nyaro さんの感想・評価
5.0
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
家族から離れが可能性に向かって歩きだす。または友情論と自己愛。
メチャメチャ面白かったです。あえてぼやかしているような感じがヒロイン透子と重なって、モヤモヤとか先の見えない青春の不安とかそういうものが伝わってきました。
ユーチューブで「訳の分からないアニメ」という評価を見て、興味を持ってみましたが、私は非常に深く感動しました。文学的…というには含意がありすぎますが、一見訳の分からない話にしてぼやかすことで青春の混乱を表現していました。
はじめのニワトリは5人を象徴していました。自分でエサもとれる、つまり一人で生きているように見えて、守らなければ危険、まだ子供ということ。一人一匹ずつ保護するという場面で説明していました。加えて5人の関心がある趣味やスポーツなどと家・家族が丁寧に描かれます。夏休みも象徴的で期限付きの自由な時間だと思います。
彼らがいろいろがんばれるのは、支えてくれる家と家族があるからという感じでした。その中で不協和音となる駆が現れます。
彼は多重人格の様に分裂し、未来に起こるかもしれない声が聞こえます。つまり未来…というより自分とやりたいことが定まっていない。不自然なテント生活は、居場所がわかっていない。それが居場所が決まってくることで声が聞こえなくなってゆくのかな、と思います。
透子もそうですね。あの5人の中で居場所が実はわかっていなかった気がします。あの不自然な八方美人というかすべて口に出してしまうところは、不安定さが表れている気がします。
美術準備室に行くと雪が見えるのは、本当に自分がその道に進みたいのかわかっていなかった。ジョナサン=透子がうまく描けなかったのはつまり自分で自分がわからないということ。
趣味=それぞれの夢=アイデンティティの理解という意味で、山登りと読書、長距離とダンスを体験することでカップルが生まれてゆきます。駆は走っていたし、山登りもしていたしで、まだまだ何も定まっていない状態です。
百合的なものもありますし病気の件もあるのでで幸と祐の行く末に暗雲はあります。透子のビジョンが可能性なのか事実なのかはわかりません。それもまた可能性だということです。
怪我とか病気は不穏なものともとれますが、一方でそれを支えてくれる家族を描いたとも取れます。もし支えてくれなければ…の可能性の示唆という意味もあるでしょう。
祐筆という職業があります。代筆屋というとちょっと違いますが「裕」の字は小説家を表している?気もします。明日のために、でしたし。
「駆=一緒にいると雪が見える」という名前と「雪=走っている方」という名前が逆転してます。これもまた可能性の示唆なのかな、と思います。結果的に雪が降っている景色で見たビジョンはそういうことではなかったですが、2人の関係において雪が不穏に描かれていました。この名前の逆転は意味があると思います。
花火は帰ってくる場所あるいはいるべき場所の象徴、流星は願いです。
つまり、5人の集まりは依存的で、まだ家族と家に守られるべき子供だけど、そろそろ自分のなりたい自分になるためにバラバラになってゆくという話だと思います。一緒にいるためにいるのではなく、偶然一緒になれたらまた仲良くできるよね、という話だと思います。
ということで1回しか見ていないので、受け止めきれているかわかりませんが、深く感動しました。守られるべき子供から自分の願いのために行動することで大人になる、という話だと思います。
ただ、2回目みて「考察」する意味があるのか、ですね。このモヤモヤ感が大事だとすればちょっと余韻を味わいたい感じです。
類似例があるとすれば「打ち上げ花火下から見るか横から見るか」ですね。同作品を楽しめた人は本作も理解できるでしょう。
オール5かな。作品…というか脚本の質としては最高峰ではないかと思います。
追記 そうそうカミュ=不条理と選択の物語、夏目漱石=月がきれいと夢十夜はいいとして、名人伝は一つの事を極める話です。その他の本は全部拾い切れてませんが、ちょっと興味がありますね。
書き忘れました。ピアノを聞くと不穏になるのは、駆がいなくなる、つまり母親について行ってしまう暗示だから?ガラス=透子の象徴だと思うのですが、あれを捨てることがラストシーンでしたので2人はむすればれない、ことを示唆していた?
となると結局5人は全員バラバラになるか、幸と裕だけは…という気もしますが、幸の心の真実を知っている裕とは結局うまくいかないのかな。雪とやなぎは家族だし。
再追記 カミュ「転生」は自己愛と他人との関係、あるいは二重性の話でした。
やはり少し中身の理解を深めたくてカミュの「転生」を読みました。後半の「追放と王国」まで読み切れてないのですが、この「転生」は異邦人のような話とはちょっと毛色が違いました。
この作品は自己愛と他人へのふるまいのエゴイズム的な話でした。友人も恋愛も裏では自己愛でしかないという告白の話です。また、罪を犯した人間が他人を自分の立場に引きずり落とすということでもあります。
また、エッシャーの「昼と夜」も昼にも見えるし夜にも見える、鳥にも田んぼ(畑?)にも見えるだまし絵です。つまり、二重性です。可能性の物語かと思っていましたし、そういう要素はあると思いますが、このニ重性というのが
キーワードの感じです。
雪と夏の対比もあります。透子がガラスをやりたいのか絵をやりたいのかで悩んでいるのかはわかりません。そこは読み解いていきたいですが。
そして、同時に友情というのは自己愛ではないのか?という点にも注目したいです。幸の家の描写と病気、なぜ裕に本を読ませるのか、などを考えたいところです。つまり友情とは何か恋愛とは何か?の話なのかもしれません。