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「この世界の片隅に(アニメ映画)」

総合得点
83.0
感想・評価
702
棚に入れた
3110
ランキング
344
★★★★★ 4.2 (702)
物語
4.3
作画
4.2
声優
4.2
音楽
4.0
キャラ
4.2

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この世界の片隅にの感想・評価はどうでしたか?

ヴァッハ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7
物語 : 4.0 作画 : 3.5 声優 : 3.5 音楽 : 3.5 キャラ : 4.0 状態:観終わった

ただ単なる御涙頂戴とは違う

戦争が題材。

ですが暗さにばかり目を向けているのではなく、その中で前向きに生きている人の姿を描いています。

失う辛さや周りとの磨耗に疲弊しながらも前進する姿には勇気付けられます。

投稿 : 2019/08/15
閲覧 : 163
サンキュー:

10

いりす さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

自然に。

素晴らしい作品でした。
この一言でも十分かもしれない。

日本人ならば一度は見ておくべき、見ておかなかなければならない
作品だと思いました。

投稿 : 2019/08/15
閲覧 : 192
サンキュー:

10

ネタバレ

大重 さんの感想・評価

★★★★★ 4.4
物語 : 5.0 作画 : 4.5 声優 : 4.0 音楽 : 4.5 キャラ : 4.0 状態:観終わった

戦時の風景をただ淡々と描くだけの作品。それが美しい。

戦時中にはきっとどこにでもいたごく普通の少女が、ごく普通に結婚して、そして戦争という時代を駆け抜けた、きっとごく普通のお話。
ただそれを、こうもしっかりと描写したことで感動が生まれるのでしょうか。
とても美しい作品でした。素晴らしい。

戦争の辛さ、悲惨さは間違いなく戦争のもたらす悲劇です。でも、戦時でもみんな助け合い、たくましく生きていたのですよね。

とても感動的な素晴らしい物語でした。

投稿 : 2019/08/13
閲覧 : 184
サンキュー:

11

ネタバレ

teji さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0
物語 : 3.0 作画 : 3.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

かなり よかった 

かなり よかった 見ごたえあった・・
しかし 色々 考えさせられる 作品だった 
評価高いのもうなずける

投稿 : 2019/08/05
閲覧 : 214
サンキュー:

8

ネタバレ

HmFDB75691 さんの感想・評価

★★★★★ 4.3
物語 : 5.0 作画 : 4.0 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.5 状態:観終わった

伏線てんこ盛りの秀作

{netabare}
有名な作品なので、ある程度ストーリーはわかっていた。それでも見応えがあった。ときどき見せるすずのドジッぷりがいいアクセントになっていると思った。

とにかく伏線の多い作品だった。砂糖がなくなったとき、カブトムシが蜜を吸っているとか、わかりやすいのもあれば難しいのもある。伏線をチェックしたいのだけど、いい作品ほど何度も見ないようにしている。

この作品の重要な伏線は、座敷わらしだと思う。序盤で出てきた座敷わらしの正体は、すずが迷子になったときに会ったお姉さん。ネットの考察では、たいていここで終わっている。さらに、ここから深く考えてみる。

座敷わらしは家に幸せをもたらす存在。この物語では、ボロを着た女の子→座敷わらし→幸せをもたらす存在、となる。
ラストに、同様にボロを着た女の子が登場する。そして、すずたちに幸せをもたらしたことは言うまでもない。
つまり、序盤に登場した座敷わらしの伏線が、ラストで回収されているのだ。

こういった感じでいろいろ解釈できるアニメである。来年も放送するかもしれないから、そしたらまた考察してみたいと思う。
{/netabare}

投稿 : 2019/08/04
閲覧 : 333
サンキュー:

12

ネタバレ

ももも さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

日々をまっすぐ生きた人々の物語

第二次世界大戦末期を舞台に、ごく普通の日々を暮らしている少女「すず」の半生を描いた物語。
いい評判ばかり聞くので自分の中で結構ハードルが上がっていましたが、それを上回るくらいの素晴らしい作品でした。

個人的に戦争を扱った作品と聞くと、どうしても「メッセージ性だけが突出していて説教臭いんじゃないか?」という先入観があります。
この作品も普通の日常を送るすずに、避けようもない戦争の影が落ちてきたあたりからそういう警戒をしていたのですが、おそらく意識的にでしょう、あくまで大らかで朗らかなすずの視点がぶれることはありませんでした。
また、作中では何度もアメリカ軍からの空爆(空襲)が描かれますが、「鬼畜米英め!」のような戦争作品で頻出の表現は一切ありません。{netabare}アメリカ兵の姿が描かれるのは、終戦後に日本の子供にチョコレートを配っているシーンだけです。{/netabare}
親を、子供を、恋人を思い、日々を精一杯生きる。徹頭徹尾それだけが描かれます。
それだけに、後半{netabare}過酷な運命に押しつぶされてしまったすずのシーンはかなりくるものがありました。。{/netabare}。

視聴後の感覚は、かなりジャンルが違いますがメイドインアビスに似ているかもしれません。
一生懸命生きている人を見て身につまされ、自分も頑張ろうと思える作品です。
戦争の悲惨さももちろん描かれます。戦争は良くないよね、という当たり前の感情も少しは湧きます。しかし、それよりもタイトル通り「世界の片隅で」一生懸命生きている人たちの物語なんです。

おまけ。読んで面白かったので。
『この世界の片隅に』は宝――「実写以上に」戦時中の日常を描ききっている! 富野監督が片渕監督に伝えたかった言葉とは?【前編】
https://ddnavi.com/news/358610/a/

おまけ2。NHKでやってた記念。
片渕須直×細馬宏通トークセッション 「この世界の片隅に」の、そのまた片隅に(前編)
https://magazine.manba.co.jp/2017/02/27/special-konosekaitalk01/
このサイトはインタビューとか考察記事がやたら多いです。見応えあり。

投稿 : 2019/08/04
閲覧 : 301
サンキュー:

22

ネタバレ

退会済のユーザー さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0
物語 : 4.5 作画 : 3.5 声優 : 4.0 音楽 : 4.5 キャラ : 3.5 状態:観終わった

良い夫婦。

ステキな家族やな〜。
義姉も辛い立場やのに、すずちゃんにどこにおってもいいって言ってくれたの、めっちゃ感動したよ。
何もない時代に工夫して楽しく暮らそうとした人たち。見習いたいなぁ。本当に必要なものって、案外少ない。

投稿 : 2019/08/04
閲覧 : 173

たくと さんの感想・評価

★★★★★ 4.4
物語 : 4.5 作画 : 4.0 声優 : 4.5 音楽 : 4.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

とてもいい作品。長く名作と言われると思う。

見る機会は今までもあったんだけど、どうしても火垂るの墓がチラついて怖くて見れなかった。

でも見てよかった、とてもいい作品でした。

もう一回最初から見たい。

ほのぼので、でもリアルにこの時代の呉を描写してる。

辛い描写もあるんだけど、根底にずっとある明るさに救われた。

そして、どの時代でもみんな一生懸命生きていくのって、同じなんだなあって。

そして、主役の声の のん(能年玲奈)が今でもなぜ女優として評価が高いのかがわかった。
素朴で純朴だけど、きちんと気持ちが乗った、そして明るい演技力があるのを、この作品を通して知ってびっくりした。
いい女優さんだ。

投稿 : 2019/08/04
閲覧 : 223
サンキュー:

10

ネタバレ

アルジャーノン さんの感想・評価

★★★★★ 4.8
物語 : 4.5 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 4.5 キャラ : 5.0 状態:観終わった

戦争という切り口に見る、人生の一側面

第二次戦争、広島の、人々の生活にスポットを当てた映画です。

戦争映画は凄惨な描写が多く苦手ですが
Amazonプライムで観れるようになったのと、
上映中から評判が良さそうな印象だったので、視聴に至りました。


<戦争について>
まず、主人公のすずがおっとりして全体として人間性が柔らかいので、
戦争映画にしては平和で、物資がない中も強くたくましく楽しく生きる様はとても引き込まれます。
ただし、戦争が終戦に近づくにつれて、戦争の生々しい、恐ろしい描写が出てくるようになるので、怖かったです。
そこはきちんと身構えておくべきでした。
(グロイ描写自体はかなり控えてあります)
しかし、戦争の凄惨さ、恐怖を一国民からの視点で伝えており、そこは評価されるべき所なのだと感じました。


<すずについて>
おっとり、あまり難しいことは考えてない優しい性格なので、
戦時中のイメージがかなり柔らかなものに変わりました。
声優ののん(能年玲奈)さんの声がすごく合っています。
少女期の出会いが、嫁いだ後の人生にもかかわってきます。
ただ、すずに完全な清廉潔白なものを求めるのは違うのかな、と思います。
これが当時のリアルな人生の一つなのだと、そう思います。
知らない人に嫁いでいきなり知らない土地、知らない家族に囲まれていても、戦争に巻き込まれても、強くたくましく、優しく生きていてすごいと思いました。
小姑との関わりも好きでした。
小姑の娘との事件も、すずだから二人とも乗り越えたんだと感じました。
ラストもすずの優しさがよく出てて良かった。


<全体について>
すずの特技である、スケッチが物語の描写に重要な役割を果たしていたと思います。
作画も、すずのスケッチがそのまま動いているような、優しいタッチで見やすいです。
この映画を観て、戦争という切り口では様々な一側面が切り取られ、様々な人間の人生があるのだと教えられました。

涙なしには見れませんでした。
最後には、観てよかった、怖い部分もあったけど。それを乗り越えて幸せなような気持ちになりました。

投稿 : 2019/07/24
閲覧 : 274
サンキュー:

15

遊微々 さんの感想・評価

★★★★★ 4.7
物語 : 5.0 作画 : 4.5 声優 : 5.0 音楽 : 4.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

能年ちゃんめっちゃ上手いやん!!

戦時中の広島が舞台の作品。
戦争の悲惨さとその中で懸命に生きる人々とわずかな日常の幸福を丁寧に描写している。
戦争をテーマに扱う作品はどうしても雰囲気が暗く陰鬱になりがちに。反戦や戦時中の国内の政治に対するアンチテーゼが込められている場合が多いためである。しかし今作では戦時中の庶民の日常生活という部分をピックアップし、日々のちょっとした他愛ないやり取りや出来事などを明るくユニークに描いている点が他の戦争モノとは一線を画す。それだけに、突如としてして日々のわずかな幸せすらも奪う戦争の悲惨さがより際立つようになっており、しっかりと戦争に対するアンチテーゼも込められている。このあたりのアプローチの仕方に新鮮さを感じ、個人的に高評価をつけている。

主演には女優ののん(能年玲奈)が起用されている。この手のキャスティングは批判されがちなのだが、今作の彼女の演技はキャラと世界観に非常にマッチしており、今作で一番関心したポイントです。
あまちゃんで培った技術なのか訛りの演技は中々のもの、彼女のキャスティングで視聴渋ってる方は是非とも考えを改めて見ていただきたい作品です。

投稿 : 2019/06/26
閲覧 : 326
サンキュー:

24

tao_hiro さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6
物語 : 4.0 作画 : 3.0 声優 : 4.0 音楽 : 3.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

さようなら

<2019年6月13日追記>

12月20日(金)に公開予定の「拡張版」を応援するチームの
募集が始まりました。

応援チームに参加された方は、エンドロールにお名前が掲載
されます。

私はいろいろ考えて、応援チームには参加しないことにしました。
このレビューでの告知もこれを最後にしたいと思います。

2年以上の長きにわたりお付き合いいただき誠にありがとうござい
ました。

<2018年10月19日追記>

「拡張版」の公開が延期されました。

<2018年7月27日追記>

以前から噂となっていた「拡張版」の12月全国公開が発表されました。

「拡張版」とは、諸般の事情により本編から泣く泣くカットされたシーンを追加し、当初構想された形で公開されるものです。

正式タイトルは「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」です。

こちらもぜひご期待ください!!


・・・ところで、拡張版の公開を記念して、こぼれ話を一つ披露させていただきたいと思います。

私はクラウドファンディングに参加しました。その特典としてエンドロールに氏名が掲載されました。

ところが・・・なんと誤記されていたのです!

あはは、すずさんのあわてんぼう(笑)

__________________________________

『人生のひとこま。』

<2017年3月1日追記>

この作品の最大のテーマは、「日常を大切にする」という事だと思います。戦時中であれ、現代であれ、人々は様々な苦難に囲まれています。そのなかから、いかに幸せを見つけ出し、育て育むこと。それの営みが「日常」であることを教えてくれます。

余談ですが、英語で「日常」は「Slice of life」と表現されることがあります。「人生のひとこま。」って、ちょっと洒落てますよね。

さて、この作品を劇場で見終えた後、脳裏に浮かんだ詩を披露させていただくことで、全5回にわたる冗長なレビューをまとめさせていただきます。


「人生のひとこま。」

誰かが 泣く
誰かが 笑う
誰かが 怒る
誰かが 祈る

この世界の片隅に
いつのときでも・・・

ありがとうございました。
__________________________________

『豊かさとは?』

<2017年2月19日追記>

例えば、「裕福だけど不幸せな生活」と「貧しいけれど幸せな生活」ならば、どちらを選びますか?

