たわし(爆豪) さんの感想・評価
3.9
物語 : 4.0
作画 : 4.5
声優 : 3.0
音楽 : 4.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
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空の境界 終章 空の境界の感想・評価はどうでしたか?
たわし(爆豪) さんの感想・評価
3.9
物語 : 4.0
作画 : 4.5
声優 : 3.0
音楽 : 4.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
二足歩行したくない さんの感想・評価
3.7
物語 : 3.0
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 3.5
キャラ : 4.0
状態:観終わった
劇場版・空の境界、最終章。
30分強程度の長さしかない、劇場版としてはかなり短編作品で、登場人物も黒桐幹也と、いつもの両儀式とは別の意識である両儀式の二人のみとなっています。
雪の降るある夜に、黒桐幹也は4年前両儀式と初めて出会った場所で再び両儀式と出会う。
その両儀式は"式"でも"識"でもなかった。
黒桐幹也とこの両儀式が立ち話をする30分で、哲学的というか精神的な内容をただ語る内容です。
正直なところ長い30分でした。
アニメ的な動きはあまりなく、ラジオドラマに近い内容だと思います。
空の境界で大きな見せ場だった、バトルシーンも本作は無いんですね。
そのため、空の境界を"エロ"、"グロ"、"バイオレンス"、"サスペンス"といったエンターテイメント以上の意味を持って見ている方は盛り上がれると思います。
私はいまいち楽しめなかったです。
見ながら、急に式がすっぽんぽんになって裸踊りを始めてくれたら神作品だったのになーとか考えてました。
語られる内容は意識の出づる場所、両儀式に関する弁明(?)のようなもので、これまでの作品を追いかけてきた者から見れば納得のいく内容ではあります。
ただ、まあ90分とか120分とかじゃなくて、30分程度の長さで良かったなという感じでした。
まつまつ さんの感想・評価
4.1
物語 : 3.5
作画 : 4.5
声優 : 4.0
音楽 : 4.5
キャラ : 4.0
状態:観終わった
ジャスティン さんの感想・評価
3.7
物語 : 3.5
作画 : 4.5
声優 : 4.0
音楽 : 3.0
キャラ : 3.5
状態:観終わった
Jun さんの感想・評価
4.3
物語 : 3.0
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 4.5
キャラ : 4.0
状態:観終わった
ぺー さんの感想・評価
4.1
物語 : 3.0
作画 : 5.0
声優 : 4.5
音楽 : 4.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
2018.08.06記
第一章 『俯瞰風景』 (1998年9月)
第二章 『殺人考察(前)』(1995年9月)
第三章 『痛覚残留』(1998年7月)
第四章 『伽藍の洞』(1998年6月)
第五章 『矛盾螺旋』(1998年11月)
第六章 『忘却録音』(1999年1月)
第七章 『殺人考察(後)』(1999年2月)
終章 『空の境界』 (1999年3月)
『未来福音』 (1998年8月~)
シリーズエピローグ。
第一章から第七章すべての視聴後に観ることをお勧めします。
というのも、この終章では両儀式の存在について{netabare}これまで既出の二人の式ではない第三の人格である式の言葉を通じて、{/netabare}回答がなされるからです。
言ってしまえば、降りしきる雪の中で、両儀式と黒桐幹也との会話のやりとりが30分続くだけです。
だが、それがいい。雪の描写、おさえめのBGMの演出がとても美しいのです。
そして、シリーズ中は強い、いや若干強張った感もあった声とは打って変わって、とても穏やかで語りかけるような口調で両儀式は声を発するわけであります。CV坂本真綾さん、月並みな表現ですがとても良いです。
式の謎が露わになるという重要な位置づけもありつつ、ファンへのご褒美みたいなエピローグエピソードでした。
-----
2018.08.14追記
《配点を修正》
ヘラチオ さんの感想・評価
3.3
物語 : 2.5
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 3.0
キャラ : 3.0
状態:観終わった
哲学的な会話が永遠と続くだけの本作。好きな人には申し訳ないのだが、個人的には退屈してしまう作品でした。
国語力があればなぁ
フロー さんの感想・評価
4.6
物語 : 5.0
作画 : 4.5
声優 : 4.5
音楽 : 4.5
キャラ : 4.5
状態:観終わった
btkIE90304 さんの感想・評価
4.5
物語 : 4.5
作画 : 4.5
声優 : 4.5
音楽 : 4.5
キャラ : 4.5
状態:観終わった
素晴らしい。この一言に尽きる。
チョロ松 さんの感想・評価
4.3
物語 : 4.5
作画 : 4.5
声優 : 4.5
音楽 : 4.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
入杵(イリキ) さんの感想・評価
4.7
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 4.5
音楽 : 4.5
キャラ : 4.5
状態:観終わった
「空の境界」は奈須きのこによる、同人誌に掲載された長編伝奇小説である。全7章で構成され、本作は第一章「俯瞰風景」が映像化された。「そらのきょうかい」でも「くうのきょうかい」でもなく、「からのきょうかい」なのでお間違えの無い様に。略称は「らっきょ」。
「空の境界」は奈須きのこの小説だが、奈須きのこと武内崇の所属する同人サークル(現在は有限会社Noteのブランド)「TYPE MOON」の作品に「月姫」、「Fateシリーズ」などがあり、「空の境界」と世界観を共有している。奈須氏によると「微妙にズレた平行世界」とのこと。
劇場版「空の境界」は圧倒的な映像美、迫力満点の戦闘シーンと、難解且つ素晴らしい世界観を、原作小説を忠実に再現し映像化したufotableの力作である。
本作のメインテーマは「境界」である。相反する二つのものに関するメッセージが緻密に組み込まれている。
その各々に対する矛盾もまたテーマの一つだ。
奈須氏の命の重さ、禁忌を主題とした本作の完成度には脱帽するばかりである。
