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「かぐや姫の物語(アニメ映画)」

総合得点
64.9
感想・評価
291
棚に入れた
1196
ランキング
3600
★★★★☆ 3.8 (291)
物語
3.6
作画
4.2
声優
3.6
音楽
3.8
キャラ
3.5

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かぐや姫の物語の感想・評価はどうでしたか?

薄雪草 さんの感想・評価

★★★★★ 4.8
物語 : 4.5 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 4.5 キャラ : 5.0 状態:観終わった

私訳・竹取物語

姫の犯した罪と罰 。

いささか仰々しいキャッチコピーですが、原典に従えば、地球の男たちを愚弄したことの罪、彼女がしでかした所業への罰。
そんな評定ができようものと思います。

本作品を、原典のトレース、ストーリーの焼き直しと見るなら、底の浅い二番煎じと受け取られても仕方ないでしょう。
でも、高畑氏がそのように銘打ったからには、別の意図が付され、新しい解釈ができるかも知れません。

原作者と高畑氏との間には、どのような共通点と相違点があるのだろう。
かぐや姫と私たちを対比させながら、時代マターに通底する罪と罰を俯瞰してみたいと思います。





1000年も前の物語が伝承されているのは、誰にとっても普遍的な価値が見いだせるからで、体裁としては、私はシンプルに "転生もの+なろう系" と評価しています。

私のアプローチは、次の二つの視点です。
「なぜ天上に住む高貴な女性が、わざわざ地球に下り、ひなびた古老の家を選んだのか。」
「いったい彼女は、どんな暮らしを願い、そして彼女はそれをやりきったのか。」

彼女は、地位や名声、財宝や権威には一切関心を示さず、おもねることもなかった。男たちの求婚には目もくれず、育ての老親への孝行も念頭になかった。
およそ人の幸せに類するものへの無関心なさまは、あらゆる世俗を諸行無常と達観する "解脱者" のようです。

そんな彼女に、高畑氏は、幼馴染への恋ごころを濃密にトッピングし、妻帯者に対して彼女に心火を燃やさせ激情を逸らせました。
解脱と陶酔。このアンバランスさに私は混乱し、一つの疑念をいだくに至りました。

もしかしたら、高畑氏はかぐや姫のイメージを、根底から覆そうとしているのではないかと。





私は、本作(原典)を、転生願望をテーマにした日本文学のフォーマット、なろう願望の裏表を詳らかにしたテンプレートと思っています。

月は精神を、地球は肉体を象徴しています。
ひと気のない宮居から、真っ暗な宇宙空間に浮かぶ地球に思いふける彼女は、おぼろな霊体としての存在でしょう。

転生&なろうの文脈に落とすなら、地球に憧れる=肉体を得ることが彼女の最初の願望。
ですが、肉体を得た彼女の振る舞いは、1000年も語り継がれる稀代の剛愎ぶりでした。

だから私のかぐや姫の第一印象は、我儘と傲慢を併せ持った桁外れのエゴイストです。
お母さんの子宮ではなく、竹から生まれること自体が、そもそも大きな矛盾(罪と罰の素因)を孕んでいることを暗喩しているのですね。





そこで仮説を立てたのが、一つには、月の世界は、男をかぐわせる魔性の女を閉じ込める "牢獄" 。地球は、己が重罪に気づかせるための "保護観察付きの仮釈放" というシュールです。
そんな切り取りはなんとも悲しすぎますが、転生&なろうの彼女の動機は、牢獄という罰からの逃避とも、そこに収監された罪への慚愧の念から、とも取れそうです。

ですが、もう一つの仮説もあります。
それは、月の世界は、女性の社会的自立を抑制する "ガラスの天井" で、地球は女性性の "解放区" という真逆のシチュエーションです。
その観点でかぐや姫の心情に触れるなら、人恋しさを満喫し自由奔放な恋をエンジョイしたかっただけ、あるいは男を伸(の)してでも女性のジェンダーを周知向上したかったからとも感じ取れます。

平安時代の貴族女性は、親の一存や政略として定められた人生を選択する(押しつけられる)のが "普通" でした。
月の女性はかぐや姫の前世霊でもあるわけですから、それじゃない何か、どうしても選びたかった何かを果たしたかったのではないかと思えるのです。

そう考えると、かぐや姫の振る舞いや生きざまは、表層的な評価にはとどまらない、多重的、多角的、多面的な解釈ができそうです。
言うなら "いかなる因果律にも縛られない超法規的措置" 、"正夢にもすがりたい虚妄、逆夢さえねじ返したい本願" です。
そしてそれは "誰にとっても地平続きである感覚" に驚かされます。

わたし的には、この気づきが、この物語に秘められたアレゴリー(寓意)であり、アイロニー(皮肉)なのかもと思います。
1000年前の彼女の人となりは、今の人間と少しも違わない。
彼女の罪を咎めることも、罰を嗤ったりすることもできない。
そう胸に問い返し、「ではどうすればよかったのか?」を自問自答させるのです。





高畑氏の作風は、エンタメに笑いを見せながら、毒針を暗喩としてチクリと含ませたり、世相を皮肉で捩(もじ)ったりする一面があります。
原典も本作も、そんな矜持を一人の若者(かぐや姫)の境遇に盛り込んでいます。

自分らしく生きることの難しさ、社会が変わらないことの悔しさ。
そこには、男と女の性的格差(ジェンダーとセクシャリティー)。自由奔放とルール社会との衝突。貧富、能力、容姿などの超えがたい相差が見て取れます。

これらのコントラストは、バイアスによる誹謗中傷、それぞれの正義感の押し付け合い、不合理や不条理の支配構造を生み出しています。
そんなバトルが目の前の現実であり、人間に生まれることの由縁と必然です。

だからこそ、安直な転生&流行りのなろう系とは全く異質のシナリオが、1000年変わらぬ土台なのです。
おとぎ話に心を遊ばせても、その主人公を自分のリアルに当てはめるな、と。
現実の世界で懸命に足掻き、その主人公として今生の自分を確立させよ、と。

どんなにかぐわしい人生であっても、どれほど生臭い境遇であっても、いつ知れずお迎えの時期は来るのだと。





私は、高畑氏が描く月の女性は、魂の輪廻のなかに存在していると捉えています。
これは "転生同魂" 的な演出で、昨今の転生&なろう系作品とほぼ同じ構造です。
ですが、原典には、記憶の継続性は少しも設定されていません。

作中、かぐや姫が、わらべ歌に不思議を感じる演出があります。
これは、転生&なろう系のアニメ作品に親しむファンへの歩み寄りでもありますが、同時にアンチテーゼを匂わせているように感じます。

前世、今世、来世に貫通する想いは、地球と月とを行き来したくなるほどの強い焦燥です。
それはおそらく、叶わなかったことの悔恨、叶えられなかったことへの呵責です。
仏教ではそこに輪廻転生を説法し、SFではここでタイムリープを起動させます。
あたかも今の自分の意識と肉体が、一旦は別の次元界に行き、追ってこの世に戻ってくるかのように錯覚させるのです。

しかし、実際は、前世の記憶=自我を保ったままで生まれないことは誰にも分ることです。
また、一つの身体に複数の記憶を持つとか、心と体を時間跳躍させることもあり得ないと分かりきっています。
それが現実なのに、宗教的に "転生同魂" に期待したり、文化的に "転生&なろうアニメ" に親しんだりするのは、言うなら一時的な魂の救済であるのかも知れないし、25分程度の現実への慰めと癒しなのかも知れません。

ただ、それではかぐや姫と同じ穴の狢(むじな)です。
前世と同じ生き方を選択するのなら、俺TUEEE!と変わりません。
今世にノーチャレンジなら、アニメのキャラに何を投影するでしょう。
魂の歓喜と責任を来世にスルーするなら、それはチートすぎるでしょう。

内心を誤魔化すことはとても簡単ですけれど、魂のレベルでは輪廻転生するプロセスに、罪にも罰にもと刻みつけられるのが、この世のしきたりなのですね。





誰にとっても地球にいられる時間は有限で、月に帰ることが予め決められているなら、せっかくの命を何に使うのか、魂をどんなふうに活かしきるのかという問いかけが、本作品への寄り添い方なんだと思います。

そんな当たり前のことが、あまりにも当たり前すぎて、気がつかない、気にも留めないのが、かぐや姫の役回りであり、同時に人間のさがというわけなのでしょう。

最終のシーンで屈強な武士らが描かれますが、これもちょっとしたアレゴリーでしょう。
どんなに虎の威を借りようとも、時間の審判には抗うことなどできないとクギを刺す作者のメンタリティーなんですね。

月の住人の立場なら、地球への転生は、言わば「ショートバケーション&ワーカーズビザ」の付与。
あるいは、自分磨きのための「星間留学体験」なんて解釈も面白そうです。
くれぐれも元の木阿弥(前世の焼き直し)にはならぬようにとの注釈付きですけれど。

ただ、その警句は、当人には分かりようもないし、教科書にも説かれていません。
何もやりきっていない私だから、誰でもいいから若竹でつくった警覚策励でシバキ挙げてくれないかしら。
いえ、それも自分から求めないといけないのでしょうね。