ここで「裕福」とは「財産や収入がゆたかで生活に余裕があること」を意味します。「幸せ」とは「不平や不満が無く楽しいこと」を意味します。

私は迷わず「貧しいけれど幸せな生活」を選びます。

人間はモノの不足には耐えられても、ココロの不足には耐えられないように思えます。

この作品は戦時中が描かれています。物資は何でも不足している状態です。しかし主人公は、その物資不足を補うべくあれこれ工夫を凝らします。その工夫を楽しみます。たまにはドジを踏みますが、温かい家族のきずながそれを支えます。同じ貧乏の近所の方々とも支え合います。

それから70年経った現在で、貧困が問題となっています。さまざまな原因分析と対策が議論されています。しかし私はそれらは効果がないと考えています。

『心の豊かさ』とはなにか?を見つめなおす必要を感じています。
__________________________________

『健全な社会について考えてみた』

<2017年2月13日追記>

例えば、「毎年の戦死者が2万人で自殺者が0の社会」と「毎年の自殺者が2万人で戦死者が0の社会」とでは、どちらが”健全”な社会だと思いますか?(2万人という数字は、昨年の日本の自殺者数を基にしています)

どちらの社会も「平和な状態」とは言えないことは明らかですが、どっちがマシでしょうか?

私は迷わず自殺者0の社会を選びます。

戦死は「敵に殺された」という疑いようのない理由がありますから、ある意味、交通事故と同じでしょう。遺族や友人は心の整理が比較的つけやすいでしょう。(ちなみに昨年の交通事故死者数は3000人です)

しかし、自殺は「自ら死を選ぶ」という禁忌を犯すわけです。遺書や何らかの形で理由を遺す場合もあるでしょうが、なにぶん当人の心の中にしか本当の理由は遺されていないのですから、遺族や友人はやりきれないでしょう。そして、「あのとき助けてあげてたら」といった後悔の念に囚われるでしょう。

自殺者の多い社会は、戦死者の多い社会よりも、世の中に暗い影を落とすと思います。

また、自殺の原因は、当人だけでなく、家庭や職場などの環境にもあることが多いと思います。周囲の環境が当人の危険信号をいち早く察知し、適切な手を打つことが出来れば、自殺を食い止めることが出来たかもしれないケースは多いと思います。

この作品で描かれた家族や地域社会は、それができる社会であったように思えます。

実際、自殺死亡者数の年次推移をみると、昭和11年の15000人までは増加傾向を示していますが、昭和12年から戦時中まで減少傾向となっています(ただし戦時中につき資料に不備有)。

「戦争でいつ死ぬか分からないのに、わざわざ自分で死ぬ必要はない」という考えもあるでしょうが、私は社会が自殺希望者を思いとどまらせたのではないかと考えます。

私は「毎年の戦死者が2万人で自殺者が0の社会」のモデルである戦中の方が現代よりも人の心は「健全」だったと信じます。
________________________________________________________________
<2017年2月6日追記>

『戦争映画の復興』

色々な気持ちが交差してうまくまとまりませんので小分けにすることにしました。その第一弾です。

この作品、色々な賞を受賞し、各種メディアで取り上げられ、ネットでも多くの賞賛を頂いているのですが、私は「そんなに評価される作品かぁ?」と戸惑っています。クラウドファンディングに参加した人間としてはあるまじき感想ですが正直なものです。

戦争映画というジャンルは、本来、極限の状況における人間の姿を描く一大スペクタクルでした。光と闇、理性と感情、英知と無知、科学と精神、秩序と無秩序、勇気と卑怯、我儘と寛容、傲慢と卑屈、などのありとあらゆるテーマを取り扱う事ができました。

私が子供の頃の1970年代までは、そうしたバラエティーにとんだ作品たちが多く制作され、劇場やテレビで流れていました。この作品は、それらの作品と比べると、アニメ作品であることを覗けば特に目新しいものは見当たりません。もちろん、負けず劣らず良い作品ですが。

ところが、1980年代に入って、戦争映画というジャンルは一気に衰退します。原因は二つあると考えられます。

一つは娯楽の主役の座が映画からテレビに移ったことです。興行収入が減る中、製作費が高い戦争映画は避けられるようになりました。

もう一つは、70年代のムーブメントとして、ベトナム反戦・安保闘争・学園紛争・過激派闘争などを受け社会が左傾化したため、大東亜戦争観が変貌し、「反戦平和」をテーマとした作品が作られるようになったことです。これらの作品は、イデオロギー色が強く、エンターテイメント性に乏しく、興行成績は振るいませんでした。

2000年代に入ってから、若干のエンターテイメント性が感じられる作品が制作されるようになりましたが、「反戦平和」から抜け出すことはできないまま現在に至っています。

このため、若い人にとっては、戦争映画・アニメは「暗くて悲惨」というイメージになっているようです。

この作品は、イデオロギー色を極力排除できているように思えます。「何を訴えたかったのか良くわからなかった」といった感想がときおり見受けられるのがその証拠だと思います。

そして何よりも、劇場に足を運んでいただいたご年配の方やお子様たちが、上映中に何度も笑っていました。そして、すすり泣いていました。これこそエンターテイメントです。これは、80年代以降の戦争映画しか見たことない方々にとっては新鮮だったでしょう。そしてこれがヒットの一因だと思います。

この作品が「戦争映画の復興」への足掛かりとなることを強く期待します。それでこそクラウドファンディングに参加した甲斐があるというものです。

_______________________________________________________________
<2017年1月15日追記>

『Slice of life』

全国公開から遅れる事2ヶ月。やっとやっとやっと見る事が出来ました!
クラウドファンディングに参加した甲斐がある素晴らしい仕上がりでした。

色んな思いが渦巻き合って、納得できるレビューが書けません。
今はこの詩に思いを託したいと思います。


”Slice of life”

Somebody cry
Somebody smile
Somebody angry
Somebody pray
In a corner of this world
At any time.


お粗末さまでしたm(__)m

投稿 : 2019/06/13
閲覧 : 1774
サンキュー:

50

ネタバレ

HIRO さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

片渕須直監督のこの作品への熱い思いで火傷しちゃった(笑)。

こうの史代の同名漫画を原作とする片渕須直監督の2016年11月12日に公開されたアニメ映画です。

第二次世界大戦中の最中、広島市江波から呉に18歳で嫁いだ主人公すずの目を通し、戦時下で食料の調達もままならない苦しい状況にあっても生きる目的を失わず工夫を凝らして心豊かに生きる物語です。

 戦時中の結婚制度が男性の嫁にほしいという一言と家同士の話し合いだけで決まってしまい。女性の気持ちは考慮されていなくなおかつ嫁は家事を行う事と後継ぎを生む存在でしかなかったことがこと細かく描かれていて周作の姉、黒村晴美から家事でできないダメ嫁扱いを受けているシーンなどは、この時代の女性の扱いを「実家に帰ればいいのに・・・」と正直思ってしまった。すず自体も自分が妹より器量がわるいと認識していて誰よりも早く起き誰よりも遅く寝る姿に思わず涙ぐんでしまった。

 戦争が最も弱い立場の女性や子供を傷つけ、人の心までも殺してしまう残酷な行為であることを改めて認識させられました。又主人公すずの生命力に勇気づけられました。

 この作品は、片渕須直監督がこうの史代の同名漫画に惚れ込み映画化をする為に企画を映画製作会社に持ち込むが、「地味すぎる」、「ヒットの要素が見当たらない」という理由でスポンサーが見つからず、クラウドファンディングによって作られた作品ですが、結果は動員210万人累計興収27億円で2019年4月2日時点で上映中のロングランとなりました(笑)また19年12月に30分追加した『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』が上映予定。

主人公すす(のん)について:片渕須直監督はNHKの朝ドラ「あまちゃん」を観ていて主人公すすを能年玲奈に依頼すると決めていたがスタッフはレプロエンタテインメントと独立問題で揉めていた能年玲奈にすることに反対したが片渕須直監督はのんしか考えてなかったとのちに語っています。のんは決して器用な女優ではないが、作品にのめり込むタイプでセリフの情景が理解できないと片渕須直監督に何度も確認したそうです。今ではすずはのん以外に考えられない(笑)

音楽:コトリンゴさんのやさしい歌声がすずの日常ととてもマッチしてました。オープニングテーマ「悲しくてやりきれない」40年代のフォークソングが原曲ですが、ベストマッチです。主題歌「みぎてのうた」、エンディングテーマ「たんぽぽ」もよかった。

データ:
出演:のん、細谷佳正、稲葉菜月、尾身美詞、小野大輔、潘めぐみ、岩井七世、澁谷天外
監督・脚本:片渕須直
原作:こうの史代「この世界の片隅に」(双葉社刊)
企画:丸山正雄
監督補・画面構成:浦谷千恵
キャラクターデザイン・作画監督:松原秀典
音楽:コトリンゴ
プロデューサー:真木太郎
製作統括:GENCO
アニメーション制作:MAPPA
配給:東京テアトル
(c)こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会
公式サイト:konosekai.jp

投稿 : 2019/06/12
閲覧 : 284
サンキュー:

19

ネタバレ

たかぽん さんの感想・評価

★★★★★ 4.6
物語 : 5.0 作画 : 4.5 声優 : 5.0 音楽 : 4.5 キャラ : 4.0 状態:観終わった

ぜひ一度は見てほしい

漫画が原作だが、これはぜひアニメで、CMなしで一気に見てほしい。
戦争の恐ろしさが、等速で迫ってくるから。

すずさんを中心に、ゆったりと心地よく進む日常。
目にも優しい色合いと、美しい呉の自然。
テレビもケータイもない、素朴な人の生活リズムがそのまま感じられる。
戦争中でも、戦場ではない銃後の生活は、きっとこんな感じだったのだろう。

急に、普段眺めている山の向こうから、数えきれないほどの敵機が襲い来る。
姪が爆弾によって亡くなる。
広島に原爆が落ちる。

途切れずに進む時間の中で、これらのことが等速で淡々と過ぎていく。
それだけに戦争の恐ろしさが染みてくるし、「自分がこの立場だったら」と考えさせられる。

投稿 : 2019/05/20
閲覧 : 223
サンキュー:

11

ネタバレ

ジャスティン さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

今まで見た映画やアニメを通して一番素晴らしい作品

【視聴きっかけ】
実は、現在アニメを見ることが減ってきた感じもあったり
次回見たい作品がレンタル系だったのでその間に何か見れる
作品がないかなあと探していたときに
この神作を思い出しました。

見ていない時は「日本アニメーション関係の映画かあ」と思いながら
見ていましたw(そう思っていた俺自身を殴りたいです)

この神作を選ぶのに結構時間がかかってしまい、
「もうこの神作を見てしまって良いのだろうか?」と必死考えた結果
今回視聴することになりました。

【感想】
簡単にいうと 素晴らしいかったでは素晴らしすぎたが正しい

■世界観に圧倒
まずはこれ!実はたぐえんさんの動画でこの作品は紹介されていたので
あらすじ程度は知っている感じでしたが、実際にPVとか見ていなかったので
見た瞬間から衝撃的な世界観に引き込まれました。

理由としては、建物や道具関係そして、すずたちの喋り方が完全に
昔に戻れされたので、これは昔の話なんだ!と理解が出来ている

■1時間後から驚きの展開が!
実は最初の展開としてはすずがまだ幼い頃の話の展開で
どういう風に暮らしていて、どんな絵を描いていたのか?など
私生活の一部を少しずつ紹介していく感じでした。
このシーンを見ているからこそ中盤からの追い上げが素晴らしい
流石に私もこの幼い頃の話だけだったらここまで高く評価はしないですね

そう全ては1時間後あたりに起きる 戦争期間 です

幼い頃はまだ戦争に入る前というか、戦争になりそうだから
若い男性は兵として訓練に行っていました。

ですが、中盤からは本当の戦争。私たちが歴史の教科書で
学んだことがこの作品で全て描かれる。

戦争中の私生活を私の思っているより過酷でした。
無理やり起こされて、ずっと警報がなっていて
うるさい戦闘機が空で音が聞こえて
防空壕の中に逃げる。

もう本当にそのままに再現されている。

CLANNAD after story やKanon グリザイアの果実 しか
まだ泣いたことがなかったが、この作品は泣けたので是非見ていない方は是非

■良かった とは?
すずは「良かった」という言葉に違和感を抱いていましたね。
良かった?何が?と・・・

そう良かったことではない。
そもそも戦争を起こされた国が悪いのか・・・
相手側が悪いのか、訳の分からない世界ですよね

みんなが幸せになるってどんな辛いものを実感したような感じする
それだけ争わないと解決しないものなのか。

現代の私たちからすると戦争なんて体験もしたことないし、
平和ぼけをずっとしてきている。
そんな私たちが生きていくためには、どうするべきかを
本当によく考えさせられた。

今の時期に見れて本当に良かったと思います。

投稿 : 2019/05/17
閲覧 : 354
サンキュー:

28

既読です。 さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

人生初映画館で5回観賞。

当時TVのインタビューで

「9回観ましたー!」
「わたし13回目ー!」

とか言ってた人もいました。

で、私が何故5回も観たのか?

