り紙アニメ手法で制作した作品で、その路線での最高傑作とも評価される一編。劇中に挿入歌(歌・伊藤久男、村山雪子)が登場した、日本初のアニメだとも言われている。

計測不能 1 1934年度アニメランキング1位
絵本1936年(アニメ映画)

1934年4月13日
★★★★☆ 3.5 (5)
13人が棚に入れました
オモチャたちが楽しく住む島にネズミの軍団が侵略してきた。ネズミは蛇・ワニ・コウモリの軍団を投入し、オモチャたちを蹴散らしていく。そこでオモチャたちは絵本の主人公たちに応援を要請。桃太郎らの活躍により、ネズミ軍は撃退される。J.O.スタジオが送り出したトーキーのアニメ映画で、「オモチャ箱シリーズ」と題されたシリーズものの第3話(前2話もオモチャとネズミとの戦いの話)。本作の作画を担当した田中喜次、舟木俊一は元々はアマチュアアニメ制作団体、「童映社」のメンバー。彼らはこの「オモチャ箱シリーズ」や、団子之助少年を主人公とした「花より団子シリーズ」を精力的にリリースしていき、各地の学校での上映会にも採用された。

計測不能 1 1934年度アニメランキング1位
忍術火の玉小僧 江戸の巻(アニメ映画)

1934年11月9日
★★★★☆ 4.0 (3)
13人が棚に入れました
主人公の少年剣士・火の玉小僧が、殿さまに追われる町娘を、忍術を駆使して助けるコメディタッチのアニメ。制作は日活京都漫画部。キャラクターが次々に変身し、テンポの良いギャグを繰り広げていく。作画担当の1人、酒井七馬は、元々はマンガ雑誌「大阪パック」「大阪新聞」などで作品を発表していたマンガ家で、1935年に日活に入社し、アニメーターに転身している。ただし、日活京都漫画部が1935年6月に解散したため、すぐにマンガ家に戻ることとなる。その後の酒井は、戦後に手塚治虫と組んで『新宝島』を上梓したことで名を残す。

計測不能 1 1934年度アニメランキング1位
ポン助の春(アニメ映画)

1934年8月1日
★★★★★ 4.1 (2)
12人が棚に入れました
トーキーアニメを精力的に制作していたPCL映画制作所による作品。タヌキとキツネの奔放な化かし合いを描いた『動絵狐狸の達引』で注目された大石郁雄がその5ヶ月後に送り出した作品。やはり、タヌキのポン助が主人公の短編アニメ。大石はよほどタヌキが好きだと見え、更にその2ヶ月後にはおとぎ話に題をとった『カチカチ山』も公開している。なおPCLは、戦後、東宝教育映画として組織改編されるが、その初期に『ポン助の春』『ポン助の腕くらべ』といったポン助シリーズ、および『動絵狐狸達引』をニュープリント版として再配給している。

計測不能 1 1934年度アニメランキング1位
黒猫萬歳(アニメ映画)

1933年12月22日
★★★★☆ 4.0 (2)
11人が棚に入れました
1930年代の京都の映画会社で、東宝映画の前身のひとつでもあるJ.O.スタジオが1934年に公開した、全8分のトーキーアニメ映画。 ここはオモチャの国。国民であるオモチャたちが楽しみにしていたお正月が到来し、オモチャの軍隊がマーチを奏でる中、祝賀パレードが開始された。だがそこに、天井裏に住む悪いネズミが出現。パレードの先陣を務めていた鏡餅を奪って逃げた。これを機会にオモチャの軍隊とネズミの軍隊の一大決戦が勃発。果たして勝利はどちらの頭上に輝くのか? J.O.スタジオのトーキー漫画部が制作した作品で、日本で初めて劇伴にシンフォニーオーケストラを使用したアニメとしても知られる。同漫画部のスタッフは、1930年の反戦アニメ『煙突屋ペロー』を制作した童友社の面々が主体で、同時期にアニメ作家・政岡憲三の活動に刺激されて本作を手がけた。

計測不能 1 1934年度アニメランキング1位
かちかち山(アニメ映画)

1934年8月8日
★★★★★ 5.0 (1)
11人が棚に入れました
昔話の「かちかち山」に題をとった1巻ものの短編アニメで、上映時間は14分。いたずらダヌキをウサギが次々にこらしめていく物語。作画を担当した大石郁雄は、本作の前に、タヌキとキツネのスピーディーな化かし合いを描いた『動絵狐狸の達引』で注目されている。ちなみに『カチカチ山』は、この当時のアニメでは人気のモチーフであり、この翌年にはJ.O.スタジオも市川儀一(後の映画監督・市川崑)制作の『新説カチカチ山』を送り出している。

計測不能 1 1934年度アニメランキング1位
忍術火の玉小僧 紙芝居の巻(アニメ映画)

1934年12月16日
★★★★☆ 4.0 (3)
10人が棚に入れました
詳細不明

計測不能 1 1934年度アニメランキング1位
元禄恋模様 三吉とおさよ(アニメ映画)