「生」と「死」、「殺人」と「殺戮」などについて考察するわけだが、テーマがこれであるから必然的にグロテスクな描写がある(しかも美しかったり)。
また、難解な言葉(辞書的意味では用いない)や、時系列のシャッフルにより、物語の理解はやや困難である。
しかし、この時系列シャッフルこそが「ミステリ」における叙述トッリクとして作用しているのである。
決して時系列の通りに見てはいけない(2度目からはご自由に)他にも、原作にはなかった「色分け」が行われている点も魅力的だ。式の服の色や、月の色なども見てみると楽しい。
全7章に渡って展開される両義式と黒桐幹也の関係も素晴らしい。
設定はここで説明するとつまらないので、作品を視聴することをお勧めしたい(丸投げであるが(笑))
副題のThe Garden of sinnersは直訳すると「罪人の庭」と言う意味。sinには(宗教・道徳上の)罪という意味があり、guiltの(法律上の)罪とは区別される。
Theの次のGardenが大文字であることから、これはギリシアの人生の目的を心の平静(アタラクシア)に見出した精神快楽主義のエピクロス学派を意味する。よってThe Garden of sinnersは快楽主義に溺れた道徳的罪人という意訳が適切ではないか。
===============================================
終章の本作は「空の境界」の時系列で、全7章のうち7番目の七章の次の8番目にあたる作品だ。本作は一週間の期間限定で上映された。
考察←観る前に見ない様に。
{netabare}
時系列:8/8
1999年3月
両儀式:19歳 職業:高校生(サボりがち)
黒桐幹也:19歳 職業:大学中退 伽藍の堂に勤務
原作との相違:小
原作との尺の比 32P:33min=1:1.03(1分当たり1.00P)
(一番原作との尺の長さの比が合致していると判断される2章の比を基準:1とする)
(原作の頁数は講談社文庫を用いる)
・「両儀」と「式」について
両儀とは五章でも述べた通り易経に於ける根源・太極から分離した二つの爻を指す。一方は陰、一方は陽を表す。これは対象な二つの物、男と女、光と影、表と裏などを指す。
二章、四章の式と織の説明などからも容易に理解出来る事柄だろう。
「両儀式」は五章で述べたとおり根源に繋がっており、空の境界に於ける両儀は、
「正反対の二つの性質を兼ね備えた根源に繋がっている存在」と定義出来る。
式とは入学式、卒業式、結婚式、葬式などの式典などの人生に於ける区切れを意味する言葉だ。これは今までの関係をリセット・更新する意味を持ち、陰と陽のスイッチの意味だ。
また数式などは答えを導く為の道具である。三角形の面積を求める際に、1/2(底辺)×(高さ)でも、辺A×辺B×sin∠AOBでも、1/2√(|a|^2|b|^2-(a・b)^2)でも√{s(s-a)(s-b)(s-c)}※a+b+c=sでもたった一つの正解が導き出せるように。そして数学に於ける足す引くという行為は、一種の呪術である。500人から400人を引くと100人という式と答えがある。しかし500人の人間は同一人物でなく、全員別人である。これは別々の人間を「人」という記号に置き換えて、概念化しているのである。また、この式に人格を与えると、陰陽道での「式神」となる。
よって空の境界に於ける式は、
「二つの人格をリセットし、根源という答えに辿り着く方法」と定義出来る。
両儀式とは「無数の人格を持ち、道徳観念も常識も人格ごとに書き換えられるカラの人形」なのである。
・「両儀式」について
肯定と否定という両極で混じり合う事の無い式と織という二つのシキという人格は、一つの土台の両端に位置するもの。そしてその間(境界)には何もない。そしてその境界が第三人格『両儀式』である。※位置関係 ○式==(『両儀式』)==織○
二章の例えを使うならば、『両儀式』という乗用車に式と織が乗っており、式が運転手で織は助手席に座っている。二人は運転を交代することもあり、互いに意思の疎通が出来る。乗用車の所有者は式である。
多重人格・・・何らかの障碍によって自我の同一性が失われること
通常の二重人格は
1.継時性 第一人格と第二人格は互いに認識し得ない
2.同時性 第一人格が主となり、第二人格が芽生えたことを自覚する。多くは自我の能動性が失われ、第二人格の傀儡となる。
の2パターンある。
式の場合はこの二重人格の症例に合致しない為、橙子の言うところの二重存在となる。
この第三人格は、両儀式が二重存在者を生み出す両儀家という特殊な環境に生まれたことにより発現した。彼女は二つの人格を超越する両儀式の本質である。肉体に過ぎない彼女は知性がないから、未熟児として朽ちる定めにあった。『 』である彼女は『 』であるが故に知性も意味も有り得ないからである。
彼女は空である為に『 』に繋がっており、『 』へ至る路である為『 』の一部であり、『 』であるとも言える。
しかし両儀家の家人は両儀式を超人にするために、空の器である彼女に知性を与えた。その後に、全ての地盤になるものとして、彼女は式と織を作った。五章や前項で述べたとおり、両儀つまり陰陽は全てのモノの原点である。
根源から両儀へ、両儀から四象へ、四象から八卦へ、と2の累乗で万物は構成されている。
よって両儀(陰陽)さえあれば、万物を構成出来る完璧な存在となれる。本来ならば抑止力によって死亡する筈だった両儀式という少女は、画して三つの人格を持つ超人として誕生したのだ。『両儀式』は根源であるが故に全知であり、その後は式に任せて眠りについた。
人間は三つの事柄で構成される。精神、魂、肉体である。精神は脳に、魂は肉体に属する。
彼女は肉体(=ハード)の人格の為、脳(=ソフト)の人格、つまり式が居ないと存在出来ない。
式が昏睡後に直死の魔眼を発現したのは、昏睡中に外界に触れず、式という人格を保ったまま、肉体、つまり『 』(根源の渦)を彷徨し、万物の根源、つまり生の源・死に内包されていたからである。彼女の根源が「虚無」であるから、万物を虚無化する道具として魔眼が発現したのだ。式の殺人衝動は万物の虚無化、つまり生命体の生の喪失と根源への回帰を目的とした衝動なのだ。
幹也が中学3年の冬に目撃した白い着物を着た両儀式は彼女であり、式が入学式の時に幹也を覚えていなかったのは此れが理由である。また、『両儀式』は超越者として、式と織の下僕として、彼女の命令であれば、その超人的な力を行使することが出来る。
三章で橙子が「式ひとりでは返り討ちにあうかもしれないぞ。両儀」と言っていたのは、これの伏線である。他にも、五章でエレベーターから出て刀で荒耶を切った式は、刀を持つことにより”たが”が外れ、『両儀式』の超人的な機能が行使されている。
