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「かぐや姫の物語(アニメ映画)」

総合得点
64.9
感想・評価
291
棚に入れた
1196
ランキング
3600
★★★★☆ 3.8 (291)
物語
3.6
作画
4.2
声優
3.6
音楽
3.8
キャラ
3.5

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かぐや姫の物語の感想・評価はどうでしたか?

ネタバレ

ベル さんの感想・評価

★★★★★ 4.5
物語 : 4.5 作画 : 5.0 声優 : 4.0 音楽 : 4.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

個人的に凄くいい

私的にとても感動できた作品でした。

{netabare} 帝や翁、捨丸には少しツッコミたくなることがありましたが(笑) それでもラストシーンは言葉だけでは表現できないような、心にジーンとくるような、何か考えさせられるような、そういったものを感じました。

エンドロールは絵がなく真っ黒だったので、自然と物語の始めからラストまでを思い出していました。思い返すとなんだか涙が出てきて、これはとてもいい作品だったなと改めて感じることができました。
私的にラストのかぐや姫が地球を見て涙を流すシーンが1番印象に残りました。{/netabare}

投稿 : 2023/12/14
閲覧 : 245
サンキュー:

7

ネタバレ

蒼い✨️ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.2
物語 : 3.0 作画 : 4.0 声優 : 3.0 音楽 : 4.0 キャラ : 2.0 状態:観終わった

道楽。

【概要】

アニメーション制作:スタジオジブリ
2013年11月23日に公開された137分間の劇場版アニメ。
原作は、『竹取物語』

監督は、高畑勲。

【あらすじ】

日本人なら『竹取物語』を誰でも知っていますので略。

【感想】

日本テレビの会長だった故・氏家齊一郎氏が、「ホーホケキョ となりの山田くん」を見て、
どれだけ金かかってもいいからと言って高畑勲氏に映画を作らせようとした。
興行的には失敗続きで干されていた高畑勲氏はこれを引き受ける。
その制作半ばで氏家会長は没して、日テレも前会長の遺命で引くにひけずに、
宣伝に予算をかけるも莫大な制作費を回収できなかった大作。

仕事を始めるのにも重い腰を上げるための話し相手が通い詰めたり、
絵コンテ30分作るのに1年半と書かれていて完成に長い年月を必要としたり、
自分では絵が描けなくて文章でびっちりと説明をして他の監督の作品の10倍もリテイクを繰り返して、
プロデューサーとしては厳格であり、宮崎駿氏の頭が上がらない人物が、
いざ自分で作品を作るとスケジュールや予算の管理能力が皆無。
8年間の歳月と制作費52億を費やしてまで、これを作らないとならなかったのか?
宮崎駿監督で稼いだ金を食い潰すという、最晩年はジブリのお荷物になりながらも、
結局は高畑勲監督の遺作となってしまった作品。

個人的には巨匠ぶって数年おきに忘れた頃に映画を発表をする方よりは、
その時節で人様が作った作品を素直に楽しんだり、
TVシリーズなどで仕事を続けていて現場感覚が強いといった人材のほうが好ましく、
アニメは視聴者・観客に受け入れられてこその娯楽であると思っている自分にとっては、
美術館に飾る絵画のような精神で作られた芸術家ぶったアニメには抵抗があります。

誰もが知っている作者不詳の御伽噺が原作であり、
他には類を見ない戯画や水墨画みたいな作画が特徴ですが、
原作は説明不足であると思ったのか、独自解釈に依る補完まみれ。
映画の展開は原典に完全には忠実ではなくて、
かぐや姫が赤子の状態から段階を踏んで成長していき、
原典にはない山野での幼女時代を挟むことによって、
主観での楽しかった子供時代を美化することで、

養父である竹取の翁(讃岐造)から押し付けられた幸せ(貴族との結婚)を、
貴族社会の権威やしきたりなどを姫の主観では窮屈な鳥かごのように、
極めてネガティブなものとして扱って、彼女がそれを望んでいないこと。

原典では姫と三年間も文を交わして心の交流がある時の帝を、
ギャグみたいなアゴがキモいナルシストのストーカーとして、
かぐや姫の拒絶の対象に改変してまで、
オリキャラの木こりの捨丸を姫の幼い頃からの想い人にして、
貧しい庶民の暮らしは素晴らしいと強調させる。

高畑勲氏の思う人間らしさの描写が、
今回はブルジョワジーに対するルサンチマンの拗らせと思いきや、
その捨丸ですら妻子がいながら姫に思いを馳せる不貞な男としていると、
人間社会は欲にまみれて真に美しいものはないと描いている。

しかし、その罪深き人間の業ですら、
感情が去勢されていることで悩みも苦しみも失ってしまった、
一見は朗らかな月の世界のディストピアと比べればマシな存在としている。

この作品で真に描きたかったのは登場人物の個人のドラマではなくて、
人間は愚かな俗物ではあるが、感情があるからこそ素晴らしいと肯定するための物語なのだろう。
俯瞰した人間の描き方は、戦時中のニート少年が集団生活のルールから外れて、
妹を巻き込んで餓死する「火垂るの墓」から一貫している。

扇情的な大衆娯楽ドラマは視聴者を一方通行の受け身状態にしているとして好まない高畑監督は、
視聴者の想像力や自分で考えることを大切にしているという。

この作品も前述の明確なテーマ性を持っていて、なるほどな!と思うこともあれど、
実はそんなに面白いものではない。メッセージとしてはありきたりであるし、
イチイチお金払って映画館で高畑勲氏の説法を聞くのが楽しいのか?

やはり、劇場に足を運ぶ客から求められているのは感動であり大衆娯楽であるのは、
近年の人気アニメ映画の数々を見れば一目瞭然であり、
高畑勲氏が否定しているものこそが、視聴者が欲しているものであろう。
その視聴者を口を開けて餌をねだる雛鳥扱いして、
クリエイターが顧客に媚びていてけしからんとする者もいるが、
むしろ監督個人の作家性云々を主張している者こそがニッチ側の存在である。

高畑氏のクリエイターとしての姿勢は嫌いではないが、何億何十億もかかるプロジェクトで、
莫大な人間を作家性の巻き添えにすることについて、やはり疑問なのが、
このアニメを見てて思うこと。

芸術家ぶって好き勝手にやりたいなら、出版物で作ればいいじゃない?
やりたいようにやって27億円の赤字のアニメを見て、
作画スタッフの手間暇に比べて特に満足感がなかったことで、
思ったことがこれでした。


これにて感想を終わります。
読んで下さいまして、ありがとうございました。

投稿 : 2022/10/14
閲覧 : 228
サンキュー:

25

ネタバレ

栞織 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8
物語 : 4.0 作画 : 4.0 声優 : 4.0 音楽 : 3.5 キャラ : 3.5 状態:観終わった

姫の犯した罪と罰とは「不倫」

映画館で見ましたが、見た当時は「金返せ」状態でした。しかし今はそうでもありません。まあまあの映画だったんじゃないかと思います。巨匠に対して失礼な言い方ですが。

宣伝コピーの「姫の犯した罪と罰」の意味がよくわからない、あれはもともとはかぐや姫が転生前は宇宙の星にいて、そこで罪を犯した・・・という制作裏話が存在するようですが、ぶっちゃけ私はそれは話の中で出てくるかぐや姫の「不倫」だと思います。それで、監督さんもはっきりと宣伝時に言わなかったのだと思います。つまりこれは従来のジブリ枠からかなり離れた作品で、普通の邦画のような作品です。ジブリでもついに不倫を扱うようになったかと思いました。しかもそれがあの日本の古典の「竹取物語」でです。だからこの映画はかなりの冒険だったと思います。だから子供たちへの配慮があってか、監督さんも死ぬまで「それは不倫のことからです」と話すことはなかったのでしょう。いつかその子供もわかる日が来ると、放置したのだと思います。

なぜ「竹取物語」に不倫要素を加えたか。これは同時代の古典文学の「源氏物語」に影響されてだと思います。それで、途中で出てくるギャグ要素の「アゴ帝」が、光源氏のカリカチュアみたいなキャラにされているのです。これは今までギャグに注目してあまり指摘されていなかったと思いますが、私はあれはそうだと思います。かぐや姫にバックから抱き着いてあのようなセリフを言わせるのは、子供にはわからないと思いますが、かなりアレな描写でしたね。しかしそれも色事師の側面から光源氏を思い出してほしい、という監督からのメッセージだったのです。それはラストに出てくる「かぐや姫の罰」にあたる天上界への昇天、あれが何を意味しているかというと、実は「源氏物語」の不倫の末の「出家」に当たるのです。だから最後にかぐや姫を迎えるのが天上界の「御仏」たちなのです。

おそらく監督はもともと童話で平板な「竹取物語」を、ひとりの女性の内面史として描くために、不倫要素を加えて、幼い頃に一緒に遊んだおさななじみの男性との恋の再燃という物語にしたのだと思います。そういう要素がないと、いかにも気位が高くて冷たい女性の物語になってしまいます。それで監督は、最後に出てくる昇天を「出家」ととらえて物語を再構築したのだと思います。しかしそれを公的にしゃべると、不倫ものと言われて、子供はこの映画を見に来なくなってしまいます。従って監督は何も言わず、「ふつうに生きていてもそういう事もあるよ」と、幼い観客たちにこの映画を手渡したかったのではないでしょうか。意に染まない相手との結婚や、幼馴染との再燃、非常によくある話です。そう考えると、従来のジブリキャラの絵柄ではなく、毛筆で描いたようなこの映画の大人っぽいタッチも、大人になったいつの日かそれを気づいてほしいという意図に沿って作られたデザインと、思うことができるのではないでしょうか。

