みかみ(みみかき) さんの感想・評価
3.5
物語 : 3.0
作画 : 4.0
声優 : 3.5
音楽 : 3.5
キャラ : 3.5
状態:観終わった
群像劇になりきれなかった何か
見たわー
わたしは対象視聴者層ではないアニメでした。
下記、スーパーネタバレなんで、まだ見てない人は読まないようにしてください!
■もうちょっと、シナリオ構成いじったほうがよかったのでは??
ただの個人的な好みの問題なんだけど、シナリオ中に展開する要素が多すぎて、ちょっとごちゃごちゃっと急展開になりすぎてるよなぁという感じがした。ワンクールのアニメにしては、登場人物多すぎ&筋が複雑すぎやしませんか、と。
下記、シナリオ構造ちょっと整理してみますと、
{netabare}
・ライン1:ヒディアーズが…なんてことだ…人類って…!
・ライン2:チェインバーさんかっけー
・ライン3:レドさんが人間的になっていく…!
・ライン4:エイミー&レドのノロケ
・ライン5:ピニオンさんかっけー
・ライン6:リジットさん、リーダー頑張って…!
あたりかな、ざっと目につく大きなラインは。長編の群像劇にするつもりだったというのであれば、このぐらい複数ラインの筋が走っていてもいいのでしょうが、ワンクールだからね。ワンクール。
ワンクールで、きっちりと感情の機微を描こうと思ったら、まあ4人~6人ぐらいの登場人物にして、立場は2グループか、3グループぐらいで分ける程度にしないと話がややこしすぎると思うのだよね。
本作の場合、大船団で、どうこうという話なので、主要登場人物以外の脇役の描写にもかなり割かれている。クーゲル中佐、サルベージ業やってる女の子(ベローズ)、エイミーの弟(ベベル)、医者のオルダムさん、途中で死んじゃう船団長(フェアロック)、大海賊ラケージ、サーヤとメルティ、大船主のフランジさん…あたりまで、ある程度描写がある。
(その他、ショー、マイタ、クラウンなど、一応名前のあるキャラがけっこういる)
たとえば、同じ虚淵作品でワンクールだった、まどマギの場合は、魔法少女5人+キューベー、という2グループの話がメインで、そこにまどかのお母さんと、恭介、ひとみといった日常生活の周辺部を埋めるひとが少し挟まれる程度。まどかのお母さんや恭介がなにをしたいか、どういった悩みを持っているかといった、「悩み」や「動機」は描かれず、彼らはその意味で完全に脇役となり、物語の尺を食わない。物語の尺を食うのはあくまで5人の魔法少女たちの話をメインにしており、話の主軸はそこに集中している。
一方で、ガルガンティアは、「生きるモチベーションや悩みが描かれる登場人物」はレド、エイミー、ピニオン、リジットの4人(+チェインバー?)ぐらいで、登場人物数としては妥当だとは思うけれども、それぞれの向き合っている問題があまりにも、方向性が違い過ぎている。
4人の物語はそれぞれ、次のようになっている
・レドは地球へと馴染みヒディアーズとの関係をどう決着をつけるか
・エイミーは恋愛用ヒロインキャラ
・ピニオンは、男のロマン。「ア…兄貴―!!」的な世界観。
・リジットは、若くして船団を引っ張っていくという新社長的なはなし
リジット、ピニオン、レド、エイミーは、それぞれに関係があるけれども、立ち向かっているものがそれぞれ全く別物。一応、全体の筋としてのパッケージングが成立していない…とまで言う気はない。
そこまで言う気はないけれども、チェインバーさんは、後半数話でいきなりかっこよくなる速度が急すぎるし、そもそもヒディアーズをめぐる悩ましい話がせっかく登場した後に、最後の数話が、ヒディアーズの悩ましさと今一つきっちり噛み合っていない(まったく噛み合っていないわけではない)。宗教団体話と、人類銀河同盟の類似性を描きたいのであれあ、もうちょっと尺がほしかった。
ピニオンさんの「アニキー!」話は果たして本筋であるレドの話とどこまで深く関わっていたと言えただろうか?