『両儀式』が幹也に式と呼んでもらえて嬉しいと言ったのは、根源の一部としての両儀式(完全な意味を持つ名前であり、その名によって根源たる存在)という両儀式の存在の性格以外に、人格を持った一個人として、また、式と織と同じ幹也の想い人たる女性として意識されて嬉しいという意味だろう。
「待ってた意味がでてくるもの」の意味はおそらく、幹也が式に対して愛情を持っていることが分かったこと、つまり、自分のソフトとしての人格を理解できる人が現れたことを喜んだとする見方、前述のように、根源の一部としての『両儀式』という名称ではなく、一個の人格としてのシキとして認識してもらえることを喜んだとする見方、他にも様々な見解があるだろう。
式が幹也の事が好きであり、『両儀式』は式のものだから、『両儀式』は幹也の願いを何でも叶えられると言うが、幹也は「普通」の体現者であり、式の思い人である彼らしく、無欲である訳でもないが、彼女の誘いを断った。
左目、左脚ともに、白純里緒の苦悩の人生、罪を背負うという意味での、両儀式への愛情の結晶としての傷であり、それを消し去ることは、過去を否定することに繋がりかねないことも、誘いを辞去した理由であろう。
『両儀式』が出てきたのは幹也が中学3年生の時の95年の冬と、今回の99年の冬の2回のみである。
『両儀式』は根源の一部であり、根源そのものであるから、世界を自由に変革することが可能である。物理的に不可能である幹也の左目や左脚を即座に快癒させることが出来るのはもとより、あらゆる実現可能な願望を叶えることが出来る。Fateで言わば、人格を持った聖杯であると言える。世界中の至るところに瞬時に移動出来、好きな形態で存在することが出来る。矛盾螺旋において、小川マンションは荒耶の体内に等しく、荒耶は小川マンションの内部に潜み、小川マンションの至る所に瞬時に移動できたが、『両儀式』はこれを世界単位で行うことが可能であるのである。幹也との会話が終わった後、瞬時に風となり消滅し、幹也の傘を空の彼方へと吹き飛ばしたのは、『両儀式』が世界に潜み、風となって浮遊したことに他ならない。冒頭と最後の幹也の左脚に注目すると、原作にはないが、幹也の脚が快癒していることが分かる。式からのサービスだろう。
『両儀式』は根源の一部であり、根源そのものである。万物は第四章で述べたとおり、破壊され再構築されたいという欲求を持っている。根源には、現在の世界に存在する万物と、現在世界に存在しない虚無の部分の二つにより構成されていて、万物は一端虚無へ回帰した後に、新たな存在として世界に出現する。根源には万物の虚無への回帰欲求を叶える必要性があり、根源の一部たる『両儀式』にも、根源の要請による万物の虚無への回帰欲求への応答が性質として付与されることとなる。よって、両儀式は万物の破壊を命題とする殺人衝動が発現するに至った。両儀式の殺人衝動は、両儀式の起源である虚無、及び『両儀式』の根源たる性格、根源の万物の回帰欲求への応答、万物の再構築欲求による虚無への回帰願望の4要件により必然的に発現したものであり、両儀式に殺人嗜好があるわけではなかったのだ。
この『両儀式』、式、織の関係は、フロイトの超自我、自我(エゴ)、エス(イド)の関係に似ているとも思った。超自我はエスの抑圧、自我は超自我とエスの調停、エスは欲望(リビドー)の解放を行う。『両儀式』は殺人衝動の根源であり、沈黙する。織は殺人衝動の解放者であり、リビドーを放出する。式は織を抑圧し、調停・調節する。
・なぜ黒桐幹也は両儀式に惚れたのか
マザーテレサが「好きの反対は嫌いではなく無関心である(The opposite of love is not hate, but indifference.)」と言ったように、好きも嫌いも相手に関心を持つという意味で愛である。
つまり、相手を思うことが愛であるという意味である。愛とは仏教で渇愛。関心とは仏教で執着である。前章の殺人の説明に用いたように、愛と憎は対義語であり類義語である。愛と憎は表裏一体。
六章での考察の通り、黒桐幹也は起源の関係から、博愛にならざるを得ない。博愛とは差別をしない、つまり特定の誰かを愛してはいけない。黒桐は誰にでも平等に接する代わりに、誰も愛せない。しかし、彼は式を愛してしまった。それは二章の冒頭で『両儀式』に会ったからである。彼は無意識の内に根源へと繋がる彼女に惹かれ、いつしかその感情は強烈な愛へと変貌していた。彼が式に執着したのは、友人として彼女を守りたかった訳ではなかったのだ。
・なぜ両儀式は黒桐幹也に惚れたのか
「普通」の権化である幹也は誰に対しても普遍的に接しようとする。また、前項で述べたとおり、幹也は式に強い執着を持っている。それは彼女が異常であることを強く意識するほどで、彼女は「普通」が魅力的であることに気付いてしまった。また、黒桐は彼を殺そうとした式を彼女が昏睡してからもずっと想い続け、首尾一貫して彼女の味方で居続けた。
幹也は特別になることしか出来なかった人から羨望されることが多く、拠り所としてはこの上ない存在である。自身の異常性に気付き、自分を壊して織を失った式は、殺そうとしても未だ愛してくれて、ずっと自分の味方で居てくれる彼に対して、異常な自分を正常な日常に留めてくれる存在として、いつしか彼の気持ちに答えるようになったのだ。
・人間の人格形成における肉体と精神について
人間は脳だけでは人間に成れない。脳に電線を繋いで刺激を与えても、それは人間としての精神を持つ事はないだろう。脳は知性を持っており、肉体は脳が支配する脳の下僕であり、肉体がなくても、知性の源である脳さえあれば人間足りうるという考えは誤りだ。
知性は精神が形作る。その精神は肉体が形作るのである。空の境界に於ける浅上藤乃の例の通り、五感無くして、健全な精神は生まれない。人間は生まれた時から五感があり、その五感により外界を認識し、知識を”経験”として得る。この知識は「経験記憶」として脳に記憶され、外界から受ける感情を主とした環境を体験することにより「自我」は形成される。
そして、自我が認識する「常識」(幼い子供の時分は両親の言葉が常識となる)に合致するものを知性として吸収し、「知識記憶」として脳に記憶される。この知識記憶の内容が論理的に解釈出来るようになるのは、生まれてから大分たってからである。
以上のことから、人格とは、肉体を通して形成されるものであり、また精神は肉体を通じて保つものである。肉体無くして精神=自我は成立しない。
・境界とは何かについて
①正常と異常の境界
大多数の人間の理性が常識だと定義するものが正常で、非常識だと定義するものが異常である。よって大多数の人間の理性の動向しだいで正常の概念は変容する。江戸時代に武士の帯刀は常識だったが、現在、武士の末裔が帯刀すれば、軽犯罪法で逮捕されるように。
②日常と非日常の境界
自分が経験したことのある状態が続くことが日常で、体験したことのない状態が訪れると非日常となる。非日常も長く続けば日常となるが、その非日常が、理性で受け入れられない事象、状態が現在進行していたり、近い将来訪れることが予想されたりする時に、人はその非日常から日常への復帰を熱望する。