月の女性は、"自らの意志" で地球に転生しています。

であるなら、どうして彼女は、自身の顔を可愛らしく、美しいままに転生したのか。
どうして彼女は、平凡な顔立ちを良しとしなかったのか。

無意識、無自覚なその自我は、彼女の罪とは言えまいか。


いいえ、もしかしたら、彼女は譲れなかった、譲らなかったのかもとも疑います。
転生だけでも十分な特赦なのに、そこまで依怙地を通すなら、罰を受けざるを得ない人生になっても仕方ないかなぁとため息がでます。

ですが、神仏が "敢えて許した" と致すなら、話はがらりと変わってきます。


美人薄命。
それは罪をつくるから? それとも罰を負っているから?
なんとも、どうにも難しいものです。





「竹取」は、長けを取ること。
それは、自分の長所に胡坐をかいてばかりではいけないことを示唆しています。

あるいは、長けを獲ること。
それは、自分を竹のように伸ばし、節を乗り越え、節を味方につけて、高みを目指すとも解釈できます。

さらには、丈を取る、でしょうか。
丈は、物の長さを測る単位ですが、支えること、支えあうことの意味もあります。

日本は言霊の国ですから、「竹取」の二文字にそういう精神性を秘め、長く言い伝えようとしてきたとも言えそうです。


仏教では、人は誰でもが、前世の劫を携えて生まれてくると語られます。
そして今世でも、知って犯す罪、知らずに積む業があるとも言われます。
それでも人は良かれと信じて徳を積み、意を尽くして天命を受け容れるしかないのかもしれません。

だから、かぐや姫は、彼女なりの生をやりきったのだと思います。
それなら、次のかぐや姫の役は、あなたです。

原典と高畑氏の作品は、それを後世に伝えていく役割なのだろうと思います。
それはまた、私訳・竹取物語でお伝えしたいことなのです。

投稿 : 2024/04/18
閲覧 : 209
サンキュー:

14

ネタバレ

ベル さんの感想・評価

★★★★★ 4.5
物語 : 4.5 作画 : 5.0 声優 : 4.0 音楽 : 4.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

個人的に凄くいい

私的にとても感動できた作品でした。

{netabare} 帝や翁、捨丸には少しツッコミたくなることがありましたが(笑) それでもラストシーンは言葉だけでは表現できないような、心にジーンとくるような、何か考えさせられるような、そういったものを感じました。

エンドロールは絵がなく真っ黒だったので、自然と物語の始めからラストまでを思い出していました。思い返すとなんだか涙が出てきて、これはとてもいい作品だったなと改めて感じることができました。
私的にラストのかぐや姫が地球を見て涙を流すシーンが1番印象に残りました。{/netabare}

投稿 : 2023/12/14
閲覧 : 245
サンキュー:

7

nyaro さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.5
物語 : 1.0 作画 : 4.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 1.5 状態:観終わった

「ポカーン」としか言いようが…意味不明のかぐや姫リメイク。

 この作品の価値は?と問われて明確に解答できるかスタッフに聞いてみたいなあと思わせる作品でした。私の第一印象は「ポカーン」です。

 確かに「絵柄」としては面白い実験だとは思います。ただ、アートにまで昇華されているか、と言えばそこまで強い感動があるほどではありません。時折みせる姫の表情や動きにはさすが、と思うところはありますけど。それなら正直15分のショートフィルムで十分です。

 ストーリーはほぼ私が知っている話そのままですが、現代的な価値観が入っているところはあります。
 まず、平安の時代に山野の方が良かった…という感覚が生まれるのか。本当の山奥の暮らしの貧しさ、汚さまで描けているのか。現代において妄想した観念的な価値観の押し付けではないだろうか?と感じてしまいます。

 幼馴染への恋慕のような描かれ方はありましたが、それは何が言いたかったのか。郷愁とか幼き日の思い出?恋心?だとして、かぐや姫の話に入れる意味は?かぐや姫が罪人だったという設定は?

 ストーリーの深さが増すなら、いくらでも改変していいと思いますが、単にラストの方にちょっとした「感動を作る」ための小賢しさにしか感じられませんでした。そもそも、この改変ならオリジナルの方がよほど感動できる気がします。

 考察すれば何かがわかるのだとしても、見ただけだとここが考察ポイントかなあというフックが見つかりません。
 あえていうなら、翁が毒親に見えなくはないですが、その演出がかえってかぐや姫と翁の間の愛情が薄いように見えてしまう逆効果が大きかった気がします。

 そこが本来唯一のかぐや姫に対する同情ポイントでしょう。少なくとも5名の貴族に対するいなし方は原作でもかなり不誠実に感じ、かぐや姫って性格悪いよなと、以前から思っていました。そこを薄めるのが翁夫婦への愛情だと思うのですが、ラストで取って付けられても…

 そして、何といっても映画ですから。何らかのエンタメは必要だと思います。この誰でも知っているストーリーを見せられてどうしろというんでしょうか?

 監督は故人で遺作でしょうけど、それは作品の批評には関係ありません。はっきり言えば時間の無駄でした。可能性があるとすれば、暗い劇場の大スクリーンで集中して見ると、パソコンやテレビで見た印象とは違うかもしれません。

 2時間15分のかぐや姫。一体何がしたかったのか、正直呆然とする映画でした。正直申し上げて「超駄作」です。


(追記) かぐや姫は罪人じゃないといいましたが、罪人でしたね。レビュー後に確認のためにちらちら見返してみたところ誤りに気が付きました。

 かぐや姫が月での歌の記憶の話をするところを見てたら「禁断の地(地球のこと)にあこがれ、罰として」とありました。結局罰みたいです。

 けど、かぐや姫がなんで感情=穢れとかがなくなる月で地球に憧れたか、がわかりません。
 さらに言えば歌は誰向け?歌詞的には、恋愛でも親への愛でもなく自然賛美のような感じですが、かぐや姫が月で何に憧れたのがわかりません。

 そして、助けてといえば迎えに来てくれるのはなぜ?そのSOSは月の良さを再発見するということ?この辺は原作とは違う気がします。

 この辺りに仕掛けがあるんでしょうか?これ以上の考察はしないと思いますが。

追記2 月の生活や月の人間の脳内がわからないので、なんとでも言いようはあると思いますが…憧れと歌かあ…たとえばアルドノアゼロのアセイラム姫の青い空への憧れとか鳥と言う知識ならすごくわかるのですけど…


追記3 貴族5名の意味なんですけど、これは本作というより竹取物語に寓意が入っているという説があるそうです。

 作り物や作り話に騙されそうになる→確認するようになる→真面目に取り組んだ人たちが半身不随あるいは死にそうになり自分の言動を顧みる→人の心を知る…という感じで、かぐや姫がいろんな貴族の取り組みをみて、成長する過程だという意味があるらしいです。

 今回、少々竹取物語の方を分析しているサイトをレビューした余韻として見ましたが、そもそもかぐや姫の罪とは不貞だという説もあるそうです。ただ、当時の貞操観念から言って罪というよりも、体裁が悪いのでしばらく身を隠している意味だった、という説があるそうです。
 でも、地球で反省したとして、記憶を無くしたら意味ないし、そもそも不貞という概念には感情が必要だと思いますので、うがちすぎな気もしますが。

投稿 : 2023/07/05
閲覧 : 137
サンキュー:

5

ネタバレ

蒼い✨️ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.2
物語 : 3.0 作画 : 4.0 声優 : 3.0 音楽 : 4.0 キャラ : 2.0 状態:観終わった

道楽。

【概要】

アニメーション制作:スタジオジブリ
2013年11月23日に公開された137分間の劇場版アニメ。
原作は、『竹取物語』

監督は、高畑勲。

【あらすじ】

日本人なら『竹取物語』を誰でも知っていますので略。

【感想】

日本テレビの会長だった故・氏家齊一郎氏が、「ホーホケキョ となりの山田くん」を見て、
どれだけ金かかってもいいからと言って高畑勲氏に映画を作らせようとした。
興行的には失敗続きで干されていた高畑勲氏はこれを引き受ける。
その制作半ばで氏家会長は没して、日テレも前会長の遺命で引くにひけずに、
宣伝に予算をかけるも莫大な制作費を回収できなかった大作。

仕事を始めるのにも重い腰を上げるための話し相手が通い詰めたり、
絵コンテ30分作るのに1年半と書かれていて完成に長い年月を必要としたり、
自分では絵が描けなくて文章でびっちりと説明をして他の監督の作品の10倍もリテイクを繰り返して、
プロデューサーとしては厳格であり、宮崎駿氏の頭が上がらない人物が、
いざ自分で作品を作るとスケジュールや予算の管理能力が皆無。
8年間の歳月と制作費52億を費やしてまで、これを作らないとならなかったのか?
宮崎駿監督で稼いだ金を食い潰すという、最晩年はジブリのお荷物になりながらも、
結局は高畑勲監督の遺作となってしまった作品。

個人的には巨匠ぶって数年おきに忘れた頃に映画を発表をする方よりは、
その時節で人様が作った作品を素直に楽しんだり、
TVシリーズなどで仕事を続けていて現場感覚が強いといった人材のほうが好ましく、
アニメは視聴者・観客に受け入れられてこその娯楽であると思っている自分にとっては、
美術館に飾る絵画のような精神で作られた芸術家ぶったアニメには抵抗があります。

