れのん。 さんの感想・評価
4.3
物語 : 4.5
作画 : 5.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
宮崎駿ショートアニメの名作・繊細できれいな短編ファンタジー
2006年制作 アニメーション映画(16分)
原作 井上直久の絵本「イバラード」
脚本・監督 宮崎駿
美術 高松洋平 音楽 都留教博、中村由利子
制作 スタジオジブリ
どなたもレビューを書いておられなかったので、作品紹介を書いてみました。
いまのところ、三鷹のジブリ美術館の映像展示室「土星座」でしか観ることができない。 「土星座」では、ショートアニメ9作品を期間を定めて入れ替えで上映している。自分はこの9作品のうち、「星をかった日」と「めいとこねこバス」の2作品を観たいと思っていた。
「星をかった日」の上映時間は16分だが、鑑賞してみると、16分よりずっと長く作品世界にひたっていたように感じた。鑑賞後の余韻が心地よかった。
優しい雰囲気のショートアニメだが、密度の濃い内容である。できるなら2回、3回とくり返し観たいと思った。しかし、それはできない。
この作品は、漫画家・画家・絵本作家である井上直久さんの、「イバラード」という空想世界をもとにして作られている。イバラードという空想世界は、「耳をすませば」で、主人公の雫が書いた小説内のシーンにも登場している。
http://www.albatro.jp/birdyard/illustration-art/iblard/index.htm
に、イバラードの絵がありますね。
ただし、「星をかった日」の背景やキャラは、ジブリの美術スタッフによって作られたもので、あえて原作を真似ずに描かれたものだそうだ。
イバラードは、心の中にある幻想世界。
魔法の存在する世界であり、空には浮島や小惑星がいくつも浮かんでおり、空を鉄道が飛ぶ。建物には植物が生い茂っている。
住民は人間をはじめ、外見がモグラやカエルやトカゲにしか見えない者、龍、森の人など多種多様。
井上さんは、「まったく架空の世界としては描いていません。僕は、ファンタジーの世界は、“ここじゃないどこか”じゃなくて、“今ここ”にあると思ってるんですよ。今僕がいるこの世界がアナザーランドだと。」と述べている。
井上さんにとって、ご自身が住んでいる茨木市のことを「ここはイバラードだ」と言った瞬間、まるで魔法にかかったように不思議な世界があらわれた、ということなのだろう。宮沢賢治が岩手県を「ここはイーハトーブだ」と言った瞬間にイーハトーブになったのと同じように。
こうした「イバラード」世界の設定について、「星をかった日」の上映時、ほとんどの観客は知らない。それでも、この作品が空想世界を舞台とするファンタジーであることはすぐわかるので、予備知識がなくても鑑賞を楽しむことができる。
自分は、独得の美しい世界観を描写している風景がすばらしいと思った。
* 物語 ・・・・ネタバレ回避される方は、たたみますので読まないでください。{netabare}
アニメ冒頭で、主人公の少年ノナが、誰もいない砂漠を、時間に追われて歩いてくる。
ノナ少年の住んでいた町には、時間の使い方を見張っている時間局という組織があって、彼は、常に時間に追われる自分の世界(現実世界)が嫌になり、イバラード(空想世界)へとやってきたのだ。
さて、イバラードを歩いて行くと、ノナは不思議な女性ニーニャに出会い、彼女の農園の小屋で暮らしはじめる。
ある日、ノナ少年は、カブを市場に売りに行き、その途中で、ものを言うモグラとカエルに出会う。彼らは星の種を売っている。ノナは、自分の作ったカブと引き換えに、彼らから地球型の星の種を貰う。ニーニャの農園の小屋に帰ったノナは、星の種を鉢に植えて世話をする。星が生まれ、やがて小さな地球に育っていく。
ノナの目の前で、地球の進化の過程がミニチュアのように再現される。ニーニャは、ノナが何を言っても何をしても、いつも「そう、素敵ね」と言ってくれる。その小さな地球にノナが霧吹きで水をかけると、雲ができ雷が走り雨となって、できたばかりの大地に降りそそぎ、海ができる。
星はまだ植木鉢からはなれられない。しかし時間切れで、これ以上ニーニャに迷惑をかけられないと知ったノナは、星をニーニャのもとに残して、時間局の人たちのいる現実世界にもどる(ここで描かれている現実世界の風景は未来都市のようであった)。
しばらく現実世界で暮らしていたノナのところに、ニーニャから使いがくる。育った星が宇宙に飛び立つ日が来たのだ。「行きなって、言ってあげて」。
美しい大宇宙を前にして、ノナ少年は「お行き、きっとまた、お前に会えますように…」と言い、育った星を手放す。星は、60年で一周する軌道にのる惑星になる。{/netabare}
{netabare}「ムダな」時間の意味を認めない「時間局」の話は、ミヒャエルエンデの「モモ」を連想させるところがあった。人にとって、現実の世界の時間と、心の中にある内面世界の時間は異なっているということだろう。
ノナが育てている小さな地球のアニメーションは魅力的で、本作の見所の一つだと思った。植木鉢の土からまぎれこんでしまったマルムシが、小さな地球上にいるのも、おもしろい描写だと思った
ラストの星々のシーンはすごく印象深い。
ラストシーンで、「60年後にまた会おう」というようなセリフがあったと思う。少年にとって60年後とは、70歳を超えた高齢のころに、自分が慈しみ育てた星に再会するということだなと思った。{/netabare}
ファンタジーをあえて解釈するのは蛇足でしかないとも思うけど、本作において「星をそだてる」というのは、少年・青年の頃に人が内面でなしとげるべき大切な何事かの象徴かもしれないと、自分は感じた。星をそだてるという、心の中の体験がないと、おとなになるにつれて、時間に縛られた現実の中で、自分を見失っていっそう苦しむ、ということかもしれない。
人にはファンタジー(心の中の世界)が大切だと自分は思っているけれど、この作品で「60年後」というのは、少年・青年の頃と、老いと死が近づいてきた高齢期の二つの時期に、とりわけファンタジーが大切だ、ということだろうか。
現実世界 → ファンタジー世界 → 再び現実世界、という構造は、他の長編アニメにもみられる。「星をかった日」は、この構造を、わずか16分で表現したところがすごいと思った。
ただ、密度が濃すぎて消化しきれず、前もってパンフを読んだりして予備知識をもっていないと、その構造が把握しにくいような気もした。
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