③大人と子供の境界
レヴィンは思春期の男女を「境界人(マージナル・マン)」と定義した。大人の集団と子供の集団の両方に属し、両方に属さない青少年。身体の成熟と精神の成熟の過渡期、そしてそれらのズレなどから思惟する。エリクソンは思春期をモラトリアムと呼んだ。これは社会的責任の猶予期間の事である。青少年は思春期にアイデンティティの確立を行うが、その過程は非常に不安定であり、刺激的な非日常的な事が起こることも多い。高校時代が人生で一番楽しいと思える人が多いものこの為だろう。
④過去と未来の境界
現在とは過去と未来の境界である。過去は変わらないが、過去の解釈を変える事は出来る。未来の為に現在を生きることはとても大切な事である。
⑤生と死の境界
人間は生きている限り必ず死を迎える。しかし、悲観してはいけない。死ぬまでの人生をどれだけ充実したものとして過ごせるかに、人間の本質があるのである。
また、死後観を持つことも大切だ。宗教はそれぞれ求める人に死後観を与える。
「死後の世界観」は、その人々にとって「死後」を迎えるための「生」のあり方に必要なものである。自らの思い描く「死後の世界観」で、自分が善い目をみれるように現在を生きる事はとても重要だ。
⑥殺人と殺戮の境界
割愛する。七章参照。
⑦人と怪異の境界
殺人鬼とは「人を殺める鬼」である。では鬼とは何なのか。鬼とは「隠(オン)」が訛った物で、
普段は隠れているものだ。平安期に伝わった陰陽道で都(中央の豊富な知識人)から視た異人、土人、山人などのまつろわぬ民なども皆鬼扱いされたように、鬼は妖怪ではない。
妖怪は匹と数えるが、鬼は人と数える。これは鬼が人である証拠だ。そして般若の面などからも分かる通り、鬼とは前章の殺人の概念で述べた情念が自己のキャパシティを越えた際に起こる負の能動的な感情に包まれた人間を指すのだ。そして「鬼」は感染する。
子供の有名な遊び「鬼ごっこ」からも分かるとおり、鬼に襲われた人間は鬼になってしまう。例えば色恋沙汰の縺れで男が女を殺す。この時鬼は男だが、今度、女の父親が男を殺す。このとき鬼は女の父親となる。そして今度、男の子供が・・・といった連鎖を生む虞があるのだ。しかし「鬼」とは「人間が実行出来るのに中々出来ないことをする人」という解釈も出来る。「心を鬼にする」という言葉は良い例で、この場合は善い結果の為に一見悪いことをする。鬼の本質は掴めないが、鬼が行う行為が平気で出来る人間は鬼と言える。だから殺人鬼は鬼なのだ。そして鬼とは人間と怪異の境界である。鬼は人を喰う。白純里緒などは将に鬼である。
⑧生と再生の境界
通過儀礼とは、前項での説明のとおり、人生に於いての区切れの為に行う「式」である。そして、代表的なもので成人式(元服)では、擬似的な死が要求される。モラトリアムは、現在もその長さを着々と伸ばしている訳だが、之が形成されたのは近代であり、昔は、子供と大人の境界は「成人式(元服)」であった。現在でも、バンジージャンプに代表されるような通過儀礼を行う習俗が続いている地域もある。この通過儀礼で死ぬことも当然ある。「死」に接触するという行為は通過儀礼において大変重要な要素である。
・「空の境界」の意味について
1.当初の題名が「空の境界 式」というところから、織を失うまでの式の二重存在、つまり肯定しかしない式と、否定しかしない織、普通の人間にはあるが、人格が二つ極端に特化している為、両者の境界に有る筈の妥協は無く、境界が無い、つまり空(カラ)である、という意味。
2.前述した様々な境界について、これらの定義は詰まるところ曖昧で、何時覆されても可笑しくない。つまり、これらの対立概念はそもそも厳格に定義し得ない、つまり境界は曖昧で空(カラ)である。
3.前述の式と織という人格の形成によって出現した肉体の(つまり精神の殻)の人格『両儀式』は式と織という極端に正反対の人格の間にある人格、つまり空(カラ)の境界上にある。また、第三人格は普段は隠れており、その存在は認知されない。つまり空(カラ)である。
4.両儀式という器に式と織という人格(内容物)が納まっており、その人格は殻の中で確りと、対立概念としての明確な境界がある。つまり、肉体という空(殻)に境界がある。
5.社会が設定した恣意的な常識と非常識の境界は空である。通じ得ない人と人の心の境界を空にすること、つまり無くすことが大切である。
6.私たちの心にも伽藍はあり、それの半分は自分であるが、もう半分は他人である。自分の意志と他人の意志の心の中での境界を空にし、両者とも理解し合う事が理想である。
7.『両儀式』とは肉体の人格、つまり魂であり、魂は我々一般人にも存在する。我々の肉体にも「空の境界」は存在するのかもしれない。
・「snow falling」について
snowは英語で雪を表す名詞。fallは降るを表す動詞である。
『両儀式』幹也の邂逅をイメージして奈須きのこ監修の下、梶浦由記によって作詞・作曲された。
・各作品の意味の推察について
「俯瞰風景」・・・巫条霧絵の視た俯瞰の視界からの風景―巫条ビルの幽霊も表すかも
「殺人考察(前)」・・・幹也、視聴者による95年に起きた殺人事件、また「殺人」の考察
「痛覚残留」・・・浅上藤乃の腹部に残留した痛覚
「伽藍の洞」・・・昏睡から目覚めた式の精神の片割れに空いた穴―以前は織が居た
「矛盾螺旋」・・・燕條巴(偽物)の日常、小川マンションの実験・階段、荒耶の悲願
「忘却録音」・・・玄霧皐月によって根源より採取された、忘却された記憶の録音
「殺人考察(後)」・・・幹也、視聴者による99年と95年に起きた殺人事件、また「殺人」の考察
「空の境界」・・・空の境界とは何なのか
・「空の境界」(終章)という作品について
式は『両儀式』という『 』に通じる存在を土台とし、万物の根源たる両儀、肯定と否定、男と女、表と裏などの対立する人格、式と織を生まれた際に持った。『両儀式』は根源である為に外界に触れず、長い眠りに着いた。『両儀式』は肉体の人格であり、ハードウェアである。精神の人格である式・織はソフトウェアであり、彼女等には服従する。
『両儀式』は再び目覚め、式の恋人である幹也の願いを叶えられるからと望みを要求するが、幹也はこれを拒み、彼女は再び眠りについた。
・名言(原作より抜粋)
『両儀式』「――さあ、あなたは何を望むの?」
幹也「うん、式は壊すのが専門だからね。無理をしてよけい酷いめにあったら、こわいよ」
『両儀式』「あたりまえのように生きて、あたりまえのように死ぬのね」
『両儀式』「なんて、孤独――」
『両儀式』(さようなら、黒桐くん。――ばかね。また明日会えるのに。)
感想
