フラクタルというアニメを、視点を変えて真剣に真面目に見て欲しいという願いを込めてスレ立てします。このアニメ、予備知識なく見ると平凡でつまらなく見えるのですが、アニメによってアニメ業界を表現したという視点で見ると、恐ろしいほど中身の変わるえげつない作品です。しかし同時期にまどマギという素晴らしいアニメがあったため、あまり知られていないのが現状です。その面白さをぜひ実感して欲しい。また、自分もまだ全てを理解できていないので、一緒に考察してくれる方がいたら嬉しいです。どこが面白いの?とかどうやって見たらいい?とか色んな質問や話題を話し合いましょう!
娯楽作品でいえば過去にあたしんち、ハレグウ、らき☆すた、ハルヒなど
たくさん作品を手がけてらっしゃると思いますがw
WUGだってわかりやすい娯楽作品じゃないですかww
面白さがわからないということは、なぜそれらが表現されているのかというところにまで
思考が届いていないのではないでしょうか?
わかりやすい娯楽作品はたしかに楽しいですし、私も大好きですが、もう少しその先まで思考をのばしてみてみませんか?
このサイトを使うような私達の世代も、きっと意識さえすれば思考がそこまで届くと思うのです。
> 娯楽作品でいえば過去にあたしんち、ハレグウ、らき☆すた、ハルヒなど
ハルヒのダンスは確かに良いですね。ただね映像の面白さと物語や中身の面白さって違うんですよ。演出家や映像作家が陥りやすい部分ですが、音楽のPVとかの面白さと物語や中身の面白さって根本的に違うんですよ。その他の作品は知らないです。
> 面白さがわからないということは、なぜそれらが表現されているのかというところにまで
思考が届いていないのではないでしょうか?
それに対して反論が無いです。分かりやすい面白さが無いって批判が根本があるので。
> わかりやすい娯楽作品はたしかに楽しいですし、私も大好きですが、もう少しその先まで思考をのばしてみてみませんか?
いや私は良いです。山本監督すげーつまらんと感じてしまったので…。そもそも山本監督はエヴァTVラストと映画ラスト以外すべてエヴァつまらないらしいです。そして私はその正反対です。TVラストと映画ラストは見てられんほどつまらんと思いました。そしてフラクタルで確かにこの人こういうのがすきなんだろうなと分かりました。山本監督の面白さは私にとっての面白さじゃ無いです。
> このサイトを使うような私達の世代も、きっと意識さえすれば思考がそこまで届くと思うのです。
ちなみに私中年です。山本監督と似た世代です。私も当初山本監督と同じような感覚を持っていたのですが、フラクタル見てアニメに文学や芸術作品の様なものは必要ないと思いなおしました。優れた娯楽は芸術的だと考え方を改めました。
フラクタル最大の問題は、エヴァは前半の面白さがあるから、ラストのオタク批判などが生きてるのです。誰も注目させることが出来なくて、オタク批判しても誰の目にも届かないでしょう。餌を与えなくて批判だけじゃそっぽむかれて当然です。
私の娯楽の定義は、長時間退屈させない、分かりやすい、そしてこれらを包括するのが、より多くの人にです。フラクタルを見て何が駄目なのか?考えて正反対のものを作るには?と考えた定義です。アニメ漫画をジュブナイル小説の様に捉えていた私はフラクタルを見て衝撃を受けました。自分の過去をこの作品ですべて捨てて良いと思ったからです。
ただerimingo さんの試みは面白いと思います。私はWUGを最後にしようと見てあまりに嫌気が指して山本監督大嫌いとなってしまったのですが、それはあくまで私の感性なので。ラブライブ見て面白いなと思った私にはあまりにつまらなすぎた…。
私の中でフラクタルの良さは岡田さんの凪のあすからを生む土壌になってるぐらいかなと…。ディトピア的な全体の構造が良く似てますよ。ディスとピア的な大きな物語の中で若者達の閉じたグループでの現代的な青春者や恋愛劇をやるってセンスがあります。山本監督にはこういう時流を捕まえる上手さが無いんだろうなと。私はね、アニメの面白さって笑いに似てると思ってるんですよ。受けるか?受けないか?だと見ています。受けそうなものをポンと放り込むセンスの方がしっかりした物語より大事じゃないか?と思っています。
>>6