誰もが知っている作者不詳の御伽噺が原作であり、
他には類を見ない戯画や水墨画みたいな作画が特徴ですが、
原作は説明不足であると思ったのか、独自解釈に依る補完まみれ。
映画の展開は原典に完全には忠実ではなくて、
かぐや姫が赤子の状態から段階を踏んで成長していき、
原典にはない山野での幼女時代を挟むことによって、
主観での楽しかった子供時代を美化することで、

養父である竹取の翁(讃岐造)から押し付けられた幸せ(貴族との結婚)を、
貴族社会の権威やしきたりなどを姫の主観では窮屈な鳥かごのように、
極めてネガティブなものとして扱って、彼女がそれを望んでいないこと。

原典では姫と三年間も文を交わして心の交流がある時の帝を、
ギャグみたいなアゴがキモいナルシストのストーカーとして、
かぐや姫の拒絶の対象に改変してまで、
オリキャラの木こりの捨丸を姫の幼い頃からの想い人にして、
貧しい庶民の暮らしは素晴らしいと強調させる。

高畑勲氏の思う人間らしさの描写が、
今回はブルジョワジーに対するルサンチマンの拗らせと思いきや、
その捨丸ですら妻子がいながら姫に思いを馳せる不貞な男としていると、
人間社会は欲にまみれて真に美しいものはないと描いている。

しかし、その罪深き人間の業ですら、
感情が去勢されていることで悩みも苦しみも失ってしまった、
一見は朗らかな月の世界のディストピアと比べればマシな存在としている。

この作品で真に描きたかったのは登場人物の個人のドラマではなくて、
人間は愚かな俗物ではあるが、感情があるからこそ素晴らしいと肯定するための物語なのだろう。
俯瞰した人間の描き方は、戦時中のニート少年が集団生活のルールから外れて、
妹を巻き込んで餓死する「火垂るの墓」から一貫している。

扇情的な大衆娯楽ドラマは視聴者を一方通行の受け身状態にしているとして好まない高畑監督は、
視聴者の想像力や自分で考えることを大切にしているという。

この作品も前述の明確なテーマ性を持っていて、なるほどな!と思うこともあれど、
実はそんなに面白いものではない。メッセージとしてはありきたりであるし、
イチイチお金払って映画館で高畑勲氏の説法を聞くのが楽しいのか?

やはり、劇場に足を運ぶ客から求められているのは感動であり大衆娯楽であるのは、
近年の人気アニメ映画の数々を見れば一目瞭然であり、
高畑勲氏が否定しているものこそが、視聴者が欲しているものであろう。
その視聴者を口を開けて餌をねだる雛鳥扱いして、
クリエイターが顧客に媚びていてけしからんとする者もいるが、
むしろ監督個人の作家性云々を主張している者こそがニッチ側の存在である。

高畑氏のクリエイターとしての姿勢は嫌いではないが、何億何十億もかかるプロジェクトで、
莫大な人間を作家性の巻き添えにすることについて、やはり疑問なのが、
このアニメを見てて思うこと。

芸術家ぶって好き勝手にやりたいなら、出版物で作ればいいじゃない?
やりたいようにやって27億円の赤字のアニメを見て、
作画スタッフの手間暇に比べて特に満足感がなかったことで、
思ったことがこれでした。


これにて感想を終わります。
読んで下さいまして、ありがとうございました。

投稿 : 2022/10/14
閲覧 : 228
サンキュー:

25

ネタバレ

栞織 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8
物語 : 4.0 作画 : 4.0 声優 : 4.0 音楽 : 3.5 キャラ : 3.5 状態:観終わった

姫の犯した罪と罰とは「不倫」

映画館で見ましたが、見た当時は「金返せ」状態でした。しかし今はそうでもありません。まあまあの映画だったんじゃないかと思います。巨匠に対して失礼な言い方ですが。

宣伝コピーの「姫の犯した罪と罰」の意味がよくわからない、あれはもともとはかぐや姫が転生前は宇宙の星にいて、そこで罪を犯した・・・という制作裏話が存在するようですが、ぶっちゃけ私はそれは話の中で出てくるかぐや姫の「不倫」だと思います。それで、監督さんもはっきりと宣伝時に言わなかったのだと思います。つまりこれは従来のジブリ枠からかなり離れた作品で、普通の邦画のような作品です。ジブリでもついに不倫を扱うようになったかと思いました。しかもそれがあの日本の古典の「竹取物語」でです。だからこの映画はかなりの冒険だったと思います。だから子供たちへの配慮があってか、監督さんも死ぬまで「それは不倫のことからです」と話すことはなかったのでしょう。いつかその子供もわかる日が来ると、放置したのだと思います。

なぜ「竹取物語」に不倫要素を加えたか。これは同時代の古典文学の「源氏物語」に影響されてだと思います。それで、途中で出てくるギャグ要素の「アゴ帝」が、光源氏のカリカチュアみたいなキャラにされているのです。これは今までギャグに注目してあまり指摘されていなかったと思いますが、私はあれはそうだと思います。かぐや姫にバックから抱き着いてあのようなセリフを言わせるのは、子供にはわからないと思いますが、かなりアレな描写でしたね。しかしそれも色事師の側面から光源氏を思い出してほしい、という監督からのメッセージだったのです。それはラストに出てくる「かぐや姫の罰」にあたる天上界への昇天、あれが何を意味しているかというと、実は「源氏物語」の不倫の末の「出家」に当たるのです。だから最後にかぐや姫を迎えるのが天上界の「御仏」たちなのです。

おそらく監督はもともと童話で平板な「竹取物語」を、ひとりの女性の内面史として描くために、不倫要素を加えて、幼い頃に一緒に遊んだおさななじみの男性との恋の再燃という物語にしたのだと思います。そういう要素がないと、いかにも気位が高くて冷たい女性の物語になってしまいます。それで監督は、最後に出てくる昇天を「出家」ととらえて物語を再構築したのだと思います。しかしそれを公的にしゃべると、不倫ものと言われて、子供はこの映画を見に来なくなってしまいます。従って監督は何も言わず、「ふつうに生きていてもそういう事もあるよ」と、幼い観客たちにこの映画を手渡したかったのではないでしょうか。意に染まない相手との結婚や、幼馴染との再燃、非常によくある話です。そう考えると、従来のジブリキャラの絵柄ではなく、毛筆で描いたようなこの映画の大人っぽいタッチも、大人になったいつの日かそれを気づいてほしいという意図に沿って作られたデザインと、思うことができるのではないでしょうか。

ただ最初に見た時「金返せ」と思ったと書いた理由は、今言った「アゴ帝」が「竹取物語」の原文とはまったく違っているからで、昔高校の頃、この「帝」が最後、かぐや姫からもらった「不死の妙薬」を、もうかぐや姫に会えないのに不死になっても仕方がないと、富士山の頂上で焼いたから「不死山」から「富士山」と呼ぶようになったという話を原文で読まされて知っていたので、それではなかったこの映画の顛末には、思わず憤ったという感じですね。

あと当時あった事を思い出すと、この映画の公開前に「かぐや姫の物語」と題した、謎の短編アニメ動画がYoutube上にありました。それは現代を舞台にした若い女性の生態が描かれたもので、澁谷のようなところを女性が歩いているといったものでした。当時はどうしてこれが「かぐや姫の物語」なのか意味不明に思ったのですが、それも前述のごくふつうに生きている現代の若い女性の内面史のように描きたかったらしいこの映画の演出方法から考えて、映画の試作品だったのか知りませんが、そういう意味で作っていると関係者側から流出したものと思われます。私などは短絡的に、この映画の成立にはあの作家の瀬戸内寂聴さんもかかわっていたのではないかと、考えたりもします。

投稿 : 2022/03/23
閲覧 : 282
サンキュー:

6

camuson さんの感想・評価

★★★★★ 4.5
物語 : 4.5 作画 : 5.0 声優 : 4.0 音楽 : 4.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

印象度:89

日本最古の物語小説「竹取物語」の映像化作品です。

原作小説は日本人なら誰でも知っている有名作品の割に
意外と映像化作品が少ないような気がします。
(調べてみたら市川崑監督の映画(1987年)がありました)


まずは、なんと言っても、絵が素晴らしいです。
背景、人物ともに水彩画の風合いの手書きです。
境界線の明確化と色彩の単純化、つまりは塗り絵の絵柄が、
いわゆるアニメ絵の特徴なわけですが、
それを崩す挑戦を老舗ジブリがしてきたことを評価したいです。
渾身の一作です。

お話的には、原作は短いので、
どこを膨らますかがポイントになるかと思います。
本作では、かぐや姫が一瞬で大きくならずに、
少しずつ育つように改変しています。
これが、理にかなっていて成功していると思いました。
赤ん坊から幼少期という一番愛らしい時期を描くことで、
受け手によるかぐや姫に対する愛着、
じじばばによる「わしが育てた」感を高め、
貧しい村の豊かな自然の中での村の子供たちとの交流を描くことで、
かぐや姫による地球生活への愛着を高めています。
これによりラストシーンの別離の感動が何倍にも増幅されています。


キャラクターの造形も、マンガチックに戯画化されていて、
多彩で、凸凹で、かなり冒険したものになっています。
特に本作オリジナルキャラ、横長の侍女のハマリ具合が絶妙です。
天皇もめっちゃ鳥肌立つくらいキモ格好良くてイイです。