我々が非日常や空想の物語に魅了されるのは、劇的な冒険や体験をする主人公に自己を投影する疑似体験だからだ。人は誰しも、もう一つの世界、イデアなどの現象界を超越した真の世界、この世を形作る不変の真理の存在を渇望するものである。
私たちは日常に於いて常に「真の私」を探し続けている。ソクラテスが人間のアレテー(徳)は「よく生きること(知識を活用すること)」と言ったように、人生とは真理の探究の旅とも言えるかもしれない。
・読者へ
一章から本章まで、私の考察をお読み下さった方、冗長な駄文にお付き合い頂き申し訳なく思うと共に感謝する。簡潔に書こうとは思いつつも上手く行かなかったが、なんとか終章まで漕ぎ着けることが出来た。私の考察は原作・劇場版での正規の設定と、私の説、主観による感情で構成されており、玉石混合では無いけれども、僭越ながら鵜呑みにしてはいけない。詰まるところ、私のレビューは作品の考察の覚書である。視聴者には是非、自分なりに考察して欲しい。私の拙いレビューが少しでも本作の理解の助けになれば幸いである。
・雑学
1.空の境界という作品は1998年10月から「空の境界式」という題名で1~5章がwebサイト「竹箒」に掲載されたのが初出。
2.2001年12月31日のコミックマーケット61に於いて全7章の同人誌を2冊に分割し発売した。
3. 2002年8月9日に同人作品として一章のドラマCDが発売された。
4.伝奇に分類される本作であるが、ドラマCD「アーネンエルベの一日」に於いて式に「オレ、『空の境界』を伝奇だなんて思ったこと無いぞ。あれはポエムだ。人生のある時期にしか許されないポエムだだ漏れテキストだよ」と評されている。
5.劇場版「空の境界」には日本橋、聖蹟桜ヶ丘、吉祥寺、レインボーブリッジなど東京の名所をモデルとした風景が登場する。
6.黒桐幹也が通っていた大学は明治大学和泉キャンパス、黒桐鮮花が通っている礼園女学院は神戸女学院大学が各々モデル。
7.ufotebleが徳島市にスタジオを開設したことに関連し、2009年から徳島市阿波踊りの告知ポスターに空の境界のキャラクターが登場。浴衣姿が描かれる。毎年窃盗事件が多発。
8.2013年秋、空の境界の画集が発売される。
9.空の境界の著作権はTYPE-MOONではなく奈須きのこ名義である。
10.「らっきょ」という略称は、奈須きのこが茄と茸なので農産物関連からラッキョウになった(月姫から続いていない)。
11.空の境界限定愛蔵版空の境界用語集で「大タイトルである空の境界は、荒耶宗蓮という人物の物語でもある。その為、HP上では矛盾螺旋の段階で一応の幕とした。空の境界という物語は矛盾螺旋で終わっている」と述べられている。
12.忘却録音で1年D組と1年4組が混在しているが、正式には1年D組。著者の奈須氏の学校ではABCだと階級別に感じられるということで、通称123と呼称していたようで、これが一般的な考えだと発表時まで考えていたことに起因する。
13.そもそも本作は原作小説ファン向けの作品であり、テアトル新宿での単館上映という極めて小規模の企画だったので、元来新規視聴者を意識した作品ではない。
14.2013年7月より1~4章と7章が、43127(章)の順で、TOKYO MIX、BS11、ニコニコ生放送、バンダイチャンネルにて全13話で放送された。しかし、「式と幹也の純愛物語」という側面から肝心の5章を放送せず(1クールだから仕方ないが)、余計に理解が困難となっている。9月にAT-XでRemixを含め、全7章と終章が一挙放送される。
15.kalafinaは劇場版空の境界の為に梶浦由記によって結成されたグループである。kalafinaは造語で「空雛」つまり中身のない人形という意味である。中身の無い3人の人形が、音楽と3人合致の歌によって意味のあるものへと昇華されるという意味である。
・オマケ
陰陽五行思想における五行の相生相克と空の境界の人物関係図の考察
黒点(=●)が頂点となる
●木(青)=正常な式
●水(黒)=黒桐 ●火(赤)=異常な式
●金(白)=白純 ●土(黄)=織
{/netabare}
===============================================
この終章は、「空の境界」というタイトルの意味や、「普通」であることを目指した幹也が何故式に特別な感情を抱いたのか、両儀式という人間の本質などが短い時間に凝縮されている。是非、境界が空であること(The borders are empty)を思惟して欲しい。
本作は考察のし甲斐があり、非常に面白い。また現代人への処方箋のような役割を果たし、私達にカタルシスを与える。
私は全章視聴後原作を購読したが、読み応えがあって大変面白い。アニメを観た人は補足の為にも、お勧めしたい。
未視聴の方は、是非挑戦していただきたい作品である。
ヨシタカ さんの感想・評価
4.0
物語 : 4.0
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
理解するのに学校の授業がよく役に立ちました。現国、倫理の授業をよく聞きましょう。
leojojo さんの感想・評価
5.0
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
七章+エピローグ+未来福音構成の劇場版の一番最後。時系列がぐっっっちゃぐちゃの作品なのでそういうのが嫌いな人は注意。(TV版は七章分を13話にまとめたもの)
第一章の冒頭のオマージュ。とっっっても穏やか。幸せに生きてくれ
ブラックキャット77 さんの感想・評価
3.7
物語 : 2.5
作画 : 5.0
声優 : 4.5
音楽 : 3.5
キャラ : 3.0
状態:観終わった
こむぶ さんの感想・評価
4.2
物語 : 4.5
作画 : 4.5
声優 : 3.5
音楽 : 4.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
空の境界と言う作品はやはり難しい物です、
自分も、最初俯瞰風景(空の境界1章)を見たときは正直よく分かりませんでした。
この、終章空の境界もいいままでの中で分かりずらく、退屈かもしれない
ですがこの話は見て損はないと思います。
この、空の境界その主人公とも言える両義式、そして織というキャラクターの魅力が100%理解できるはずです。
もしよく分からなくても繰り返しじっくりと見ることを私はお勧めします
mrt さんの感想・評価
4.0
物語 : 4.0
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
本編が短い上に戦闘の描写もない
ある意味期待はずれとも言える作品です
しかし
太極のシキが最も出てくる(というか、9割以上今話でしか出ない。)話でもあるので、わかる人には楽しめるのではないでしょうか?