ただ最初に見た時「金返せ」と思ったと書いた理由は、今言った「アゴ帝」が「竹取物語」の原文とはまったく違っているからで、昔高校の頃、この「帝」が最後、かぐや姫からもらった「不死の妙薬」を、もうかぐや姫に会えないのに不死になっても仕方がないと、富士山の頂上で焼いたから「不死山」から「富士山」と呼ぶようになったという話を原文で読まされて知っていたので、それではなかったこの映画の顛末には、思わず憤ったという感じですね。

あと当時あった事を思い出すと、この映画の公開前に「かぐや姫の物語」と題した、謎の短編アニメ動画がYoutube上にありました。それは現代を舞台にした若い女性の生態が描かれたもので、澁谷のようなところを女性が歩いているといったものでした。当時はどうしてこれが「かぐや姫の物語」なのか意味不明に思ったのですが、それも前述のごくふつうに生きている現代の若い女性の内面史のように描きたかったらしいこの映画の演出方法から考えて、映画の試作品だったのか知りませんが、そういう意味で作っていると関係者側から流出したものと思われます。私などは短絡的に、この映画の成立にはあの作家の瀬戸内寂聴さんもかかわっていたのではないかと、考えたりもします。

投稿 : 2022/03/23
閲覧 : 281
サンキュー:

6

ネタバレ

ちあき さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0
物語 : 4.0 作画 : 4.0 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

タイトルなし

ラストが……。
地球も月もどっちも極端。
そういう意味では怖かった。

投稿 : 2021/10/25
閲覧 : 302
サンキュー:

2

ネタバレ

たわし(爆豪) さんの感想・評価

★★★★★ 4.4
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

かぐや姫の「罪」とは「同じ過ちを繰り返していること」

故高畑勲の遺作 原作は日本の古記「源氏物語」。

作画はほぼ鉛筆画と水彩絵具の色調でアニメ化するのが超絶困難なので制作に8年以上かかったのはうなずけます。

こういった作品は感動を売りにすることが多いですが、そういうことではなく演出は非常に平坦で淡々と進むので、ラストは日本人なら誰でも知っているのでしょうがあっけにとられます。

キャッチコピーの「罪」と「罰」というのは、主人公の姫の「傲慢さ」と「美しさ」でしょう。

姫がこの世ならざるくらい美しすぎるので、完璧であるがゆえ「穢れたもの」を毛嫌いし、他人を寄せ付けず姫が傲慢になってゆく様が実は痛々しく描かれていて、「フェミニズム映画」だと誤解されがちですが、実は一人のファムファタール(男を破滅させる魔性の女)に周囲が冷静さを保てずに破滅してゆく物語なのです。

あるものは財を全て失い。あるものは大怪我をし、あるものは死んでしまう。たった一人の姫に翻弄され人生を狂わされてゆく人々の話なのです。

しかも、姫はそのことに全く自覚がない。実は女性に対しての批判の眼差しでもあります。そういう女性いますよね。。。。

その「罪」を実は月へ戻っても永遠に繰り返しているのです。「羽衣伝説」の天女然り、かぐや姫然り、そしてラストに浮かぶ捨丸と姫の。。。。

投稿 : 2021/07/13
閲覧 : 533
サンキュー:

15

ネタバレ

ふじき さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

生きたいと思うこと

日本最古の物語文学「竹取物語」をベースにしており、キャッチコピーは「姫の犯した罪と罰」。地球に舞い降り、鳥や獣のように生きたいとだけ願った女性の話です。

人生は選択の連続です。その時代毎で、「相応しいとされる選択」があります。ジェンダーによって著しくその選択肢が限られることもあります。
私たちが生きている今は、常に過去よりも自由になっているはずです。
私は女ですが、先人たちの苦労や、今同じ時代を生きる異性、同性のお陰で、不自由を感じることはほぼありません。

けれど、それは、私が無意識のうちに「損をしない選択」をしてきたからなんだと思います。
みんなどこかで、「自分が一番イージーに生きられる道」を探しています。
本当の自由は孤独です。本当の自由を求めて争ってきた先人たちのをみて、私は無意識に「自由に生きたいと振る舞えば振る舞うほど、人はがんじがらめになってしまう」と思っていたようです。

正確な時代は不明ですが、「ミカド」の結婚相手、という当時からしたら「女性の一番の幸せ」という選択肢をかぐやは拒みます。
私がもし彼女なら。喜んだかは不明ですが、その話を絶対に受けたはずです。きっとそれが一番イージーな道だから。

かぐやは、永遠の世界で、永遠以外を望んでしまいました。永遠を生きるよりも、有限の時の中で、あらゆる命の営みに囲まれ、愛する人と共に喜び、悲しみたいと思ってしまった。そのことが、罪なんだと。
映画館で彼女を観て、私は涙が止まりませんでした。思うように生きてきた、何も制約は無かったと思っていたけど、きっとそんな人ほんの一握りなんだと思います。みんな、無自覚に何かを諦め、折り合いをつけて生きている。
真の「自由」なんて更々望まず、緩やかな支配の中で「自由に生きている」と思えている程度に飼い慣らされている呑気な私ですら、そう感じます。

高畑勲監督は本当に真摯な方だったんだと思います。「竹取物語」を映画化したいという思いが先なので、主人公の性別は付随的なものだとは思うのですが、なんで女性じゃないのに、こんな作品が作れるんだろうと思いました。

少しジェンダーに寄った話で作品を矮小化してしまいましたが、作画や音楽含め、とても素晴らしい作品だと思います。

投稿 : 2019/01/29
閲覧 : 314
サンキュー:

8

ネタバレ

天地人 さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0
物語 : 3.0 作画 : 3.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

偽SFスーパー英雄(?)列伝40

かぐや姫
「月よりの迎えの使者がくるのです。」

「そんな事をさせるものか、絶対かぐやは守ってみせる。誰かおらぬか・・・」
当日、かぐや姫を守るため、館を守る武士達の前に流れる音楽と光
光の中から現れた、白いバイクに乗った全身白尽くめにサングラスとマントをした変態(違)
「月よりの使者、月光仮面!」
(ど~こ~の~誰だか~♪知~らないけれど~)

・・・いや、何となく浮かんできたもんですから(汗)

ちょっと、絵が独特で、食わず嫌いと言うか観てなかったんですけど、この前TVでやってたので観てみました。
で、最初に思ったのは、出てくる男みんなヒドイな(おいっ)
特に、捨丸・・・それまでの描写があの描写だっただけに、やられました。
帝もアゴが(いや、そっちじゃないでしょうが)
まあ、みんなが知ってる物語なだけに、ラストは予想通りでしたが、まんが日本昔話で10分程度の作品を、2時間以上観る事になるとは(それは言わない約束・・・でしょうか)
あと、絵がキレイでしたね、この点は観てなかった事を後悔しました。

おまけ
かぐや姫に求婚してきた5人の変顔貴族。
その5人に対し、かぐや姫は無理難題をするのだった。
「日本初のアニメ、凸坊新畫帖 芋助猪狩の巻が見たい(何?)」
「おそ松さん第1期の第1話を、ノーカットでもう一度TV放送して(う~ん)」
「ダンこと森次晃嗣さんの経営するカフェで盗まれたセブンのマスクを探してきて(いや、それアニメじゃないだろ)」
「ルパンとクラリスを再会させて(確かに観たいけど、それやっちゃあ駄目な気が・・・)」
「HUNTER×HUNTERを最終回まで休まないでジャンプで連載して(無理無理)」

投稿 : 2018/05/27
閲覧 : 245
サンキュー:

11

ネタバレ

こっとん さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8
物語 : 3.5 作画 : 4.0 声優 : 3.5 音楽 : 4.5 キャラ : 3.5 状態:観終わった

かぐや姫が月に帰っていくシーンが印象的でした。

ストーリーは、もちろん知っている方の方が多いかもしれません。ポイントはそれをどう描くかだと思うのですが、個人的には最後、かぐや姫が月に帰っていくシーンがとても印象的でした。迎えが来て月に帰る際にかかっている音楽が無駄に明るいというかなんというか、、、。
月の者が無感情にかぐや姫を連れて帰るのが、地球の人にとって、「何を考えているのかわからない」、「怖い」と言った感情を表しているように感じました。

投稿 : 2018/02/28
閲覧 : 201
サンキュー:

3

ネタバレ

ヘラチオ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.5
物語 : 2.0 作画 : 5.0 声優 : 4.0 音楽 : 3.5 キャラ : 3.0 状態:観終わった

素晴らしい作画

見終わった直後の感想は、まんま竹取物語やんでした。もう少しひねりがあるのかくらいに思っていましたが、ストレートでした。映像で分かりやすく楽しむ竹取物語という感じです。
変更点は僕が他を見つけることができなかっただけだと思いますが、かぐや姫が求めるものを探しに行った男の末路くらいです。

ただ、作画は本当に凄いです。墨で描かれていたと記憶していますが、この作画クオリティは中々真似できないのではないでしょうか。

投稿 : 2018/02/24
閲覧 : 286
サンキュー:

8

ネタバレ

fuushin さんの感想・評価

★★★★★ 4.7
物語 : 4.5 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 4.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

1000年前も、今も、たぶんこれからも。

Wikipediaより。
日本最古の物語といわれる。9世紀後半から10世紀前半頃に成立したとされ、かなによって書かれた最初期の物語の一つである。現代では『かぐや姫』というタイトルで、絵本・アニメ・映画など様々な形において受容されている。
「人間の姿そのものという新たな世界」を創り出そうとしたところに、物語文学の誕生がある。(引用はここまで)