かように大胆な改変を行っているのですが、
それでも要所要所で、原作に忠実だなと思えるさじ加減が素晴らしいです。

和歌や故事成語的なもの、言葉遊び的な部分を
ごっそりと省略したのも潔いと感じました。

投稿 : 2022/02/08
閲覧 : 243
サンキュー:

5

ネタバレ

ちあき さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0
物語 : 4.0 作画 : 4.0 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

タイトルなし

ラストが……。
地球も月もどっちも極端。
そういう意味では怖かった。

投稿 : 2021/10/25
閲覧 : 302
サンキュー:

2

OK! さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0
物語 : 3.0 作画 : 4.0 声優 : 4.0 音楽 : 4.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

タイトルなし

2021/07/19 終了

投稿 : 2021/07/19
閲覧 : 190
サンキュー:

0

ネタバレ

たわし(爆豪) さんの感想・評価

★★★★★ 4.4
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

かぐや姫の「罪」とは「同じ過ちを繰り返していること」

故高畑勲の遺作 原作は日本の古記「源氏物語」。

作画はほぼ鉛筆画と水彩絵具の色調でアニメ化するのが超絶困難なので制作に8年以上かかったのはうなずけます。

こういった作品は感動を売りにすることが多いですが、そういうことではなく演出は非常に平坦で淡々と進むので、ラストは日本人なら誰でも知っているのでしょうがあっけにとられます。

キャッチコピーの「罪」と「罰」というのは、主人公の姫の「傲慢さ」と「美しさ」でしょう。

姫がこの世ならざるくらい美しすぎるので、完璧であるがゆえ「穢れたもの」を毛嫌いし、他人を寄せ付けず姫が傲慢になってゆく様が実は痛々しく描かれていて、「フェミニズム映画」だと誤解されがちですが、実は一人のファムファタール(男を破滅させる魔性の女)に周囲が冷静さを保てずに破滅してゆく物語なのです。

あるものは財を全て失い。あるものは大怪我をし、あるものは死んでしまう。たった一人の姫に翻弄され人生を狂わされてゆく人々の話なのです。

しかも、姫はそのことに全く自覚がない。実は女性に対しての批判の眼差しでもあります。そういう女性いますよね。。。。

その「罪」を実は月へ戻っても永遠に繰り返しているのです。「羽衣伝説」の天女然り、かぐや姫然り、そしてラストに浮かぶ捨丸と姫の。。。。

投稿 : 2021/07/13
閲覧 : 533
サンキュー:

15

tinzei さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.5
物語 : 1.5 作画 : 3.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 2.0 状態:観終わった

制作費50億ってwwwwwwww

邦画の製作費ランキングでもトップ10に入ってくる作品だから、ある意味有名ではあるけど・・・・・・

この時代のジブリブランドを加味しても、興行収入20億ちょいって少なすぎ、『おもひでぽろぽろ』や『耳をすませば』に負けてるって(笑)


相変わらず声優は豪華だったけど、かぐや姫に言い寄った五人の内、上川隆也のキャラが声のせいで強キャラにしか見えなかったから、キャスティングミスだと思う(笑)


エロシーン・・・・・って言っていいのか分からないけど、一応媼の授乳シーンで乳首が見える、ただ・・・・・・・・その乳首いる??

投稿 : 2020/12/13
閲覧 : 166
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2

ASKA さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

ジブリの高畑監督珠玉の一作。予想以上に良かったです。

ジブリの高畑勲監督の長編アニメ映画です。
原作が竹取物語を原作にアレンジを加えてジブリなりにしたのが今作です。
かぐや姫の昔話をベースにしていますが、ジブリ、高畑監督なりのアイデアを加えて非常に見やすい物語になっています。竹取物語は詳しく知らず、かぐや姫の昔話を知っているくらいでしたが、詳しい物語を知れてよかったです。
また劇中とあるシーンの作画は迫力があり良かったです。

投稿 : 2020/11/29
閲覧 : 232
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22

らっかせい さんの感想・評価

★★★★★ 4.1
物語 : 5.0 作画 : 3.0 声優 : 3.5 音楽 : 4.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

過呼吸になるかと思った

なぜ評価がこんなに低いのか分かりません。タイトルの通り、過呼吸になるかと思うくらい泣きました。
作画は好みが分かれると思いますが、脚本は王道でいて傑作です。竹取物語だと思って観てはいけません。オリジナル作品だと思って観てください。
泣けるアニメランキングなら僕の中ではトップ5間違いなしだと思ってます。
「普通」の幸せさを教えてくれる作品です。

投稿 : 2020/07/05
閲覧 : 249
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4

snn1123 さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

生きるとは幸せとは何か考えた傑作

原作と絵柄で不安ながらも視聴。。
胸が熱くなり涙が出た。
正に類稀なる傑作だった。
未視聴の方は腰を据えて是非見てください。

投稿 : 2020/05/14
閲覧 : 213
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3

退会済のユーザー さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0
物語 : 4.0 作画 : 4.0 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

全てのクオリティが高い

1つ1つが丁寧で、すごく凝っていると思った。
物語は言うまでもなく面白い。

投稿 : 2020/02/11
閲覧 : 140

みそ汁ソムリエ さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.4
物語 : 1.5 作画 : 3.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 1.5 状態:観終わった

左翼臭い演出

竹取物語なのに伝統的な慣習を否定し個人の自由を強調したり、金持ちは悪で貧乏は善、
現実を受け入れず逃避することをさも美しいことのように描こうとする意図が
随所に散りばめられているので左翼臭くて萎えてしまう。
現実と向き合う心の葛藤や他人との心の絆を多重的に描くようなこともないので、非常に安っぽくて深みがない脚本と演出。
昭和のチープなテンプレ青春ドラマを観せられてるような気になる。

投稿 : 2019/04/26
閲覧 : 273
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2

クワル さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0
物語 : 2.5 作画 : 4.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 2.5 状態:観終わった

こういうアニメもあっていい。

映像作品としてはすごい、というかそうそうない映像だと思うけど…。
それだけかな。

退職金代わりに高畑監督が好きなように作ったということなので、監督が満足できたならそれでよかったのではないでしょうか。

投稿 : 2019/02/20
閲覧 : 292
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1

ネタバレ

ふじき さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

生きたいと思うこと

日本最古の物語文学「竹取物語」をベースにしており、キャッチコピーは「姫の犯した罪と罰」。地球に舞い降り、鳥や獣のように生きたいとだけ願った女性の話です。

人生は選択の連続です。その時代毎で、「相応しいとされる選択」があります。ジェンダーによって著しくその選択肢が限られることもあります。
私たちが生きている今は、常に過去よりも自由になっているはずです。
私は女ですが、先人たちの苦労や、今同じ時代を生きる異性、同性のお陰で、不自由を感じることはほぼありません。

けれど、それは、私が無意識のうちに「損をしない選択」をしてきたからなんだと思います。
みんなどこかで、「自分が一番イージーに生きられる道」を探しています。
本当の自由は孤独です。本当の自由を求めて争ってきた先人たちのをみて、私は無意識に「自由に生きたいと振る舞えば振る舞うほど、人はがんじがらめになってしまう」と思っていたようです。

正確な時代は不明ですが、「ミカド」の結婚相手、という当時からしたら「女性の一番の幸せ」という選択肢をかぐやは拒みます。
私がもし彼女なら。喜んだかは不明ですが、その話を絶対に受けたはずです。きっとそれが一番イージーな道だから。

かぐやは、永遠の世界で、永遠以外を望んでしまいました。永遠を生きるよりも、有限の時の中で、あらゆる命の営みに囲まれ、愛する人と共に喜び、悲しみたいと思ってしまった。そのことが、罪なんだと。
映画館で彼女を観て、私は涙が止まりませんでした。思うように生きてきた、何も制約は無かったと思っていたけど、きっとそんな人ほんの一握りなんだと思います。みんな、無自覚に何かを諦め、折り合いをつけて生きている。
真の「自由」なんて更々望まず、緩やかな支配の中で「自由に生きている」と思えている程度に飼い慣らされている呑気な私ですら、そう感じます。

高畑勲監督は本当に真摯な方だったんだと思います。「竹取物語」を映画化したいという思いが先なので、主人公の性別は付随的なものだとは思うのですが、なんで女性じゃないのに、こんな作品が作れるんだろうと思いました。

少しジェンダーに寄った話で作品を矮小化してしまいましたが、作画や音楽含め、とても素晴らしい作品だと思います。

投稿 : 2019/01/29
閲覧 : 314
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8

筒井筒 さんの感想・評価

★★★★★ 4.5
物語 : 4.5 作画 : 4.5 声優 : 5.0 音楽 : 4.5 キャラ : 4.0 状態:観終わった

原作がないと説得力のない時代の到来

 日本のアニメがなぜ海外に負けたりするのか?それは、作品の価値が、面白さか、精神的な満足感かと問われるところにあると思います。ベイマックスに、私は癒されませんし、トイ・ストーリーのように大儀があったりするものも多いです。なぜ、評価できるか、それは国際的に通じるものがあった絡み経ってことでしょう。なんとも思わないのは、評価以前の問題だということでしょう。
 海外で評価されるには、これなんなの?といわれて誰もが返事できなきゃいけないというわけで、オリジナルの話なんてのは、過去の作品を引用するしかないからです。絵で映画を見る人ではないので、感想はそんなものです。今の日本には、「妹」と「百合」くらいしか武器がないんじゃないかと思ってしまいます。
 中途半端に新しいよりは、伝統の作品技術が必要だと思いますね。

