プリキュア(声優目的ですが)を見てて哲学的分析をしていた際、言葉を真に受けないで考えた結果、絶望や希望なんて無いと感じてしまいました
皆さんの意見も聞きたいです
希望や絶望がある世界を信じますか?
少数ではありますが貴重な意見を挙げてくれて感謝します
特に「この世のことに意味なんてねえ」の台詞に印象が残りました
ここでまた意見を挙げますが、もし仮に絶望が無かったら戦う意味がないと思うのですがどうでしょうか
欲望のために戦う意味ってあるのでしょうか
また、「ひだまりスケッチ」や「みなみけ」等の争いが無い平和な世界におけるアニメでは希望や絶望等を関係づける必要がないと思いますが、それに関して意見はありますか?
「ひだまりスケッチ」や「みなみけ」等平和な世界における希望と絶望も分かりました。尚これらのアニメにおいて転校や恋仲の事情はありませんでした。
確かに何かしらの絶望を得たとしても平和な世界を崩さない範囲内で収まることは考えられますね
ということは絶望は言い換えれば「ちょっとした事件」とも言い換えられるんですね
これが大きくなるからバトル系列のアニメのコンセプトになるんだと思います
俺は平和な世界が舞台のアニメもいいですが、やっぱり戦をするアニメに惹かれます
希望や絶望が在る分、平和な世界が破壊されるのは仕方がないと思いますね
それは製作者の意図も含まれますから
では仮に絶望を「望みが絶える」という本来の意味ではなく
「絶対なる望み」として考えた場合、望みはまだ残っていると考えた方が妥当なのでしょうか?
敵側の望みに飲まれることも絶望と言い切れるのでしょうか?
欲望と欲望がぶつかったら何が起こるんですか?
バラルの呪詛…だと?
統一言語が失われて、人類の相互理解はまた遠のいたってわけか。
言葉の意味は公約数みたいなものだと言うのに、あえて素数を選び続ける…だと?
ならば教えてやろう。「絶望」の意味を。
それは、
「戦姫絶唱シンフォギアḠで、ナスターシャ教授に、あのはっぽこマリアさんの歌を『最後に残された希望』と言わしめるような状況」略して「絶望」である。
あの瞬間、majiで人類がowaru5秒前だった。
あれ?それとも、「翼先輩の絶壁」のことだっけ?
どちらにしても絶望の存在は証明できたな。(もしかしてマジの議論だったのならゴメン)
叶えたい望みがある時、欲望がある時、それは達成されるかどうかが問題になります。
できそうならチャンスがある、希望がある。そうでなければ希望はない、絶望である。
逆に希望や絶望がある世界とは望みや欲望がある世界といえるのではないでしょうか。当然それぞれの望みに対して可不可は別たれるものですから。
また、欲望が無いという場合は現状を維持したいという思いがきっとありますので、その思いが達成されるかされないか、で希望絶望の議論ができるのではないでしょうか。
絶対なる望みがあるとして、望みはあるのか?とはいまいちわかりませんが、敵の望みと自分の望みが相反するなら敵側の望みに飲まれることは絶望でしょう。
欲望と欲望がぶつかる=相反する望みであるなら、話し合いで解決、出来なければ争いになるでしょう。
結局、物語の主人公には多かれ少なかれ望みや欲望があって、それで話が進んで行くところがありますので、希望絶望は切っても切れない関係ではないでしょうか。
プリキュアにも平和な日常を守りたいという思いがありますので、希望絶望があると考えます。
また日常系のアニメにおいては現状で満足している、問題に対して可か不可かの分岐も少ないので希望絶望の有無はあいまいになっていますね。
[絶望先生]いわく「絶望した」。
彼の言葉には望みがあったというより、望まない現実が心に突き刺さったと解釈する方が自然で、シュールさがコミカルに描かれています。
(シュール=シュルレアリスム:超現実主義から派生してニュアンスだけになった日本の言葉)
言葉の意味を解けば、希望がある事を前提とした絶望ですが、全てが望みの上に存在するかと問えば、動物的な食欲さえも望みという事になります。
似たような話題としては「無償の愛」が存在しないという理論があります。
親が子を愛することでさえ、健康に育ってほしいなどいう願望があり、それは見返りを求める行為で無償とは呼べないと言われています。
人は言葉を話し意思疎通する生き物ですが、意思を言葉に求める前に、意思そのものが答えなのではないでしょうか。
まず現実社会において言えることは……
人類全体のなかで一人も希望をもっていないならそもそも「希望」という概念そのものが存在していないでしょう。「希望があるか?」質問してる時点でその概念が存在している世界なんですよね?
「アニメにおける希望」ってどういうこと?制作者の願い?主人公の願い?
誰視点の希望なのか。質問の意味がわかりません。