いまだによく解らないんです。
解らないけど観てる感じです。

スマホに入れているので
海外に行ったら大抵観てますね。

私はこれと「君の名は。」があれば、
ホームシックになっても大丈夫みたいです。

投稿 : 2019/05/05
閲覧 : 228
サンキュー:

19

ネタバレ

しゅりー さんの感想・評価

★★★★★ 4.5
物語 : 5.0 作画 : 4.5 声優 : 4.0 音楽 : 4.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

家族の顔が見たくなるアニメ

2016年11月公開のこの映画は現在はほぼ単館上映にはなりましたが
2019年5月も劇場公開を続けており先日連続上映900日を超えたようです。
それでもお客さんが入っていることが凄まじい。

監督:片渕須直さんは「マイマイ新子と千年の魔法」などの劇場アニメ
「BLACK LAGOON」などのTVアニメやゲーム:エースコンバット4や5、7の
脚本など様々なお仕事をされている方です。


物語は戦前の広島、江波に暮らす少女、浦野すずが
呉で生まれ育った北條周作という青年と出会い、嫁入りして
日常を過ごしていくものです。
嫁入りの時点で太平洋戦争がはじまっている時世ですので
戦争の中の日常が焦点になっていきます。


本作の秀でた点を一つ言うとその緻密な設定があります。
それは主要登場人物やモブのキャラなどを含めた
登場キャラクターの人物像から当時の街並み、文化、
描かれる各日付の天候や出来事まで、2016年までの間に
聞き込みや資料から確認ができる事実を可能な限り
物語に盛り込んで描かれているようであるということです。

そうした事実を盛り込んだ物語が淡いタッチの作画、
コトリンゴさんの優しい楽曲と自然な広島の方言の演技とで
日常の尊さを感じさせながら史実の凄まじい説得力を持って描かれます。
本編は笑顔で観ることができる部分もありますが、
戦争が進む中で人々の暮らしがどんどん困難に、悲惨になっていく様が
大きなギャップを持って描かれます。
特に昭和20年の物語はとても重く視聴には覚悟が必要です。


最後まで視聴すると本当に悲しい気分にもなりますが、
それだからこそ家族で笑って生きていくことが
どれだけ大切かということを感じずにはいられませんでした。
2016年の公開当時にはじめて映画館に観に行った時には
早く家族の顔が見たくて家路を急いだことをよく覚えています。


太平洋戦争が当時を暮らした人々にとってどんな物だったか、
それを感じることができる点において学校の教材にしてもよい
説得力を持ったアニメですので、戦争の時代の物語に
大きな抵抗のない方には一度観てほしい名作と断言できます。

今後こうの史代さんの原作にあったエピソードを足した
長尺版が公開されるとのことですので、
長尺版の公開前にはまた見返してみたいですね。

投稿 : 2019/05/01
閲覧 : 203
サンキュー:

9

退会済のユーザー さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0
物語 : 3.0 作画 : 3.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

日本人として1度は見るべき。ただ·····しんどい

評価も難しすぎる。
なんというか...1度は見るべきと書いているけれども誤解を恐れずに言うと2度は見たくない。

夫婦。
今と昔はどちらが良いのでしょうかね?
考えさせられることは多いです。
でも生まれる思考はどれも重い。

見るべきだけれど沈んだ気持ちのときは視聴すべきではないと思います。心に余裕をもって、そして苦しんでください。

投稿 : 2019/04/17
閲覧 : 264

KKK さんの感想・評価

★★★★★ 4.9
物語 : 5.0 作画 : 4.5 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:----

一度は見たほうが良いアニメ

ほんとに泣けた。
音楽、BGM良い。
考えさせられた。
見るべき。いや、見なさい。

投稿 : 2019/04/16
閲覧 : 305
サンキュー:

8

ダビデ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.5
物語 : 4.0 作画 : 3.0 声優 : 4.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.5 状態:観終わった

何を感じれば良いのだろうか。

シンガポール航空の飛行機に乗った際、機内の視聴ビデオにあったので、視聴。
シンガポール航空の機内っていうことだったので、「この物語はシンガポールの人の視点からはどのような物語に映るのでしょうか?」っていうのが一番の感想でした。

現実世界の現実設定の、史実に沿った物語。
西暦でのカウントと地理的要素と前提の知識が呼応していく物語でした。

生の事実というのは、当然、真実一つしかないのだけれども、その事実を覚知した者の数だけ、事実として存在していくわけで、戦争から何十年も経って、より、一層、真実がどのようなものであるか、無数の解釈が存在していっていて、議論がされたり、対立していると思います。
そのようなことを感じたり、考えずに、ただ単に、あの時代に、ただ幸せに暮らしたかった人が、戦争のせいで、幸せに暮らせなかったという物語という解釈で良いのでしょうかね。

投稿 : 2019/04/03
閲覧 : 294
サンキュー:

16

ネタバレ

東アジア親日武装戦線 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8
物語 : 3.0 作画 : 4.0 声優 : 4.5 音楽 : 3.5 キャラ : 4.0 状態:観終わった

日常のレトリックに覆われたアンビバレントな交錯

考察、専門用語あり。
難易度中。

本作は初回を劇場で鑑賞。
その後、マスコミで騒がれたからか、妻も観たいという要望がありiTunesストアでビデオを購入した。
つまり、いつでも鑑賞可能な状態にある。

☆制作情報

▼原作者:こうの史代
▼アニメーション制作:MAPPA

▼話数:劇場版129分
{netabare}▼監督:片渕須直
・実績
(監督)
『名犬ラッシー 』『BLACK LAGOON』『この星の上に』『アリーテ姫』ほか
▼脚本:片渕須直
▼キャラクターデザイン/作画監督:松原秀典
・実績
(キャラクターデザイン)
『サクラ大戦TV』『ああっ女神さまっシリーズ』『巌窟王』ほか
▼音楽関係
音楽:コトリンゴ
主題歌「みぎてのうた」(コトリンゴ)
オープニングテーマ「悲しくてやりきれない」(コトリンゴ)
エンディングテーマ「たんぽぽ」(コトリンゴ)
▼CAST(略)
北條すずcvのん
北條周作cv細谷佳正
水原哲cv小野大輔
黒村径子cv尾身美詞
黒村晴美cv稲葉菜月
浦野すみcv潘めぐみ
ほか{/netabare}

【物語】
《反戦とシナリオに潜む唯物史観》
本作はあにこれに限らず、既に多くの場所で様々な評価をがされているが、未だに「反戦」であるとか否かという論争もあるようだ。
本作において「反戦」をメッセージの一つとしていることは、鑑賞をすれば一目瞭然だろう。
メディア作品は「印象」が全てであり、多くの方々が「すず」に共感や同情をしつつも、けっして同じ時代で同じ境遇を送りたいとは思わないだろう。
そう思った時点で本作の「反戦」メッセージはあなたに届いているのだ。

本作が今までの反戦作品と異なっているのは、唯物史観(自虐史観)の教条に満ちたイデオロギーが過去作(はだしのゲンなど)と比して、プロットで日常バイアスをかけることで反戦メッセージの希釈化とエンタメ指向を高め、鑑賞者に対し導入のハードル下げる誘導を行うなど、独特の印象操作により「反戦」がレトリックされている点であろう。

私はここで本作が「反戦」であるか否かのロジックを立ててまで分析をする気はない。
既に左翼は本作を反戦作品と認めているからだ。
左翼ネットメディアの「LITERA(リテラ)」の記事が的を射た左翼の代弁をしているので紹介する。

『この世界の片隅に』に「反戦じゃないからいい」の評価はおかしい! “戦争”をめぐる価値観の転倒が
https://lite-ra.com/2016/11/post-2722_3.html
(引用)
>「反戦じゃないからいい」とうそぶいている人たちにも、この映画は、確実に戦争への恐怖を刻み込んでいるだろう。

私は理系であるゆえに帰納的に観測される他の方々のレビューに記述されている事後評価と「LITERA」の主張を照合することで、概ねその主張は実態に即していると結論している。

何も難しく考えることはない。
本作が「反戦」であれば、そのように素直に認めればいいのだ。
あとは鑑賞者が「戦争」をどう考えるのかに委ねればよい。
そこで表明された意見こそが、その人の思想の発露なのであり、その意味で本作はリトマス試験紙の役割も兼ねているのだ。

{netabare}まず、今まで我が国で製作された戦争関連のメディア作品は程度の差こそあれ、ほとんどは「反戦」と考えていい。
実際、1980年代まで監督クラスはマルクス第一世代であり、制作現場には戦争体験者が多くいた。
また、観客にも戦争体験者が多かった時代でもあり、実体験した戦争の正体(残虐、非人道的)をしっかり伝えないと共感が得られない時代でもあった。
おそらく、作り手も観客も戦争体験者であった時代は「思想」の問題ではなく「経験の共感」が大切であったのだろう。
しかし、現代は作り手も観客も大東亜戦争のことは知らない世代であり、戦争を伝えるにはどうしてもイデオロギーを用いざるを得ないのである。
そして、その当時の戦争作品に関する製作の土台が世代交代を経た現在においてもフォーマットとして生きていても不思議ではない。

我が国で製作される戦争映画は史的事実においても、どうしても「反戦」となる運命である。
また、戦時中に製作された『陸軍』(1944 火野葦平原作 木下惠介監督 松竹)でさえ一瞬反戦作品ではないかと紛うほど戦争賛美とはほど遠く、悲壮感を全面に押し出した作風であった。
どのような意図で脚本を書いても、ハリウッド作品のような記号性を強調し実在論に立脚した表現とは真逆な、隠喩、暗喩を多用し露骨な表現を避ける日本映画の様式美は「戦争賛美」とは相性が悪いのではなかろうか。

参考として、戦後、日米両軍をそれぞれの視点で初めて一つの作品とした『トラ・トラ・トラ!』(1970 日米合作 20th Century Fox)を観た当時の観客は熱狂した。
この群衆心理は更に深い考察が必要なのだが、今までの日本映画では見られない圧倒的な戦闘アクションと自虐に走る日本映画の鬱屈した描写に不満を抱いていた大衆が、真珠湾に停泊する米艦船を次々と撃破していくシーンに敗戦で失った自尊心を回復する爽快感に浸ったのではなかろうか。
好戦的作品でも否定をしない、日本人が戦争に想うセンシティブな感情がこの作品の評価に現れていると思う。

また、ハリウッドで米国が負ける作品が製作されたのもこの作品が最初だが、我が国で戦争賛美のメディア作品を製作すれば非難轟々だろうが、その後の『地獄の黙示録』(1980 ゾエトロープ F.コッポラ監督)を始め、米国では様々な価値観のメディア作品の製作がされる懐の深さに驚嘆したとともに、自由主義が地に着いている印象を受けたものだ。

ゆえに、戦時国策映画であっても戦争に懐疑的な姿勢を示す表現手法の伝統を踏まえれば、作品の反戦性を論う批判はさして建設的ではなく、寧ろイデオロギー的な反戦メッセージに無防備に引きずり込まれないよう受け手(鑑賞者)の思想的準備が重要なのである。
そこがしっかりとしていれば、以下で紹介する五味川作品であれ、日本映画の反戦作品としては最高傑作とも評される『軍旗はためく下に』(1972 結城昌治原作、深作欣二監督 東宝)であれメッセージにワンクッション置いて「反戦」とは何かの「哲学」の深化に至るプロセス過程で戦争と向かい合う姿勢が決まるのであろうと思う。
なお、『軍旗はためく下に』は精神的ブラクラを伴うカニバリズム作品でもあり、鑑賞には相当の覚悟を要する。