投稿 : 2019/01/15
閲覧 : 269
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5

前田定満 さんの感想・評価

★★★★★ 4.1
物語 : 4.0 作画 : 5.0 声優 : 3.5 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

観たことない作画。高畑勲監督の遺作。

物語は基本的に原作の竹取物語に忠実ですが、
この映画はかぐや姫目線で描いてます。
かぐや姫がなぜ男たちを拒否したのか。
なぜ次に帰らなければならなかったのか。
またキャッチコピーである「かぐや姫の犯した罪と罰」。
これらの点について考えながら映画を観ると
深くこの作品を楽しむことができると思います。
仏教の教えも入っているので
何回か観ていくと、かなり奥が深いんだなと思います。
ただ長いので疲れます。

作画は全てのアニメーションの中で一番好きです。
最先端のアニメ技術はCGと勘違いしていた自分が情けないです。
まるで水彩画が動いたかのような独特な画!
本当に引き込まれてしまいます。

生前に高畑さんはインタビューで「自分の目指すアニメとは観客とアニメの世界が一体になること」とおっしゃったそうです。アニメの中の風は観客に届くように。逆に言うと実際に吹いてる風がアニメの中に届くように。
かぐや姫はそれを実現させたアニメだと思います。

また高畑さんはこうもインタビューでおっしゃっていました。
CGの立体的アニメはそこにものがあると言っている。
しかし線で描いたアニメは絵の裏側にあるものを想像する働きがあるのだと。
このかぐや姫の背景は余白をあえて作ることにより、観客の想像力を引き出しているのです。

そんな手描きで最先端の技術を実現させた高畑勲監督。
最後に素晴らしい作品を世に残してくださったことに感謝いたします。
ホントはもっと高畑監督の作品が観たかったです。
鈴木プロデューサーは高畑監督が「平家物語」をやりたがってたと
インタビューでおっしゃっていました。
ゆっくりお休みになられて
いつか生まれ変わってそれを成し遂げられることを切に願っております。

ご冥福をお祈りいたします。

投稿 : 2018/09/06
閲覧 : 366
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9

退会済のユーザー さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8
物語 : 4.5 作画 : 5.0 声優 : 2.5 音楽 : 3.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

エゴイストの物語

申し訳ない、
私は『ジブリ作品』を自らすすんで観る事がなく、
数えるほどしか観たことがありません。

『2000年代の悲しい映画10選』(だったかな?)に唯一、日本映画でランクインしていたので、観ねば!と思い…。


ちょっと癖のある作画。

木々や花、鳥などで四季、時の流れを表現する、日本らしい演出の数々、素晴らしい!


『竹取物語』を題材として、

『愛情と理由付けしたエゴのどうしようもなさ』
を伝えたいのではないか?と、私は感じました。


一番気になったのは、お爺さん。
初めは『娘』の成長を、愛情もって見守る『親』
だったのに…

『娘』を『姫』と呼ぶようになってから
贅沢な生活や、名誉に溺れていきます。

娘(姫)に良い生活、地位ある旦那様を、というのを『愛情』と考えるのは、よくある『間違い』

単なる自己満足ですよね?


お爺さんを筆頭に
まー、たくさんの『エゴイスト』な男性が出てきます。

『かぐや姫』に気に入られようと、平気で嘘をつく男性達。

(幼馴染みの『兄さま』には、ほとほと呆れましたよ。)


誰も『かぐや姫』の事を視ていない。
(お婆さんは…どうなんだろうか?唯一の理解者だったのかな?)


『かぐや姫』の瞳はどんどん輝きを無くし、人形の様な瞳になっているのに…


誰も気がつかない。


でも私は『かぐや姫』を可哀想だとは
全く思わなかった。

このお話は
神?天上人?の『人間を試す遊び』のお話だと思ったから。

その『遊び』に人間は負けた、それだけ。



『かぐや姫』は『竹の子』として、
自然の中で笑っていたかったはずです。

『竹の子』のままでいれたなら…天には帰らなかったのかもしれませんね。




高畑監督、美しき素晴らしい作品を残していただき、
ありがとうございました。







ちなみに(本当にどうでもいい話)

私が遊びを覚えた時につけていた香水は『エゴイスト』大人になってまとった香水は『アンテウス』


でした。

投稿 : 2018/08/17
閲覧 : 575
ネタバレ

天地人 さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0
物語 : 3.0 作画 : 3.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

偽SFスーパー英雄(?)列伝40

かぐや姫
「月よりの迎えの使者がくるのです。」

「そんな事をさせるものか、絶対かぐやは守ってみせる。誰かおらぬか・・・」
当日、かぐや姫を守るため、館を守る武士達の前に流れる音楽と光
光の中から現れた、白いバイクに乗った全身白尽くめにサングラスとマントをした変態(違)
「月よりの使者、月光仮面!」
(ど~こ~の~誰だか~♪知~らないけれど~)

・・・いや、何となく浮かんできたもんですから(汗)

ちょっと、絵が独特で、食わず嫌いと言うか観てなかったんですけど、この前TVでやってたので観てみました。
で、最初に思ったのは、出てくる男みんなヒドイな(おいっ)
特に、捨丸・・・それまでの描写があの描写だっただけに、やられました。
帝もアゴが(いや、そっちじゃないでしょうが)
まあ、みんなが知ってる物語なだけに、ラストは予想通りでしたが、まんが日本昔話で10分程度の作品を、2時間以上観る事になるとは(それは言わない約束・・・でしょうか)
あと、絵がキレイでしたね、この点は観てなかった事を後悔しました。

おまけ
かぐや姫に求婚してきた5人の変顔貴族。
その5人に対し、かぐや姫は無理難題をするのだった。
「日本初のアニメ、凸坊新畫帖 芋助猪狩の巻が見たい(何?)」
「おそ松さん第1期の第1話を、ノーカットでもう一度TV放送して(う~ん)」
「ダンこと森次晃嗣さんの経営するカフェで盗まれたセブンのマスクを探してきて(いや、それアニメじゃないだろ)」
「ルパンとクラリスを再会させて(確かに観たいけど、それやっちゃあ駄目な気が・・・)」
「HUNTER×HUNTERを最終回まで休まないでジャンプで連載して(無理無理)」

投稿 : 2018/05/27
閲覧 : 246
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11

退会済のユーザー さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0
物語 : 4.0 作画 : 5.0 声優 : 3.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

「鳥や獣のように生きる」こと

筆で描いたような絵は好みがわかれそう。
キャラの動きはなめらかで心地よい。
「鳥や獣のように生きる」ことの素晴らしさとあこがれと、そしてその難しさ。引き込まれて観てしまいました。

投稿 : 2018/05/24
閲覧 : 209

mamushi さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0
物語 : 3.0 作画 : 3.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

う~んいまいち

見るんじゃなかった
これ一つにに限るでしょう

投稿 : 2018/05/19
閲覧 : 204
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1

にゃむ さんの感想・評価

★☆☆☆☆ 1.0
物語 : 1.0 作画 : 1.0 声優 : 1.0 音楽 : 1.0 キャラ : 1.0 状態:観終わった

ごみ

時間がもったいないレベル

投稿 : 2018/05/18
閲覧 : 226
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1

褐色の猪 さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

もうひとつのヒルダのものがたり

唯一無二、孤高のアニメーション映画監督、高畑勲氏の集大成となる作品。

ご冥福をお祈りいたします。

投稿 : 2018/05/11
閲覧 : 291
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10

ネタバレ

こっとん さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8
物語 : 3.5 作画 : 4.0 声優 : 3.5 音楽 : 4.5 キャラ : 3.5 状態:観終わった

かぐや姫が月に帰っていくシーンが印象的でした。

ストーリーは、もちろん知っている方の方が多いかもしれません。ポイントはそれをどう描くかだと思うのですが、個人的には最後、かぐや姫が月に帰っていくシーンがとても印象的でした。迎えが来て月に帰る際にかかっている音楽が無駄に明るいというかなんというか、、、。
月の者が無感情にかぐや姫を連れて帰るのが、地球の人にとって、「何を考えているのかわからない」、「怖い」と言った感情を表しているように感じました。

投稿 : 2018/02/28
閲覧 : 201
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3

ネタバレ

ヘラチオ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.5
物語 : 2.0 作画 : 5.0 声優 : 4.0 音楽 : 3.5 キャラ : 3.0 状態:観終わった

素晴らしい作画

見終わった直後の感想は、まんま竹取物語やんでした。もう少しひねりがあるのかくらいに思っていましたが、ストレートでした。映像で分かりやすく楽しむ竹取物語という感じです。
変更点は僕が他を見つけることができなかっただけだと思いますが、かぐや姫が求めるものを探しに行った男の末路くらいです。

ただ、作画は本当に凄いです。墨で描かれていたと記憶していますが、この作画クオリティは中々真似できないのではないでしょうか。

投稿 : 2018/02/24
閲覧 : 286
サンキュー:

8

藤乃 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8
物語 : 2.0 作画 : 4.5 声優 : 5.0 音楽 : 4.0 キャラ : 3.5 状態:観終わった