たんたんたぬきさんのおっしゃられることは一見正論なようで、根本的な考え方が大きく間違っていますね。自身の考え方や価値観に少し固執しすぎていますよ。もう少し視野を広げましょう。そもそもフラクタルという作品にオタク批判なんてものありませんし、そういう説教臭い大上段的なものとは違います。それからエヴァの最終話、旧劇がつまらんとか、それはあくまであなたの感性だと思いますが、だからといってエヴァのファンがみんなそれをつまらないと思っているわけではありませんよ。エヴァも考察を必死に頑張る人達がいてネット上で議論が湧いて社会現象にまでなったわけですからね。ですからフラクタルも時期悪くそういう動きが少なかったのでもう一度見てもらって面白いと思ってくれる人がいればいいなあとスレ立てしています。
最近はあなたのような人ばかりで、考察や議論など頭を使うものや考えさせられるものや物語があまり受け入れられない傾向があって、大体のアニメ作品もその流れをうまく察知していると思うのですが、それを否定するつもりはなく、こういう面白さもあるよと伝えたいだけなので、それでも気に入らないというなら無視してくださいね。頭ごなしに糞とかダメとか言われても困っちゃうのでw
後、前提としてフラクタルを駄目と決めつけるところから考え直しましょう。
まさにそこをしっかりと再評価してもらうためにスレ立てしてるんですよ
まったく理解されてないですね。あまり売りスレやまとめサイトの評判を気にしない方がいいですよ。
骨太作品好きの通りすがりですが、フラクタル最大の失敗※要因は1クールという尺の短さにあったように思います。
※数年たっても特に記憶にも心にも残らなかったという主観、商業的観点からあえて失敗という言葉を使いますが当時も今も特に考察していないのであくまで議論参加ではなく独り言とみなしてください。
内容もうろ覚えですがこの作品って大きな物語の再発見と喪失とかデータベースの消費といった東氏のポストモダン思想が主柱にあったような・・・無考察の当時の印象なのでフラクタルシステムが象徴するのが大きな物語なのかデータベースなのかこの際どうでもいいです。問題はそのような思考以前に物語に視聴者を没入させるまでに至らなかった作品の描き込みの少なさでしょう。
おそらく物語構造・思想を含む世界観の作り込みは十分あっただろうとは思いますが表現の次元にまで昇華できなかった、故に視聴者側の大半が私も含め物語の消費どころかキャラの中途半端な消費で終わってしまったのではないでしょうか。むしろフラクタルに限らずこの手の1クールアニメでカイバ以外に成功した例ってありましたっけ?某ガリレイドンナとかRDGとか逆の例ならすぐ思いあたるんですが・・・便宜的に構造がにている成功作品であるエヴァとガンダムUCを例にとると尺の長さもありますが大きな物語に相当するもの、前者なら宗教、後者なら宇宙世紀からの仮借が物語への没入の一助になっていますし、フラクタルもせめて2クールだったならあるいは・・・リベンジとしてクウォンタムファミリーズの映像化は・・・さすがにきついかw
独り言といいつつ長駄文失礼。
おっしゃられるとおり東氏の動物化するポストモダンが1つの背景としてあるのは間違いないでしょうね。後、商業的に失敗した云々なんて言うまでもなく失敗したんですから何一つ異論ありませんし、そんな不毛なことを考察するためにスレを立てているわけではないですよ。
>おそらく物語構造・思想を含む世界観の作り込みは十分あっただろうとは思いますが表現の次元にまで昇華できなかった、故に視聴者側の大半が私も含め物語の消費どころかキャラの中途半端な消費で終わってしまったのではないでしょうか。
まさにここですよ。エヴァは庵野秀明さんという天才が作ったものですから表現として最高峰の物だったと思いますが、自分は必ずしもフラクタルがそうだったとは思いません。
だから自分もフラクタルを見た時に単なる作品内の物語の消費で終わってしまってつまらないと感じたんですよ。皆さんと同じ感覚ですね。ただ、たまたまもう一度見直したときにその時代に寄り添った強い表現に強く惹かれたんです。だからそれを感じてもらいたい、もう一度再評価してもらえないだろうかという願いを込めてスレ立てしてるんです。ぜひもう一度見ていただいて考察できたら嬉しいですっつってんのに、表現のレベルが低すぎるのでおれが考察するまでもないねフフーンなんて言われても困っちゃうのでそういうかたはスルーしましょうね。ぜひ巨匠や天才の作品や皆が支持する大ヒット作だけを見て評価していればいいのではないでしょうか?w