ここで戦史系の話題を振ればレビューは良い感じに埋まるのだが、今回は公開から時間が経過したこともあり、やめておこう。

さて、本作の場合、前述した『はだしのゲン』(1983 中沢啓治原作 真崎守監督 ゲンプロダクション マッドハウス)(1986 中沢啓治原作 平田敏夫監督 ゲンプロダクション マッドハウス)や『火垂るの墓』(1988 野坂昭如原作 高畑勲監督 スタジオジブリ)に代表される反戦アニメと比較するのは妥当ではない。
『はだしのゲン』は原作者自身が被爆体験者でもあり、原爆の地獄絵図を体験した方の訴求には大きな説得力がある反面、原作者が共産主義に傾倒した刹那、被爆体験から反戦反核《プロパガンダ》へと大きく変節をし、あまつさえ反日にさえ利用された顚末もある。
本作が中国や韓国での評価が芳しくないのは周知の事実であるので、国内の反日左翼のみならず、特アにも反日利用をされた『はだしのゲン』と同じ土俵には出来ない。

『火垂るの墓』は奇しくも左派の宮崎監督の「物足りない」批判が有名であるので批評は割愛するが、それ以前に設定が稚拙であり、精密な考証を為している本作と同じ土俵で論じるのは難がある。

右派の支持が高い『艦隊これくしょん』(TV版)について一言述べる。
左派からは歴史修正だの戦争賛美アニメとも批判されているが、思想以前に英霊を馬鹿にした戦争揶揄アニメと評した方が正確であろう。
この作品を企画した製作委員会の面々は、頭を丸めて靖国神社の社殿に向かって土下座をしろといいたい気持ちだ。

したがって、本作物語における比較対象は映画ないしはドラマとなる。

正直、本作なぜこれほどまで注目を浴びているのか私には理解が出来ない。
戦時中の日常や「すず」の生き方に共感を覚えるのはいいが、他に戦時中の日常を描写したドラマや映画、小説に出会ったことがないのか?とさえ思う。

実際、戦時中の日常と戦争を投射した映画、ドラマ作品は数多く存在する。
特に1970年代のNHK朝の連続テレビ小説でも多く取り上げられているテーマでもあり、現在放送中の『まんぷく』も戦時中の日常と戦争と向き合う作品だ。
かつての『藍より青く』(1972)『鳩子の海』(1974)が本作のコンセプションとかなり近い内容であるが、こういう作品を観てきた私にとって本作は、アニメーションでこれらを焼き直したに過ぎない感覚なのである。

以前『ZEPO』のレビューでも述べたことだが、明確な反戦(反核)プロパガンダでもない限り、テーマが反戦であるなり、発するメッセージがストレートでしっかり伝わる反戦作品については思想信条を問わず作品としてのレベルを評価する旨述べた。
しかし、本作は様々な賞を受賞している経緯もあり、いわゆるプロの評論家から【反戦】ではないとの声に相当捻じ曲げられてもおり、それが※外化して一般のレビュー評価のマクロ的な結果にも影響をしているようである。
※外部からの干渉を自己想念の結果であると錯覚する態様。(哲学・心理学)
※外化の手段はドグマである。

正直、外部評価と私の感覚にこれほどまでに差異が生じるのは珍しいことである。
その理由として考えられることを箇条書きとしてみる。

①私は戦記を含め戦前、戦時中に関する書籍や映像作品を大量に読み、観ていることから、一般の方よりも醒めた目で本作を捉えている。

②両親を含め私が子供の時分の周囲の大人には戦争体験者が多く存命をしており、戦時中の食料衣料の生活事情、艦砲射撃や空襲の恐怖をはじめ前線の武勇伝や玉砕の刹那と捕虜生活、大和特攻の坊ノ岬沖海戦の生き残り(乗務艦「雪風」)まで、相当数の体験談を意図せずともに聞いている。
特に広島の原爆関連は叔父と親交があり、当時、広島に司令部があった第2総軍で被爆した総軍参謀副長(元参謀本部第1部長[作戦]元陸軍省軍務局長)真田穣一郎少将の御遺族から手記やお話しを伺う機会があったが、大東亜戦争の実像を知る参謀本部、陸軍省の要職を経験している高級軍人視点の体験は『戦史叢書』と同等とも言える圧巻であった。
少将御自身が存命で直接語りを聞くことが叶えば、更に感慨が深かったであったろう。(伺った話しは御遺族の意向で一切公表出来ないが、近代史、戦争関連作品の評価には活かしている。)

③日常というバイアスをかけて、反戦メッセージを刷り込んでくるあざとさに抵抗を感じると同時に朝の連続テレビ小説のようなホームドラマ的軽薄さも感じる。

④反戦作品の大御所『人間の条件』(1959-1961 五味川純平原作 小林正樹監督 松竹)や『戦争と人間』(1970 五味川純平原作 山本薩夫監督 日活)から比べて世界観、テーマが稚拙であり中途半端である。
両作品とも群像劇の構成であるが、戦争により日常が破壊されていく描写は重厚かつ心の奥底を抉るプロフィットファクターに満ちており、残念ながら本作はまだ追いついていない。

#1史的唯物論とは
本作のレビューでは「史的唯物論」や「唯物史観」の表現を用いた内容が多いので簡単に説明する。
史的唯物論とは『ドイツ・イデオロギー』(1848 カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルス共著)で著された共産主義の正当性を示す原理的な考え方だ。
「ダーウィンが生物界の発展法則を発見したように、マルクスは、人間の歴史の発展法則を発見した。・・・人間はなによりもまず飲み、食い、住み、着なければならないのっであって、しかるのちに政治や科学や芸術や宗教等々にたずさわることができるのだ。」(1983 マルクスの葬儀におけるエンゲルスの弔辞より)。

『若おかみは小学生!(劇場版)』で高坂監督の公式でコメントでも触れたが、エンゲルスの弔辞で示されているように、マルクスの世界観は「労働(生産活動≒経済活動)[下部構造]が政治、科学、芸術、宗教等の社会活動[上部構造]を規定する。」における二元世界観は発展的に進化する法則に支配されるとした考え方で、共産革命は進化の過程での必然とした【暴力革命】正当化の絶対的根拠である。

また、史的唯物論はマルクスの二元論的世界観と、進化論をイデオロギー化したダーウイニズムとで構成され、その立場で歴史を論じたものである。
古くは『資本論』から日共の活動方針、最近の新左翼や中国共産党の政治理論など、共産主義の全ての領域において基礎となる最重要理論である。
なお、よく勘違いされることだが、史的唯物論は唯物的弁証法で導いた結果ではない。
唯物的弁証法の理論体系は20世紀に入ってからレーニン語録と合わせてソ連で整理されたものであり、今日の学問の一つ社会科学の始祖ともなる。
つまり、史的唯物論に弁証法的根拠を付したのは後付けの理屈であり、共産主義が如何にいい加減で適当なものであるかはここでも分かる。

史的唯物論で重要なことは【革命の為の歴史観を構築】することにあり、全ては反革命的既存概念を「批判」で「倒置」して結論(規定)することにある。
さて『資本論』のサブタイトルは「経済学批判」であることに注目して頂きたい。
マルクスはアダム・スミスから連なる古典資本主義経済学を史的唯物論と弁証法を駆使した「批判的弁証」から「剰余価値説Δd」を導き出して資本主義の正体は「搾取」とし共産革命の必然並びに正当化と、資本主義の崩壊を著したものであるが、吟味をすれば元ネタである古典経済学を延々と屁理屈を並べたてて「倒置」しただけの内容でもある。
なお、史的唯物論をベースに弁証法で倒置するスタイルが、唯物的弁証法の基礎構造でもある。
※哲学における批判と一般で通用される批判は意味が異なるので注意。

上記を踏まえ、「自虐史観」ないしは「東京裁判史観」が「唯物史観」と評されるのは、倒置の元ネタが「皇国史観」であることに由来する。
「皇国史観」とは「天皇機関説」批判から生じた「國體明徴運動」を端とする国史の再定義により『國體の本義』(1937 文部省)で同定された国史解釈の俗称である。
戦前、国史の権威であった平泉澄文学博士を頂点とする国史学派により、他の歴史学派が在野に放逐された経緯がある。
終戦で平泉博士が失脚するとウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)におけるGHQの占領方針の下、反平泉派の左派歴史学者や日本共産党が中心となって皇国史観の全否定を行った際に用いられた手法が史的唯物論による倒置であり、これが史観としてイデオロギー化した経緯があることから【自虐史観、東京裁判史観=唯物史観】と評されている。

特ア(中国、韓国、北朝鮮)や左派、左翼が金切り声を上げて批判する「歴史修正主義」(左翼造語)とは「自虐、東京裁判史観」のイデオロギーからの脱却を目指す行為なのだが、そもそも「史観」とは史的事実の解釈であり、史的事実そのものは変更のしようがない。
特アや左派、左翼にとって日本国民が「自虐、東京裁判史観」に束縛されている方が都合が良いから「史観」の見直しを進める我々保守派に対しての警戒が、造語まで用いて連中を必死にさせるのであろう。

なお、史観歴史とは東南アジアの一部と東アジアで用いられる歴史教育だが、欧米では事実関係を重視した史学が一般的な歴史教育である。
自由主義国の我が国において、かつて日教組主導で進められた小学生からイデオロギーを刷り込む史観歴史教育は百害あって一理なしであり、政府は一刻も早く改めるべきだろう。

#2本作における唯物史観に関する考察
#1を踏まえ、五味川作品は唯物史観で描写される世界だが、本作も思想鑑別を進めれば「すず」という一つの観念体が戦争という一種の生産活動(唯物)へ概念の外化が図られ倒置的に描かれる世界観を構築している。
ゆえに、史的唯物論の応用であることが浮き出てくる
考察全文を掲載すると文字数オーバーのペナルティを受けるため、ポイントのみ記す。
本作での戦争=生産は呉軍港に停泊する各種軍艦の存在と「すず目線の観測」が唯物メタファーの一つとなる。
また、物議を醸している太極旗の描写だが、この話は長くなるのでメタファーの意味のみとする。
本作の太極旗は戦前日本が歩んできた道程(左派、左翼が主張するところの侵略)に対する批判メタファーと捉えられるだろう。
8月15日に実際に呉市内で太極旗が掲揚された事実はないようであり、原作者の想いから察するに太極旗=プロレタリアート(抑圧の対象)の解放のメタファーとして考える方が道筋として整合する。

戦争がある観念(本作の場合はすずの目を通した戦時中の日常とすずの思考傾向)と密接な関係にある場合、戦争(生産と支配層たるブルジョアジーの暗喩)と人間(被支配層、プロレタリアート的立ち位置)の関係を異状と正常のアシトノメタイジア(換称)に写像させて唯物と観念の二項対立の構図を連立することで、テーゼ(平和な日常)アンチテーゼ(戦争と破壊)ジンテーゼ(過去の過ちと再生)からなる弁証構造と、玉音は天皇陛下(左翼が認識するところのブルジョアジーの代表)を隠喩し、8月15日を境に太極旗を用いた弁証を繰り返すことで倒置させる【批判弁証】の流れが観測される。

大きな観測点として、時限爆弾で右腕と姪のを失った後、やさぐれて行く「すず」を克明に描写しつつ、玉音放送後の「すず」の豹変を導きくことでアウフヘーベンに到達する。
「すず」が自分の右手の歴史を自問自答描写こそが、平和な日常と戦争の悲惨を対話で定立する弁証過程である。
玉音放送された「大東亜戦争終結ノ詔書」(・・茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク)は形式的には天皇大権に基づく臣民(国民)に対する命令である。
「すず」の怒りの心理描写は他のレビュアーさんが行っているのでお任せして、政治的な意味に着眼すると天皇陛下の命令に抗っている態度となる。
この表現を考察すると原作者(戦争を推進した)権力を妄信してはいけないと「すず」を通して訴えている政治的メッセージが読み取れるだろう。

物語は唯物化された戦争という大きなうねりのなかで「すず」の精神性が左右されるという構図であることからも、史的唯物論に立脚した弁証構造であることは明白である。
本作で展開される唯物的弁証は玉音放送から隠喩を導くことで、歴史の運動性が根底にあることも読解出来ることから、紛うことなく史的唯物論が基軸であると結論づけられる。
更に史的唯物論がセリフと視覚を通して外化し、唯物史観(イデオロギー)のドグマが形成されメッセージへと変幻する。
ゆえに、戦争が唯物とブルジョアジーの二重構造であり、プロレタリアート解放という階級闘争の動態とセットである五味川作品との比較対象を満足する。{/netabare}

《物語まとめ》
{netabare}五味川作品と本作の相違店
・五味川作品(20世紀の反戦作品の代表として)
→満洲、ノモンハンでソ連軍に敗北する帝国陸軍を象徴的に描写。
デストピア(戦前戦中の日本)→解放→ユートピア(共産主義社会)
・本作(21世紀の反戦作品)
→原爆投下、呉空襲など帝国海軍の衰退と非戦闘員にも及ぶ米軍の攻撃を象徴的に描写。
デストピア(戦中の日本)→解放→ユートピア(自虐、東京裁判史観を是とする現代の日本社会の維持)