かぐや姫の物語

『竹取物語』を原作とする、高畑勲監督・スタジオジブリ制作の日本のアニメーション映画。
温もりのある手書き風の作画が見事!特にかぐや姫が屋敷を抜け出して駆けるシーンが疾走感あって見応えあります。
朝倉あきさん、地井武男さん、宮本信子さんの演技は存在感があって、声だけで泣けてしまうほど感動しました。
久石譲さんが手掛ける音楽もどこか和テイストが感じられて、作風にぴったり合う素敵な曲ばかりです。

前半はかぐや姫のお転婆な姿や都に出てからの心理描写、平安文化への皮肉などが描かれていて新鮮でした。
ただ、オリジナルキャラの存在意義が分からないし、キャラ設定もあって彼と空を飛ぶシーンは受け入れられず…
新しい解釈をもとにオリジナルの展開だったら面白くなりそうだったんですけどね。
ストーリーが原作に忠実すぎで起承転結もあやふや、不要なシーンも多くて冗長的です。
結局、キャッチコピーの「姫の犯した罪と罰」は理解できませんでした。

投稿 : 2018/02/18
閲覧 : 255
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1

DEIMOS さんの感想・評価

★★★★☆ 3.3
物語 : 3.0 作画 : 4.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.5 キャラ : 3.0 状態:観終わった

作画だけのジブリアニメ。

誰しもがストーリーを知っている「かぐや姫」を高畑勲が愚直にアニメ化。日アニ世界名作劇場の遺伝子を日本の古典名作に持ち込んだ意欲作、と思いきや、色々と難しさが露呈。

ストーリーを知っているためにのめり込めない(なんだかんだ世界名作劇場の原作は名前は知っていてもストーリーまでは知らないことが多い)。かぐや姫のキャラ付けが甘いが、広く知られた作品だけに、過剰な脚色は難しいか。(赤毛のアンレベルに自由奔放なキャラでも良かったか。)大胆な再解釈があってもよかった。

作画は流石の一言。かぐや姫が屋敷から抜け出して走るシーンは圧巻。他にも、ちょっとした動きが面白い部分がある。結果、見所は作画だけだった。あと、EDの音楽もよかった。

投稿 : 2018/01/15
閲覧 : 212
サンキュー:

4

ネタバレ

fuushin さんの感想・評価

★★★★★ 4.7
物語 : 4.5 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 4.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

1000年前も、今も、たぶんこれからも。

Wikipediaより。
日本最古の物語といわれる。9世紀後半から10世紀前半頃に成立したとされ、かなによって書かれた最初期の物語の一つである。現代では『かぐや姫』というタイトルで、絵本・アニメ・映画など様々な形において受容されている。
「人間の姿そのものという新たな世界」を創り出そうとしたところに、物語文学の誕生がある。(引用はここまで)

高畑監督の描いたかぐや姫の物語。映画館で観たのですがとてもすばらしいと思いました。テレビでも観ましたが、スクリーンで観た記憶と感動がありやかによみがえってきました。
それにしても、この作品の描写はこの上なく独創的です。柔らかくありて激しく、ふくよかながら、かつ鋭い。
他では見られない新しいタッチですね。本当に魅力的です。

そして、姫の言葉と、表情と、生きる姿をとおして、” 地球に生きる意味、肉体を持ってこの世に生きる尊さ ” が、深くたおやかに表現されていると思います。

この物語、一般的には「羽衣伝説」の流れをくむ作品です。摩訶不思議な天女が突然現れて、人間と交流して、いつのまにか天に帰っていくという物語です。
でも、「輪廻転生」という角度から鑑賞すると、また違った見方ができると思います。私は、その視点でレビューしてみたいと思います。

{netabare}
「かぐや姫の物語」は、おおもとに輪廻転生という骨格(モチーフ)があって、そこに竹取物語という古典を肉付け(シナリオ)し、罪と罰という服を着せ(テーマ)、姫の視点と心情と行動を中心において、視聴者に観せていく(アプローチ)という切り口でスクリーンに投影した・・そんなふうに私はとらえました。

また、物語では、「月と地球、天上人と地上人、自然と都会、上流階級と庶民、姫と翁・媼、女と男、生まれると還る」など、いくつもの場面で、二つのものを対比させています。
そうすることによって、これを観る人の解釈と理解を助け、鑑賞を深められるようにしていると思います。

というわけで、私は、「輪廻転生を縦軸に、対比を横軸に」という見立てをたてながら考察してみようと思います。
{/netabare}

輪廻転生は仏教用語ですから、なんとなく「人は、未来永劫、生まれかわり死にかわりするんだな。」といった程度の理解から始めました。
対比については、立場、意見、思想、世界観などの違いを浮き立たせて、観る人にいろんな角度からアプローチしやすくするための設定ととらえました。

まず、縦軸としての輪廻転生について考えてみたいと思います。

気になるのは、「わらべ歌」の存在です。

{netabare}
鳥 虫 けもの 草 木 花
咲いて 実って 散ったとて
生まれて 育って 死んだとて
風が吹き 雨が降り 水車まわり
せんぐり いのちが よみがえる
せんぐり いのちが よみがえる

・・・せんぐり:京都 但馬地方、奈良、徳島などにみられる方言。何度も、繰り返し、次々に、という意味です。

このわらべ歌に織り込まれた言霊を読み解き、頭の中でリフレインさせながら姫に寄り添っていけば、もしかしたら、この物語の主題でもある「姫の罪と罰」を理解するきっかけをつかめるのではないかと考えました。

まず、姫には、前世の記憶は残っていないはずです。
常識的には、前世の記憶は今世にはもちこせないからです。
でも、とても不思議なんですが、設定では、姫はわらべ歌を口ずさむんです。前世の記憶は持ち越せないはずなのに、です。
姫が、単に特殊な能力を持つシャーマン(霊能者)なのかもと解釈するのはよくある、あるある話ですが・・。
{/netabare}

実は、私はこの「わらべ歌」には、二つの意味がある強く感じるのです。(ここから先は全くの自説です)

{netabare}
ひとつ目の意味は、わらべ歌には、姫自身の地球での前世の記憶と、月での前世の記憶が、それぞれぎゅっと凝縮して込められていると思うのです。

かぐや姫は、月世界でこの歌を歌っていた女性の姿を見かけていましたが、思うに、その女性はかぐや姫自身の前世霊ではないかと思うのです。

「輪廻転生」がモチーフであれば、地球にも月にも、それぞれの世界に「前世」「前々世」「前々前世」があって不思議ではありません。

地球では、数百年のスパンで輪廻転生があるので、時間軸からみれば、同じ肉体、同じ人格は同時代には存在しえません。

ですが、月の世界は肉体の世界ではなく霊体の世界(霊界)ですから、肉体が滅ぶという時間の絶対的な制約をうけることはありません。
であれば、霊体という存在であるなら、「 前世の霊体、前々生の霊体、前々前世の霊体が、同時に同じ場所に存在することは可能 」です。
(困ったことに、この地上にも、そういう霊がときどき見受けられるという話がありますね。やはり、時間の縛りがないから、ずっーと残ってしまうのですね。)

ただし、かぐや姫の霊体のもつ人格と、前世霊の霊体のもつ人格(知識や概念など)は全く別のものです。
なぜなら、肉体をもって地上にうまれ、そこに霊体が宿るわけですが、前世霊が得た肉体が生きて存在していたのが、平安時代なのか、江戸時代なのか、現代なのかは、みんな違うわけですし、当然、見たもの、聞いたもの、経験したものや体得したものも違いがあります。ですから人格も当然違いがあります。

では、なぜ、その女性こそが、かぐや姫の前世 ( あるいは前々世 ) の人であったのか。
それは、その女性が、「かつて地球で肉体をもって生きていた記憶」があったからだし、また、自らの声帯を使って歌ったという「習得していた技術」があったからだし、「深い情念・愛念を忘れることなく持ち続けていた」からです。

肉体は滅んでも、培ってきたノウハウは霊的なエナジーとして、その女性に残っていた。

だからこそ、かぐや姫が、再び肉体を得たとき、前世霊のすべてのノウハウが、姫の脳と声帯と記憶の中にすでに宿っていた・・。
だから、無意識のうちに、同じ歌を歌うことができた・・。

そのように想像することが、私には納得のできるストーリーに思えます。

姫のまわりの子どもたち、そして媼、彼らもまた、同じわらべ歌を知っていました。
それは、幾百年前、姫の前世を生きた、肉体を持った「あの月の女性」が歌い残したもの。

その歌が、いつしか「わらべ歌」として、長きにわたり人々の間に歌い継がれ、やがて子どもたちも口ずさむようになった、と考えれば、私はいろいろなことが合点がいくのです。

そのわらべ歌は、本当は、かぐや姫の前世(あるいは前々世、前々前世)だっただろうその女性が、母だったときの我が子に、あるいは妻だったときの夫に、あるいは乙女だったときの恋人に、地球に生まれ、「命の煌めきを、愛おしさを、尊さを、そしてあなたに出会えた喜びを」やさしい調べにのせて、歌い残し、歌い伝えるもの(まるで恋文のよう・・)だったのではないか・・。

そして、子どもが、夫が、恋人が、耳に留めおいていた歌を、月に帰っていった母(妻・乙女)を慕って、恋しく思って、口ずさんでいたのではないでしょうか。

それは、長く長く、数百年にわたって歌い継がれてきた・・・。
(でも、伝承されたのは一番の歌詞のみでありました。二番はわらべ歌としては意味解釈の難しいものであったのかもしれません。)

