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レトスぺマン さんの感想・評価
4.0
物語 : 4.0
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
これはいうなれば文学そのものです
{netabare}本作の制作スタジオである「スタジオ・ファンタジア」は90〜00年代にかけて、特に美少女ジャンルの作品を多く手掛けていた。
そこには「トップをねらえ」「青空少女隊」「AIKa」「ナジカ電撃作戦」「ストラトス・フォー」など、SFメカ・お色気ジャンルといわれるもの。
そして「君が望む永遠」のような悲劇性のある作品もあり、美少女物の全体ジャンルへの発展に大きく寄与されてきた印象がある。
本作の原作は誰もが知る外国昔話の有名作「小公女セーラ」であるが、実際に表示される原作クレジットは「スタジオ・ファンタジア」となっている。
そこで一つの事実として挙げられるのは、制作スタジオの社名が原作としてクレジットされるのには、いわばそのスタジオのオリジナル作品という意味合いが強い。
しかしオリジナル作品とは逆説的にいえば、そのスタジオの社運を賭けた一大プロジェクトでもあったりするわけだ。
つまり、今まで手掛けてきた作品からの引用やそこから仕入れた技術的なノウハウをすべて継ぎ込むくらいのレベル的作品になりやすい傾向がある。
本作は残念ながらWOWOW枠での放送のみとなり限られた視聴者へしか当時は届かず、結果としてマイナーな知名度となってしまったが、
だからといってクオリティそのものは高く、もはや「スタジオ・ファンタジアの本当の意味での代表作」といえるものだと思う。
本作はユニオンとディーグと呼ばれる陣営に分かれて戦争中の世界観の中、
ユニオンに属する主人公セーラの兄ラルフがディーグに寝返るという衝撃的な展開からスタートする。
この時点で、視聴者を物語にグイグイ引き込ませようとする強い威力を感じた次第だ。
その後絶望的な世界観の中で主人公のセーラがどう再起を図っていくかが本作の見どころの一つであり、主人公への感情移入を否応がなくさせられることからして、物語の目的は明確になりやすい。
そして、本作の題名の中に「光」の文字が入っていたり、原作がハッピーエンドで終わるなどのイメージに頼るのであれば「なんとなくだがおそらく良い終わりを迎えてくれるだろう」といった期待感を持たせてくれる結果となり、
初見の人でも物語に入りやすくなる工夫がなされているわけだ。
そして、セーラはいままで所属していた軍とは別のバジオン総合戦術学校に所属するのだが、ここでセーラは凄惨な虐めを受けることになり、これは原作さながら非常に見ていてつらいものがある。
しかし、セーラの最大の味方となるロッティやメルチセデック・カアマイクルといったキャラクターはそのコミカルな性格やセリフの面白さから清涼剤的な役割があり、虐めシーンとの匙加減が実に巧妙でキャラクターがストーリーを引っ張っていく構成が実に見事である。
さらに個人的に特筆したいキャラクターがおり、それとはセーラに対して別ベクトル(?)で最大の味方であろう「ラヴィニア」さんのことである。
これに関していえば、本作のストーリーや登場人物のキャラクター相関は小公女セーラと大体類似したものとなっているが、特に「ラヴィニア」といえば原作においてセーラを虐める人物の代表としての認識である。
しかも物語終了の段階ですら全く改心がないためかアニメの歴史においても不人気ランキングトップ5に入るであろうキャラクターだ。
しかし、本作では全体にわたってギャグや百合要素を繰り出し、インパクトが強いことは共通してても原作とは180度違うものとなっているわけだ。
だから、本作は小公女セーラをベースとして大体それと類似しているもののやはり原作との差異はある。
そこから、原作と本作との違いを見つめながら楽しむ視聴方法もあり「原作と比べて若干本作のセーラは恵まれているかもしれない」だとか作中以外の面白さに対しても目線を広げることができ、視聴における楽しみ方に複数の選択肢があることは娯楽要素として120点を付けたくなる良さがある。
また、3DCGをふんだんに使ったバトルシーンは見ものである。
ここに関しては2003年にGONZOとの共作である「ストラトス・フォー」で魅せてくれた3Dメカ描写の発展形ともいえそうだが、色合いも鮮やかで見ている視聴者を飽きさせない。
また、バトルシーンもただただドーン!ガシャーン!的なもので終わらず、意味を見出そうとすれば深い描写を感じる部分もあった。
例えば、最終話はセーラと兄ラルフの真の再会、そして兄妹同士のストレイン直接対決となるがここでのバトルは2つのストレインが一定の距離を保つようなものではなく、相当な近距離戦として描かれているのが特徴である。
おそらく想像するに悲劇的な兄妹の再会そのものを示しているともいえそうだが、もう一つ付け加えるのならば最初の第一話のモノローグにてセーラと兄ラルフが別れ間際にダンスを踊るシーンが存在するのである。
つまり、最終話の戦闘シーンと最も最初のモノローグを共通項目化させており、【別れの悲劇】【再会の悲劇】双方を描くことで確かなドラマ性を生み出すことにも成功しているのである。
本作はストーリーの緩急や伏線回収劇も素晴らしいのだが、意味を見逃しがちなバトルシーンにも実際は意味がある要素を付加することで、より完成度の高いシナリオとして魅せていくための【最高級のフォロー】が行われているわけだ。
本作の欠点として多く言われている通り、ストーリーの構成やキャラクターの個性は良いが、そこへの掘り下げやキャラクターがそのような行動をすることに対しての根拠や動機の描写が甘いことが挙げられる。
もちろんこれは13話という短い制約の中で全部が全部描けなかったことが根本要因であると思われる。
しかし、視聴者の想像力や能動的な姿勢を以ってしてそれらを解釈しようとする上での補助材料が少なからず用意されていることは原作である小公女セーラと同じく文学としての価値に溢れるものだ。
様々な要素が取り入れられながらも物語の最終目的が明確となっている点はストーリーのテンポがよくなることに寄与していた。
そして少し脱線した目線で視聴してもアニメに慣れ親しんできた視聴者がこれまで感じてきた過去作品のオマージュの良い部分を感じとれることも素晴らしい。
我々が90〜00年代に娯楽として楽しんでいたSF・美少女・お色気。それらが辿りついた先にあったのは【文学】であった。
これが私の本作に対する感謝と評価である。{/netabare}
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