失敗を嘲笑いたいのであればアンチスレやまとめサイトやTwitterがちょうどいいと思いますよ。
それにフラクタルという作品がそこまで表現のレベルが最低だったとは思えないですね。これは見直していただければわかるかと。それでもフラクタルが当時受け入れられなかったのは大半のアニメ視聴者が自分含めそういった深読みを不要とする世代だったからであり、同時期にまどマギがあったからという、極めて都合の悪い時期だったという不幸が大きいと思っています。
要するに表現としてレベルが低かったと判断する前に視聴者としての自分自身に読み取る力が無かったんじゃないかと疑うくらいの謙虚さを持ちましょうという進言です。実際に自分は過去7年間アニメを見てきましたが、自分が大抵の作品を見る際にわざわざ頭をからっぽにしてアニメを見ていたことに気づかされましたよ。そうじゃない面白さもあるということを伝えたくてスレ立てしています。
うーん、藤津氏の記事は読みましたが飛躍し過ぎだと想います
フラクタルが社会風刺を込めた作品だとは理解してますがなんでそれがアニメ業界批判に繋がるのかはさっぱりです
藤津の記事はいつもこんなんばっかで正直いつもガッカリしてますw
たんたんたぬきさんのご主張はごもっともだと感じますが、どんとこいさんがオイラの言いたいことをほとんど述べてます
プロットは悪くないんです
あらすじだけ読むとまあまあ面白そうな作品なんです
ただ実際観てみるとぉ・・・・じっくりのめり込めない
って感じでヤマカン贔屓目なオイラにとってもフラクタルはイマイチな作品だと感じます
もっとこまけぇことを言えば左さんがキャラ原案を田代雅子さんがなんかようワカランことにしたとか、東が作った後に言い訳をしだしたとか
作品そのもの以外の部分でもネガティブなイメージが付きまとっているのも事実です
フラクタルがどうのだからってこの作品に携わったスタッフの今後を心配はしていません
WUGは面白かったですよ
erimingoさんが仰る旨の通り、フラクタルを再見してみました
結果、それほど放映当時から気持ちは変わりませんでした
オイラははじめからフラクタル批判をしたくてここに来たわけじゃありません
むしろ再評価のキッカケを探しています
フラクタルよりツマラナイアニメはもっと沢山観てきました
オイラとしては「フラクタル=アニメ業界批判」これを裏付けるもっと具体的な解説が欲しいです
そっちのほうが興味あります
業界批判というよりは、業界分析をしてから一歩踏み出したみたいな作品だと思ってます。
※ネタバレ注意
持論ですが、フラクタルシステムというものは作品内ではそれ無しでは生きていけないシステムとして描かれていましたが、これはインターネット上の情報を中心とするデータベースのようなものを暗喩していると思います。そして作品内の世界そのものがアニメ業界あるいはアニメを取り巻く環境そのものなのではないかと思います。主人公のクレインはフリュネと出会って恋をした後、一端分かれてネッサと出会い、旅に出るのですが、ネッサは実体のないドッペルとして描かれており、おそらく萌えアニメのキャラを暗喩しているのではないかと思います。世界を旅し、様々な人と出会い、色んな考えの人がいることをクレインは学んでいきます。作品世界の人々もそれが無いと生きていけないんだとかなり切実な思いを宿しているようで、これは現代社会に照らし合わせても共感できる部分がありました。
ちなみに7話に出てくる芸術家の女性ドッペルを持つおじさんは村上隆さんがモデルのようで、彼は自らの作品にオタク文化から得たものを取り込んだりもしている..にも関わらず彼はオタク界隈から批判を浴びているようで、ヤマカンがリスペクトを込めて登場させたようです。
フラクタルシステムをなんとかして維持し続けようとする僧院は、いわゆる萌えアニメ製作委員会を暗喩していると思われます。バローはその中心で頑張るアニメ監督でしょうか、バローも彼なりにフラクタルシステムを再起動するにはどうすればいいのか?ということを真剣に考えていたようなので、批判だけじゃなくリスペクトも込められていると思います。
そうなるとロストミレニアムが何を暗喩しているのかは少しわからないです。ヤマカンについてきてくれるアニメスタッフかなとも思ったのですが、作品内の全てが何かを暗喩しているわけではないとも思います。
