nyaro さんの感想・評価
5.0
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
ガンダムを否定して古き良き日本に帰りたいと言うメッセージか。
1話の作画・ビジュアルがあまりに美しくてびっくりしました。特に女性のキャラデザは素晴らしいと思います。キングゲイナー感で誰がデザインしたのか1目でわかります。
で、この作品を見ていろいろ思うところがあります。
まず、本作とターンAガンダムに連続性があるのはアメリア大陸という名称と宇宙(軌道)エレベータで一目でわかります。これが何を象徴するかです。宇宙世紀では、宇宙と地球の分断を描いていましたが、宇宙と地球のつながりを描きたくなったのかなあという事。宇宙エレベータは地球と宇宙を結ぶ象徴なのでしょう。あとチラリとモビルスーツが朽ちていましたね。これも連続性の根拠です。
それと、キングゲイナーではエグゾダスで、本作ではレコンキスタです。大脱出と征服です。名称は違いますがやっていることは「帰還」です。つまり、ターンAのムーンレイスとも重なります。フォトンエネルギーもキングゲイナーと共通です。
そして、文明化を止めることがどの作品でも重要な要素になっています。つまり、ある程度の文明水準以上になると滅びしかないという事にもつながります。Vガンダムも重なります。
宇宙エレベータ、帰還、文明のバランスと言うのは、皆手を取り合って古き良き時代=心の原風景・故郷に帰りたいというメッセージだと思います。本作では富士山がラストに描かれますが、まさにその事ではないでしょうか。
それとフォトンエネルギーに込められたものは難しいですね。核のアナロジーにも見えますし希望の光にも見えます。ただ、ガンダムそのものを否定せざるを得ない富野氏の想いから言って、やはり人類には過ぎたるものという読みとり方が正しいのか。戦争や文明の発展が無ければそもそも地球は回復します。
相変わらずキャラたちがコミュニケーションをとっているようで、勝手に皆バラバラにしゃべっています。これって、実際の人間のコミュニケーションのアナロジーになっているのかな、という気がします。
そして最終話が「大地に立つ」はもちろんファーストガンダムの1作目。自己拡張としてのモビルスーツとコミュニケーションとしてのニュータイプを描いたファーストガンダムですが、それを否定しました。ガンダムではなく自分で大地に立つのです。
そう考えると、地球への帰還が本作のテーマだとすると、なぜ劇場版のZガンダムでダカールの演説がカットされたかかもわかります。昔はフロンティア精神で宇宙進出が人類の道と考えていた。だけど、それは富野氏の主張ではなくなったという事でしょう。
我々は所詮は地球と共に生きる…地球でなければ生きられないのだ。ただ、そのためには今の文明をリセットし、一度滅びなければいけない。その上で古き良き故郷に帰ろうと言っている気がします。まさにターンAですよね。
そして本作ラストで妊婦が出てきます。つまり、我々は自然回帰して男女が素朴に愛しあうことが大事だと。
Vガンダムで宇宙世紀の終わりを表現した後で、ここにたどりついたのは素晴らしいと思います。どうしてもVガンまでのことは一度否定したかったんでしょうね。ターンAで舌ったらずだったのが見事に帰結したと思います。
で、もう1つの視点。富野氏のSF造詣の深さですね。本作の1000年にわたる文明の停滞、そして科学技術を保存する秘密の組織。エネルギーの支配と宗教的な支配。これって、明らかにアイザックアシモフの「ファウンデーション」の影響を受けています。
宗教で言えば、キングゲイナーも同様に宗教観が強いですし、ムーンレイスもディアナ様が崇拝の対象になっています。そして全作品ロストテクノロジーです。
それと、ビーナス・グロゥブの長寿化と突然変異の問題。これもアシモフの「はだかの太陽」のソラリアという惑星の状況と重なります。ソラリアは突然変異ではないですけど長寿化によって繁殖をあきらめかけています。