20世紀の反戦作品は理想を共産主義に求めているが故に、1945年以前の日本を全否定しているが、共産主義(マルクス=レーニン主義)が廃れた21世紀の本作における否定の対象は戦中の日本(戦争状態)であり、理想はひたすら軍事を否定する9条を信じる現代日本とそれを支持する国民感情の維持である。
空襲で犠牲となるのは社会的弱者である子供(晴美)であることを強調、軍港内を模写した「すず」をスパイ行為であると咎めにきた憲兵からは戦中は自由が制限された暗黒の時代であるとのメッセージから9条の廃止、変更は戦中に戻るという左派、左翼の主張への同調が読み取れ、暗に憲法改正を牽制をしていることから社会風刺の目的も含まれる作品といえる。
※「すず」が憲兵に詰問された根拠法令は「要塞地帯法」及び「軍機保護法」であり、戦時平時を問わずに適用される。解説等の一部で「治安維持法」と錯誤しているケースが多いので明確にしておく。

在野では片渕監督の言質から反戦を炙りだそうとしている試みも散見されるが、作品において唯物史観が成立している以上その必要はないだろう。{/netabare}

以上、本作を手放しで評価はできない理由は上記に集約される。
反原発の『みつあみの神様』のように、反戦アニメでも是非私を唸らせる作品に巡り会いたいと思う。
映画で出来ることはアニメでも可能なはずだ。
したがって、評価の分母が時代とその背景をより精密に描写し、隙がない反戦メッセージを発している五味川作品であるので、低評価となることは悪く思わないでいただきたい。

なお、五味川作品も本作も敵視をしているのは「ある時代の日本」である点が共通である。
本作が従前の反戦作品のフレームに囚われず、自分達の生命を狙った「米国」を批判対象としたなら、最大限の賛辞を捧げたであろう。

『トラ・トラ・トラ!』でも述べたが映像メディアは政治ではないのだから自由なのだ。
言論、表現は旧弊や政治に囚われず自由闊達に行うべきであり、原爆も空襲も本来怒りをぶつける相手は「米国」ではなかろうか。

我が国では「ポツダム宣言」に基づき戦争犯罪者を「平和に対する罪(A級戦犯)」(事後法遡及適用)、「通常の戦争犯罪(B級戦犯)」戦時国際法違反、「人道に対する罪(C級戦犯)」(事後法遡及適用)を処罰の対象とされた経緯がある。
なお、極東国際軍事裁判ではC級戦犯の訴追事実はない。
「人道に対する罪」はニュルンベルク裁判においてナチスによるユダヤ人絶滅(ジュノサイド)を裁く目的で設けられた事後法である。

大日本帝国時代をことさら悪のように強調する目的で朝日、毎日等の左派の報道そして日共のプロパガンダではBC級戦犯という表現を使用し、悪意あるミスリードで自虐史観の刷り込みを誘う作為的な誤りであり、C級戦犯判決の事実は存在しないことを強調しておく。
極東国際軍事裁判の話しをすれば長くなるので、ここでは必要なことだけを記す。

まず、裁かれたのは全て第二次世界大戦の敗戦国であり、裁いたのは戦勝国であることを再認識して頂きたい。
要するに、戦勝国の戦争犯罪は裁きたくても裁けない状況下にあったのである。
ここで問題にするのは、米軍による原爆投下を含む日本本土空襲である。
我が国が受けた空襲は全て軍事目標だけであったのだろうか。
否である。

1945年3月10日の下町一帯を目標とした東京空襲をはじめ、原爆投下を含めほとんどの空襲は軍事目標とはいえない地域を対象に行われた。
これは、大東亜戦争時に有効であった「ハーグ陸戦条約(陸戦の法規慣例に関する条約)」違反であり、米国も本来裁かれるべき行為であるのだ。
----------------------------------
条約附属書(陸戦の法規慣例に関する規則)
第二五条
防守セサル都市、村落、住宅又ハ建物ハ、如何ナル手段ニ依ルモ之ヲ攻撃又ハ砲撃スルコトヲ得ス
----------------------------------
我々はそのことをけっして忘れてはいけないし、戦争とは勝てば官軍であり、勝利者の論理が正義となる不条理な状況を生むのだ。
自虐史観は誰にとって都合が良いものなのか、賢明な閲覧者の皆様はここに答えを記述しなくても分かっていただけるだろう。

原爆死没者慰霊碑に刻まれている「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」には主語がない。
「過ちを繰り返しませぬ」は「米国」に向けてのコンプライアンスでもあるのだ。

少し物足りないないが『俺は、君のためにこそ死ににいく』(2007 新城卓監督 東映)は大東亜戦争のもう一つの主役である名も無き兵士達が、特攻で死地に赴く際の本音から、間接的に米国批判を行っている稀有な作品であり、この作品のベクトルを担う作品こそがポスト反戦なのだろう。
そろそろ勝利者側の論理、東京裁判史観の自虐から脱皮し、本音をぶつける反戦作品が出て来ても良い頃ではなかろうか。

テーマとメッセージ
★★★★★☆☆☆☆☆2.5(五味川二作品を5とした場合の評価点)

※エンタメ性と表裏一体する参考評価
思想の刷り込みなどマインドコントロール技法
(評価が高いほど悪質である。)
★★★★★★☆☆☆☆3.0(五味川二作品を4.5とした場合の評価点)
5-3=2

プロパガンダ性
(評価が高いほど悪質である。)
★★☆☆☆☆☆☆☆☆1.0(五味川二作品を3.5とした場合の評価点)
5-1=4

エンタメ性
五味川二作品は重厚である分、エンタメ性には難がある。
その点本作は、前半部分では親しみ易い日常光景からキャラへの共感を誘導する。
{netabare}後半はしだいに戦争の牙が向いてくるシリアスな展開だが、キャラへの共感度が高ければ高いほど、戦争の悲惨さ不条理さが強調される巧みな構成となっている。
本作では人さらいのエピソードなど、展開に興味を抱かせる様々なメタファーがあるが、長くなるのでレビューでは割愛する。
次に特筆をすべきは、背景美術の精密描写と「すず」の天然なキャラ設定だ。
呉軍港の背景を時系列で見ると帝国海軍の衰退がよく分かる。
実に考えられた描写だ。
また、当時の生活の細かい描写など特筆すべき点はいくつもあるが、すべて観客に「観せる」ことを意識した心憎い演出といえよう。
広島の街の情景、戦時の平和な街から総力戦の戦場の街へに至る推移で艦載機による軍港攻撃、非人道的な時限爆弾の爆発、M69焼夷弾や12.7mmブローニング機銃掃射シーンなど、迫力ある効果音と相乗し{/netabare}高クオリティな描写を演出している。

★★★★★★★★☆☆4.0(五味川二作品を2とした場合の評価点)

(2.5+2+4+4)/4=3.125≒3.0(物語)

(★は一個0.5点)
物語★★★★★★☆☆☆☆3.0(評価点)
作画★★★★★★★★☆☆4.0(評価点)
声優★★★★★★★★★☆4.5(評価点)
音楽★★★★★★★☆☆☆3.5(評価点)
キャラ★★★★★★★★☆☆4.0(評価点)

平成30年(皇紀2678年)12月8日大詔奉戴日初稿

投稿 : 2018/12/10
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62

ネタバレ

ピピン林檎 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8
物語 : 4.0 作画 : 3.5 声優 : 3.5 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

本作自体は良作と思いますが、本当に考えるべきことは別にあるのでは?

(2018.12.8 戦争名称と戦争原因について補足説明を追記)

登場人物の手が顔と同じくらいの大きさに描かれていて、明らかに作画ミスってると思われるシーン等、ちょくちょく作画・演出が乱れている箇所があった他は、概(おおむ)ね丁寧に作られていると思いました。
シナリオも、{netabare}玉音放送のあとヒロインが悔しい気持ちをぶちまけるシーン{/netabare}で思いがけない感動を覚えるなど、最初から最後まで飽きずに楽しめました。
ということで、まず良作認定しておきます。

・・・でも、個人的に本作を鑑賞していて改めて強く感じたのは、

戦争の悲惨さ残酷さを確り描き出して、視聴者に「二度と戦争を起こしてはならない」という"メッセージ"を繰り返し喚起するのは、それはそれで意味のあることなのだろうけれども、

責任ある大人が本当に考えるべきは、そういう戦争の「結果」の方ではなくて、

「そういう誰も望まないはずの戦争がなぜ起きてしまったのか?」
「なぜそういう悲惨で残酷な戦争に我が国が巻き込まれてしまったのか?」

という戦争の「原因」の方を、史実に即して冷静に見極めていく、ということなのではないか?ということでした。

とくにここで「巻き込まれてしまった」という私の受動表現に抵抗を感じてしまった方は要注意です。

・戦前の日本は暗愚で粗暴な軍国主義のファシズム国家だった。
・中国や朝鮮半島やアジア各地に醜い侵略を仕掛けた果てがあの悲惨な戦争だ。

↑みたいな話をNHK夏の恒例の「太平洋戦争(*3)」特集番組では今も延々とやってるそうですが(※これって終戦後にGHQ進駐軍にそういう番組を作るように命令されて以来ずっとやってるそうです)、こんな話を今でも信じ込んでいる人ってどれくらいいるのでしょうか?(まだまだ沢山いそうな気もしますけど)

但し、上に書いた「誰も望まないはずの戦争」という表現には例外があって、実は「日本とアメリカが全面戦争に突入し、その結果として、国力の大幅に劣る日本が壊滅的な敗戦を迎える」というシナリオを事前に描いて、そのシナリオが実現すべく画策した人々ないし組織が(日本側にもアメリカ側にも、そしてこの両国の外側にも)いた、という話は一度検証してみる価値があります。

◆戦争「原因」の一考察

社会科の教科書には、第一次世界大戦の混乱のさなかに誕生したソ連の指導者が、ソ連一国だけの革命ではなく“世界革命”を目指した、ということまでは書かれていますが、その“世界革命”が具体的には“敗戦革命”という戦略プランに基づいて、各国に思想的共鳴者や工作員を扶植・養成し、ことに政府部内や報道関係者に内通者・協力者を獲得ないし送り込むことにより、時間をかけて実際に着々と遂行されていった(*1)、ということまでは書かれていません(※なぜ書かれていないか?は(*4)へ)。

もう少し詳しく説明すると、この“敗戦革命”というのは、

(1) かってソ連が、帝政ロシアが第一次世界大戦でドイツに敗戦を重ねて国内に生じた混乱(既存支配層の権威失墜と国民各層の窮乏・社会不安の増大)に乗じて、まんまと革命を成功させ発足したこと、をモデルとして、
(2) 革命対象国を何らかの形で悲惨な敗戦に追い込み、その混乱に乗じて革命を成功させる、とする冷酷な戦略で、
(3) 具体例として、第二次世界大戦での枢軸国側の敗戦に乗じて枢軸参加国であったハンガリー・ルーマニア・ブルガリア・チェコ等で共産主義/社会主義政権が成立、敗戦国ドイツも東半分が共産化、また東アジアでは敗戦国日本に協力していた満州国や南モンゴルの自治政府が倒れ、また日本と戦って消耗していた蒋介石率いる国民党政府がその後の国共内戦に敗れて共産主義中国が成立、日本と合邦していた朝鮮半島でも北半分で労働党政権が成立しています。

そうした、日本の「誰も望んでいなかったはず」の戦争突入とその必然的な敗戦、そしてその結果としての戦後の東アジアの激変という状況証拠から見て、

<1> 戦前は「ソ連を盟主とする共産主義勢力の東アジア浸透の防波堤」になっていた日本をアメリカとの全面戦争に追い込み、
<2> この防共の防波堤を決壊させるとともに、あわよくば日本にまで“敗戦革命”を引き起こそう、と策動する勢力が、
<3> 我が国の内外に(※日本だけでなくアメリカや蒋介石の国民政府の側にも、また政治指導者だけでなくマスコミ・言論人にも)浸透していて、
<4> そうした策動に免疫のない我が国の政府や国民が相手の仕掛けに右往左往するうちに「誰も望んでいなかった戦争」にまんまと引きずりこまれていってしまった、

・・・と考えると色々と辻褄が合う所があります。

→つまり、先の戦争で結局誰が一番得をしたのか?という観点から逆算して、その原因を作った者を考える、という視点を持つ。
→あるいは、先の戦争の「成果」を現在、誰が一番固守しようとしているのか?という観点から逆算して、その黒幕を考える、という視点を持つ。

・・・ということで、この辺の話は興味があればネットや書籍で色々と調べて検討していただきたいのですが、要は、

「戦争は悲惨で残酷だ、二度と戦争を起こしてはならない」

とせっかく思うのならば、上で指摘したように

「では何故戦争が起きてしまったのか?」

というところまで、真剣に考えるのでないと片手落ちですよ、ということです。

※そうした視点の欠落を考慮して本作の評価点数を少し低く付けています。
※本作のような話は今までも色々と作られてきたと思うし、今後も作られてマスコミの陰/日向のバックアップ(*2)もあってヒットもすると思いますが、もうこういう「戦争は悲惨で残酷だ。二度と戦争はしてはいけない」と何となく思う段階で思考停止するのは止めませんか?