最終的にこの物語はフラクタルシステムを再起動するのかしないのか、というところに進んでいくのですが、結果的にはシステムは再起動されて世界は再び緩やかな崩壊に向かうとともに、僧院が消滅したためシステムの再起動はもうありえないとわかっているので、人々はフラクタルの恩恵を受けつつも、未来を見据えて少しずつ自分たちで生活して生きていく、あるいはその自覚を持つようになります。これはインターネットやデータベースがなくなったわけではなく、しかし萌えアニメや萌えキャラクターの縮小再生産は終わり、アニメ業界はこれから何を作っていこうかみたいなところへ一歩踏み出したような結末だったと思います。
主人公クレインはフリュネとネッサのどちらも肯定して、結果的にフリュネとネッサは融合して再起動の鍵となったのですが、これは二次元のキャラクターであるネッサという少女と三次元のキャラクターであるフリュネのどちらも捨てがたいものなんだという気持ちが表現されていたと思います。だから単純に萌えキャラであるネッサを否定しているわけじゃないだろうと。
どっちかというと否定されているのは、フラクタルシステムというものがフリュネという少女の再生産によって維持されていくものだというところです。工場で大量生産ー廃棄処分されていたネッサの姿形をした少女(フリュネ)がいましたが、これは縮小再生産される萌えアニメや萌えキャラクターのことを暗喩していると思います。そしてその中の1人にクレインも接触しますが、これはヤマカンが関わってきた萌えアニメとそのキャラクターを暗喩しているのではないかと思います。
長文になってしまいましたが、このような視点を導入してみれば、各キャラクターのセリフや振る舞いにも色々な意味やメッセージが込められていて非常に面白いですよ。
個人的には飛行船や戦闘シーンとかSFっぽいところがなんかださくてあんま好きではないですが、面白い作品だと思いますよ。フリュネとバイクに乗る所は大好きです。
書いていて気づきましたが、フラクタルの最終的な物語の結末である二次元と三次元の融合という部分は、その後の作品であるWake Up,Girls!のコンセプトにもなっている二次元と三次元のハイパーリンクとか虚実混交というところにも通じる部分がありますね。
私は、フラクタルに関しては業界分析だって主張は完全に同意しています。
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1007/26/news010.html
元々ヤマカンに関心を持ったのは、この記事を見てからです。だからその後フラクタルを製作したのでここまで言うのならどれだけのもの作ってくるんだ?って関心を持ったわけです。この記事で言ってる事中途半端に実現してるので業界分析の主張は鋭い視点だと思いますよ。
大事な事は、暗喩でしかない。だから明確に分からなくて当然です。ただヤマカンの記事の内容を見てると所々一致するので多分意図して作ってるんだろうと推測できる事です。私はその評論を読む前から気がついたのは当たり前です。記事を先に読んでいたので。まともに見てるだけじゃ多分分からないと思います…。
私が重視してるのは、アニメ業界を暗喩したアニメを作ったら何が面白いの?です。良く出来てるね。だから???です。
根本的な面白さが多分一般人とも深夜一般層ともずれています。面白いものを作ろうって根っこが個人的すぎるんですよ。面白いと感じてもそれは多分ごく一部の人だけだと思います。媚を売るとかそういう問題じゃないです。話にならないほどのずれです。ヤマカンが個人的には面白いと思ってるのは疑って無いです。それがずれていたらどうにもならないから。
>>13
>私が重視してるのは、アニメ業界を暗喩したアニメを作ったら何が面白いの?です。良く出来てるね。だから???です。
だーかーらーもうわかりましたからw
あなたはきっと永遠に面白さなんて理解できないんでしょう?じゃあスルーしてくださいよ。
そもそも頭から面白くないと決めつけている人に、これ以上何を伝えればいいのかわからないのでさっさとラブライブでも見に行ってくれませんかね、その方がきっと幸せですよ。あと、あなたにはそういうアニメが一番合っているんだと進言しておきます。
