ナルユキ さんの感想・評価
4.8
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 4.5
音楽 : 4.5
キャラ : 5.0
状態:観終わった
原点にして、頂点(1)
キッズアニメの代表たるポケットモンスター──縮めてポケモン──が30~40代、いや50代の大人に支持されても可笑しくないコンテンツにまでのしあがった理由のひとつが本作にある。
ずばりテーマは『命』と『己の存在意義』。本来は明るい子供向けの作品である本シリーズでも、この非常に重いテーマを主題に掲げることで本作は劇場版ポケモン第1作にして異質、そして配給収入41.5億円(現在の興行収入で72.4億円)を叩き出し、映画売上の話なら避けては通さない程の大ヒット作となった。
完全版ではラジオドラマ『ミュウツーの誕生』のアニメ化シーンを10分ほど挿入し、市村正親氏演じる最強かつ哲学的なキャラクター・ミュウツーにより感情移入できるよう再構成されている。現在はどのサイトもこの完全版の方を配信しておりサブスクが主体となったご時勢、劇場公開版しか観てないよという方も中々いないと思われるが、本レビューではその冒頭の内容を余すところなく(やや本編も食い込んで)語りたい。
【ココが面白い:ポケモンとは思えない冒頭シリアス20分(1)】
完全版で追加された冒頭のシーンが極めて重要だ。
完全版では全てのポケモンの「祖」とも云われる幻のポケモン・ミュウのまつ毛の化石から遺伝子を抽出、より戦闘向きに強化した人工ポケモン・ミュウツーを人が造り出しその成長を管理するところから始まる。
知能も高く造り出されたミュウツーは、眠りにつきながらも既に────そして常に自分の出自や存在意義について考える。「ここはどこ? ボクは誰? どうしてボクはここにいるの?」と。そんな疑問に答えたのが3匹のポケモンを連れた人間の少女だった。
「私たちはコピー。1(ワン)じゃなくて2(ツー)。だから私は、アイ『ツー』」
アイという少女から作られた彼女は「アイツー」であり、ミュウツーを造り出した博士はその研究をヒントにアイ──事故で亡くしたのだろう愛娘──を復活させようとしていたのである。
コピー同士はテレパシーで通じ合い、アイツーはミュウツーに様々な事を教えるが、コピーされた命は命としてまだ不完全だった。コピーたちはある日、何の前触れもなくミュウツーの前から消え始める。そしてアイツーも……。
突如として訪れた別れに涙を浮かべるミュウツー。そんな「彼」に消え行くアイツーは言った。
「生き物は、身体が痛いとき以外は涙を流さない、って。悲しみで涙を流すのは人間だけだって」
「ありがとう────ありがとう。あなたの涙。でも泣かないで。あなたは生きてるの。生きてるってね、きっと楽しいことなんだから」
それはきっと自分たちの命を彼──ミュウツー──に託す遺言だ。しかし、その魂に刻み込まれただろう言葉は彼が自分を「ポケモン」だと割り切って生きる道を閉ざしてしまったのかもしれない。
【ココが面白い:ポケモンとは思えない冒頭シリアス20分(2)】
{netabare}永い眠りの果てに身体を成長させ、最強の「生物」として目覚めたミュウツー。彼が何を思っているかは露知らず、周りの研究者は実験成功の喜びで沸き立つ。歓喜の声調のまま博士は言う。「お前は私たちが造り出したんだ」と。そう自称する彼ら人間は自分を何のために生み出したのか、自分の元となったミュウは親なのかそれとも兄弟なのか、相次ぐ疑問にマトモに答えようとはしない。自己のアイデンティティーを確立できないミュウツーはそのフラストレーションをサイコキネシスで発散する。
ポケモンが人間を殺した。流石に直接的な描写は控えられているが、研究所を跡形もなく吹き飛ばし、その余波で巻き添えにしているのだからそう観るしかない。本来、子供が観る映画としてはあまりに衝撃的なストーリー運びである。{/netabare}
【ココが面白い:ポケモンとは思えない冒頭シリアス20分(3)】
{netabare}目に写るもの全てを破壊し尽くしたミュウツーの前に現れたのはロケット団。「なんだかんだと~」でお馴染みのあのコミカルな2人組ではなく、彼らを含め団員全てを取りまとめる組織のボス・サカキであった。その悪のカリスマ直々の登場もまた子供向けらしからぬ展開である。
生まれたばかりのミュウツーはサカキの甘言に乗りロケット団の最終兵器として働かされるが、彼には記憶がなくても心に────魂に刻まれたアイツーの言葉がある。人間とは違う姿、然れど人間すら凌駕する知能を持たされ生みだされたミュウツーはポケモン────人に使役される獣として生きることを選べない。程なくして彼はロケット団の下から去っていく。
再び自分が何者かを問い始めるミュウツー。それは暗に自分がサカキの言う通り「人間に使われる」ために生み出された存在であったことを認めたくない、生まれながらにして生き方が定められており、それを捨ててしまえば自分の命は限りなく無意味なものになるという事実を覆したいという反骨精神から来ていることが伺える。
そう言う意味ではミュウツーは自分を造り出した人間に屈辱を────“敗北”を感じたとも言える。そんなミュウツーが人間を完膚無きまでに倒すため、憎悪のこもったあの名言を繰り出すのだ。
「誰が産めと頼んだ! 誰が作ってくれと願った! 私は、私を生んだ全てを恨む……! だからこれは攻撃でもなく宣戦布告でもなく……私を生み出したお前たちへの────“逆襲”だ」{/netabare}
【総評(一旦まとめ)】
ここまでおよそ20分。主人公であるサトシ&ピカチュウを出すことなく、ミュウツーのエピソードをしっかりと語ることで、彼の逆襲の物語と主人公たちポケモントレーナーがどう絡むのかという期待感がより高まる。
ポケモンらしからぬどんよりとした始まりに加えて生物の「死」や徹底的な「破壊」といったものを描くのは子供向けアニメ映画の初作としてどうかとも思ってしまうが、この深夜アニメに勝るとも劣らないヘビーな序幕を描くことで大人でさえも魅了し万人の心を掴むに至ったポケモン映画史上の最高傑作なのである。
全体を通して観るとアイツー関連は(ミュウツーの記憶から消えることもあって)そこまで重要ではないとも思えてしまう反面、彼女の「悲しい時に泣くのは人間だよ」という言葉がミュウツーの潜在的な祝言とも呪縛ともなって彼の人物像に多大な影響を与えたと信じて止まない私がいる。{netabare}実はその言葉は飽くまでもアイツーの持論であってラスト、それが間違いだったと解るような終局に持っていったのもオツである。ポケモンだって悲しい時に泣ける。それに気付けたからこそミュウツーはミュウに対して「私もお前も既に存在しているポケモン同士だ」と言えたのだ。{/netabare}たかが追加の10分、然れど大事な10分。終盤の一見、文字通りな「お涙頂戴」シーンが考察の捗る哲学的な要素へ様変わりするのだから、本作は正に「完全」と言えよう。
もちろんサトシらポケモントレーナーとミュウツーの対決や、愛くるしさと気まぐれさを秘めたミュウツーの原種・ミュウの一挙手一投足など見どころ満載な映画なのだが、その部分を語るのは『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』にしようと思う。いいですか?こっちは『〃 完全版』ですからね?
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