それぞれ太極の陰と陽だった式と織ではない、起源そのもののシキと幹也の話です。
別に見なくてもいいと言えば……うーん。
Takaさん さんの感想・評価
3.5
物語 : 3.0
作画 : 4.0
声優 : 3.5
音楽 : 3.5
キャラ : 3.5
状態:観終わった
30分ぐらいで、幹也と式の会話のみ
深く観ていた訳ではないので終始『???』だった。
第七章『殺人考察(後)』で、キレイに完結したのだから、
個人的には付け加えるなら、第七章に収めてよ!と…
JDbQC77746 さんの感想・評価
5.0
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
少し小難しい設定なのでそこの所どう思うかで見る人が分かれると思います。
karisuma さんの感想・評価
4.5
物語 : 4.5
作画 : 4.5
声優 : 4.5
音楽 : 4.5
キャラ : 4.5
状態:観終わった
戦闘シーンが本当にかっこよいですね。
BGM、画質も最高レベルです。
ここまでレベルの高い作品なのにあまり知られていない作品なので残念です。ぜひ1作目から観ていただきたいです。
chelsea! さんの感想・評価
4.5
物語 : 3.5
作画 : 5.0
声優 : 4.5
音楽 : 5.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
つきひちゃん さんの感想・評価
4.3
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 3.5
音楽 : 3.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
私の中のアニメとは、
短絡的でその瞬間だけが面白いものや、深く考えさせられるもの。感動して泣けてしまうもの。
とたくさんありましたが、
この空の境界 終章はどれにも属さない作品だと思いました。
派手な戦闘シーンや景色の変化などは一切無く、ただ二人と夜の雪景色が続きます。(雪の粒の動きなど描写は素晴らしいです)
ただ二人の会話が続き、普通アニメを見る感覚ならばはっきり言って面白くもないのだと思います。
そこがまた斬新でもあり、空の境界という作品の中ではとても意味のある章だったのだと思います。
両儀式という、ものすごく複雑な登場人物の意味や属性などを解説しているのだと思います。
使い分けられていた理由もここで少し紐解くことが出来るのかもしれません。
とても深い作品です。
きっと見る側を意識してヒントを与える回だったのでしょう。
そして終章として最後に気付かせるとは…さすがです。
(・д・;)
nf918 TELL さんの感想・評価
4.2
物語 : 4.5
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 2.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
「両儀式」の口を通して語られる根源と彼女自身の存在、そこにフォーカスを当てた今作は終始、ある一種の哲学を聞いている印象でした。最後、終わりに相応しい作品です。故にバトル等のアクションは一切ありません。
MuraBustan さんの感想・評価
2.7
物語 : 1.0
作画 : 3.0
声優 : 3.5
音楽 : 3.0
キャラ : 3.0
状態:観終わった
latte さんの感想・評価
4.0
物語 : 4.0
作画 : 4.0
声優 : 3.5
音楽 : 5.0
キャラ : 3.5
状態:観終わった
Baal さんの感想・評価
3.8
物語 : 4.0
作画 : 3.5
声優 : 4.0
音楽 : 3.5
キャラ : 4.0
状態:観終わった
奈須きのこによる長編伝奇小説を原作とする
劇場アニメ全八章の最終章です。原作未読。
第七章から少しして、四年前に式に始めて会った
場所で幹也は「両儀式」に出会うのだった・・・。
様々な事件を通して式の人格形成の謎がいくつか
判明していきながら進んできて、また式と幹也が
初めて会った場所で再び顔を合わせ、式のその人格
の意味や経緯が中立地点の「両儀式」が明かして
いきましたが、それがそれまでの行動の謎を明らかに
していっていたのでそういうものが込められていたの
かと思いました。両極に存在しているからとなり合う
まるで磁石のような人格のあり方に干渉するのが
限定される肉体の人格があって、その複数の人格が
それぞれに干渉しあい渦巻いていくというのが
あってそしてそれによって保っているというのが
またその干渉によって生じる言動だったのかなと
思いました。
全八章の終章ということでしたが、それまでのこと
での足りないところを補填する話でうまくまとめ
られていてよかったです。その後の未来の話もある
らしいのでそれも視聴したいと思いました。
最終章まできっちり見て本当によかった作品でした。
イカちゃん☆休止中 さんの感想・評価
4.5
物語 : 4.5
作画 : 4.5
声優 : 4.5
音楽 : 4.5
キャラ : 4.5
状態:観終わった
冒頭の雪の場面に戻り延々とダイアローグが展開します。
霊と肉、精神と魂、みたいな二元論の会話が式と幹也の
二人だけで行われて物語は終わります。はまる人は嵌まる作品です(*^^*)
2010.12.18公開
主観的評価(A)
追記欄_
ドラマCD 2002.8.9
くかす さんの感想・評価
4.7
物語 : 4.5
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 4.5
キャラ : 4.5
状態:観終わった
空の境界の終章
会話だけでいままでのような面白みはないがこれまでの話をまとめて伏線を回収する話になっている
D.D さんの感想・評価
2.6
物語 : 1.5
作画 : 3.5
声優 : 3.0
音楽 : 3.0
キャラ : 2.0
状態:観終わった
この話は必要だったのでしょうか?