アニメ業界なんて入りたいと思っても超絶ブラックだってことは誰もが知ってることですし、そこに問題意識を持ったクリエイター達が色んな発言をしてそれを作品で発信していくことにもう少し寛容になってもいいんじゃないかと思いますけどね。あとたぶん面白いものやウケるものを作るというよりは、今これをやらないと後悔するっていう悩みや葛藤からこの作品が作られたんじゃないかと思いますよ。以前から抱いていた業界に対する不満のようなものが相当溜まっていたんでしょうね。
基本的には作品の中身の話がしたいんですがね。フラクタル関係のネット上の発言は作品の外面批判や監督批判ばかりなので自然とそういう話に持っていきたくなるのはわかりますが、そういう意見が見たいならてきとうにまとめサイトやアンチスレでも見に行ったほうが自分の気もちいいと感じる書き込みや意見がたくさんあると思いますよw
一部の人でもいいから面白いと感じてもらえたり、あるいは一緒に考察できたら嬉しいと何度も書いてます。発言頂けるのは大変ありがたいのですが、今はあなたに何を伝えても理解してもらえないような気がしますね。
スレ主さんの主張は、要するにこういうことだと思っています。
どんな作品も、作品を楽しむための暗号解読キーのようなものが視聴者側にないと
楽しむことができない。
たとえ視聴者側にキーがあったとしても、それと気付かないこともあるでしょう。
ネッサをブローチから解凍したみたいに、フラクタルを解凍できないものだろうか。
これは、たとえば、ボクの体験談で恐縮ですが
けいおんのTVシリーズを1期~2期見て、当初はらきすた系のゆるアニだと
思って見終わったんですよ。当時はそこそこ好きってくらいでした。
それが放送後2年経って、とあるアニメ評で号泣したというの見て
評に則って再視聴してみた所、指摘された部分でちゃんと泣けたんですよね。
フラクタルでもそういう要点がわかると、楽しめる可能性はあると思います。
現時点でボクは楽しめていないので、フラクタルを楽しむ鍵を提示できませんが
スレ主さんが最初に求めていたものは、そういうことだと思います。
そういう視点で、このスレを読みたいです。
ここで話題に取り上げられている、作品背景的な理解とか、尺が足りてないとか
フラクタルを楽しむための核の部分っていうのは、ソコではない気がしています。
ドッペルと人の関係性、フラクタルシステムの是非、フラクタルというタイトル等
そういう方面から紐解く方が、再評価しやすいのではないでしょうか。
たとえば、16才のフリュネの精神が10才のネッサの精神を生むという構造は、
フリュネの中の10才のネッサが成長して16才のフリュネになって、
また10才のネッサを生むという、フラクタル構造になっているのでは、とか。
だったら、ドッペルというものも、人間の自己相似構造となっているらしいので
ドッペルも同様に、ドッペルのドッペルという自己相似構造を持ってるのでは、とか。
フリュネ+ネッサがフラクタルシステムの鍵なら、フラクタルシステム自体や
ベーシックインカムもフリュネ(ネッサ)のフラクタルになっているのかな、とか。
システムとロスミレの対立とか、その辺も合わせて紐解いていった方が楽しそうな気がします。
Pまんさんありがとうございます。
おっしゃる通りです、私はその要点や謎を明かしたいのです。
正直とても難しいと思うんですよこの作品。
おそらくSF設定的な部分の考証にはさしたる意味が無く、世界に対する在り方、考え方のほうに重点
が置かれているのだと思います。
批判してくる人はまず理解してから批判してほしいもんですね。
あわよくば私に丁寧に解説してからボロクソに批判してもらえると嬉しい。
私にはフラクタルというタイトルとこの作品が表現しようとしていたものがどう関係しているのかがまだわからないです。地形やグラフなど具体的な例があればフラクタル構造とすぐ理解できるのですが、この作品のタイトルにもなるほどのテーマ、一体どういう理屈なのか...。何と何が自己相似となっているのか。やはりこの作品がアニメ業界を取り巻く環境を表現したというメタ的なものであるとするならば、フラクタルという構造もアニメ業界を取り巻く環境とこの作品に対する構造を示しているのではないかと一番に考えてしまいます。それにしたってどういう意味か私にもわかりませんがw
おっしゃられていることちょっとよくわからないです。作品内でフラクタル構造を表現している部分はきっとこの作品のテーマ足り得るものだと思います。そもそもこのフラクタルという幾何学の概念をそういったところに適用できるものでしょうかね?