まー、エイミーは、お約束キャラということで居てもよかったとは思うけれども、お約束キャラとしての範疇を見事に超えでることがなく、「ああ、虚淵さん、仕事してんなぁ」という感慨しか引き起こさない。
新しいエピソードがどんどん盛り込まれてはいっているのだが、それが前段の流れとの接続が、今ひとつ弱い。完全オムニバス形式というわけでもなく、かといって長編として関係性がきっちりと連続しているわけでもなく…。セリフがやたらと多かったり展開が急な話だったら、短い尺でももう少しギュッとした話になるような気はするのだが、基本的には戦闘ロボットアニメ+微エロシーンとかでかなり尺を食っているし、キャラも全体にステレオタイプなキャラを主軸にして進むため、時間あたりの物語展開効率が悪いという印象が残った。
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■もし、シナリオ構成に大幅に手をいれるならば…
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本作は、たぶん、次の前提は崩しちゃいけないのかな…?
a.群衆がわらわらといるモブシーンをやる
b.ヒディアーズとか宇宙銀河同盟とか、生物とはなんぞや話
c.レドの戦闘ボケが慣らされているプロセスとか
d.微エロ
e.主要人物は基本的に殺されることはない。エグくない話。
f.登場人物は、ほぼ全員ステレオタイプで。サラッと見られる話。
そこらあたりを本作の商品としての基軸にするのは多分、変えてはいけないだろうと思う。ただ、「e」のポイントは当て推量だけど、これは別に守らなくてもいいのかも。eとfは要するに、作品の対象年齢を、10代前半にしましょうということなのかもしれないので、10代前半にわかる程度のシナリオ構成になっていればいいのかもしれない。
モブシーンがあって、生物とはなんぞや話があって、10代前半向けで成立するということで言えば、ナウシカ、もののけ姫、千と千尋の神隠しあたりの宮崎作品のような構成にもっていくというのが、わかりやすいかもしれない。(ただ、もちろん、宮崎作品に微エロはない)
その上で、いくつか勝手に検討してみようか。
■人物関係を調整する
{netabare}
まあ、まずはピニオン、リジット、エイミー、クーゲルの本筋への絡みの弱さを変えていくべきだろうな、と思う。
ある程度、人物関係を強引にテキストで書いてみると、
クーゲル→(部下)→レド
エイミー(恋)⇔(恋)レド
ピニオン→(利用)→ レド
リジット
という感じで、全体的にリジットがかなり浮いている。
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■リジットとフェアロックは役割的に融合させてOKでは
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結論からいうと、フェアロックさんが死んでリジットさんが新船団長になるという話はさっくりと削ってよかったと思う。それでかなり削れる。
・リジットが、新船団長になるという話はそれはそれでいい話なのだが、これは本筋とほとんど連結しておらず、本筋とは別の話がくっつけられただけという印象が強い。なので、ばっさりと削る。
フェアロックと、リジットさんは役割を一体化させる
・千と千尋における「ユバーバ」、もののけ姫における「エボシ御前」、ラピュタの「将軍」。いずれも、組織のトップとして出てくるが、2時間程度の尺だと、組織内のややこしい話はほぼ全省略してる。それでいいんじゃないか。
・もちろん、そうなるとフェアロックさんが死んだときに、大船主のフランジさんとピニオンが離脱するというエピソードをちょっとやり方を変える必要はある。
・もちろん、そうなると、「組織をまとめる大変さ」みたいな描写がゴソっと抜けるが、どうせこの作品、そこ中途半端だったから、抜いてもいいのでは。ってか、組織のうだうだとかをもし描く気なら、頭のいい善良でいやらしい食えない中年オヤジキャラとかが欲しい。…が、そういう世界観はこの作品にはないし。描かなくていいでしょ、もう。
・リジットと、レドの個人的な絡みがほとんどない。なんか、もうちょっとあってもいいんじゃないですかね。
・たとえば、リジットさんが、もう少しレドに優しくあたり、良い感じのお姉さんキャラとして味を出してきたところで、ヒディアーズだか、クーゲルさんに殺されとか、なんか裏切るだとかみたいな展開(サクラ大戦で言うところの藤枝あやめさん的な立ち位置)
・ヒディアーズにも、クーゲル船団にもたいして重要な人を殺されてないから、切迫感が弱いんだよね、この話。
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■ピニオンとベローズも融合する方向で
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・「ア、アニキー!」はあってもいいけど、アニキの話と、レドの話が関係なさすぎ。