終盤 「それ言いたいためだけに作ったんかー」 と思わず叫んでしまいました。
開始早々嫌な予感がしましたが、予感を裏切ること無くそのまま終わってしまいましたね。
30分作品だったのが唯一の救いでした。
buon さんの感想・評価
4.2
物語 : 4.0
作画 : 4.5
声優 : 4.0
音楽 : 4.5
キャラ : 4.0
状態:観終わった
罪人の庭
なぜ人がただ生きるだけで罪を背負うのだろう。
なぜ人はただ生まれたときに業を背負うのだろう。
空っぽなのは何もないのだろうか。
そのままでいることは何もないのだろうか。
ただ生きる。
ただ死ぬ。
それは空っぽなのだろうか。
最終章
あまり長くはなかった。
おもしろいか、たのしいか、
そういう言葉だけでは虚しい。
ここまで来れたのではない。
ここまで来たんだ。
そういうこと。
第一章 http://www.anikore.jp/review/1013001/
第二章 http://www.anikore.jp/review/1013003/
第三章 http://www.anikore.jp/review/1013683/
第四章 http://www.anikore.jp/review/1013686/
第五章 http://www.anikore.jp/review/1013689/
第六章 http://www.anikore.jp/review/1014944/
第七章 http://www.anikore.jp/review/1014946/
{netabare}
この作品は色と音、瞼が特徴的な作品だった。
視覚と聴覚は他の感覚と比較にならない情報量と瞬発力がある。
色と音、一瞬で感情を揺さぶる。
目は口ほどにものを言う。
と言ったもんだが眼はどの登場人物もほぼ同じで変わりがない。
黒目がやたらと大きいとか、
色が奇抜とか、
潤んだりだとか、
そういうのが記憶に残っていないということは特徴がなかったのだろう。
その代わりなのか、目の開き方で感情を語る。
開く、閉じる、細める、瞑る、
つまり瞼の動きが特徴的だった。
瞳孔が開く、泳ぐ、彷徨う、揺らぐ、などもないわけではない。
色を交えて登場人物に勝手な概念と解釈を押しつけてみようと思います。
{netabare}
両儀 式
白、四季、黒髪で青い着物に赤いブルゾン、白は全ての光。
両儀は二極、四季は時間では明確でありながら隣り合う曖昧な分かれ目。
黒桐 幹也
黒、黒髪に黒ずくめ、黒は全ての色。黒は悪の色。
蒼崎 橙子
赤、青と橙、赤い髪、大体は多分赤。青と赤は両局の色で、色の三原色の二つ。
巫条 霧絵
青、青白い、幽霊や冷たさ、生が薄い色。
浅上 藤乃
紫、藤の概念的な色。性の色。
臙条 巴
緑、えにし、巴、両儀と巴の紋様。
玄霧 皐月
黒
黄路 美沙夜
黄、紫
白純 里緒
白、純白、無垢の色、何もない色。
※勝手な概念と解釈、
両儀と三つ巴の紋様に関連性があるかは知りません。
{netabare}
ふいぃ~~~~~
空の境界、雰囲気感想シリーズはここまで、ここからはいつも通りw
今日も長いよ~ww
・・・の前に、一から最終章までの感想を見てくれた君、あざーっす☆
さて、まず面白かったかどうか。
おもしろかったよ♪ 意味があるのかないのか分からんエログロ以外は好きだよ☆
あと、さっきも言ったけど「おもしろい」「楽しい」って不適切だけどね。
何か言葉を選ぶなら、
「好奇心がそそられた」とか。
この作品って戦闘がやたら気合入ってて、その魅力もかなり大きいものなのかも知れないけど、
あれ、完全におまけというか、作品の体をなすための特徴付けだよね。
グロとか血とかエロとか。
一番伝えたいことって闘い以外のところにあるでしょ。
ただ、それだけだと本当に何にもない作品になってしまう。
あるいはラノベ的なノリでもともとバトルや血、
客引きのエロがいつも通りあっただけなのか、単純に好きなのかな?
あれが大きく貢献した点って、しきの強さと眼の特徴ぐらいかな。
眼の意味、それと強さ。しき自体が強いのか、眼を持っているから強いのかは知らんが。
何が好きだったのかな。
グロとか好きだけど、一番は「何故」と「終わり」が気になったのかな。
何で、どうして、こうなる。
基本的に捨てキャラ以外は救いのある話だったと思う。
あらやが登場した時点で死ぬキャラだった。
どんなヤツかと思えば「きげん」に迫るだとか、死者の救いだとか、
完全に「オレは正しい」って勘違い独裁者、英雄とかマッドサイエンティストキャラだね。
「目的のためには手段を択ばない」思考は嫌いじゃないけど、目的も目標とするものもアホだよね。
そんなもんのために犠牲になるものが可哀そうでならない。
良かったね、夢の途中で終われて。なむ~。
飛行少女も盲腸も、ストーカーも、何だかんだで1つはイイことあったし。
一番驚いたのは、しきが一人も人間を殺していなかったこと。
いやいや、人間の定義がおかしいよ。
まあ、ギリそうなのかな。
っていうか、描写が卑怯だよ!
どんな状況なら返り血まみれになれるんだよ!!
血まみれになるような状況で犯人分かんないんだよ!!!
んで、一番の殺戮犯罪者が超小物w
何だよ、ただの変態じゃんwwwww
オレの「きょとん」をどうしてくれるんだよ~
めっちゃ感情のやり場に困ったわ~
しきに惚れた→アタック4回→4回あしらわれる→むきー
ってことだろ?ストーカーって怖っ、程度にしか思わなかった。
「おまえのせいだ」
「おまえのために」
「おまえが必要だ」
「おまえには必要だ」
「本当のおまえ」
・・・おまわりさん、大変が変態です、さっさと捕まえてください。
まあ一番え~、まじで~、って思ったのは「しきが犯人じゃない」ってこと。
ああ、こくとう君マジかっけー。
この作品、しきの作品と思いきや、完全にこくとう君の作品だったな。
「ゆるさない」
という言葉をそういう風に使えるか!????
マジかっけー。
「○○ちゃん、マジ天使」とか意味不明な言葉があるけど、オレがもし初めて使うとすれば、
「こくとう君、マジ天使」だな。
無力キャラ、非戦闘要員の主人公(男)って大抵は虫酸が走るようなShitキャラなんだけど、
こくとう君、マジかっけー。
信じる、支える、守る、
この上っ面しかない大バーゲンセールの言葉を、
ちゃんと実行できたのはこの漢だけだよ。
だって、大抵の主人公(男)って大抵「信じる」の時点で揺らいでるもん。
こくとう君もそういう描写がないわけではないけど、
この作品の卑怯なところ、それっぽい描写があるだけで、
こくとう君は一度も揺らいでない。
仕方ない、君にしきを任せるよ。
妹はいらん。
とうこさんは魅力的だが怖い、ふじのはこくとう君の側室、他にいたっけ?
なんか複雑っぽい話だったけど、
単純にしきと英雄こくとう君の恋物語だったな。
けっ。
非暴力を貫いて戦いつづけるってのはすごいな。
・・・結局、起源うんぬんかんぬんって何だよ?