高畑監督の描いたかぐや姫の物語。映画館で観たのですがとてもすばらしいと思いました。テレビでも観ましたが、スクリーンで観た記憶と感動がありやかによみがえってきました。
それにしても、この作品の描写はこの上なく独創的です。柔らかくありて激しく、ふくよかながら、かつ鋭い。
他では見られない新しいタッチですね。本当に魅力的です。

そして、姫の言葉と、表情と、生きる姿をとおして、” 地球に生きる意味、肉体を持ってこの世に生きる尊さ ” が、深くたおやかに表現されていると思います。

この物語、一般的には「羽衣伝説」の流れをくむ作品です。摩訶不思議な天女が突然現れて、人間と交流して、いつのまにか天に帰っていくという物語です。
でも、「輪廻転生」という角度から鑑賞すると、また違った見方ができると思います。私は、その視点でレビューしてみたいと思います。

{netabare}
「かぐや姫の物語」は、おおもとに輪廻転生という骨格(モチーフ)があって、そこに竹取物語という古典を肉付け(シナリオ)し、罪と罰という服を着せ(テーマ)、姫の視点と心情と行動を中心において、視聴者に観せていく(アプローチ)という切り口でスクリーンに投影した・・そんなふうに私はとらえました。

また、物語では、「月と地球、天上人と地上人、自然と都会、上流階級と庶民、姫と翁・媼、女と男、生まれると還る」など、いくつもの場面で、二つのものを対比させています。
そうすることによって、これを観る人の解釈と理解を助け、鑑賞を深められるようにしていると思います。

というわけで、私は、「輪廻転生を縦軸に、対比を横軸に」という見立てをたてながら考察してみようと思います。
{/netabare}

輪廻転生は仏教用語ですから、なんとなく「人は、未来永劫、生まれかわり死にかわりするんだな。」といった程度の理解から始めました。
対比については、立場、意見、思想、世界観などの違いを浮き立たせて、観る人にいろんな角度からアプローチしやすくするための設定ととらえました。

まず、縦軸としての輪廻転生について考えてみたいと思います。

気になるのは、「わらべ歌」の存在です。

{netabare}
鳥 虫 けもの 草 木 花
咲いて 実って 散ったとて
生まれて 育って 死んだとて
風が吹き 雨が降り 水車まわり
せんぐり いのちが よみがえる
せんぐり いのちが よみがえる

・・・せんぐり:京都 但馬地方、奈良、徳島などにみられる方言。何度も、繰り返し、次々に、という意味です。

このわらべ歌に織り込まれた言霊を読み解き、頭の中でリフレインさせながら姫に寄り添っていけば、もしかしたら、この物語の主題でもある「姫の罪と罰」を理解するきっかけをつかめるのではないかと考えました。

まず、姫には、前世の記憶は残っていないはずです。
常識的には、前世の記憶は今世にはもちこせないからです。
でも、とても不思議なんですが、設定では、姫はわらべ歌を口ずさむんです。前世の記憶は持ち越せないはずなのに、です。
姫が、単に特殊な能力を持つシャーマン(霊能者)なのかもと解釈するのはよくある、あるある話ですが・・。
{/netabare}

実は、私はこの「わらべ歌」には、二つの意味がある強く感じるのです。(ここから先は全くの自説です)

{netabare}
ひとつ目の意味は、わらべ歌には、姫自身の地球での前世の記憶と、月での前世の記憶が、それぞれぎゅっと凝縮して込められていると思うのです。

かぐや姫は、月世界でこの歌を歌っていた女性の姿を見かけていましたが、思うに、その女性はかぐや姫自身の前世霊ではないかと思うのです。

「輪廻転生」がモチーフであれば、地球にも月にも、それぞれの世界に「前世」「前々世」「前々前世」があって不思議ではありません。

地球では、数百年のスパンで輪廻転生があるので、時間軸からみれば、同じ肉体、同じ人格は同時代には存在しえません。

ですが、月の世界は肉体の世界ではなく霊体の世界(霊界)ですから、肉体が滅ぶという時間の絶対的な制約をうけることはありません。
であれば、霊体という存在であるなら、「 前世の霊体、前々生の霊体、前々前世の霊体が、同時に同じ場所に存在することは可能 」です。
(困ったことに、この地上にも、そういう霊がときどき見受けられるという話がありますね。やはり、時間の縛りがないから、ずっーと残ってしまうのですね。)

ただし、かぐや姫の霊体のもつ人格と、前世霊の霊体のもつ人格(知識や概念など)は全く別のものです。
なぜなら、肉体をもって地上にうまれ、そこに霊体が宿るわけですが、前世霊が得た肉体が生きて存在していたのが、平安時代なのか、江戸時代なのか、現代なのかは、みんな違うわけですし、当然、見たもの、聞いたもの、経験したものや体得したものも違いがあります。ですから人格も当然違いがあります。

では、なぜ、その女性こそが、かぐや姫の前世 ( あるいは前々世 ) の人であったのか。
それは、その女性が、「かつて地球で肉体をもって生きていた記憶」があったからだし、また、自らの声帯を使って歌ったという「習得していた技術」があったからだし、「深い情念・愛念を忘れることなく持ち続けていた」からです。

肉体は滅んでも、培ってきたノウハウは霊的なエナジーとして、その女性に残っていた。

だからこそ、かぐや姫が、再び肉体を得たとき、前世霊のすべてのノウハウが、姫の脳と声帯と記憶の中にすでに宿っていた・・。
だから、無意識のうちに、同じ歌を歌うことができた・・。

そのように想像することが、私には納得のできるストーリーに思えます。

姫のまわりの子どもたち、そして媼、彼らもまた、同じわらべ歌を知っていました。
それは、幾百年前、姫の前世を生きた、肉体を持った「あの月の女性」が歌い残したもの。

その歌が、いつしか「わらべ歌」として、長きにわたり人々の間に歌い継がれ、やがて子どもたちも口ずさむようになった、と考えれば、私はいろいろなことが合点がいくのです。

そのわらべ歌は、本当は、かぐや姫の前世(あるいは前々世、前々前世)だっただろうその女性が、母だったときの我が子に、あるいは妻だったときの夫に、あるいは乙女だったときの恋人に、地球に生まれ、「命の煌めきを、愛おしさを、尊さを、そしてあなたに出会えた喜びを」やさしい調べにのせて、歌い残し、歌い伝えるもの(まるで恋文のよう・・)だったのではないか・・。

そして、子どもが、夫が、恋人が、耳に留めおいていた歌を、月に帰っていった母(妻・乙女)を慕って、恋しく思って、口ずさんでいたのではないでしょうか。

それは、長く長く、数百年にわたって歌い継がれてきた・・・。
(でも、伝承されたのは一番の歌詞のみでありました。二番はわらべ歌としては意味解釈の難しいものであったのかもしれません。)

このように考えれば、わらべ歌に秘められ、隠されていた背景やエピソードがいきいきと思い浮かびあがってくるように思えるのです。

そして、月世界の屋敷から、地球を見ては涙を流し、切なく悲しい表情をしていた女性の姿を、かぐや姫が見かけたという「縁」の不思議さも、「どうしてなの?」と気持ちが向いたという縁も、なによりも歌詞を覚えていたという縁も、すべてがつながるし、すべてが輪廻の中にあったからだと思えば、私は合点がいくのです。

彼女自身も不思議な表情をしていましたが、ふとした感覚で呼び覚まされたように口をついて出てくる。それこそが姫の魂に、深く深く刻み込まれた記憶のエッセンス。理屈ではない感性の世界・・。
私は、このふとした感覚こそが輪廻転生の証(あかし)のように感じるのです。

もしかしたら、この作品を観る人たちにも、月に前世霊の方がいらっしゃるのかもしれませんね。
{/netabare}

姫自身は、なぜわらべ歌を口ずさめたのかは分からなかったようでした。
かぐや姫がその歌に前世が投影されていることにはっきりと気づくことができたのは、月に帰ることが分かってからのことでした。

{netabare}
・・かぐや姫は思わず念じてしまったのです。「ここにはいたくない」と。それが終わりの始まりでした。

鳥 虫 けもの 草 木 花。 まつとしきかば 今かへりこむ。

なんと美しい言葉なのでしょう。

愛しいあなたは、懐かしい故郷で、私を待ってくれているのでしょうか。もしそうであるならば、今すぐにでも、私はあなたのもとへ帰ることでしょうに・・・。

四季とともに、土にまみれ、水を浴び、風と光と大地のあいだで汗を流して生き抜く。
そんな、ささやかな、当たり前と思える世界であっても、それは月にはない世界。
だからこそ、今世かぎりの命に、まっすぐな気持ちを向けて、授かった命を活かしきる意味を見出すこと。
そして生きるさまを、豊かに馥郁(ふくいく)と楽しむこと。喜びを見いだすこと。それらに真摯に向き合い、作り上げていくこと。
限りある命なればこそ、全身全霊を掲げて。
心臓を働かすこと、呼吸すること、思考すること、喜怒哀楽を感じること、愛を感じること、愛を与えること、愛を分かち合うこと。
その働きこそが、全力をかけてあまりある価値だということなのでしょう。

それが、かぐや姫の(そして私たち自身の)ほんとうの天命なのだろうと思えるのです。
{/netabare}

ふたつ目の意味は、

{netabare}
わらべ歌は、神様・仏様が、姫に「生きる標(しるべ)」として授けてくださったものではないかしらと思いました。
神様・仏様の慈悲と慈愛が込められた貴重なプレゼントであり、その心根(こころね)には、姫の魂の成長を願う親心の発露のようにも感じます。