ヤマカンや東さんの発言なんかも参考にしながら考察していったほうがよさそうですね。
この作品が何を表現したかったのかということを念頭に置いて考慮すれば、
フラクタルという作品内部の世界観や人々は今の現代社会の世界観や人々をメタ的に表現しているのだから、私達の世界とフラクタルというアニメ作品の世界は互いに相似していると考えた方がいいのかもしれません。つまり"全体"は私達の世界で、その中の"部分"であるフラクタルというアニメ作品も同じ構造をしているということです。
この作品がたどった物語の結末というものは、世界を壊して自然な暮らしに戻るというものでもないし、世界を救って今まで通り安穏に生きるというものでもないし、クレイン(ヤマカン)はどちらも決断できないけれど自分の愛する女(フリュネ+ネッサ)を守るというものでした。女を守ってから世界のことはその後に考えるという小さな一歩です。
このフラクタルという作品がたどった小さな一歩は私達の世界にも相似的につながっていくのではないかというメッセージを感じ取りました。つまりこの作品を見て、もう一度アニメ業界と照らし合わせて考えてみてくれないかというメッセージです。
そこでよく他の人から出てくるのが業界批判だとか萌えアニメ批判だとかですけど、作品見ればそんなに批判なんてしてないしリスペクトもあるしそもそも最後にネッサ融合してるじゃん..となるのですがね。
こんにちは。
当時大人気だったまどマギよりもフラクタルがとても好きだった者です。
自分としては、フラクタルという作品がそんなに咀嚼されずに見られ、ダメ作品扱いされるのがとても残念でしたが、きちんと取り上げてくれた方がいて、感謝します。
もう誰も見てないとは思いますが、フラクタルが放送されたころのアニメ業界を見てみると、萌えアニメが売れやすい時代なんですよね。
まどマギはとても売れたけど、絵は、ひだまりスケッチ書いた人だし、萌えに頼る状態は変えるほどにはならなかったと思います。今季、人気だった甘城ブリリアントパークもそうですし。というより、アニメ見る人たちも萌えに依存しているんですよね。一種、共依存の感じも受けました。
そんな中で、フラクタルの提示は良かったと思いますよ。
フリュネの設定は萌え好きな人にとっては、まさに好きの正反対になるようなものですし、藤津氏の指摘は間違ってはないと言えると思います。
ただ、業界批判だと言われていることについては、むしろ業界批評のほうが言葉が合うと思います。アニメ評論家の氷川氏もそこには触れています。
ただ、議論するに当たり、もう読んでいるのかもしれませんが、「フラクタル オフィシャルログブック」を読んだほうがフラクタルという作品の解明の一助になりますので。
たんたんたぬきさんの意見も読みましたが、自分としては、萌えアニメや日常系ばかり見ずにいろんなアニメを見て育ちましたが、最近は萌えばかりがあふれているので、いつのまにか気づかずに私たちは色眼鏡をかけていたり、表現を見ても咀嚼せずに見ているのかもしれません。
また、「だから?」と言っていますが、そのままあなたにお返しします。「このアニメ感動するなあ。」「だから?」「友情が熱くていいよな!」「だから?」こんなこと言っては白けるだけですよ。あなたの好きなアニメにもそのことが言えるのでは?