※レビュー本文ここまで。

///////////////////////////////////////////////////////////////
※以下、補足説明。
{netabare}
(*1)“世界革命“(※そして、その手段としての“敗戦革命”)を遂行するための謀略組織としてモスクワに「コミンテルン(共産主義インターナショナル)」が設置され、その指導下に日本/中国/イタリア/フランス等各国の支部組織(=各国の共産党)が設立された。

※なおコミンテルンの日本での具体的な活動成果として、日本の大東亜戦争突入直前に発覚した「ゾルゲ事件」(1941年9月発覚、ドイツ国籍のソ連工作員ゾルゲの逮捕を切っ掛けとする朝日新聞や近衛内閣周辺の工作員・協力者の検挙事件)が有名。

(*2)本作はクラウドファンデング(群衆の資金拠出)によって製作されたことを謳っていますが、実は某大手マスコミが色々とバックアップしているそうです(エンドクレジットにも登場)。

※参考→http://yaraon-blog.com/archives/96560

(*3)戦争名称について、ここでカッコ書きで「太平洋戦争」としているのは、それが実は、今でも決して日本政府の公式の用語ではないからです(※あくまで、マスコミおよび教科書執筆者が好んで使用する俗称でしかない、ということ)。
こう書くと驚かれる方も多いと思いますが、例えば、下記の

◎戦没者追悼式 天皇陛下のお言葉全文(2018/8/15)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO34167800V10C18A8000000/

・・・を謹んで拝読すればわかるように、政府の公式の表現は「さきの大戦」で一貫しています。
なぜそうなるのか?
一番簡単な説明は「戦没者の方々は決して先の大戦のことを“太平洋戦争”などと呼ばれなかったから」になると思います(※戦没者の方々、また実際に当時の戦争を経験された方々は、先の戦争のことを、開戦直後に日本政府が命名した“大東亜戦争”と呼んでいたはず)。

ところが、進駐軍は“東亜を解放する”という戦争当時日本が掲げた大義を連想させるこの用語を使用禁止とし、代わりに自分たちの用語である、“Pacific War”をそのまま翻訳した“太平洋戦争”という用語を使用するよう、日本政府・マスコミ・教育界に強要し、この方針に従わない者は職を解く(※いわゆる「公職追放」「教職追放」)という強硬手段に出たため、選挙の洗礼を受ける政治家はともかく、マスコミ・教育界の方は、その当時保身のため、あるいは自分の主義として積極的に進駐軍の方針を受け入れた“太平洋戦争派(つまり“東京裁判肯定派”=“自虐史観派”)”が今でも強く、頑なにこの用語を使い続けているのが実情です。

私個人の意見を言えば、上に書いたように“先の大戦”は、敗戦革命を目論む旧ソ連&コミンテルン(国際共産党)の各国(日・米・中華民国)・各方面(政界・官界・言論界)の策動に、我が国の政府や国民がまんまと嵌められてしまった(※我が国だけでなく、F.D.ルーズベルト政権下の米国や蒋介石執政下の中華民国も同様)結果として勃発した“愚行”であって、これを当時の政府が後付けで“大東亜聖戦”(※英米列強の支配する東亜植民地を解放するための聖戦)と壮語して、その真の勃発原因を糊塗してしまったことは評価したくないし、かといって、自虐に塗(まみ)れた“太平洋戦争”という用語も極力使いたくないので、結局、日本政府ではありませんが、“先の大戦”と表現するのが一番無難かと思っています。
但し、それでは私のスタンスがはっきりしない、という場合は、前記の“東亜解放の聖戦”というイデオロギー的含意を外して、専ら戦争範囲の地理的名称を明確に示す用語として“大東亜戦争”という用語を使用する方が、より妥当だと思っています(※米軍は専ら太平洋で戦ったので“Pacific War”が適切。一方、我が軍は太平洋だけでなくインド洋・支那大陸・満州・南モンゴル・東南アジア各地・さらにインパール作戦では英領インド領内まで戦闘を行ったので、それらを地理的に包含する名称として、“大東亜戦争”の語がより適切という意味)。

因みに以上の用語(戦争名称)の区別は、政治家・言論人・その他様々な立場の人たちの“先の大戦”に関する意識を推測するのに非常に有効です(※マスコミの報道にとらわれず、本人の直接の発言内容やTwitter/Blogなどでの発信内容を確認すれば、その人の意識がほぼ確実に推測できる、ということ)。

(*4)“敗戦革命”がなぜ社会科教科書には書かれないのか?
ひと言でいえば、執筆者の側が、かってそれを目指した(今も目指している?)側の立場だから。
上記のように、進駐軍の占領政策の結果、マスコミ・教育界に“太平洋戦争派”が強固な根を張ってしまい、それが今に至るまで続いている。
たまにそれに反発して『新しい教科書を作る会』のような組織が出てきても、ギルド化した既存の教科書執筆者/選定者の壁を打ち破れない。

※因みに、下記の動画にある「近衛上奏文」(※ゾルゲ指導下の工作員である尾崎秀実やその影響下にあった昭和研究会を政策ブレインとして重用し日本が対米戦争に引き釣り込まれるに至る最大の引責者となった近衛元首相が、戦争末期の1945年2月に昭和天皇に上奏した戦争原因と国内情勢を分析した文章)には“敗戦革命”が割と分かりやすく説明されています(※音楽が扇情的な点が鼻に付きますが)。

https://www.youtube.com/watch?v=73T4WDDkWfE

◎近衛上奏文(解説)

近衛上奏文(このえじょうそうぶん)とは、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)2月14日に、近衛文麿が昭和天皇に対して出した上奏文である。
近衛は昭和天皇に対して、「敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存候」で始まる「近衛上奏文」を奏上し、英米の世論は天皇制廃止にまでは至っていないとの情勢判断の下、いわゆる「国体護持」には敗戦それ自体よりも敗戦の混乱に伴う共産革命を恐れるべきであるとの問題意識を示した。

1. 「大東亜戦争」(太平洋戦争)は日本の革新を目的とする軍の一味の計画によるものであること、
2. 一味の目的は共産革命とは断言できないが、共産革命を目的とした官僚や民間有志がこれを支援していること、
3. 「一億玉砕」はレーニンの「敗戦革命論」のための詞(ことば)であること、
4. 米英撃滅の論が出てきている反面、一部の陸軍将校にはソ連軍や中国共産党と手を組むことを考えるものもでてきていること、

近衛は陸軍内に共産主義者が存在し、敗戦を利用して共産革命を行おうとしている旨を述べた。{/netabare}

投稿 : 2018/12/09
閲覧 : 1275
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55

ネタバレ

yuugetu さんの感想・評価

★★★★★ 4.6
物語 : 4.5 作画 : 5.0 声優 : 4.5 音楽 : 4.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

戦時中の日常が確かにある

原作は既読でしたが、単行本発売当初なので随分前。
映画が素晴らしい出来で、改めて原作を読みたくなったので再度購入しました。
終了してから知ったんでしょうがないんですが、クラウドファンディング参加したかったなあ…

作画、演出、音楽も素晴らしく、原作に比べストーリーもスムーズに展開していて、原作とは違う良さがありました。
2時間ほどの長めの上映時間も気にせず観られ、誰にでも薦められる質の高い作品です。

戦時中(非日常)の日常系といえば良いのでしょうか。
その時代にしかない日常、どの時代でも当たり前の日常を、現代人にも共感できるように作り上げています。
原作にある当時の人々の息遣いを、映像によく反映させていると思います。

{netabare}
キャラクターの生き方に共感する部分が多いですね。
不安定な時代に居場所を求める登場人物たちには感情移入せざるを得ませんでした。

すずのいる家を自分の居場所と思ってはいても、すずが望んで嫁いできたとは思っていない周作。(まあ水原の件は「やっちゃったなー」って感じなんですが…ああいうのって当時よくあったんですかね…?)
まだ妻もなく、いつ死んでもおかしくない水原にとっては、幼い頃のすずとの思い出が自分の拠り所です。(ラスト付近で腕を無くしたすずが水原らしき兵士の後ろを行き過ぎるシーンがあります。終戦によって、水原にはもう心の拠り所は必要ないのかも知れません。)

自分の好きなように生きてきたものの、すずの嫁入りによって実家でも肩身が狭い上、最後の支えであった晴美も失った径子。
そして、晴美を守れず腕を無くしたことで変わっていくすず。
当時の女性にとって跡取りを産むまでは婚家では肩身が狭いものですから、コミカルに描かれているとは言ってもすずにも心労はありますし、径子にしても離婚してからずっと不安は付きまとっていたと思われます。

径子もすずも、お互いが居る呉の北條家を自分の居場所としていくことを決め、終戦後の闇市で二人でどんぶりをつつく姿には少しホッとしました。
{/netabare}

【原作の良さ】 {netabare}
原作は反戦意識は感じるものの、日常風景がもっと多く、それが非凡さでもあります。映画ではそのあたりは映像に上手に落とし込んでいる印象でした。

原作ではすずの絵を交えた手記が多く描かれていて、嫁いですぐのほのぼのとした内容から、戦争末期に進むにつれ暗い内容に変わっていきます。
そのためすずは語り部の性質も持っているのですが、一本の映画にまとめる上ではないほうがスムーズだと思います。

それから戦時中の時代性を具体的に感じる部分がかなりカットされています。
戦時中の習俗、文化、言葉は独特で、原作者こうの史代さんの丹念な取材と調査により作品にしっかり反映されています。
こういうのって規制にひっかかるのかなあ…。時代性を感じる描写ってとても面白いと思うので少し残念。 {/netabare}


【映画の良さ】 {netabare}
アニメーションならではの映像がとても素晴らしかったです。
ビジュアル面のリアリティを徹底して追求していたと思います。印象の柔らかい水彩画のような画風で、かえって身近さが増して感じられました。
すずの腕がなくなった際の演出には特にこだわっていて、本編中では数少ないすずのイラストのような描写が面白かったですね。
スタッフロールやクラウドファンディング出資者一覧の最後まで拘り抜いた映像作りもとても良かったです。

声優さんの自然な演技や、生活音、環境音も世界観に没頭させてくれる大切な要素だったと思います。
ストーリーとしては全体的に反戦映画の印象が強くなっているかも。
{/netabare}

余談ですが私の祖父母がすずや周作と丁度同じくらいの年代で、祖父母からわずかに聞いた当時の話に近い感覚が確かにありました。戦時中の時代感覚や生活の苦労がこういう形で伝わるのはとても良いことではないかと思います。
(2016.1.19)

投稿 : 2018/12/06
閲覧 : 477
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48

weoikoiji さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

傑作

冒頭の曲の挿入から心を惹かれ息をつかせる間も無く最後まで終わっていた。

余韻が非常にすばらしい

背景、色彩、演出、どれもこれも感性に力強く溶け込んでいくようで

これぞ映画の醍醐味という感じで見終わった後の余韻に今も浸っている。


原作漫画を既読していて、いやすばらしい作品だが
これを越すことは無理だろ、どうせ脚本頼りの作品なんだろと高を括っていたが
原作より先にこちらで作品を見たかった。
そう思わせるほどの出来

序盤は、逐一アニメの醍醐味であるすばらしい背景作画色彩特殊な遠近狂わせ演出で心を奪われ、最後に象徴的な演出を連発。

完璧な作品などないのだから、多分何かしら言える場所はあるのだろう
しかし今この作品にケチをつけたらこの作品に相対化されて自分が矮小化されてしまう、そんなことを思わせるほど後に残る余韻が大きい

退屈な時間などないほど情報の密度の高い作品であり、観客を決して飽きさせない

繰り返し言うが、決して脚本頼りではない秀逸なアニメーション映画である。
同じ2016年同窓生である声の形君の名はと比較されることが多い本作だが、これは決してアニメーション映画ブームに乗ったから評価された作品でないことだけは確かだ。

高畑監督のかぐや姫の物語の予告編を見たとき美しさに思わず涙腺が緩んでしまった。
しかしその本編はあまり期待通りではなかった。
その未消化の気持ちが本作で解消されたように感じる。
おかしな事を言っているのは分かっているがそう感じた。

投稿 : 2018/12/01
閲覧 : 288
サンキュー:

16

ネタバレ

時計仕掛けのりんご さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0
物語 : 4.5 作画 : 4.0 声優 : 5.0 音楽 : 2.0 キャラ : 4.5 状態:観終わった