そう、人に願いがあるように、神仏にも願いがあるように思えるのです。(子どもに願いがあるように、親にも願いがあるのと同じですね。)

神様・仏様が、あえて、姫の前世の記憶を「わらべ歌」というかたちで姫に託したその想いと願い。

「転生することの本当の意義と意味」を、姫に気づいてほしい、悟ってほしい。そのために、もう一度、学んだり、体得したり、応用したりする能力を身につけてほしい。姫が前世で犯した失敗や、やり残したこと、そういったことにもう一度チャレンジしてほしい。乗り超えてほしい。魂を成長させてほしい。・・これが神様・仏様の願いのように感じるのです。

これを「天命」(天から授かった命に、授けられているテーマ)といえるのであれば、寿命はどうでしょうか。寿命はいつこと切れるかわかりません。ですから、運命として「授けられたテーマを自らの力で、寿命が尽きるまで運び続けること」がサブテーマになるでしょうし、さらに言えば、造命として「自らの力でテーマを発掘し形あるものに作り上げること」もサブテーマになると思うのです。

つまり、最も大事なことは、姫自身がつかみとらなければならないということです。
そうでなければ、神様・仏様が、姫の転生の願いを受け入れ、地球に戻した意味がありません。
(神様・仏様は、見守ることしかできません。可愛い子には旅をさせよ、ということですね。)

さて、魂の成長とは、すなわち、人としての「魂の生成化育、進歩向上発展のすべてのプロセス」を指すのではないかなって思うのです。
この世に生きているうちにしかできないことを、自分なりに目標を見つけて、志を立てて、行動して、自分自身と社会に益する足跡を残すこと。

それが、輪廻転生することの本質。本当の意味なんじゃないかなって感じています。
{/netabare}

随分と横道に逸れちゃったみたいです。ん~、失敗失敗。元に戻しますね。

わらべ歌には、このように二つの意味合いが込められていると思うのです。

{netabare}
ひとつは、姫自身の前世の宝であり証として。
もう一つは、神様・仏様の大きな慈愛として。

これは、再び、地球で人生を歩むことを願った、姫の魂の成長の物語。

さて、縦軸は、輪廻転生であり、魂の成長こそ人間の本義であると考察しました。
{/netabare}

つぎに横軸です。

{netabare}
横軸は「対比」の表現でしたが、結局、彼女が生きた世界のすべて(見たもの、聞いたもの、触れたもの、感じたもの)であると私は感じました。

例えば、一つ挙げてみれば、「天上人と地上人」。
天上人から地上人を見れば、地上の人々は、人欲と偽善、見栄と虚妄、貧困と不正、騒乱と紛争、男尊女卑・・等々。おぞましく穢れた世界に住む者たちに見えたかもしれません。地上は、さまざまな「差と段」のある世界、「サタン」のような世界・・。

思想、身分、貴賎、立場、まさにめくるめくダイバシティ、玉石混交の世界です。
1000年前も、現代も・・さほど違いは・・ないみたいですね。

地上人として生きることは、かぐや姫の魂が、より広く、より深く、より高く、より豊かに、より多面的に成長していくための”ガチ錬磨の場”。
多くの人たちとの良縁・奇縁が用意されていたのも、そのためでした。

地上世界に転生したかぐや姫が、様々なストーリーの主人公として、自分の魂の成長の意義や本質に、どう真摯に向き合うのか、そして生き切るのか。そのありさまを私たち観客に見せるために、そうした場面が設定されているのが、この物語の横軸になっているように思います。
{/netabare}

さて、高畑監督が謎かけのように設定した「かぐや姫の罪と罰」について、私なりの考察をしてみます。
ホントは、コメントするのも恥ずかしいのですが・・。(自説です)

{netabare}
かぐや姫は、死後は、肉体を脱ぎ、魂となって月の天上人となります。
天上世界なのですから、高貴で安寧、円満でとても穏やかなところのようです。

月から見仰ぐ地球は、あくまでも、眺めるもの、愛でるものであって、間違っても、憧れたり、行ってみたいと思うような場所や対象ではないのでしょう。
天上人にとっては、地球への転生を思うこと自体がありえないこと。
そもそも罪深いことであり、かえって罰当たりなことなのかもしれません。
 
もっとくだけていえば、天上世界はバカンスで、地上世界は修羅場、かな?
{/netabare}

閑話休題。
{netabare}
転生するとき、私たちは、親を選ぶことはできるのでしょうか?
「え?私、あの親の子どもで生まれるの?ホントにホント?ちょっと考えちゃうわ!え〜っ?やっぱり嫌~っ!!!」
「あなたの魂の錬磨のためには、来世はあの家の子どもとして生まれなさいね」と神様はおっしゃる。輪廻転生するたびに、魂の向上に一番適した環境下に生まれるというのが筋のようです。(いろんな時代、いろんな国、いろんな家がありますね。だから、魂が多面的に磨かれるのですね。)
でもまぁ、転生する際には、そうしたやりとりや記憶はリセットされますから、本人は知らないんですけどね。

私たちは、そうした神様との約束で、十分納得して(腹を決めて)転生を果たすわけですから、たとえ、国や時代や性別や、経済や健康、仕事や人間関係などで問題があったとしても、そんななかで自分に与えられた役割を見つけ、自分なりに努力して、ちょっとずつでも高めながら、与えられた天命を全うするために、自分自身を活かしきるだけなのです。

こんなふうに縦軸と横軸を見てみると、生きることが愛おしく思えてきちゃいますね。

変えられない運命はあるんだけれど、変えようのある運命もあるのであれば、努力のし甲斐もありそうです・・それに、輪廻転生しながら、数百年、数千年、数万年?をかけて、自分の人格を練り上げていけばいいのかと思うと、今世がつらくても少しばかり勇気も持って立ち向かえそうです。
人生、長い目で見よっと。
{/netabare}

さて、話を戻します。
竹から生まれたのは最高のファンタジーですね。とっても素敵。
で、もう一つの意味を考えてみました。

{netabare}
竹は「松竹梅」の竹です。樹木に例えて人の精神性や人生を表象していますが、竹の場合はスクスクとまっすぐに成長する子どもや青年の精神性を表しています。ところどころに節があるのは、誕生日だったり、入学式や入社式、結婚式でもあります。また、大人社会に向かって成長していくうえで、乗り越えるべき矛盾や葛藤の意味を表しています。

もう一つは、成長がとっても早いということ。つまり、幼少期、少年期、思春期など、自己形成にとって必要なプロセスがとんでもない速さで通り過ぎていくということです。
女性として月のものを迎えるまでの大切なプロセスを十分には手にすることのできなかった姫・・。
 
”竹” は、姫の生誕と成長に伴う暗喩です。

さて、スクリーンで表現されるかぐや姫の印象は、朴訥(ぼくとつ)、無邪気、天真爛漫、生粋、無知、葛藤、孤独、悲哀・・。

両親の不在、翁と媼の愛(溺愛?)、兄ちゃんへの信頼。

都での不自由ない生活、魅力的な美貌、高貴な方々からの求愛。戸惑い、焦燥し、我を見失う姫。

この姫、純朴無垢なるがゆえに、都の暮らしの中で、数々の軋轢を生んでしまいます。もちろん、姫はそれを望んではいません。

これを「あるあるの女性のストーリー」と傍観者になれない私たち。
なぜなら、私たち自身、今この瞬間にも、姫と同じ人生を歩んでいるからです。
1000年の時を超えて、かぐや姫と私たちの立ち位置は同じ。
{/netabare}

姫は、結果的に、人を巻き込み、巻き込まれていきます。

{netabare}
そのプロセスにおいて、姫は、「知って犯せる罪(姫が意識できる罪であり、悪いなぁ、いけないなぁと思いながらついついやってしまう罪。)」を重ねていきます。
また、「知らずに犯せる罪(無意識に、自覚のない罪であり、また、良かれと思ってやってしまう罪。)」も作ってしまいます。

やがてそれは、垢のように、澱(よど)のように少しずつ溜まっていってしまいます。「チリも積もれば山となる」ように。

姫は、いつしか、貴人・武人の心を読み、図り、試します。結果的に、彼らを弄ぶことになりました。いつしか、忌み嫌うようにもなってしまいます。ついには、彼らを追いやらい、遠ざけてしまいます。

でも、姫は、高慢ちきで鼻持ちならない性格ではないのですよね。
むしろ、素直で実直、優しくて、一生懸命な人でした。
その良心ゆえに(と同時に、浅はかで深慮に欠けている印象も。)、苦悩し、呻吟し、自己嫌悪にも喘ぎました。

姫のこの喘ぎ、苦しみ、葛藤もまた、罪の贖いというわけなのでしょうか。

本当に、アンバランス極まりない、ハラハラするほどに危うい姫が、これでもか、これでもかと表現されます。

古典に「霜を履(ふ)みて堅氷(けんぴょう)に至る」という一文があります。 小さな災いであっても「霜」のように積み重なると、やがて硬い氷のようになり、それが大きな劫となってわが身に返ってくるという意味です。

気がつかない、目に見えないような小さな過ち、その繰り返しが、積み重なっていくとついには看過できないほどの罪となる。それはやがて、大きな災禍や苦や厄難となって自分自身に降りかかり、見舞われることになるという解釈もできなくはありません。

「堅氷」というのは、自分の意識や力技では破れないほどに育ってしまう自我慢心の固まり、というのが、その意味です。我見、我欲、我執が過ぎれば、そのような性格で固まってしまうということですね。