このように考えれば、わらべ歌に秘められ、隠されていた背景やエピソードがいきいきと思い浮かびあがってくるように思えるのです。

そして、月世界の屋敷から、地球を見ては涙を流し、切なく悲しい表情をしていた女性の姿を、かぐや姫が見かけたという「縁」の不思議さも、「どうしてなの?」と気持ちが向いたという縁も、なによりも歌詞を覚えていたという縁も、すべてがつながるし、すべてが輪廻の中にあったからだと思えば、私は合点がいくのです。

彼女自身も不思議な表情をしていましたが、ふとした感覚で呼び覚まされたように口をついて出てくる。それこそが姫の魂に、深く深く刻み込まれた記憶のエッセンス。理屈ではない感性の世界・・。
私は、このふとした感覚こそが輪廻転生の証(あかし)のように感じるのです。

もしかしたら、この作品を観る人たちにも、月に前世霊の方がいらっしゃるのかもしれませんね。
{/netabare}

姫自身は、なぜわらべ歌を口ずさめたのかは分からなかったようでした。
かぐや姫がその歌に前世が投影されていることにはっきりと気づくことができたのは、月に帰ることが分かってからのことでした。

{netabare}
・・かぐや姫は思わず念じてしまったのです。「ここにはいたくない」と。それが終わりの始まりでした。

鳥 虫 けもの 草 木 花。 まつとしきかば 今かへりこむ。

なんと美しい言葉なのでしょう。

愛しいあなたは、懐かしい故郷で、私を待ってくれているのでしょうか。もしそうであるならば、今すぐにでも、私はあなたのもとへ帰ることでしょうに・・・。

四季とともに、土にまみれ、水を浴び、風と光と大地のあいだで汗を流して生き抜く。
そんな、ささやかな、当たり前と思える世界であっても、それは月にはない世界。
だからこそ、今世かぎりの命に、まっすぐな気持ちを向けて、授かった命を活かしきる意味を見出すこと。
そして生きるさまを、豊かに馥郁(ふくいく)と楽しむこと。喜びを見いだすこと。それらに真摯に向き合い、作り上げていくこと。
限りある命なればこそ、全身全霊を掲げて。
心臓を働かすこと、呼吸すること、思考すること、喜怒哀楽を感じること、愛を感じること、愛を与えること、愛を分かち合うこと。
その働きこそが、全力をかけてあまりある価値だということなのでしょう。

それが、かぐや姫の(そして私たち自身の)ほんとうの天命なのだろうと思えるのです。
{/netabare}

ふたつ目の意味は、

{netabare}
わらべ歌は、神様・仏様が、姫に「生きる標(しるべ)」として授けてくださったものではないかしらと思いました。
神様・仏様の慈悲と慈愛が込められた貴重なプレゼントであり、その心根(こころね)には、姫の魂の成長を願う親心の発露のようにも感じます。

そう、人に願いがあるように、神仏にも願いがあるように思えるのです。(子どもに願いがあるように、親にも願いがあるのと同じですね。)

神様・仏様が、あえて、姫の前世の記憶を「わらべ歌」というかたちで姫に託したその想いと願い。

「転生することの本当の意義と意味」を、姫に気づいてほしい、悟ってほしい。そのために、もう一度、学んだり、体得したり、応用したりする能力を身につけてほしい。姫が前世で犯した失敗や、やり残したこと、そういったことにもう一度チャレンジしてほしい。乗り超えてほしい。魂を成長させてほしい。・・これが神様・仏様の願いのように感じるのです。

これを「天命」(天から授かった命に、授けられているテーマ)といえるのであれば、寿命はどうでしょうか。寿命はいつこと切れるかわかりません。ですから、運命として「授けられたテーマを自らの力で、寿命が尽きるまで運び続けること」がサブテーマになるでしょうし、さらに言えば、造命として「自らの力でテーマを発掘し形あるものに作り上げること」もサブテーマになると思うのです。

つまり、最も大事なことは、姫自身がつかみとらなければならないということです。
そうでなければ、神様・仏様が、姫の転生の願いを受け入れ、地球に戻した意味がありません。
(神様・仏様は、見守ることしかできません。可愛い子には旅をさせよ、ということですね。)

さて、魂の成長とは、すなわち、人としての「魂の生成化育、進歩向上発展のすべてのプロセス」を指すのではないかなって思うのです。
この世に生きているうちにしかできないことを、自分なりに目標を見つけて、志を立てて、行動して、自分自身と社会に益する足跡を残すこと。

それが、輪廻転生することの本質。本当の意味なんじゃないかなって感じています。
{/netabare}

随分と横道に逸れちゃったみたいです。ん~、失敗失敗。元に戻しますね。

わらべ歌には、このように二つの意味合いが込められていると思うのです。

{netabare}
ひとつは、姫自身の前世の宝であり証として。
もう一つは、神様・仏様の大きな慈愛として。

これは、再び、地球で人生を歩むことを願った、姫の魂の成長の物語。

さて、縦軸は、輪廻転生であり、魂の成長こそ人間の本義であると考察しました。
{/netabare}

つぎに横軸です。

{netabare}
横軸は「対比」の表現でしたが、結局、彼女が生きた世界のすべて(見たもの、聞いたもの、触れたもの、感じたもの)であると私は感じました。

例えば、一つ挙げてみれば、「天上人と地上人」。
天上人から地上人を見れば、地上の人々は、人欲と偽善、見栄と虚妄、貧困と不正、騒乱と紛争、男尊女卑・・等々。おぞましく穢れた世界に住む者たちに見えたかもしれません。地上は、さまざまな「差と段」のある世界、「サタン」のような世界・・。

思想、身分、貴賎、立場、まさにめくるめくダイバシティ、玉石混交の世界です。
1000年前も、現代も・・さほど違いは・・ないみたいですね。

地上人として生きることは、かぐや姫の魂が、より広く、より深く、より高く、より豊かに、より多面的に成長していくための”ガチ錬磨の場”。
多くの人たちとの良縁・奇縁が用意されていたのも、そのためでした。

地上世界に転生したかぐや姫が、様々なストーリーの主人公として、自分の魂の成長の意義や本質に、どう真摯に向き合うのか、そして生き切るのか。そのありさまを私たち観客に見せるために、そうした場面が設定されているのが、この物語の横軸になっているように思います。
{/netabare}

さて、高畑監督が謎かけのように設定した「かぐや姫の罪と罰」について、私なりの考察をしてみます。
ホントは、コメントするのも恥ずかしいのですが・・。(自説です)

{netabare}
かぐや姫は、死後は、肉体を脱ぎ、魂となって月の天上人となります。
天上世界なのですから、高貴で安寧、円満でとても穏やかなところのようです。

月から見仰ぐ地球は、あくまでも、眺めるもの、愛でるものであって、間違っても、憧れたり、行ってみたいと思うような場所や対象ではないのでしょう。
天上人にとっては、地球への転生を思うこと自体がありえないこと。
そもそも罪深いことであり、かえって罰当たりなことなのかもしれません。
 
もっとくだけていえば、天上世界はバカンスで、地上世界は修羅場、かな?
{/netabare}

閑話休題。
{netabare}
転生するとき、私たちは、親を選ぶことはできるのでしょうか?
「え?私、あの親の子どもで生まれるの?ホントにホント?ちょっと考えちゃうわ!え〜っ?やっぱり嫌~っ!!!」
「あなたの魂の錬磨のためには、来世はあの家の子どもとして生まれなさいね」と神様はおっしゃる。輪廻転生するたびに、魂の向上に一番適した環境下に生まれるというのが筋のようです。(いろんな時代、いろんな国、いろんな家がありますね。だから、魂が多面的に磨かれるのですね。)
でもまぁ、転生する際には、そうしたやりとりや記憶はリセットされますから、本人は知らないんですけどね。

私たちは、そうした神様との約束で、十分納得して(腹を決めて)転生を果たすわけですから、たとえ、国や時代や性別や、経済や健康、仕事や人間関係などで問題があったとしても、そんななかで自分に与えられた役割を見つけ、自分なりに努力して、ちょっとずつでも高めながら、与えられた天命を全うするために、自分自身を活かしきるだけなのです。

こんなふうに縦軸と横軸を見てみると、生きることが愛おしく思えてきちゃいますね。

変えられない運命はあるんだけれど、変えようのある運命もあるのであれば、努力のし甲斐もありそうです・・それに、輪廻転生しながら、数百年、数千年、数万年?をかけて、自分の人格を練り上げていけばいいのかと思うと、今世がつらくても少しばかり勇気も持って立ち向かえそうです。
人生、長い目で見よっと。
{/netabare}

さて、話を戻します。
竹から生まれたのは最高のファンタジーですね。とっても素敵。
で、もう一つの意味を考えてみました。

{netabare}
竹は「松竹梅」の竹です。樹木に例えて人の精神性や人生を表象していますが、竹の場合はスクスクとまっすぐに成長する子どもや青年の精神性を表しています。ところどころに節があるのは、誕生日だったり、入学式や入社式、結婚式でもあります。また、大人社会に向かって成長していくうえで、乗り越えるべき矛盾や葛藤の意味を表しています。