一億玉砕という日常をどう生きるか

原作未読です。


太平洋戦争の始まる辺りから終戦後までを、ある女性の目線で扱った話。
ただ彼女は学生時代に嫁ぐため、主婦でもあるが、まだ少女でもある。

確認するなら、天皇陛下は現人神であり、大日本帝国に敗北はなく、西洋社会に対して大東亜共栄圏を築き、世界平和を実現するという正義の為に戦いに臨んでいる。
この時代に生きる人々にとってこれらも事実、そういう目線でもあるだろう。



歴史的に見れば当然非常に大きな変動期に違いない。

だが物語はそれも単なる日常の一部に過ぎないとばかり、物資の窮乏していく中、それらを工夫で補っていく様も、笑顔を絶やさず生活にいそしむ様も、コメディーチックに描いている。
大声で笑うほどでもないが、基本を外さない、チャップリンやドリフを想起させるような、見るものを選ばない古典的・普遍的なネタだ。
防空壕を掘り進めていく所なども、まるで子供が秘密基地でも作っているかのよう。


そんな主人公が感情をあらわにするのは、連れ歩いていた幼い姪っ子と右手を爆弾で吹き飛ばされたときから。
ここを境に抽象的な描写が混ざりはじめ、主人公の気が迷走する様子がみてとれる。
加えてここを境に幾つかの伏線が回収されており、物語的にもターニングポイントなのだろう。


ただ、敗戦の玉音放送を聞いた際、他の人は戦況を察し、やはりね、仕方ないよねぇといったリアクションであるのに対し、彼女だけは最後の一人まで戦うんじゃなかったのかと激高し、一人号泣する場面は引っかかった。
戦争が終わって落ち着きを取り戻した後、「この先ずっとウチは笑顔の入れ物ですけ」というセリフがあったので、そのために一度突き落として泣かせておく必要があったのかなと感じた。
ほぼ唯一違和感を覚えたシーンである。それだけにしては唐突なエピソードだとも思えるので、他にもっともな解釈があるのかも知れないし、見解の分かれるところかと思う。
しかし、終戦後は米軍から配給を貰って、その美味しさに満面の笑みを浮かべたりとか普通にしているので、やはりこの場面だけがどうしても浮いて見えてしまう。



映画を見終わってから。

耳に残るのは、主人公すずの可愛らしい中にコロコロとした愛嬌があり、過酷な戦争の中にあってもなにか楽しげにすら聴こえる声。これは素晴らしい。この演技だけでこの映画は傑作と言っていいくらい。

その他の印象としては、「戦争映画」なのに泣かせどころとかがない事。
クライマックスはどこかと問われても、「ハテ?」と考えてしまう。
時代背景に比べてドラマ性を敢えて希薄にし、その分日常を丁寧に拾っているようだ。
前半のショートコントが続くような話の進め方が微笑ましければ、そこはそのまま笑って楽しんでいればいいと思う。

爆撃にあったのを境に前半後半が分かれることや、几帳面な伏線と回収の作業が目につくのは記号的、という印象を受けたかも知れない。
しかし記号的と解釈して見るのも正解だと思う。

冒頭で述べたような、時代性による様々な目線全てを、実感として登場人物たちと共有するのは戦争経験者でも無い限り不可能だ。
大体原作者や映画監督からして戦争世代ではないので意味がない。

今の日本で戦争を扱うのは難しく、記号的に理解するしかないのではないか。鬼畜米英と殺しあうのが当然の時代とか、戦車に竹やりで立ち向かうとかいう時代を理解しようとするのに、記号的回路なしには捉えきれないのはむしろ当たり前だろう。
私自身、戦争経験者から話を聞いたことくらいはあるが、話し手の口調と自分の理解に大きな隔たりを感じざるを得なかった。
そこで無理に背伸びするより、引いたところから等身大の日常として描いた事で、より一般に伝わりやすくなっていると思う。
むしろ変に銃撃戦とかやったところで、サバゲーファンが喜ぶだけなんじゃないだろうか。


更に言えば、私はこの映画に「戦争映画」「反戦映画」という印象は受けなかった。
主人公が一日一日を笑顔で埋めていこうとする様に対し、条件として過酷な戦時中を背景にすることでその態度を際立たせる狙いだったのではと思う。

だからこそ終戦後の「この先ずっとウチは笑顔の入れ物ですけ」というセリフには重きがあり、玉音放送を聞いた時の唐突に思える愛国心の発露が、その比重においてそれほど等価なのかと捉え、そう解釈した。




最後にもうひとつ、蛇足かも知れませんが。

実は観終わって耳に残った声はもう一つある。但し耳障りなものとして。
映画が始まってまもなく、タイトルのバックに少し流れていた、
「悲しくて悲しくてとてもやり切れない」という、何か救いようのない切ない歌だ。
私のような一見さんには、これからどんな悲惨な話が始まるのかと構えさせてくれる。
内容と対比させると、主人公が笑顔を絶やさず生き抜こうとしている姿をあざ笑うかの様にも響きかねない。その後のコメディー調の描写とも合致しない。というかまるで逆にも感じられる。
これは特に深い意味のない演出上のミスではないかと思い、ここまで触れなかった。
些細なことと個人的には感じたが、これはあくまでこのアニメ映画についてのレビューなので、気になったポイントにはやはり触れておく。


まあしかし映画監督の仕事というのはなかなか大変なものである。
そのせいもあり、立場もあるので、わがままでないと通らない位だ。

だから、
原作者がどれほど協力的であろうと、出来上がった映画はあくまで自分の作品である。
自らの表現であるので、原作者名などはテロップに数秒乗せるだけでいい。
世間一般にもこの先ずっと自分の作品として残る。
原作をただ忠実に映像化しようなどとは微塵も考えていない。
そこかしこで自分なりのカラーが出せていなければ納得しない。

最低限この程度の事はどの監督にも言えるだろう。
人によっては更に自己主張が強くなる。

このBGMが誰の仕事かは知らないが、監督の作品なのだから彼の主張と受け取って構わないだろう。
有名な歌なのでその点オープニングに使うには便利なのかも知れないが、やはり本編とは相容れない。
おそらくこの辺の表現は、原作と映画との間での齟齬が現れためではないか推測する。読んでもいない原作に肩入れするのもなんだが、終わりまで観て、ここは映像化にあたっての一貫性の欠如かと感じた。

投稿 : 2018/11/25
閲覧 : 298
サンキュー:

11

pin さんの感想・評価

★★★★☆ 3.2
物語 : 3.0 作画 : 3.0 声優 : 4.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

ヒロインの声、素朴でいいね

本作の内容は
まあ、太平洋戦争をテーマにした作品にありがちなよくあるパターン。

戦争の悲劇を後世に残すのは大切なこと。

でも、

もういいよ。暗いよ。

投稿 : 2018/10/08
閲覧 : 226
サンキュー:

4

ネタバレ

土偶 さんの感想・評価

★★★★★ 4.8
物語 : 5.0 作画 : 4.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

すずさん、こんにちは

この作品は、すずさんのお話です。
まず、すずさんが居て、たまたま戦争が重なったのです。

なので、戦争反対!や、平和って素晴らしい!みたいな宗教くさい話はありません。

映画が始まり、すずさんが登場、知らず知らずのうちにすずさんに引き込まれ、終わりにはすずさんと友人になれた感覚を覚える。そんな作品でした。

投稿 : 2018/10/03
閲覧 : 216
サンキュー:

7

ネタバレ

Jun さんの感想・評価

★★★★★ 4.3
物語 : 5.0 作画 : 4.0 声優 : 4.5 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

終戦関連の話はきらいでも見てしまう、疲れる

できるだけ精一杯、天然主人公を利用して、ポジティブになるようがんばってる。それがまたつらい。日本の第二次大戦は基本バッドエンドの物語なので、のどかな田舎がでてきてもフラッグにしか見えない。スッキリしないし疲れる。わかっていても、この根性と天然に会いたくて見てしまう。暴力によって破滅しなかった、人間として生きる姿勢を見るために。

投稿 : 2018/09/01
閲覧 : 341
サンキュー:

20

ネタバレ

ぺー さんの感想・評価

★★★★★ 4.3
物語 : 4.5 作画 : 4.5 声優 : 4.5 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

戦時下の日常ってこんなもん

2018.01.14記

だいぶリサーチして作品を作り上げたと監督が言ってました。そのため、フィクションなのですが、戦時下の日常ってきっとこういうものだったんだろうなと今の私たちが納得できるような説得力のある作品に仕上がっていると思います。
ドンパチや悲惨さをことさら煽るような描写はなく、いわゆる戦争ものが苦手な方でもおそらく大丈夫で、鑑賞後はきっとじいちゃんばあちゃんまたはひいじいちゃんひいばあちゃんについて想いを馳せるようになるんじゃないでしょうか。
観終わって、「感動」「泣いた」とも違うなんともいえない余韻を残す作品なので、一見の価値はあると思う良作です。


私は公開直後に劇場で観ました。正直申せば、めちゃくちゃ期待した割にはそうでもなかったと肩透かしをくらった記憶があります。
それは、{netabare}そもそも戦時下の日常がどういうものかある程度の事前知識があって、映画での様々な描写が(実際はすごいことなんですが)違和感がなさすぎて、{/netabare}とどのつまり「日常過ぎるわ」というのが理由になるんだろうと思います。


以下は直接レビューとは関係ないのでたたんじゃいます。
{netabare}
歴史に詳しいとかの人にはごめんなさいですが、おおかた戦中期についてはよく知らないか、それともなんとなくのふんわりとしたイメージがまずはありますよね。例えば

「治安維持法ばりばりで人々は虐げられてたんでしょ?」
「軍部が戦争を煽ってみんな騙されてたんでしょ?」
「全国いたるところ火垂るの墓状態だったん?」
「大東亜戦争って言ったらガチの右翼っしょ」

この前提だと、本作はその先入観とのギャップを感じられてすごい良いと感じるかもしれません。「悲惨悲惨といっててもそこにはあたり前の生活やささやかな幸せはあったんだな、と思いました」となるでしょう。別に戦争に限らずですが、なんでも 光と影 というのはあります。ことさら影を強調し過ぎて実態を捉えづらくしたのが戦後の日本かと。さらに無い影を作る連中も多くいましたがこれはまた別の話。

ここ最近になって、そんな通り一辺倒のイメージに依らない作品もぽつぽつ出てきてるのはいい傾向なんだろうと思います。
{/netabare}
{netabare}
それと、戦争ものの面倒なところについても触れると「反戦」or「戦争賛美」で語られがちなとこですね。いや純粋に作品を楽しみましょうやと。普通の人はそんな外野の声に逃げてきますって。
通底するテーマは魅力的で示唆に富むもので創作意欲を掻き立てられるのに、史実をベースに戦争もの映画を作ろうとするのはハードルが高かったりするようです。だからデフォルメして『ゴジラ(初期のやつ)』や『ガンダム』とかで表現せざるを得なかったりしたのでしょう。最近(とは言っても10年前)でも『コードギアス』でルルーシュが言ってたのは、そのまんま大東亜共栄圏の思想に酷似してたりもします。
{/netabare}

と、オススメの作品と言いつつ「やっぱり戦争ものは苦手」と捉えられかねないこと言って忍びないです。
作品自体は2016年に劇場に足を運んだ2作品のうちの1つ(もう1つは君の名は。)とオススメできる作品にかわりはありませんよ。


-----
2018.08.31追記
《配点を修正》

実写ドラマ、能年○奈をすずさん役で出してたら絶対観てたと思う。

投稿 : 2018/08/31
閲覧 : 463
サンキュー:

59

ネタバレ

Seven_7G3A さんの感想・評価

★★★★★ 4.3
物語 : 4.5 作画 : 4.5 声優 : 4.5 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

リアルバトルは日常系のなかで

観終わった直後の感想
「やばい。かなり良かった。涙が止まらなかった。胸が痛かった、まるでナイフで刺されたように。
動物に人間が作ったどんな綺麗な服を着せても、どこか野暮ったくなってしまうように、この作品を野暮にならずに語る言葉が見つからない。只々作品世界に飲み込まれてしまい、心地よさと切なさが入り混じる何とも言えない想いをお土産としてもらった、そんな感じです。」

正直、この作品は非常に前評判が良かったが、戦争モノという事で視聴後感がどうしても物悲しく暗くなってしまうと予測できてしまうので、避けていました。
まぁ、わざわざ視聴後にどんよりした気持ちになるために見たくはなかったのです。評判良くても。
しかし、機会があったので視聴してみると、暗く重苦しく切迫した空気を予測していた自分の考えを裏切るように、朗らかで明るくて優しい世界が迎え入れてくれました。舞台が戦時下であるのに、です。 
この物語は、主人公の女性の幼女時代から青年期までの日常を描いた「日常系物語」で、その主人公の女性の人柄がその優しい世界の源で、のんびり屋でおおらかなで働きものな性格の彼女の幼女時代、結婚、嫁入り、婿家族との2世帯同居生活を追いかけていきます。戦時下という環境ではあるが、そんな事を忘れさせてくれるような暖かい空気感で、「ノスタルジックな生活もの(恋愛もの?)」を見ているような印象を受けました。
特に、ますます配給が少なくなり、{netabare}工夫してレシピを考えたり、楠木正成公が籠城の時に工夫した楠公飯を作ったりする辺りの表現は最高でした。(食後の出勤時に婿と義父はしょんぼりしながら出社する[笑]){/netabare}
そして、そのおっとりはしているが強かに朗らかに生きていく姿の主人公に深く感情移入している自分がそこにいました。そして、その後はその感情が乗っている主人公やその周辺の優しい人々に降りかかる出来事に心揺さぶられっぱなしでした。

本当に良かったです。第二次大戦が描かれる作品の中でもトップクラスに良かったです。「火垂るの墓」は絶望感にどんよりしますが、本作は前向きになれる作品です。老若男女、特に女性にはおススメできる作品です。


◆◇◆以降は、良作に多弁になってしまう悪癖です◆◇◆
◆◇◆視聴後の方でお暇な方はどうぞ...◆◇◆

視聴時に気になった点{netabare}
①嫁入り時の「傘」の描写
②水原哲を家に泊めるのに、あえて嫁をあてがう
③玉音放送後の畑での号泣
④戦後、物々交換後の帰宅時に水原哲に声を掛けなかった
⑤「ばけもの」は、なにもの?