姫が苦しむ原因は、姫自身の未熟な心のあり様から発現したパフォーマンスの結果なのです。すべては因果応報、自業自得。
そうして姫の人となりは、知らず識らずのうちに(心ならずも)、奢り、驕り、傲りへと変容していくのです。

それらは自我慢心から生み出されるものですから、なかなか姫は気づけない。いや、もしかしたら気づきたくない。できれば忘れたい。

そういう意識的、無意識的に複層化された姫の行動が生み出した因果律は、目には見えないけれども、巡り巡って、やがて、積み重なります。これが「罪」だと思います。
(業《ごう》とも言います)

しかし、姫の蒔いた種(罪)は、姫自身で刈り取らねばなりません。贖(あがな)わねばなりません。これが「罰」だと私は思います。

その代償は、姫の意図せぬ展開で、変えられぬシナリオで、無慈悲なストーリーとなって、選択を余儀無くされます。
誰にも抗(あらが)うことはできません。翁と媼の愛も、やんごとなき方の命令も、なみいる武人の矢も意味を為さないのです。

姫は、わが身から出た錆とも言える「罪」を、自分への「罰」として受け止め、贖罪せねばなりません。
{/netabare}

姫は、いったいどんな願立てをしたのでしょうか。

{netabare}
天上世界の神様・仏様、諸善霊らとの暮らしを横に置いてまで、地球に思いを致し、恋い焦がれた願いとは何だったのでしょうか。

遠い遠い記憶に刻まれた地球での暮らし。懐かしくある古里と人々。花鳥草木、獣たち。太陽の輝きと水の煌めき。そしてあのわらべ歌も・・。
もう一度、地球に行きたい。理由はわからないけれど、あの懐かしいもう一つの故郷に還りたい。その切なる思いをもって、姫は月の神様に希い出たのでしょうか。

私たちは知っています。この世に生を得た以上、どんな人間でも苦楽はあることを。 
自分の思いどおりにいかなくて、悔しくて地団駄を踏んだり、涙暮れて一人眠れぬ夜を過ごしたり・・。
喜びも悲しみも全部ひっくるめて、抱きしめて、歩んでいく大事な人生であることを。
愛しい方と出会って、どきどきしながら愛の言葉を紡ぎ、大好きな人を幸せにしたいと願うこと、ともに歩んでいくこと・・。とても素敵なことですね。

でも姫は、・・その道を歩めなかった。

ついに、姫は、自ら立てた願いを放棄してしまいました。
神様・仏様の願いにも背いてしまった姫。

その「罪」こそが、月への帰還という「罰」になってしまったのではないでしょうか。
(月の神様からしてみれば、実家へ帰っていらっしゃい、といった感じかもしれませんが。)

神様・仏様が、様々な人たちとの出会いとふれあいの縁を結んでくださったのに。そのご縁を活かしきれなかった姫。
出立のとき、彼女は再び、地球の記憶をなくしてしまいます。

前述しましたが、この世のルールに反し、人や社会に害悪をなす罪を「国津罪」(くにつつみ)といいます。
持って生まれた自分の能力を磨かず、活かさず、怠りの生き方を選んで歩むならば、その罪は、「天津罪」(あまつつみ)といいます。

姫は、そのどちらも犯してしまいました。

「命」は「意」「納」「血・智」と解義できます。
「命」は、自分の前世、前々世、前々前世・・から伝わるものと、母や父、祖母や祖父といった先祖の血脈から伝わるものが納められています。それは、血に溶け込み、DNAに記憶されています。
それを、今世、使うのは、私たちの「意」。

神道の考え方の一つであり、私たち日本人の無意識に選ぶ行動規範でもあります。
{/netabare}

私は、1000年以上前のどこかの誰かさんが、このテーマを取り上げ、物語にした感性や創作力に、本当に驚かされます。そして感謝しています。

1000年後の今でも、とぎれることなく語り継がれ、受け入れられ、共感されていることを考えると、この作品に込められたテーマ、「人はどう生きるべきか」という普遍的な価値観が、如何に揺るぎないものであるのかということに、あらためて気づかされます。

高畑監督が、アニメーション作品にして、もう一度、この世に表現してくださったこと、スクリーンで観られたことに、深く感謝しています。

おまけです。

{netabare}
最後にかぐや姫が、振り返って地球を見ていましたね。このシーンがまた、意味深で、涙ぐんで言葉になりませんでした・・。

かぐや姫もまた、地球を見仰ぎ、愛しく思いながら、ふたたび歌を歌うのでしょうか。

鳥 虫 けもの 草 木 花。 まつとしきかば 今かへりこむ。

それは、姫が、もう一度、地球に戻るという決意だったのか・・。

月に帰ること自体が「罰」であるのなら、かぐや姫はそれを贖わなければならないでしょう。そして、やがてそれが許されるときがきたら、神様が、きっと再び生まれ変わる日を作ってくださるし、私も再び、地球に生まれ変わることを申し出ようという”暗喩”だったのかもしれません・・。

もう一度、もう一度、姫が、生きる本当の意味を体得できるように・・。私たちに期待を持たせてくれたのでしょうか?

高畑監督に伺ってみたいものです。
{/netabare}

長文を最後までお読みいただきありがとうございました。 

この作品が、みんなに愛されますように。 

投稿 : 2017/12/06
閲覧 : 359
サンキュー:

17

ネタバレ

狗が身 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.4
物語 : 2.0 作画 : 5.0 声優 : 3.0 音楽 : 4.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

雑感。

合間合間は面白かったんだけど、やっぱり全体のストーリーを観ると腑に落ちないんだよなあ…。
大雑把に例えるなら、自由に憧れて家を飛び出した娘が、思ってたのと違う現実に直面して結局は実家に助けを求めて、でも助けを呼んでからやっぱり後悔したけどそのまま連れて行かれるって話。

かぐや姫には同情するし、悲しい物語だとは思う。月での記憶が初めからあればもっと能動的に自分を幸せにすべく奮闘しただろうし、月に助けも求めなかったかもしれない。


しかしそれはそれとして、なんだかチグハグな作品だったように思う。
この物語に、かぐや姫の性格は合わない気がする。
月側の考えを否定して、自然と共に健やかに生きることを肯定したいのであれば、かぐや姫がもっと月の使者にガツンと主張しても良かっただろうに。論破する間もなく記憶ポイされとるがな。

で、合間に挟まれた笑いのシーンにしても、そのシーンが直後のシリアスな場面へのキッカケに使われてるから、素直に笑っても後味が悪い。
具体的に例を挙げると誠実そうに思えた石作皇子の言葉が、彼の妻の出現によってただの口説き文句だったと判明するシーン。ここで笑えたんだけど、かぐや姫はというとなんか絶望してる。
で、石上中納言が落下して頭から壺にハマるシーン。ここも笑えたんだけど、これがキッカケで彼は亡くなって、かぐや姫は自分を叱責する。笑ったこっちからすれば「え、あ、なんかごめん…」ってなる。


もうちょっと方向性を分かりやすくして欲しかったかな~。

投稿 : 2017/10/03
閲覧 : 246
サンキュー:

9

ネタバレ

退会済のユーザー さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8
物語 : 3.5 作画 : 4.0 声優 : 3.5 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

タイトルなし

オリジナルと若干ストーリーが違うような気もしますが

切ない物語ですね

私が擦れているのか

切ない部分偽善の部分半々に感じてしまった

涙が出るほど悲しい切ない大好きなら

自分で何とかしてよw

投稿 : 2017/09/16
閲覧 : 164
ネタバレ

hituki さんの感想・評価

★★☆☆☆ 1.9
物語 : 1.0 作画 : 3.5 声優 : 1.0 音楽 : 3.0 キャラ : 1.0 状態:観終わった

モヤモヤ

救いようのない物語でした

”幸せ”の意味を履き違えた翁の強引なやりくちを、
文句ひとつ言わずに耐え忍んだかぐや姫・・・・・
という流れなので、かぐや姫が現世に拘る理由がわからない

しかも何ですか?あの最後のキャッキャウフフからの流れ・・
兄ちゃん妻子持ちじゃないですか!最悪ですよ!なんだこれw

ずっと顔ひきつりながらエンディングをむかえるハメになり、
ぶっちゃけ観なきゃよかったと思ってしまいました。

投稿 : 2015/05/20
閲覧 : 286
サンキュー:

3

ネタバレ

ざんば さんの感想・評価

★★★★★ 4.1
物語 : 2.5 作画 : 5.0 声優 : 4.5 音楽 : 5.0 キャラ : 3.5 状態:観終わった

・・・・・・・・・・

半分酷評、半分絶賛。

今作も風立ちぬと同じく劇場で見ることは出来ず
悲しい思いをしていた作品でした

CMで予告編を見ていたときは
私のこの映画に対する期待値はかなり高く、
驚くほどヌルヌル動く作画!
心に響くような歌!
見ていて引き込まれるような雰囲気!
絶対に面白いだろう、と
いつか見る日を楽しみにしていました。

で、TV放送があったので飛びつくように観たわけですが・・・


酷評部分
{netabare}見終わった今、がっかりと言う訳ではないですが
何だかあっけにとられるような感じで微妙な気分です。

なにがかと言うとストーリーのことです。
私が原作の竹取物語をちゃんと理解していないのかもしれないですが・・・

この映画の言いたいことは伝わってきました。
"生きている手応え"がなければどんなに裕福に暮らしていても
本当の幸せを手に入れることは出来ない。
そういうことだと私は感じました。
そこはいいんです。

