
レトスぺマン さんの感想・評価
4.2
物語 : 4.5
作画 : 3.0
声優 : 4.5
音楽 : 4.5
キャラ : 4.5
状態:観終わった
放送するのには遅くもあり、それでいて早過ぎでもあった素晴らしい作品
90年代末~00年代初期にかけてのサンライズ作品はガンダムシリーズ、カウボーイビバップ、リヴァイアス、スクライドなど有名人気作の制作が続いていた。
これらを「表のサンライズ」と表現しよう。
しかし、同じ時期にアウトロースター、星界シリーズ、センチメンタルジャーニーといった当時限られた視聴者にしか知られない作品も存在した。
後者のアニメはいわゆるマイナーアニメとしての認知に閉じている作品群である。
しかし、だからといって作品自体のクオリティが悪いわけではなく、むしろ視聴者の心を鷲掴みにしてしまうほどの作品も多かったのだ。
これらの作品を人は売り上げが少ない意味だけで「裏」や「影」という言葉で片づけてしまいがちではある。
しかし、私としてはネガティブな印象を植え付けるだけのような気もして表現としては今一つ好きになれない。
そこで、私はこれから後者の作品に対しては【粋なサンライズ】という表現を使ってポジティブさを強調していこうと思った次第だ。
さて、本作「Z.O.E Dolores,i」はそんな【粋なサンライズ】の中で間違いなくトップクラスに君臨する作品だと自信を持って言えるものである。
なぜそう思えたのかを本稿では2点記載したい。
①登場人物の「不完全さ」とSF考証の「完全さ」という黄金比そのものが素晴らしかった。
{netabare}本作は、地球人と火星人とで戦争をしている世界のもと、元軍人で運び屋を生業としている49歳の地球人ジェイムズが、仕事中に謎のロボット「ドロレス」と出会い、そこから亡くなったとされている自身の妻(火星人)を子供達とともに探していく冒険物語であると同時に世界を救済する物語である。
まず、ここで特徴的なのは49歳のおじさんが主人公、そしてその子供であるレオン・ノエルも25歳と23歳という大人であり、これはかなり珍しいとも思えたが、見ていくごとに自然と馴染んでいった。
それは、主人公ジェイムズにしてもその子供にしてもそのキャラクターの不器用な点がコミカルに描かれているためである。
例えば、ジェイムズのしばらく離別していた子供たちとコミュニケーションをとるためにハウツー本を読む姿。
レオンは優秀な完璧人間かと思いきや、全くそんなことはなく若気の至りからくるお間抜けマザコンな行動が目立つ。
ノエルは女性らしからぬ男勝りの性格で、勇気はあるもののちょっと暴力的、といった具合だ。
しかし、このコミカルであるはずの不器用さが本気でぶつかり合うことで最終的に家族の絆が生まれていくところに繋がっていくわけだ。
これは、その不器用さが原因となって大変過酷な冒険を招いてしまうことから、それを総出で乗り越えるために力を合わせる必要があった結果とも言い換えられる。
ただし、血縁関係とは友情や恋愛関係よりも遥かに強い結びつきがあることは周知の事実であり、これに沿った物語の展開はやはり人の感情に染み入るものがある。
本作のヒロインでもある萌え系?ロボット「ドロレス」も言ってしまえば無垢な少女そのものともいえるが、無垢であるからこその健気な行動は家族関係がギクシャクした際の清涼剤となるものがあった。
このことは、ジェイムズからすれば小学生の子供を育てるようなものだったのであろうが、ジェイムズ本来の綺麗な心をさらに引き出す結果となり、「家族の絆が深まる」ことへの莫大な貢献をしてくれるキャラクターであった。
主役級の以外の登場人物も火星人のマフィア、商人、主人公たちと対決することになる敵ボスやその手下のパイロット、地球人の記者など明らかに一筋縄ではいかないキャラクター達ばかりで、正直第一印象はいけすかなかったり、主人公と敵対関係にあるなど良くないものだった。
しかし、物語が進むにつれ小出しながらそういったキャラクター達の良さが絶妙な匙加減で出てくることに舌を巻き、また対決することになる敵ボスの感情にしても自身の苦悩や信念からくるが故のもので、100%憎めるキャラクターかといえばそうではないのが印象的であった。
まとめるならば、本作のキャラクターは良い面と悪い面、そのどちらもが同じレベル感で出ているといえる。
それはいうなれば現実と同じく「人間の不完全さ」を示しているのと同じであり、その不完全さをどのように認め、どのように愛すべきかといった投げかけが自然と行われていることこそが本作の素晴らしいところだと思う。
また、本作ではSF考証がしっかりできていたことも印象的である。
例えば、「宇宙服を着ないまま宇宙空間を移動するときの息苦しさ」
「音速以上のスピードで移動したときの加速度による苦しみ」
「ロケットが熱圏に到達した際に受ける衝撃具合の酷さ」
「宇宙上にあるなにかしらの【空気が溜まっている空間】に突然穴が開いてしまったときの事象」