もう一つは、成長がとっても早いということ。つまり、幼少期、少年期、思春期など、自己形成にとって必要なプロセスがとんでもない速さで通り過ぎていくということです。
女性として月のものを迎えるまでの大切なプロセスを十分には手にすることのできなかった姫・・。
 
”竹” は、姫の生誕と成長に伴う暗喩です。

さて、スクリーンで表現されるかぐや姫の印象は、朴訥(ぼくとつ)、無邪気、天真爛漫、生粋、無知、葛藤、孤独、悲哀・・。

両親の不在、翁と媼の愛(溺愛?)、兄ちゃんへの信頼。

都での不自由ない生活、魅力的な美貌、高貴な方々からの求愛。戸惑い、焦燥し、我を見失う姫。

この姫、純朴無垢なるがゆえに、都の暮らしの中で、数々の軋轢を生んでしまいます。もちろん、姫はそれを望んではいません。

これを「あるあるの女性のストーリー」と傍観者になれない私たち。
なぜなら、私たち自身、今この瞬間にも、姫と同じ人生を歩んでいるからです。
1000年の時を超えて、かぐや姫と私たちの立ち位置は同じ。
{/netabare}

姫は、結果的に、人を巻き込み、巻き込まれていきます。

{netabare}
そのプロセスにおいて、姫は、「知って犯せる罪(姫が意識できる罪であり、悪いなぁ、いけないなぁと思いながらついついやってしまう罪。)」を重ねていきます。
また、「知らずに犯せる罪(無意識に、自覚のない罪であり、また、良かれと思ってやってしまう罪。)」も作ってしまいます。

やがてそれは、垢のように、澱(よど)のように少しずつ溜まっていってしまいます。「チリも積もれば山となる」ように。

姫は、いつしか、貴人・武人の心を読み、図り、試します。結果的に、彼らを弄ぶことになりました。いつしか、忌み嫌うようにもなってしまいます。ついには、彼らを追いやらい、遠ざけてしまいます。

でも、姫は、高慢ちきで鼻持ちならない性格ではないのですよね。
むしろ、素直で実直、優しくて、一生懸命な人でした。
その良心ゆえに(と同時に、浅はかで深慮に欠けている印象も。)、苦悩し、呻吟し、自己嫌悪にも喘ぎました。

姫のこの喘ぎ、苦しみ、葛藤もまた、罪の贖いというわけなのでしょうか。

本当に、アンバランス極まりない、ハラハラするほどに危うい姫が、これでもか、これでもかと表現されます。

古典に「霜を履(ふ)みて堅氷(けんぴょう)に至る」という一文があります。 小さな災いであっても「霜」のように積み重なると、やがて硬い氷のようになり、それが大きな劫となってわが身に返ってくるという意味です。

気がつかない、目に見えないような小さな過ち、その繰り返しが、積み重なっていくとついには看過できないほどの罪となる。それはやがて、大きな災禍や苦や厄難となって自分自身に降りかかり、見舞われることになるという解釈もできなくはありません。

「堅氷」というのは、自分の意識や力技では破れないほどに育ってしまう自我慢心の固まり、というのが、その意味です。我見、我欲、我執が過ぎれば、そのような性格で固まってしまうということですね。

姫が苦しむ原因は、姫自身の未熟な心のあり様から発現したパフォーマンスの結果なのです。すべては因果応報、自業自得。
そうして姫の人となりは、知らず識らずのうちに(心ならずも)、奢り、驕り、傲りへと変容していくのです。

それらは自我慢心から生み出されるものですから、なかなか姫は気づけない。いや、もしかしたら気づきたくない。できれば忘れたい。

そういう意識的、無意識的に複層化された姫の行動が生み出した因果律は、目には見えないけれども、巡り巡って、やがて、積み重なります。これが「罪」だと思います。
(業《ごう》とも言います)

しかし、姫の蒔いた種(罪)は、姫自身で刈り取らねばなりません。贖(あがな)わねばなりません。これが「罰」だと私は思います。

その代償は、姫の意図せぬ展開で、変えられぬシナリオで、無慈悲なストーリーとなって、選択を余儀無くされます。
誰にも抗(あらが)うことはできません。翁と媼の愛も、やんごとなき方の命令も、なみいる武人の矢も意味を為さないのです。

姫は、わが身から出た錆とも言える「罪」を、自分への「罰」として受け止め、贖罪せねばなりません。
{/netabare}

姫は、いったいどんな願立てをしたのでしょうか。

{netabare}
天上世界の神様・仏様、諸善霊らとの暮らしを横に置いてまで、地球に思いを致し、恋い焦がれた願いとは何だったのでしょうか。

遠い遠い記憶に刻まれた地球での暮らし。懐かしくある古里と人々。花鳥草木、獣たち。太陽の輝きと水の煌めき。そしてあのわらべ歌も・・。
もう一度、地球に行きたい。理由はわからないけれど、あの懐かしいもう一つの故郷に還りたい。その切なる思いをもって、姫は月の神様に希い出たのでしょうか。

私たちは知っています。この世に生を得た以上、どんな人間でも苦楽はあることを。 
自分の思いどおりにいかなくて、悔しくて地団駄を踏んだり、涙暮れて一人眠れぬ夜を過ごしたり・・。
喜びも悲しみも全部ひっくるめて、抱きしめて、歩んでいく大事な人生であることを。
愛しい方と出会って、どきどきしながら愛の言葉を紡ぎ、大好きな人を幸せにしたいと願うこと、ともに歩んでいくこと・・。とても素敵なことですね。

でも姫は、・・その道を歩めなかった。

ついに、姫は、自ら立てた願いを放棄してしまいました。
神様・仏様の願いにも背いてしまった姫。

その「罪」こそが、月への帰還という「罰」になってしまったのではないでしょうか。
(月の神様からしてみれば、実家へ帰っていらっしゃい、といった感じかもしれませんが。)

神様・仏様が、様々な人たちとの出会いとふれあいの縁を結んでくださったのに。そのご縁を活かしきれなかった姫。
出立のとき、彼女は再び、地球の記憶をなくしてしまいます。

前述しましたが、この世のルールに反し、人や社会に害悪をなす罪を「国津罪」(くにつつみ)といいます。
持って生まれた自分の能力を磨かず、活かさず、怠りの生き方を選んで歩むならば、その罪は、「天津罪」(あまつつみ)といいます。

姫は、そのどちらも犯してしまいました。

「命」は「意」「納」「血・智」と解義できます。
「命」は、自分の前世、前々世、前々前世・・から伝わるものと、母や父、祖母や祖父といった先祖の血脈から伝わるものが納められています。それは、血に溶け込み、DNAに記憶されています。
それを、今世、使うのは、私たちの「意」。

神道の考え方の一つであり、私たち日本人の無意識に選ぶ行動規範でもあります。
{/netabare}

私は、1000年以上前のどこかの誰かさんが、このテーマを取り上げ、物語にした感性や創作力に、本当に驚かされます。そして感謝しています。

1000年後の今でも、とぎれることなく語り継がれ、受け入れられ、共感されていることを考えると、この作品に込められたテーマ、「人はどう生きるべきか」という普遍的な価値観が、如何に揺るぎないものであるのかということに、あらためて気づかされます。

高畑監督が、アニメーション作品にして、もう一度、この世に表現してくださったこと、スクリーンで観られたことに、深く感謝しています。

おまけです。

{netabare}
最後にかぐや姫が、振り返って地球を見ていましたね。このシーンがまた、意味深で、涙ぐんで言葉になりませんでした・・。

かぐや姫もまた、地球を見仰ぎ、愛しく思いながら、ふたたび歌を歌うのでしょうか。

鳥 虫 けもの 草 木 花。 まつとしきかば 今かへりこむ。

それは、姫が、もう一度、地球に戻るという決意だったのか・・。

月に帰ること自体が「罰」であるのなら、かぐや姫はそれを贖わなければならないでしょう。そして、やがてそれが許されるときがきたら、神様が、きっと再び生まれ変わる日を作ってくださるし、私も再び、地球に生まれ変わることを申し出ようという”暗喩”だったのかもしれません・・。

もう一度、もう一度、姫が、生きる本当の意味を体得できるように・・。私たちに期待を持たせてくれたのでしょうか?

高畑監督に伺ってみたいものです。
{/netabare}

長文を最後までお読みいただきありがとうございました。 

この作品が、みんなに愛されますように。 

投稿 : 2017/12/06
閲覧 : 359
サンキュー:

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かぐや姫の物語のストーリー・あらすじ

原作:「竹取物語」、原案:高畑勲 監督:高畑勲 製作:氏家齊一郎、脚本:高畑勲/坂口理子、音楽:池辺晋一郎(アニメ映画『かぐや姫の物語』のwikipedia・公式サイト等参照)

ティザー映像・PVも公開中!

放送時期・公式基本情報

ジャンル
アニメ映画
放送時期
2013年10月1日
制作会社
スタジオジブリ
主題歌
≪ED≫二階堂和美『いのちの記憶』

声優・キャラクター

朝倉あき、高良健吾、地井武男、宮本信子、高畑淳子、田畑智子、立川志の輔、上川隆也、伊集院光、宇崎竜童、中村七之助、橋爪功、朝丘雪路、仲代達矢、三宅裕司

スタッフ

原作:『竹取物語』、原案:高畑勲、 監督:高畑勲、製作:氏家齊一郎、脚本:高畑勲/坂口理子、音楽:久石譲

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