・ピニオンいい奴すぎ。レドに対して一つも怒らないんだもの。ってか、ピニオンがレドに対して感情がなさすぎだよね。
・「地球の人たちはいい奴らでした」というわかりやすい話を構築するには、ピニオンが陽気ないいやつだという路線は、重要にはなる…のだとは思う。ただ、それにしては、ピニオンの役割が弱すぎる。ピニオンがキャラとして今ひとつ立っていない。深みが出ない。
・ピニオンの役割強化という点でいうと、ベローズと、ピニオンの役割を融合させてはどうか、と。たとえば、最初に、レドに説教をする役割を、ベローズからピニオンに変更。それで、ピニオンがレドに「弟」的なものを感じ、かなり愛情をもってみるようになるみたいな部分とかが出てくればもう少し深くなるような気はする。
・もちろん、そうなると、途中で、ベローズの元で働くようになるという部分や、ベローズに対して、ピニオンが「適当な男」という描写も再構成しなければいけなくなるけれども。ベローズとピニオン分けなくてもよかったと思うのだよね。
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■エイミーとベベルも、融合させる方向で
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・ベベルの「障害をもった子」という役割は、エイミーに持たせてしまえばいいのでは。
・エイミーは普段は、おてんばの可愛い子だけれども、実は癲癇だったり、食物アレルギーみたいなものを持ったりしていて、定期的に倒れたりするとか、そういう設定で十分では。
そうしたほうが「愛すべき対象=エイミー=銀河同盟的にいらない子」構図が成立することで、レドのジレンマもよりクリアになるし。
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■ヒディアーズとクーゲル中佐(ストライカー)
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・後半で、チェインバーさんが「ヒディアーズと戦うべき」とか言い出すけど、最後の最後で、レドが「ヒディアーズともコミュニケーションがとれるようになるかもしれない」とか共存路線打ち出しちゃって、あれっ…!?っていうイス落ち展開。あれはなんなの。
・ストライカーの攻撃対象がガルガンティアになっちゃうことで、「ヒディアーズと人間」という対立構造をめぐるジレンマが、最後にいきなり登場した「銀河人類vs地球人類」構図に変化してしまって、ヒディアーズが空気になっちゃっている。おいおい、そこでヒディアーズ絡ませないと、話があまりに突飛では。
・基本的に、ヒディアーズとの共存路線にするのならば、クーゲル船団と一緒にヒディアーズを攻撃して、「ま、待ってください!クーゲル中佐!ヒディアーズとは共存できる可能性が!」とか、レドに言わせるとか、そういう落とし所に運ぶのが穏当だと思うのだが。
(もちろん、そうする場合、そこにいくまでの仕込みの仕方がを大幅に変える必要あり)
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■なんで、こんなにとっちらかった作品になったのか
…ということで、なんだかなぁ。シナリオがとっ散らかってるなぁ、という印象が拭えず、最後の最後は、「チェインバーさんかっけー」のノリだけで乗り切ったな…という感じでした。
虚淵さんが忙しくなりすぎて、仕事を細かくできなくなっているのかもしれませんが、これは、単純に脚本家のシナリオ技法レベルの問題としては、ちょっといかがなものかなぁ、と思う出来。
虚淵御大に問題がなかったのであれば、全体のシナリオ構成を決める会議の時間がとれなかったとか、全体のプロデューサーの縛りが妙にきつかったとか、何かそういう別の問題があったのかもしれません。
お仕事って大変ですものね…。
そういうことを考えた次第です。
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各話感想
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*10話
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ようやく、ちょっとおもしろい展開になってきた。
生命の一つの極北が、知性の退化というベクトルになるだろう、というのはなるほどありそうな話ではある。
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*8話まで見た時点での感想まとめ
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いやはや、エロいでしょう。
まあ、ダイレクトなエロシーンはないけれども、微エロシーンが満載な上、やたらと気合の入ったエロだと思ったら、それもそのはず、エロ漫画界の巨匠、鳴子ハナハル御大のキャラデザである。いやー、なんだこれは。なんなんだ…!!!