以下は、原作をじっくり読んでの個人的見解です。まぁ、こんな意見・解釈もあるのか、程度にお読みください。
①「傘」:これはまぁ「脚」の隠喩でしょう。「股」というと直接的ですが分かりやすいかも。つまり、男:傘を持ってきましたか?(問答スタート)→女:新しいのを(まだ未経験のを)→男:開いてみてもいいですか?(脚[股]を開いてもいいですか?=性交渉してもいいですか?)→女:良いですよ。
つまり、新婚初夜のぎこちない男女の、性交渉へのきっかけ作りの為の伝統的会話なのでしょうね。たぶん...。

②「嫁をあてがう」。これには2つの要素があるように思います。ですが、先に前提条件。周作はすずを愛していて大事に思っている。(これは前後の表現からでも良く見て取れる。)
そして、2人で街に出た時、同級生の水兵さんの話をすずから聞いている。(無自覚な淡い恋心があった事を匂わせる。)
という事を踏まえて、なぜあてがったのか? (1)お国の為に前線で戦っている、いつ死んでもおかしくない兵士がわざわざ同郷の女を探して来た(娼館ではなく)=恋しい、死ぬ前に会いたい、という意思表示。すずが以前話していた水兵はこの人で間違いない。そして、自分には見せない遠慮のない親密なやり取りを見せられる=同郷という事もあるがお互いに心が通っている。すずは、自分が嫁入りに来てほしいと願い、結婚までほとんど会った事も言葉を交わしたこともないのに嫁に来させている(本人の意思ではなく親からの返答で決まっている)。その事に対する負い目もある。つまり、この二人を引き裂いたのは自分の求婚の申し出。それが無ければ二人はたぶん...。  時代背景的にも終戦に近く、戦局的にお国の為に前線でいつ死んでもわからない、我々国民の為に命を投げうって戦ってくれている兵士、わざわざ会いに来るぐらい慕っている、自分が2人にしてやれる恩返しであり罪滅ぼしはこれぐらい→あてがう。という心理的な流れなんじゃないかと。
(2)原作を読まなきゃ分からないいのですが、周作さんには遊女のリンさんと結婚話までいった過去があります。周囲の反対により頓挫しますが、この事への負い目も(1)に加算されているように思います。
いずれにせよ、「旦那以外の男と寝る」ことは、鍵閉めてますから、家族が起きる前にこっそり戻る事はできないので、まぁ周作家族にもバレます。でも、周作が説明したら十分納得のいく理由があってこそだと思います。「前線の兵隊さんだし、強引に来てもらってるし、まぁ、一度ぐらい仕方ないよね。」が、着地点のように思います。切ないね~。

③「玉音放送後」 これは原作読まなきゃ本当の意味は分からないと思います。セリフを改変されてますし。
このセリフはたぶん政治色(左翼)が出てしまうのを抑えたかったのかなー、と思いますが、原作の方が解釈しやすいです。
「この国から正義が飛び去って行く」太極旗「暴力で従えとったいうことか」「じゃけえ暴力に屈するという事かね」「それがこの国の正体かね」
まぁ、左翼的表現ですね。でもこの方が分かりやすい。何故号泣したのか? 私の解釈では、こうです。
「正義ゆえの行動」としての戦争が「軍事力を背景にした利己的行動」としての戦争であったと気付かされてしまったから。
「軍事力を背景にした利己的行動」は、歴史的に見てどこにでもあり、大航海時代以降、黒人奴隷、米大陸の支配・植民地化などヨーロッパ列強を中心に世界を巻き込んで当たり前に行われてきた。そして、その魔の手はアジアにも及んできた。その魔の手に対抗すべく開国し、富国強兵のスローガンの下、軍事力強化を行い、欧米列強に支配されていた(支配されそうになっている)アジア諸国を守るという「正義ゆえの行動」として、戦争を開戦した、と国民は思いこまされていた。その正義の為に、尊く戦う。そう国は決意した。だから、一億玉砕の覚悟で国民総動員で戦っていた。正義の為に、親兄弟が戦死し、晴海が死に、右腕が無くなった。そして、正義の為に耐えてきた。
でも、たった2発の新型爆弾とソ連参戦で、あっさり敗戦を受けれた。つまり正義・信念を曲げたのである。何故曲げたの?「軍事力を背景にした利己的行動」では、負けると判断したら、降参するのが利己的行動であるから。それはつまり憎むべき相手とされていた欧米列強と同じ行動を日本も行っていた事に他ならず、「正義ゆえの行動」としての戦争では無かったことの証明だったのです。なので、太極旗→「(正義ではなく)暴力で従えとったいうことか(=軍事力を背景にした利己的行動=欧米列強と同じ)」「(利己的行動)じゃけえ(利己的判断で)暴力に屈するという事かね(正義の為に最後の一人になるまで誇り高く戦うんじゃなかったのか?そのために晴海や右腕を失ったのでは?)」「それがこの国の正体かね」

「うちも知らんまま死にたかったなぁ...」
玉音放送前までは、正義の為に誇り高く戦っていると国民みんながそう信じていた。自分も誇り高いと錯覚したまま死にたかった...。
と、解釈しています。

④「戦後の水原無視」これは②の「嫁をあてがう」の時の水原とすずの会話で、原作にしか出て来ない表現がキーになっている。
簡単に言うと「自分に対しての他者の対応が普通じゃない」。勤務時は「わら」のように理不尽に踏みつけられ、陸に上がれば「神様」のようにうやうやしく接してくれる。でもすずは以前と変わらず普通に生活している。そして、俺が死んでも英霊(神様的)としてではなく、(普通の幼馴染として)笑って思い出してくれ。そうじゃなかったら忘れてくれ。と言っていた。
しかし、玉音放送後、この国の正体に気付き失望していたが、水原には正義を信じて戦っていた人(英霊)として美しい思い出でいてほしかった(実際、「嫁をあてがう」の時はそうだった)、失望したくなかったので、声を掛けず、美しい思い出のまま、正義に満ちた笑顔の水原、いつも笑っていた晴海の、笑顔の入れ物になろうと思った。

⑤「ばけもの」はお兄さんの可能性大です。しかも霊体。もしかしたらあの橋にしか現れる事はできないのかも。
(1)原作の鬼いちゃん冒険記にワニと結婚して食料調達に行く姿がまさにばけもの。映画ではワニの嫁さんも出てくる。
(2)最初のおつかいの場面で、周作と出会わせる→死後、ぼんやりな妹の為。
(3)どこにでも出現できるなら、両親とすみちゃんも、すずの右腕も守れたはず。何かあの場所に特別な因縁が...。
まぁ、完全な憶測です。

◆上記のシーン以外で個人的に印象的だったシーン
①配給が少なくなって節約飯のレシピをあれこれ工夫するシーン
  主人公や作品の魅力が詰まったシーン。
②初の本土空襲で現実感が無く、水彩画的に描かれるシーン
  目の前の光景に現実感が持てない心情描写を本当に巧く表現している。 
③B29からの無差別爆撃をB29側から描いてるシーン
  戦争映像などで良く見るB29からの空爆シーン。しかし、その先には...。(涙)
④腕を失ってから夫も徴兵され、家に空襲で焼夷弾が落とされ、「この家が無くなったら、自由に避難できる...」と考えるが「夫が兵役から帰ってくるのはこの家だ、夫と再び会うためにはこの家を守らねば!」と必死で火を消すシーン。
  逃避による自身の安全より、夫との再会を選んだシーン。(涙)
⑤義姉の径子に心から受け入れられた、と実感できたシーン

他にも名シーンがいっぱいありました。
個人的な名セリフも沢山ありました。

のんさんの声も違和感なかったです。ていうかピッタリ!

2018年12月公開の30分増しバージョンも期待感があります。

この世界の片隅で、この作品に出合えた幸せに感謝します。
{/netabare}

◆◆追記◆◆
すず、周作(臭素)、哲(鉄)、リン、径子(ケイ素)、晴海(アルミ)、すみ(炭素)、浦野(ウラン)、北条(ホウ素)、サン(酸素)、要一(ヨウ素)などなど

◆◆追記◆◆同じ原作者作「夕凪の街 桜の国」を読みました。
「この世界の片隅に」が、あまりに良かったので読んでみました。
同じく広島が舞台ですが、戦後10年目と現代での物語です。原作者初の戦争ものだそうで、本作があって「この世界の..」につながる意味深い作品です。個人的には「この世界の...」の方が好きです。これは明らかです。ですが、「夕凪の...」も、「この世界の..」の時間軸的に後の話なので、広島原爆に関わった人の後日談的な物語として非常に興味深く見させて頂きました。

もっと「こうの史代」の世界に浸りたい方にはオススメです〜。

投稿 : 2018/08/30
閲覧 : 465
サンキュー:

14

ヨシタカ さんの感想・評価

★★★★★ 4.5
物語 : 4.5 作画 : 4.5 声優 : 4.5 音楽 : 4.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

すさまじい

戦争のときの日常がリアルすぎてきついと思うこともありました。でも心に響きます。死ぬことは悲しいけど結構当たり前だよ?みたいな雰囲気がすごかった…

投稿 : 2018/08/21
閲覧 : 194
サンキュー:

8

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この世界の片隅にのストーリー・あらすじ

18歳のすずさんに、突然縁談がもちあがる。
良いも悪いも決められないまま話は進み、1944(昭和19)年2月、すずさんは呉へとお嫁にやって来る。呉はそのころ日本海軍の一大拠点で、軍港の街として栄え、世界最大の戦艦と謳われた「大和」も呉を母港としていた。
見知らぬ土地で、海軍勤務の文官・北條周作の妻となったすずさんの日々が始まった。

夫の両親は優しく、義姉の径子は厳しく、その娘の晴美はおっとりしてかわいらしい。隣保班の知多さん、刈谷さん、堂本さんも個性的だ。
配給物資がだんだん減っていく中でも、すずさんは工夫を凝らして食卓をにぎわせ、衣服を作り直し、時には好きな絵を描き、毎日のくらしを積み重ねていく。

ある時、道に迷い遊郭に迷い込んだすずさんは、遊女のリンと出会う。
またある時は、重巡洋艦「青葉」の水兵となった小学校の同級生・水原哲が現れ、すずさんも夫の周作も複雑な想いを抱える。

1945(昭和20)年3月。呉は、空を埋め尽くすほどの数の艦載機による空襲にさらされ、すずさんが大切にしていたものが失われていく。それでも毎日は続く。
そして、昭和20年の夏がやってくる――。(アニメ映画『この世界の片隅に』のwikipedia・公式サイト等参照)

ティザー映像・PVも公開中!

放送時期・公式基本情報

ジャンル
アニメ映画
放送時期
2016年11月12日
制作会社
MAPPA

声優・キャラクター

のん、細谷佳正、稲葉菜月、尾身美詞、小野大輔、潘めぐみ、牛山茂、新谷真弓、澁谷天外

スタッフ

原作:こうの史代、 監督:片渕須直、企画:丸山正雄、脚本:片渕須直、監督補・画面構成:浦谷千恵、キャラクターデザイン・作画監督:松原秀典、音楽:コトリンゴ、プロデューサー:真木太郎、製作統括:GENCO

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