つまり、キングゲイナー、ターンA、そして本作は文明史としての人類の描き方は「ファウンデーション」「ロボットシリーズ(鋼鉄都市のシリーズ)」の影響が強いのかなと思います。「ファウンデーションシリーズ」は人類の再生の物語です。
そして、惑星を覆うほどの人工物。まあ、本来は恒星なんですけど「ダイソン球」ですね。これは「リングワールド」あたりの影響があるのでしょうか。
ファーストガンダムは「スターウォーズ」の影響が非常に強かったと思います。ビームサーベルはライトサーベル、ニュータイプはフォースと言うのもありますが、武器には整備も補給も基地も必要だと言うリアルな設定を持ち込んだことですね。なお、本作でもベルリとアイーダの関係性はスターウォーズです。
そして、ガンダムのデザインはハインラインの「宇宙の戦士」のオマージュだそうで。ハインラインを読んでいれば、クラークやアシモフは当然読んでいるでしょう。
本作が2014年ですか。富野氏が73歳の時の作品です。今まで自分が積み上げたものを、過去を否定しつつ形にしたのは大したものだと思います。
そして作劇法ですね。まあ、ブレンパワードやキングゲイナーでも感じられましたが、設定を必ずしも説明しきらないところですね。「水星の魔女」でもそうですが、敵対する勢力同士のやり取りとかは設定はあるにしても、表現する必要がないという開き直りです。人間の行動原理を描くことに注力しています。主義主張ではなく、個々人の想いが全面に出てきました。
そして、それはモビルスーツ自身にも言えます。機械の設定にもう興味がないのです。戦いのための道具でそれが何を象徴しているのかしかないのです。
本作においてはGは「意思」「主張」あるいは「戦い」の象徴ですよね。それだけです。Gに乗れるのは未来を担う子供たちです。それだけ分かればいい。つまり「ガノタ否定」です。設定やディテールは必要ない。必要なのは「なぜ?」だけですし、ガンダムという名もいりません。
今回のガンダムやモビルスーツには感情移入できません。多分、そういう構造にあえてしたのでしょう。今まで無かった排泄設定も突然でてきました。つまり、モビルスーツをカッコ良く描かなかったのは意図的でしょう。
となると、オリジンやUC、ハサウェイなどを今、富野氏がどう思っているのかは察しがつきます。Vガン以前の作品を見ないでいいというのは本音なのでしょう。あれは間違っていると言いたいのが本作なんだと思います。
モビルスーツは富野氏にとってもはあくまで「子供向け」の「兵器」の設定です。あれにばかり注目があつまるガンダムシリーズに嫌気がさしたのでしょう。内容は戦争を引きずっていた1979年ならガンダムの意味はありましたが、Vガンでその意味は間違っていたと告白したのです。
そして、それは怪しげな環境活動に思うところがあったのではないでしょうか。環境環境言っておきながら、核を使い、戦争をし、公害をまき散らしています。だったら文明など放棄しろ、できないなら滅びてしまえ。大人は子供に未来を託せ、子供を戦わせるな、犠牲にするなですね。「天気の子」のメッセージに似ている気がします。特にターンAと本作からはそのメッセージが伝わってきます。
と言う風に、富野監督のガンダムの集大成として素晴らしい作品でした。作画もキレイだし、キャラデザも最高。そして、中に含まれているメッセージはまだまだ受け取り切れないほど膨大です。
ガンダム作品の中で、ターンA、Vガンダムで描こうとした人類の滅びと再生、そしてキングゲイナーで描いた帰還。それらが上手くまとめられた傑作だと思います。ちょっと今含意が多すぎて胃もたれしているので、もうちょっとまともに考えてみますが、非常に興味深い作品でした。
追記 そうそう、食人という悲惨な部分も描いていましたね。この設定でいかに文明が失われた結果、人類がひどい状況になったのかがわかります。