など、極めて恐怖を感じるくらいのリアルさを表現している場面が非常に多い。
これらは中学物理クラスのレベルでも理解できるくらいの内容ではあるのだが、それが故こういった描写が省略されているアニメは意外と多いのである。
しかし、このような当たり前の描写を描くことで、主人公たちの冒険がどれだけ過酷なものであるかを視聴者に認識づけると同時に、主人公たちと一緒に過酷な旅をするという、アニメならではの没入感を繰り出すことに成功しているのである。
SF考証といえば、わかりにくい設定や難解な語句のイメージが沸いてしまうが、【当たり前のことを当たり前に描写する】だけで、それは完全なものとなるわけだ。
そしてそのSFの完全さがあるからこそ人間の不完全さによるドラマが際立ち、人間の不完全さがSFの完全さを擁立する。
このことはアニメ制作をされている方が視聴しても非常に勉強になる部分が多いのではないかとも感じたところであり、また非常に価値の高いものでもある。{/netabare}
②製作者の熱量を直に感じ取れる素晴らしさがあった。
{netabare}このことは本作においてかなり工夫されているであろう「パロディ」の部分である。
まず、本作は各話の題名や登場人物のキャラクター像から明らかに20世紀後半の洋画がモチーフになっているのは間違いない。
そこからのネタ探しは大変面白く、このアニメから他作品に興味を持っていただく意味ががあるのだと思われる。
そして、もう一つは過去のサンライズ作品へのオマージュが見られる点であり、個人的にはこちらの方に思わぬ発見があった形だ。
これについて一つ例を挙げてみよう。
例えば、本作16話「真昼の決斗」では主人公たちと敵の手下となる第四のヤンとのバトルが繰り広げられた。
敵である第四のヤンは自身の弟の報復をすることのみが目的であり、きわめて礼節を保っている人物である。
そして、主人公+ドロレスとの一騎打ちバトルを要求し結果としてヤンはバトルに敗北し死亡。
その後主人公達によって一列に並んだ墓に埋葬されドロレスの子守歌で幕を閉める。
という感動的な話である。
ここで「礼節を保った敵」「一列に並んだ墓に埋葬」「子守歌(祈りの歌)を捧げる」という3つの描写を見たときに「これ、どっかで見たことがあるなぁ」と思い、自分の記憶を遡っていく。
すると当該の話と【機動戦士Vガンダム第39話「光の翼の歌」】がとても似ていることが分かったわけだ。
そして、もっと興味深かったのは「光の翼の歌」の演出担当がなんと本作の監督である「渡邊哲哉氏」なのである。
ここから、本作は間違いなくVガンダムへのオマージュがあることは確実なものとなった。
つまり、本作はこれ以外にもまだまだサンライズ過去作品へのオマージュがある可能性が高いこととイコールであり、そのような元ネタを探していくような視聴方法もあるのではないかと感じた次第だ。
これに関しては、本作の原作がコナミのゲームというサンライズとはあまり関係がない出自であるものの、その既存の世界観に対して、製作陣が今までやってきた経験をアピールする場でもあったわけだ。
そして、本作の監督でもある渡邊哲哉氏や脚本家の吉田伸氏といった面々は本作の放送された2001年当時でいえば、アニメ界における中間管理職的な役割を担っていたと思われる。
それは新人より断然経験はあるが、大御所ベテラン程ではないという丁度良いバランスが「異なる二つの世界観が融合してより自由な物語の構成が良い方向に生み出されていく」サイクルを作り出したとも感じた。
まとめるならばそういった自由さは製作陣の熱量が最低限ないと作れないことと同義であり、それこそが「粋なサンライズ」を構成する一端だったと考えるならば大変興味深い事案である。{/netabare}
●まとめ●
{netabare}今回、久々に本作を視聴したが初回視聴時よりもキャラクターへの感情移入が高まるのと同時に、本作を構成するネタに関しても改めて面白い世界か沢山広がっていると認識できた。
しかし、ここまで素晴らしい物語なのにも関わらずマイナーアニメの域を脱出できないのには、やはり2001年当時の流行っていたアニメの潮流からは2,3個壁を挟んだ先にあるということと、所謂「表のサンライズ」に名作が多すぎたことが要因ではないか。
しかし、洋画を題材とする硬派寄りのテーマは80~90年代のOVAで見られたものでもあり、また、現在では年配者が主人公である作品が増えつつあることから、本作は【放送するのには遅くもあり、それでいて早過ぎでもあった】と表現するのがしっくり来る。
しかし、先述の通り物語を純粋に楽しんだり、様々な元ネタを探すといった多様な楽しみ方があるのはやはり「粋なサンライズ」を特に実感できるものであることに違いはなく、未視聴であればぜひ時間がある際にビールを飲みながら見ていただきたいと自信を持って言える素晴らしい作品であった。{/netabare}
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