…と、主にそういうところしか気になっていません。
虚淵玄シナリオにしては、いまのところぶっちゃけ、あんまり毒がないっつーか、まあ、なんだ。なに、あのいい子ちゃん達。ちょっとあり得なく無いですか?っつーぐらい、いい子ちゃんな病弱な弟さんの描写のあたりで超萎え。
マレビトがなんちゃらとか、忌避されるものと神聖なものが表裏一体であるみたいな話は、ほんわりと漂う民俗学的教養を感ずるのでありますが、ぶっちゃけ、そこんところは、今はあんまおもろくないし。個人的には。まあ、厨二ファンタジーとしてはよくできているとは思うので、ケチを付ける気はビタイチないけど、個人的には萎え。虚淵作品だけれども、自分は想定視聴者層には入っていないのね、はい。よくわかりました!ということをさっくりと理解したので、それはそれでいいです。
虚淵さんという人が、わたしにとってよーわからんな、と思うのは、キチンとこういう、ステレオタイプなキャラ描写で基本は仕事をしてくるところだよね。
基本、虚淵さんはステレオタイプキャラは、わたしなんかよりも、だいぶスキなんだろうな。わたしは、このアニメの中にしか生息していない架空の生き物が一定数を超えて投下された時点で、そのお話はとりあえず、萎える。いや、やっちゃいけないとか言うつもりはないし、それこそがイイ!(・∀・)//っていう人が一定数いるのは知っておりますので、いいんだけどさ。
どうして、虚淵さんはこういう仕事の仕方をさくっとできてしまうのか。そこのところの感覚がわたしには、さっぱりわからず、とても不思議な気分だったりするわけです。まあ、もちろん、仕事人だということなのだとは思いますが…。繰り返すけど、これはこれで立派なお仕事だと思うので、ケチをつける気はありません。
■マイ、二重基準
であと、あれ。エロの話。
なんつーか、こう。
細かい設定よりも、この、微エロアニメの中でももっとも複雑な気持ちがしました。
基本的に、わたしはこの手の、ぬるすぎる、微エロに関しては、原則として、アンチ・微エロ派(※1)の使徒なわけでして、ゾーニングくっきりしているべき派でありまして。エロ恋愛ファンタジーは、エロ恋愛ファンタジーであることが可能な限り明瞭にわかる文脈のなかで消費されるのが好ましいと思っております(※2)。なので、アンチ・微エロ主義者としましては、これもあまり好ましいとは思っていないわけ…です…が
しかし、それはそれとして。
やはり、鳴子ハナハルの洗練させてきた能力はすごいな、と。別個の次元で思うわけです。
なんなの、あの、テカり。なんなの、あの腰つき。馬鹿なの死ぬの?おまえ、どんだけエロ表現のこと考えてきたの?ほんとに、やばいんじゃないの?
と、まあ、それはそれで、一種の言いがたい感動があるわけでして、いやー、まあ、虚淵さんシナリオとかどうでもいいから、鳴子ハナハルキャラの限界性能をそれはそれで見せてほしいという、とてもアンビバレンツな気持ちになった次第です。
ほんわり期待。
※1 例外はたくさんあるよ!ジェンダーの非対称性がまず解消されており、かつ、なんか、宇野くんが言うようなところの「安全に痛い」感じがしないシナリオなら特に問題ない派。「安全に痛い」系とかむりぽ。ここらへんの細かい立ち位置は、斎藤美奈子の『紅一点論』あたりとかに準拠します。ああいうので、ディスられちゃうような作品づくりはあんまり支持しません。
短く言うと、「こんな女いねぇよ」みたいな、ファンタジーを描くことはゆるく許容。それは男女に対称性があって、「こんな男いねぇよ!」っていのは少女漫画でもたくさん登場するので、まあゆるく許容。
ただし、女性の立ち位置が、被セクハラ用スタッフなどとして描かれること――たとえば、ケツさわって「減るもんじゃねえだろ」的なのとか、しずかちゃんのお風呂シーンがあって「きゃーのび太さんのエッチ!」とか――の繰り替えしは、原則、好ましくないと思っています。なぜならば、ジェンダー表現がとっても非対称な状況だと思うから。これが許されるためには二つの経路のどちらかが、居るかな、と。
A.1.男性が女性と同様の性的眼差しを受けるという社会的状況があり 2.かつ、それが漫画等で女性のそれと同様に表現され 3.多くの男性がこの表現でかまわない、と同意している社会状況
B.そもそも、こういった被セクハラスタッフに対して批判的な言説が十分に機能している状況下における、アングラ的な「あえて」の表現実践(会田誠的な)
現時点では、どちらも成立していない、と思うので私は微エロには批判的なポジションです。
※2 つまり、エロ漫画コーナーに置いてある鳴子ハナハル漫画は、原則おk派。
{/netabare}
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