でも後半のファンタジー要素がなあ・・・
原作通りですが、何とも安っぽくしか見えなかったです

私は元々月にいた人間でアゴに迫られたときに
思わず帰りたいと思ってしまったから迎えがきてしまう。
もうどうしようもないんです・・・みたいな。

急展開すぎてもう・・・ね
原作は(確か)かぐや姫の心情は描かれてなかったと思う。
今作は主人公として事細かに心情が描かれている訳ですが
それまでは欠片も月がどうこう言ってなかったのに
アゴのときに突然、月関係のことを思い出したとかなんとか・・・
ええ・・・って感じでした。

捨丸も妻子持ちのくせに忘れたかのように
かぐや姫に一直線で完全に浮気だったことにもあんぐり。
あんな超絶美人を目の前にしたら
浮気もしたくなる気持ちも分からなくはないですが、
あんな清々しい顔で楽しく空を飛んでいるのをみると
苦笑いしかできなかったです

まとめると終盤の話の流れが適当すぎる気がしました。
前半は結構楽しめましただけに何とも惜しい気分です。

酷評終わり{/netabare}


絶賛部分
{netabare}作画は期待通りに他の作品とは比べ物にならないと思うほど美しくて
まさに小さい頃見ていた紙芝居や絵本が、
そのまま動き出しているかのようでした。
特に桜の木には息を呑んでしまいましたね!
葉や花が1枚1枚が丁寧に描かれていて
自分の目の前にも本当に桜があるように錯覚してしまうほどで
思わず見惚れてしまいました。

キャラの表情も豊かで温かく柔らかくて、
キャラの心情がスルスルと入ってきましたね。
何より本当にかぐや姫が美人でこの世界の住人だったら
完全に心を奪われてたと思いましたw
後、侍女かわいい♪

音楽もさすがとしかいいようがないですし、
主題歌の「いのちの記憶」は心に染み入る名曲ですね。
早くiPodに入れたい!!

声優の人も全く違和感を感じませんでしたし
とてもうまい方々で驚きましたね。

絶賛終わり{/netabare}

総合すると期待していただけにやっぱりがっかりでした。
でも賛否があるようなので
私のただの勘違いがあるかもしれないので
そのときは言ってくださるとありがたいです。

投稿 : 2015/04/25
閲覧 : 460
サンキュー:

31

ネタバレ

ValkyOarai さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0
物語 : 3.0 作画 : 3.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

高畑勲さんの本気 これが少女のsinとpunishment

CMしてた時、かぐや姫の走る描写が凄かったんだよこれが
金曜ロードショーで見ます
基本は昔話と同じではあるが...オリジナルが所々に...
幼い頃から得た恋も成長したら...それは儚く散って行った

投稿 : 2015/04/19
閲覧 : 303
サンキュー:

6

ネタバレ

HikUZ84747 さんの感想・評価

★★★★★ 4.1
物語 : 3.5 作画 : 4.5 声優 : 4.0 音楽 : 4.5 キャラ : 4.0 状態:観終わった

腑に落ちない

終盤にかぐや姫は「この世には鳥虫獣草木花人の情けがある。だから、月に帰りたくない」みたいなこと言うよな
「いやな事あって一瞬チョー死にたくなって月にお願いしちゃったけど、よく考えたら死にたくないわ」
くらいの心変わりがあったならそれはそれでいいんだが、
月に帰ることが決まってもなお「捨丸兄ちゃんとなら幸せになれた」とか言ってるし
現在の境遇を最後くらい受け入れてみるって発想がまるっきりなかったよな
かぐや姫は鳥虫獣草木花で満ちた野山じゃなくて「捨丸兄ちゃんがいる野山」をずっと求めてるんだろ
なのに突然この世の良い面も悪い面も肯定しますみたいな発言をされてもな
お前、「捨丸兄ちゃんがいる世界」しか今まで肯定してきてないやん、と突っ込みを入れたくなる
セクハラ帝と一晩過ごすくらいしてから言えよ

同じ高畑監督のほたるの墓でいうと、自分勝手に大好きな妹とサバイバル生活始めたけど生活破綻して妹死なせちゃって自分も死ぬ間際の清太が、
「西宮のババアとは生まれ変わっても一緒に暮らしたくないけど死にたくない。あと節子大好き。色々あるけどこの世はすばらしい」って言ってる感じ

投稿 : 2015/03/26
閲覧 : 216
サンキュー:

0

ネタバレ

くかす さんの感想・評価

★★★★★ 4.7
物語 : 4.5 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

感想

良くも悪くもかぐや姫です
だれもがしってるように竹から生まれて
美しく育ち月に帰るっていうのは変わらないので
見てるときに驚きは特にないと思います

かぐや姫の罪と罰っていうのは
月にいながら地上に憧れたのが罪で
地上に送られ月側が金貨や服などを送り
無理やり田舎から都にうつされ
地上を嫌になるぐらいの思いをさせられる
っていうのが罰だと思います

投稿 : 2015/03/14
閲覧 : 285
サンキュー:

8

ネタバレ

tao_hiro さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0
物語 : 3.0 作画 : 3.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

なんじゃそりゃー

テレビ放送で視聴しました。

私は絵本の「かぐや姫」くらいしか知らず、原作の「竹取物語」は読んでいませんので、どのくらい高畑監督の独自解釈が入っているのか分かりません。

しかし、平安時代の初期頃に成立したと言われる物語が、こんなにも深いものであることに感心しながら視聴していました。

ところが・・・

ラストが近づき、月から迎えが来た時です。
雅な服装の月の使者たちのBGMが、アフリカン・コーラスっぽいアレンジが入った軽妙なメロディだったのでびっくりしました。

でもまぁここは「斬新だな」と思った程度でした。

そして、かぐや姫の最後のセリフとそれを最後まで言わせない演出にグッときました。


穢れてなんかいないわ
喜びも 悲しみも
この地に生きるものは
みんな彩りに満ちている
鳥 虫 獣 草木 花
人の情けを・・・


これは名作だ!って思った瞬間です。
月に戻るかぐや姫が振り返ったそこにはなんと・・・

青い地球が・・・

「かぐや姫、宇宙空間にいるやんけ~」と思わず大声でツッコんでしまいました。度肝を抜かれて放心状態の中、エンドロールが流れました。エンドロールの最後も「青い地球」で締めくくられました。

高畑監督!そりゃないだろ!
それまでは「天地(あめつち)」という形而上学的な概念で世界(この地)を表現していたのに、いきなり「地球」という科学的概念をブッ込んでくるなよ!
ここまでの作品の世界観が台無しじゃないか!

高畑監督の意図は不明ですが、「地球は穢れているのか?」などといった問いかけだったのかもしれません。

思えばこの人は過去にも一度やらかしています。
「平成狸合戦ぽんぽこ」のラストシーンです。

この作品、エンターテイメント性が非常に高く、百鬼夜行や宮澤健二
などをさりげなく挿入したりして大変面白い作品でした。
音楽を担当したのが、私が20歳ぐらいから愛している「上々颱風」
というバンドだったのもポイントが高かったです。

また、自然と人間との共生という問題を取り上げメッセージ性も強いものでした。しかし、最後の最後に観客・視聴者に向けて、こんなセリフを言います。


テレビや何かでいうでしょ?
開発が進んでキツネやタヌキが姿を消したって。
あれやめてもらえません?
そりゃ確かにキツネやタヌキは化けて姿を消せるのもいるけど、
でも、ウサギやイタチはどうなんですか?
自分で姿を消せます?


思いっきり蛇足だと思います。このときもものすごい残念感にとらわれました。

高畑監督は「物語で悟らせる」というのが苦手なのでしょうか?
どうしても説明や注釈を入れないと気が済まないのでしょうか?
親切なのかもしれませんけど・・・

しかし、そのくせ、キャッチコピーの「姫の犯した罪と罰」については、
視聴者に放り投げている感があります。

古典を取り扱った割にはテンポが良く、その上で重厚な作りで、
大変面白い作品なのですが、ラストだけが納得できませんでした。

投稿 : 2015/03/14
閲覧 : 372
サンキュー:

24

ネタバレ

みかみ(みみかき) さんの感想・評価

★★★★★ 4.7
物語 : 4.5 作画 : 5.0 声優 : 4.5 音楽 : 5.0 キャラ : 4.5 状態:観終わった

「姫の犯した罪と罰」は、月の世界のはなしメインとかじゃないですからね。

 泣いた…というよりも、いろいろと心が痛かった…
 
 まあ、なんでしょうか。
 映像がすばらしいのは予告編でわかったことだったので、まあ、予告編ですばらしいな、と思った映像のすばらしさが、長時間にわたって展開されるわけですが、それはさておき。
 いや、まあ、まさか、これほど、よいものだとは思わなかったですわ。
 つーか、ほんとうに。

 とりあえず、まずは、以下、けっこうベタベタすぎる解説になると思うのですが、とりあえずベタ解説から、書いておきます。

■姫本人が感じる「罪」

 わざわざ言う必要もないことかもしれませんが、「姫の犯した罪と罰」というキャッチコピーの内容を単に月世界での過去のことだと考えて見ている人がけっこういるようですが、このキャッチコピーのメインの意味はそこではないですよ。たぶん。(もちろん、原則的には見方は自由だとは思いますが)


 ご覧になった方は思い出しほしいのですが、月のことを思い出す前から姫は自己嫌悪に襲われてますよね?
 作中のほとんどの時間、姫は自己嫌悪のなかに生きています。姫の悲しみをつくっているのは、翁だけが原因かというと、少なくとも姫本人の感覚としては、そんなことはないわけですよね。
 捨丸にいちゃんに黙って別れてしまったこと。町で見かけて捨丸にいちゃんを救ってあげられなかったこと。
 結婚の要求を拒否するための無理難題でもって、一人を事故死に導いてしまったこと。
 せっかく、翁が自分のために努力してくれているのに、そのことを受け入れられず、翁を遠ざけてしまっている自分のこと。
 そういったもろもろのことでもって、姫は自己嫌悪に陥っているわけで、姫にとってはそれらは「罪」です。
 