人間の慣れは怖いですね。私たちが生きるスピードが徐々に加速していることもありますがね。
難しい事抜きにしてコメさせて頂きます。1話をみて断念していた人に3~4話から観るようおすすめします。いろいろと酷評有りますが、この作品はちょっとだけ早かった名作アニメ又は不遇の名作、の部類に入るのかもしれません…。現実世界でも飛行船から監視したりする世の中ですし、ネットの氾濫、依存が進めばいつかはこうなる(なりつつある)と警告してくれている。他人とのふれあいの問題視等考えれば考えるほどスルメみたいな味わいのある良作ですので未視聴でしたら是非みてほしいです。ラストも戦いに勝利したから勧善懲悪でハッピーエンド!!…の様に簡単に終わらせない所も良かったと感じました。
いい忘れてましたが、アニメ業界への批判ではという指摘に対し、山本氏は否定しているようですよ。(山本氏の発言(ツイッターだったか)より。)
>>erimingoさんも、もうちょっと自論に自信持ったほうがいいですよ。この作品は確かに日本国内では商業的に失敗したと言えますが、海外ではそうとは言えない売り上げと人気を出しています。それに、erimingoさんや私のようにフラクタルを好きになった人もいたのですから、監督が「五人の敵を作っても、一人の人に愛されるなら私はそれでいい。」とも語っています。さらに、失敗の基準など明確ではないのですから、一概に失敗とは言えないでしょう。必ずしも多くの人に人気が出ればそれが成功とも言えませんし。
CHESSさんもコメントありがとうございます。CHESSさんのようにフラクタルは再評価されるべき作品と感じていた人が他にもいるのは、私にとって、とてもうれしいです!この作品をもっとネット上の意見に振り回されることなく、先入観をなくして中身をきちんと見て、表現の意味を考えて評価する人が増えるといいですね。
後、これは、アニメ業界への批評とみている意見ではないのですが、なかなかいいと思った意見をブログで見つけたので貼り付けておきます。フラクタルを経済学と社会学的に少し考察したブログです。
http://d.hatena.ne.jp/orangestar/touch/20140909/1410220705
>この荒涼たる世の中で,さん。
>CHESS,さん
書き込みありがとうございます。
1年ほどアニコレから離れており返信が遅れてしまいました。
少数民族ゆえ、フラクタル好きの方見つけられて嬉しいです。
オフィシャルログブックと円盤のオーディオコメンタリーは解釈にとても役立ちました。特にブックは単純な読み物としても面白かったので非常におすすめですね。
冷静にここの自分の文章見直しても、けんか気味な煽り文章が大変酷いもんだなぁと笑った次第です。
今見直しても、フラクタルは、難しい解釈や批評なんて考えなくても、時折入るさらっとしてギャグ・コメディーや牧歌的でかつSF感あふれる世界を見ているだけでも面白いアニメですね。美術も大変きれいだし、聖地であるアイルランドで非常に人気があるという事実も、アクマカンというイベントの報告などで知ってよくわかりました。二コ動で一挙放送とか、万が一やると決まったら、そこが再評価のチャンスかなと、今は思っています。わ
誤字が酷い..
>erimingoさん
返信ありがとうございます。
自分もフラクタルのネットでの評判がとても酷く、一時期は自分の意見は間違っているんじゃないかとも思ってしまいましたが、SNSでの海外の方のフラクタルへの好意的なコメントやCHESSさんやerimingoさんのような方がいてくれて、本当に嬉しいです。
フリュネのTOP画像を見たときはもしや・・・!と思ってしまいました。
同じアニメを好きな人を見つけたのがここまで嬉しいとは・・・。
>聖地であるアイルランドで非常に人気があるという事実も、アクマカンというイベントの報告などで知ってよくわかりました。
確かこの記事ですね。
http://irishnetworkjapan.blogspot.jp/2015/04/whats-craic-vol-402015-photo-by-rian.html
現地の日本人の方が書いたブログです。ネッサのコスプレをした方まで来るとはすごいですね。
>二コ動で一挙放送とか、万が一やると決まったら、そこが再評価のチャンスかなと、今は思っています。
Wake Up, Girls!(WUG)もこの前、ついに一挙放送したので、フラクタルでも是非してほしいですね。先入観なしで見れば、好意的に見てくれる人も増えてくれるはず・・・!
後は、WUGも人気が出てきているので、同じ監督作品同士なのでワグナーの方々に売り込むとか・・・。いっそ、山本監督作品一挙上映ということで、WUGだけじゃなく、かんなぎやblossomと一緒に放映するとか良いと思いますね。
アニメもそうだが、別に他人がどう思おうが自分には関係ない。
社会風刺だ業界風刺だってなったとしても、それがどうした?
アニメは楽しむもんだろ?
そういう見方があるよくらいで良いじゃないか。
好きに観させれよ
>私が重視してるのは、アニメ業界を暗喩したアニメを作ったら何が面白いの?です。良く出来てるね。だから???です。
ですね。すれぬしはアニメ業界を表現していることを評価しているみたいですけど、じゃあダイレクトにアニメ業界を書いたえーっとなんだっけ、最近の、あれ、えー、、、ああシロバコだ!シロバコとかが面白いかといえば全然面白くも見所もない、と私は思っているわけです。それと一緒ですよ。
>二コ動で一挙放送とか、万が一やると決まったら、そこが再評価のチャンスかな
再評価のチャンス?あなたが再評価を披露するチャンスという意味でしょうか?それとも世の中の評価が変わるチャンスという意味?