1934年6月23日
★★★★☆ 4.0 (2)
9人が棚に入れました
1933年に創設の独立スタジオ・日本マンガ(漫画)フィルム研究所の人気シリーズ「お猿三吉」の第4弾。 時は江戸元祿。桜満開の春の中、足軽侍の三吉もまたお花見を楽しんでいた。向こうの旗本の宴では、愛らしい武家娘のおさよが踊っている。だがそのおさよを突然、ギャング団が拉致していった。三吉は悪党に挑み、おさよを無事に救い出そうとするのだが。 1934年の作品で、作画と監督は日本マンガフィルム研究所の主力クリエイター・瀬尾光世が担当。お猿の三吉は今回は人間のキャラクターとして登場し、人間のヒロインおさよとラブラブ模様を演じる。なお時代劇に翻案された内容からはちょっと見えにくいが、本作は前年1933年にアメリカと日本で相次いで公開されて大ヒットした怪獣映画の古典『キング・コング』を下敷きにした部分もある。

計測不能 1 1934年度アニメランキング1位
ミー坊と狼(アニメ映画)

1934年12月18日
★★★★★ 5.0 (1)
8人が棚に入れました
横浜シネマ商会が1935年に完成させた、全9分のアニメ映画。 今夜はお月見。小ウサギのミー坊は、母親の言いつけで祖母のもとに月見ダンゴを届けに出かける。途中、狸と猿に出会ったミー坊はダンゴを分けてあげた。続いて会ったのは、立ち振舞いはやさしそうな狼。相手の態度に油断したミー坊は、自分がこれから祖母のもとに行くのだと言ってしまう。それを聞いた狼は、おばあさんのもとに先回りして……。 作画と演出は、横浜シネマ商会のメインクリエイターだった村田安次が担当。グリム童話「赤ずきんちゃん」のパロディ調翻案で、猿と狸が窮地に陥ったミー坊を救うなど独特の潤色も図られている。ラストは、ウサギ一家が仲間の動物や、猿や狸とともに踊る図で終焉。

計測不能 1 1934年度アニメランキング1位
森の野球団(アニメ映画)

1934年11月16日
★★★★★ 5.0 (1)
8人が棚に入れました
東宝の前身会社のひとつでもある京都のJ.O.スタジオが1934年に完成させた、全8分のトーキーアニメ。 今日は森の動物たちの野球の日。闘うのはライオンチーム。そしてウサギのピョン吉が主将を務めるウサ公チームだ。だが始まった試合は、ライオンチームがダーティプレイで進撃していく。劣勢のまま9回裏を迎えたウサ公チームの反撃は? ピョン吉のガールフレンド・ウサ子が応援団長を務める中、試合は山場を迎えるが。 アニメの実制作は、政岡憲三の政岡映画美術研究所が担当。本作の監督は、同研究所の先行作『ターちゃんの海底旅行』などで撮影職だった原田誠一が務めた。政岡自身は原画作画と同時に、何と政岡夫人とともに声優としても本作に参加している。当時のディズニー作品のキャラクターたちも多数パロディ風にカメオ出演させた、遊び心に富んだ作品でもある。

計測不能 1 1934年度アニメランキング1位
ギャングと踊り子(アニメ映画)

1934年3月20日
★★★★★ 5.0 (1)
8人が棚に入れました
日本初の本格トーキー・アニメ映画『力と女の世の中』のヒットを受けて同じ松竹が1933年に制作した、トーキー・アニメ映画の第二弾。 内容は前作『力と女の世の中』の流れを汲み、さらに暗黒街を舞台にした大人向けのナンセンス・ギャグアニメ。主力クリエイターは、前作同様の政岡憲三。そのシナリオは松竹の名監督で脚本家でもあった島津保次郎(『家族会議』『浅草の灯』ほか)が執筆するという、かなり力のこもった制作体勢だった。だが諸事情から完成後一年間もお蔵入りし、1934年3月に「仇討ち鳥」「ギャングと踊り子」の二部構成でようやく公開されるという憂き目に合っている。なお政岡のスタジオでチーフアニメーターを務め、のちに日本マンガフィルム研究所を創設するクリエイター・瀬尾光世の躍進作でもある。

計測不能 1 1934年度アニメランキング1位
仇討からす(アニメ映画)

1934年3月20日
★★★★★ 5.0 (1)
8人が棚に入れました
松竹キネマ配給のトーキー映画で、シナリオライターの島津保次郎の原案をアニメ化したナンセンス・ギャグもの。監督は「日本のアニメーションの父」と称される政岡憲三が担当。なお、本作は元々2巻ものの中編として制作されたが、配給元の松竹側の都合により、前編『仇討からす』、後編『ギャングと踊子』の2作品に分けて公開されることとなった。なお本作は政岡の弟子で、作画スピードが非常に速かった瀬尾光世が作画の8割を担当したといわれている。

計測不能 1 1934年度アニメランキング1位
カッパ踊り(その他)

1934年9月8日
★★★★☆ 3.5 (4)
6人が棚に入れました
昭和初期に日本でのみ発達したレフシー家庭映写機(紙製フィルム専用の映写機)用に作られたアニメです。
昭和9年製作で、時間は2分程度の作品です。
https://www.youtube.com/watch?v=fRqG0KrfyuM

計測不能 1 1934年度アニメランキング1位
天狗退治(アニメ映画)

1934年6月26日
★★★★★ 5.0 (1)
5人が棚に入れました
団子兵衛のお供の犬のちんころ平平が、夜回りをしてると二人の小天狗が現れ、屋敷の娘をさらって逃げる。
団子兵衛の叔父にあたる娘の父は追っかけるがペシャンコにされる。団子兵衛は仇討ちに出かけ、多勢の小天狗たちをやっつけるが、親分の大天狗が登場。
団子兵衛の危機に、平平はカニのハサミで天狗の長い鼻をチョン切らせて、大天狗を退治し、娘を取り戻す。
製作:千代紙映画社、作画:大藤信郎、8分
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