 
 それまで積み重ねてきたことが、本当に「罪」であるかどうかは、微妙というか、少なくともかぐや姫が望んで犯した罪でないけれども、意図せざる結果であるにはせよ、責任感の強い人にとっては、自らの至らない振る舞いが要因となってしまって生じた不幸な事態は、それらは「自分のせい」であるわけです。
 特に、自分が何もできていないなあ、と思っている人が、そういうことを巻き起こしてしまったと自覚するとき、それは「わたしのせい」になるわけです。

「 みんな不幸になってしまった。私のせいで。 偽物!にせもの!!私も、ニセモノ!!!!」

 かぐや姫自身が叫ぶのはまさしく、そういった心情の吐露ですよね。
 かぐや姫はすくなくとも、本人の主観的にはまさしく「罪」をたくさん犯してしまっている。だけれども、実際には、それはかぐや姫個人のせいではなくて、翁とか、プロポーズをしにくる男たちの、あさはかな振る舞いとかとの意図せざる共犯なわけです。

 そういうタイプの不幸な結果なんて、世の中にははいて捨てるほどあるわけで、それをわざわざ、かぐや姫が主観的に「わたしのせい」として引き受ける必然性なんて、ないっちゃないわけです。もし、かぐや姫が高慢な女性であったとすれば、「そんなのは、わたしのせいじゃない。ぜんぶアイツラが悪いんだ」と翁や、プロポーズをしにくる男性たちに、すべての問題の責任を押し付けるのではないか、と思います。
 そういった、高慢な心情にならずに、いろいろなことを自らの責任だと感じてしまうかぐや姫のこころのありようは、よく言えば高潔といえるし、悪く言えば、なんでもかんでも過剰にストレスと感じてしまう敏感すぎて、幼いともいえるわけです。
 そういう敏感すぎる幼さが状況を複雑にしてしまっているというのも、まあ事実っちゃ事実だし、誰も悪く無いといえば誰も悪くない。
 誰も決定的に悪い人というのはいないのだけれども、そこに不幸な状況が生まれてしまって、さまざまな人の欲望の集約点となってしまった幼い「姫」は、それを引き受けてしまう。で、そのことによって、抑うつ的な日々を暮らさざるを得なくなってしまう。そういった、ことのもろもろが、<罪>を再生産し、それがまた<罰>を悪化させる。負のループの再生産ですよね。


■決定的に、悪い人はだれもおらず、深刻な悲しみとマヌケな日常がまじりあった世界

 決定的に悪い人はだれもいないのだ、という演出はかなり徹底していたように思います。
 翁のつぶらな瞳や、素朴な愛情の強さの描写は、翁が愚かではあるけれども愛に溢れた人物であることをきわめてわかりやすく描いていますし、あさはかな悪役として登場するプロポーズをしてくる男たちもまた、コミカルに描かれています。
 子安貝をとろうと貴公子が死んでしまう場面は、いまひとつ馬鹿っぽくて「笑ってしまった」という人もいるぐらいですし、悪役的な振る舞いをするひとたちはみんな、悪役というほど悪役ではなく、だいたいマヌケです。
 悪意の中心は誰もいないから、姫にちょっかいを出してくる人々は、ほとんどの人が今ひとつシリアスな悪意も、シリアスな善意もなく、ただ姫の美しさが欲望のうずの中心として機能してしまっているだけだという世界なわけです。
 こういった世界の全体像の描き方は悪く言えばドラマティックさに欠けるともいえるかもしれませんが、よくいえば、とても穏当で、まさにまっとうな日常の風景の描写だったとも思います。

 そのような風景のなかで、かぐや姫が苦しい思いをしてしまう。
 誰もそこまで悪くないのに、そこに不幸な事態――<罪と罰>――があらわれてしまう。
 それは、わかりやすい悪者や、わかりやすい災害みたいなものがあることなんかよりも、もっと根深くて、悲しいことだとも捉えられるわけです。
 だから、こういう誰も致命的な悪者がいない風景のなかで、かぐや姫が苦しんでいるのをみて、厳しい人は「かぐや姫が勝手に、辛い気分になって苦しんでいるだけ」と言うかもしれません。あるいは「翁が人のこころをわからなさすぎ」というかもしれません。実際に、そうだと言えばそうなのだけれども、それはどちらも、ものすごく凡庸な悲劇で、かぐや姫が苦しむのは、少年少女の歳相応な感受性でもありますし、翁の素朴さは、田舎の人の素朴さとしては、実にありそうな人格でもある。
 そのような決定的なものの少ない「とるにたらない掛け違い」のなかの悲劇だからこそ、描くにたる、根の深い悲劇だろうと。
 それが、<罪と罰>の内実なのだろうと思います

■<ゆるし>と<罰>の対象構造:捨丸にいちゃんとの逃避行とかは、なんなのか

 最後に、捨丸にいちゃんと、不倫まがいの逃避行を行うわけですが、あれは「道徳的にあれは、ないわー」という話ではなく、すでに地球人として翁を悲しませ、人を一人死に導いてしまった、<犯罪者>である、かぐや姫の、罪を重ねる諸行としても見れるだろうと思います。
 犯罪者が、警察からの逃避行の最中に、バイク盗んで金を盗んで、どんどんと罪を重ねていく過程みたいなもので、それは負のプロセスでもあるわけだけれども、犯罪者になって、日々の生活やしがらみから解放される逃避行を行う。その非日常的な状態へと移行することによってはじめて、<犯罪者>はより苦しむ一方で、日々の辛さから自由になることもできる。そういう展開ですよね、あれは。
 罪人としての自らをいったん認めてしまうことによって、自分自身からのゆるしを得ることができたという風景だったように思います。

 「ボニーとクライド」という美男美女の犯罪カップルが犯罪を繰り返しながら逃げていったという実話があって、あれは、なんども映画になっていますが、あれは逃避行のなかの刹那的で背徳的な自由を描く話として描かれるわけですけども、捨丸にいちゃんとの話は、まあ、そういうものかなあ、と思いました。ここらへんは、それほど明確な描き方ではなかったですけどね。


 さて、そして、最後に、かぐや姫にとって、なによりも最大の「罪」は自分を心から愛してくれた翁と媼の二人に感謝したいのにも関わらず、どうしてもそれが苦痛で、その苦痛のあまりに月に帰らざるをえない状況を自らつくりだしてしまい、二人を悲しませる親不孝をしなければならなくなってしまったことです。
 そして、月に強制送還されることは、月の人間としてみれば罪からの「許し」ですが、地球人としてのかぐや姫としてはそれは「罰」です。
 ここで、罰が許しであり、許しが罰である、という転倒した情景を描くことで、最後に圧巻の風景を描写しておえる。

 そういう映画だったのだと思います。 



**********************

■じいさん萌え

 まあ、以上はベタ解説だったわけですが、
 ここからもっとくだけて、適当に書きます。

 個人的に、ツボったのは、やっぱ、おじいさんの描写ですね。確実に、素朴で、感情の強い老齢の人が、いろいろな神秘体験をしたとき前が見えなくなってしまう、あの感じね。あれね。簡単に顔を真赤にしてしまう、あの感じがね、もう、あまりにツボでした。
 最終的に、おじいさんは、ある意味では悪者になるわけだけれども、朴訥な人柄で、いまひとつ、こころの機微がわからん人というのは、まあいるわけで。
 ああいう人物の素朴な感情を、微細な立ち居振る舞いから想像させていく力技といい、かぐや姫の自己嫌悪と、それがきわまったときに映像がきれいにこわされていく、仕掛けといい、もうね、素朴な言い回しだけれども、ぱあっっと、圧倒されるより他ないという感じ。

 最後のほうで、「虫や鳥達のように」とか、なんかとってつけたようなことを言い始めるあたりは、あそこらへんは削ってくれたほうがもっと上品で味わいのある作品に仕上がったのにな、と思うけど、まあマス向けにつくろうと思ったらああいうところがあったほうが、何かラストっぽいなあ、と腑に落ちる人は多いのでしょうね。しかしながら、なんつーか、マス向けに作るんだったら、不倫展開的なのとかは無くしといたほうがよかったんじゃね、とか思うけど、ああ、難しいなあ。

■金回りのはなしとか

 これだけ好き放題、予算気にせずに作って、美しいものをほんとうに気兼ねなくつくろうと思ったら、金回り的にはきちんとヒットすることを前提にしなければいけないわけで。しかしながら、この作品が保とうとしているトーンは、そんなにマス向けではない。別に、マス向けの作品で上品なものが作れないって話をしているわけではなくて、「この」作品がつくりあげようとしている一貫性が、それとそぐわないということだ。
 そうなってくると、一体全体、どうやってこの作品をつくるための原資を調達し、好き勝手つくればいいのか、と。

 クリエイターと呼ばれる人が好き勝手やって、悪い意味で馬鹿みたいな作品をつくってしまうことはよくあって『FF the movie』なんかはその典型だと思うけど、この作品も、まあ、金回りのことをまったく気にせずにつくったという意味では、雑に言えば『FF the movie』のような作品と同罪の何かなんだよね。まあ、あっちは驚異的な駄作で、こちらはすばらしい作品なわけですが。

■女童とか、まるめのものたち

 あとは、女童とか、まるめのものたちで全体的に顔がゆるみましたね。
 いや、よかったよかった。

投稿 : 2015/02/25
閲覧 : 548
サンキュー:

10

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runa21 さんの感想・評価

★★★★★ 4.1
物語 : 4.0 作画 : 5.0 声優 : 3.5 音楽 : 4.5 キャラ : 3.5 状態:観終わった

美しい

最近見たアニメの中で
実写のように映像がきれいなものがあった

それはそれで素晴らしいが


この話は独特な描き方なのだけど、
映像がとにかく「美しい」のである。
「きれい」ではなく「美しい」

この微妙な違いは
おそらく実際に見てみないとわからないと思う。
(とにかく見てくれ!!)