おそらく後者のつもりでいっているのでしょうが、世の中の評価が変わるとして、それがあなたとどう関係するのでしょうか?あなたは現在それなりの評価を自信をもって抱いているのなら、それでいいんじゃないですか?世の中のこの作品への評価の変化が何を生むというのでしょうか?
>アニメもそうだが、別に他人がどう思おうが自分には関係ない。
>好きに観させれよ
結局、24さんの意見につきますね
アニメ作品の傾向がどんどん変な方向にいっちゃっててこのままじゃ、なんとなくヤバいんじゃないのという実感があるからです、としか。
あとは日本語がよくわかんないですが、その通りなんだと思います。
>24さん
確かにその考えも間違ってはいないと思いますが、失礼ながら、「楽しめればいい。別に他人がどう思おうが自分には関係ない。」というのは、無関心、無責任ではないでしょうか?
なんの考えもせずに観るのはいけないとは思いませんが、何も無関心でただただ楽しめばいい、見れればいいというのもどうかと思います。
実際、その「楽しめればいい」という考えが、萌えアニメが多いアニメ業界の現状を作ってしまったのではないでしょうか?
もっと、作品の中でのキャラクターや背景、作画、伝えたいメッセージなども考えてみるのも楽しいですよ。
>>25さん
「世の中の評価が~(中略)~何を生むというのでしょうか?」
これは、erimingoさんへの問いかけのようですが、失礼ながら私も回答させてもらいます。
この作品の再評価を私が求める背景には、まず日本の現実世界やネット世界でのこの作品の地位はとても低いということにあります。しかも、その雰囲気がとても強大で、私はこの作品が好きだととても言いにくかったことがあります。事実、放映当時のSNSや掲示板への書き込み、ブログを見てもらえば分かりますが、好きということを言ったら、それをすぐ罵言雑言付きで否定されかねない状態でした。
ファンの数はかなりの少数。不穏な雰囲気。自分の考えを理解してくれない周囲。これだけでも、この作品を評価する人に対してのかなりの圧力を感じました。
25さんは、自分に自信を持っていればいいとおっしゃっていますが、圧力を受けた当事者としての私ですが、そんなのとても無理です。例えれば、会社で自分の提案してプランが上司にも部下にも認められず、家でも家族にも理解されない。といった状況でしょうか。この例えで分かっていただければ幸いです。
そうなると、次にどうするかといえば、自分と同じ立場の人を探すということに繋がり、自分の意見を認めてくれるよう求めていくことになるのです。
続き
また、再評価によって、世の中にどのような変化が起こるのかということですが、もしそうなったら、どういうものになるか私も
わかりません。しかし、よりグッズが作られるようになったり、さまざまなメディア媒体に出るようになったり、よりアニメファンではない、多くの人に知られるかもしれませんし、果てには、モデルともなったアイルランドへ、多くの人が聖地巡礼として行くかもしれません。少なくとも、何も変化がないということはないでしょう。
今それと気付きましたが、24さんのカキコミを読んだとき、ふと、フラクタルの作品世界に出てくる人達を思い出しました。恐らく、erimingoさんなら、この意味がわかるでしょう。
長文失礼しました。
WUGにでてくるスカイツリーって、存在がもうフラクタルの僧院にそっくりだ
WUGも"アイドル"っていう部分を"アニメ"に置き換えたらフラクタルみたいに業界表現というか自伝になるとこが多々あって笑ってしまった
ほんとにそういうのを意識して作ってるのかはわからないので肩身が狭いけれど、
ヤマカンさんってフラクタル作るときは間違いなくアニメ業界の表現を意識してたんですよね?あの牧歌的な世界観と映像みても、初見じゃそんなことやってるとは到底思えないから、WUGはフラクタルの続編説を提唱します(←アタマおかしい)
フラクタルが好きなWUGファンもフラクタルが嫌いな人も、
WUG青春の影を観ることをオススメ!劇場へGo!