なんといえばいいのかわからないが、
昔の絵巻物を映像として見た感じなのだ。


着物の色合いもとてもきれいだし、
何より独特な線が
日本最古の物語をよく表現している



初めのナレーションは
中学の時に暗唱させられた時のことを
思い出した。


そうそう、こんな出だしだったよ。



かぐや姫の物語を
アレンジして、
とても、とても美しい映像になった。


とにかくこんなかぐや姫は見たことがなかった。


「ま~われま~われ」
の曲はこの物語をよく表していた。
この物語に常に付きまとい
そして物語の核となる曲である。


この曲、この映像を見て、
この国はとても美しい国なのだと思った。


かぐや姫が自然や生き物を愛しているのを
体全体でくるくると回りながら表現している姿は、
本当に美しかった。

投稿 : 2014/12/27
閲覧 : 285
サンキュー:

23

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ごはんちゃん さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0
物語 : 1.0 作画 : 4.5 声優 : 4.0 音楽 : 4.5 キャラ : 1.0 状態:観終わった

とりあえず、アゴが気になる。

ジブリなので、期待してみたのですが意味がよくわかりませんでした。
「姫が犯した罪と罰」ということで、何を犯したのか?重大なことを!?
なんて妄想を膨らませておりましたが、え?そんなことで?という
小さなことでガッカリしました。
私達にしてみたらそんなことかもしれませんが、かぐや姫、月の人から
してみたら重大なことだったのかも。でも私、地球人なのでよくわかりません。

アニメや、映画ドラマ、小説とかは、感情移入できないとつまらないと
感じてしまう人間なので、この主人公と、あと酷い周りの登場人物には
非常にがっかりしました。唯一、ほっとするのはおばあちゃんだったかな。
結婚することが幸せになるってことじゃあないんだよ、おじいちゃん。

ん~、ここの所ジブリにはガッカリさせられっぱなしでしたが、
これはポニョと同じぐらいガッカリしたかもしれません。

ただ、作画がとても美しく、日本の四季という美を感じられて
そこだけは非常に心うたれました。音楽も美しく、声優さんも
お上手な人ばかりでした。(声優さんというか俳優さん女優さんというか・・・)

ジブリは子供の頃から観ているので、やはりこれぐらい面白くなきゃとか
こういう展開じゃなきゃいけない!というのが身にしみてしまっている
ようで、これがジブリでなければ面白いと感じていたかもしれません。
でも、それだけのブランド力がある会社なので仕方ないのかな。

ジブリファンなら是非観て頂きたい所です。
アゴにご注目下さい。

投稿 : 2014/12/20
閲覧 : 283
サンキュー:

3

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りっか(●^o^●) さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0
物語 : 3.0 作画 : 3.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

(*^_^*)

すごくはくりょくがありました
最後はとても、涙がですほど悲しかったです((+_+))

投稿 : 2014/06/08
閲覧 : 221
サンキュー:

1

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ゼルミナ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.5
物語 : 3.0 作画 : 5.0 声優 : 3.5 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

☆5じゃたりない作画

見てください…この神作画。
ウン十年アニメオタクやってて、生まれて初めて見ました、こんなアニメ。
僕なんぞーが言葉にできるレベルではないッス…スゲー、としか。

CMなどクリップで使われてる「走っていくシーン」。
あのシーンも凄いのですが…ですが、あれ序盤ですからねw
「あれ」を超えるシーンがバンバン出てきて鳥肌でっぱなし。

アニメってスゲー。
子供の様にそう思って帰ってきました。

ホントにホントに言葉にならないです。
とにかく見てくださいぃ!

アニメ好きなら絶対わかるはずぅ!!!!

投稿 : 2014/05/25
閲覧 : 312
サンキュー:

1

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退会済のユーザー さんの感想・評価

★★★★★ 4.4
物語 : 4.5 作画 : 4.5 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

絵本の世界

かぐや姫がとてもいきいきと描かれている.自然のなかで駆けて笑ってと天真爛漫なところが良い.古典からは想像できない人間味というか物語としての深みがある.

本当に自分がしたいこと欲しいことに気づくという場面がある.なんのために天界から地球にきたのかと気づくところが一番印象に残った.一番したいことを我慢して二番目,三番目にしたいことを周りに流されてしているというのは現実世界でもよくあることだ.それにたいする後悔の描写に心打たれた.

都でちやほやされるよりも野山を駆け巡っていたかった.大好きなお兄ちゃんといたかった.自分が欲しいものは自分で決めて決断しなければならなかった.

映像としては絵本の世界である.輪郭が明確でない絵はとてもやわらかい印象を与える.日本的な表現方法だと感じた.意図的に周りがぼやっとしている.そこが面白い.物語が動いているところは見えるけど,それ以外のところはよく見えないというところが新鮮である.

投稿 : 2014/03/11
閲覧 : 197
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リアっぴ さんの感想・評価

★★★★★ 4.5
物語 : 4.0 作画 : 5.0 声優 : 4.0 音楽 : 4.5 キャラ : 5.0 状態:観終わった

春夏秋冬 連れて来い♪

タイトルは作中に何度も出てくる
多分テーマ曲だと思われる歌の一部です。


ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが
この高畑監督もこの作品で最後だとか、鈴木さんがおっしゃられてましたけど
宮崎監督と高畑監督の最後の作品には共通点があるように
思えました。

それは、今に始まったことじゃないのかもしれませんが
「風立ちぬ」も「かぐや姫の物語」も
{netabare}淡く切ない、恋物語{/netabare}なような気がします。
かつての作品にもあったことなのかもしれませんが、最後の作品だ、ということもあり2つの作品に変な共通点があるような気が私にはしました。


作画の印象はパッと見 線が動いて分かりにくいようにも
思えましたが、逆にそれが本当に生きているようにも見えて
少しの表情や感情が分かりやすく描かれていて、見ながら
「いいなぁー。」なんて思っていました。

大体作品を見てると、最初の方で、{netabare}(結果はなんにせよ)この人とくっつきそうだなぁ{/netabare}とか思ったりしていましたが、当たっていました(笑) 顔とかの描かれ方で分かってしまったりするものですね。


中学生、かな? の時に覚えた(ような)
竹取物語の始まり方で、多分日本人にしか分からないであろう懐かしさを感じました。(自慢とかそういうんじゃなくって^^;)日本人じゃなくても、中学生の時に竹取物語を勉強した人とか!


いろんな細かいことを並べてもっとちゃんとした感想書くべきなのかもしれませんが

とりあえず!

今回のかぐや姫の物語は、前回に見た風立ちぬより泣きました、感動しました。
エンドロールで流れる歌を聴き余計に涙が出て、終わるまでに泣き止むことが大変だったくらい。
ただえさえ、年を重ねるにつれ金曜ロードショーのジブリ作品を見て涙もろくなるぐらいなので(笑) 年寄かっ、って自分でもツッコみたくなりますww


もう一度見て、同じような感動が味わえるかどうか分かりませんが、また見てみたいなぁ と思います。

投稿 : 2013/12/28
閲覧 : 272
サンキュー:

8

チャリア さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.7
物語 : 2.0 作画 : 3.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 2.5 状態:観終わった

投稿 : 2024/09/21
閲覧 : 11

いさ さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0
物語 : 3.0 作画 : 3.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

投稿 : 2024/05/29
閲覧 : 6

アニメガタリ さんの感想・評価

★★☆☆☆ 2.0
物語 : 2.0 作画 : 1.5 声優 : 2.0 音楽 : 3.0 キャラ : 1.5 状態:観終わった

投稿 : 2024/05/28
閲覧 : 4

nana さんの感想・評価

★★★★☆ 3.3
物語 : 3.5 作画 : 3.5 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.5 状態:観終わった

投稿 : 2023/12/29
閲覧 : 7

退会済のユーザー さんの感想・評価

★★★★★ 4.5
物語 : 4.5 作画 : 4.5 声優 : 4.5 音楽 : 4.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

投稿 : 2023/06/26
閲覧 : 33
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かぐや姫の物語のストーリー・あらすじ

原作:「竹取物語」、原案:高畑勲 監督:高畑勲 製作:氏家齊一郎、脚本:高畑勲/坂口理子、音楽:池辺晋一郎(アニメ映画『かぐや姫の物語』のwikipedia・公式サイト等参照)

ティザー映像・PVも公開中!

放送時期・公式基本情報

ジャンル
アニメ映画
放送時期
2013年10月1日
制作会社
スタジオジブリ
主題歌
≪ED≫二階堂和美『いのちの記憶』

声優・キャラクター

朝倉あき、高良健吾、地井武男、宮本信子、高畑淳子、田畑智子、立川志の輔、上川隆也、伊集院光、宇崎竜童、中村七之助、橋爪功、朝丘雪路、仲代達矢、三宅裕司

スタッフ

原作:『竹取物語』、原案:高畑勲、 監督:高畑勲、製作:氏家齊一郎、脚本:高畑勲/坂口理子、音楽:久石譲

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