前世や輪廻転生の話かな。
そんな昔の話はいいから今の話しようぜ。
ちらっと「考察アニメ」って単語を耳にしたけど、
悩むことはあっても考えることはあんまりなかったな~w
だって「殺人考察」って考察じゃなくて、イメージ映像と種明かしだけじゃん。
何を考えて察すれば良かったのか。
・・・あ、しきとこくとう君が最初からラブラブだったことかwwwww
ということで、
こくとう君があまりにも魅力的なキャラだったので、
しきがこくとう君にデレても仕方ないと早めに潔く諦めてほんわかするラブラブな話でした。
お・ま・け♪ 空の境界、雰囲気感想シリーズの題について{netabare}
の前にシリーズで楽しんだ章ランキング☆
おもしろかった ④③①⑦②⑤
仕方がないので観た ⑥
枠外 ⑧
言葉って難しいな。内容自体、一番好きなのは⑦だと思う。
何か、空の境界、このシリーズとは別にアニメでもう1作品あった気がする。
けど観ないな。
時系列順にもう一回このシリーズを観るかも。
言葉って難しいな。
この作品は難しい言葉をそこそこ使うけど、知っている言葉ですら難しかった。
こんな風に文字にすると余計意図されていたものと理解したものは離れているだろう。
それをおまけに体験してください。
①とりあえず → 俯瞰との関連(※間違っている可能性あり)
②衝動の具現 → 盲目的な恋の映像化
③刷り込み → こくとう君の言葉、ふじのの痛みと恋
④どちらが外 → サクラ大戦3のロベリアのセリフ
⑤栄枯盛衰 → あらやがやろうとした事、そういうことをしようとする人
⑥却下うふふ → 「きゃっきゃうふふ」なし
⑦描写仕掛け → 叙述トリックのひねり
⑧全てを包み込む → 色、白と黒
この「→」の先に考えていたことと合致した人はもう手遅れです。
男は早く病院で監禁してもらってください。
大抵の女性は手遅れでも幸せになってください。
35歳以下で何らかの計算上太ってはいない女性は私の嫁です。
ぽんちぃ さんの感想・評価
4.7
物語 : 4.5
作画 : 4.5
声優 : 4.5
音楽 : 5.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
【あらすじ】
1999年3月、雪の降る夜。黒桐幹也は4年前と同じ場所で、『両儀式』に再会する。
【キャスト】
坂本真綾、鈴村健一
【音楽】
エンディングテーマ(主題歌):Kalafina「snow falling」
公開:2010年12月18日、上映時間:33分
空の境界 終章 空の境界のレビュー・感想/評価は、ユーザーの主観的なご意見・ご感想です。
あくまでも一つの参考としてご活用ください。 詳しくはこちら。
空の境界 終章 空の境界のレビュー・感想/評価に関する疑問点、ご質問などがございましたら
こちらのフォーム よりお問い合わせください。
「生きているなら、神様だって殺してみせる」――これは、独りの少女の可憐で壮絶な物語。2年間の昏睡状態から目覚めたとき、両儀式(りょうぎしき)は記憶を失っていた。記憶と引き替えに手に入れたのは、万物の死を視る力“直死の魔眼”。望まぬ力を手に入れ、望まぬままに数多の怪異に遭遇し、望まぬままにその存在を絶つ。黒桐幹也(こくとうみきや)は、静かに見守りつつも、日常の世界に式を繋ぎ止めようともがく。やがて日常と非日常の狭間に棲む怪異を追うことが、式の唯一の生きる糧となる・・・見守る眼差しがあることを知りながらも。(アニメ映画『空の境界 終章 空の境界』のwikipedia・公式サイト等参照)
坂本真綾、鈴村健一
原作:奈須きのこ『空の境界』(講談社ノベルス)、キャラクター原案:武内崇、 監督:近藤光、脚本:平松正樹、キャラクターデザイン・作画監督:須藤友徳/高橋タクロヲ/小船井充、音楽:梶浦由記
ジャンル:アニメ映画
放送時期:2007年12月29日
1995年3月、黒桐幹也は街で一人の少女と出会った。透徹した、不思議な眼差しを持った少女に幹也は一目で心を奪われてしまう。その年の4月、観上高等学園の入学式で幹也はその少女と再会する。少女は両儀式と名乗り、人を寄せ付けない性格であったが、幹也には少しずつ心を開いて行く。ある日、幹也...
ジャンル:アニメ映画
放送時期:2009年8月8日
1999年2月。両儀式が黒桐幹也の前から姿を消した。そして、それに合わせる様に再発する連続殺人事件。3年前、自らを人殺しと称した式。信じ続けると誓った幹也。幹也は式の無実を証明するため、殺人事件の捜査を始める。そんな中、幹也はある麻薬事件をきっかけに高校時代の先輩・白純里緒と再会する。
ジャンル:アニメ映画
放送時期:2008年5月24日
1998年6月、約2年の昏睡から両儀式は奇跡的に回復する。しかし、目を開けてすぐに見えたのは「死の線」。それが何なのかを理解してしまった式は、自らの目を潰そうとしてしまう。そんな中、一人の女性が式を訪ねてくる。その女性、蒼崎橙子に式のもう一つの異常、式の別人格である「織」が居なくな...
ジャンル:アニメ映画
放送時期:2013年9月28日
未来視の少女・瀬尾静音と出会った黒桐幹也と、同じく未来視の連続爆弾魔・倉密メルカと出会った両儀式。 ふたつの“未来”が重なり合う結末の行方は――!? これぞ未来と過去を繋ぐ空白(ボーナストラック)にして未来への福音(原点回帰)!
ジャンル:アニメ映画
放送時期:2008年8月16日
1998年10月、両儀式はふとした事から臙条巴という自称人殺しの家出少年と知り合う。式は巴の隠れ家に自室を提供し共同生活を送り始めるが、しばらくして巴は自分の親殺しの罪を告白する。奇しくも蒼崎橙子から似たような事件の詳細を聞いていた式は、巴とともに臙条家のある小川マンションへ向かう。
ジャンル:アニメ映画
放送時期:2007年12月1日
落下する少女の夢、俯瞰を断つ直死の眼 連続する少女たちの飛び降り自殺。現場はすべて、かつては街のシンボルタワー、今では廃墟と化した巫条ビル。屋上には浮遊する「霧絵」がいた…。\nそして事件が5件を数えた頃、万物の生の綻びと死線を視る能力「直死の魔眼」を持つ両儀式が謎に挑む。
ジャンル:アニメ映画
放送時期:2008年12月20日
1999年1月、魔術師見習いである黒桐鮮花は、師である蒼崎橙子にある事件の調査を命じられる。それは鮮花の母校である礼園女学院で、生徒の記憶が妖精に奪われているというものだった。妖精を視る事ができる両儀式を連れて学院に戻った鮮花は調査を開始する。
ジャンル:アニメ映画
放送時期:2008年2月9日
1998年7月、複数の捻じ切られたような変死体が見つかるという、人間の仕業とは思えない猟奇殺人事件が発生する。そんな中、“伽藍の堂”の所長である蒼崎橙子に一件の依頼が飛び込んできた。依頼内容は事件の犯人の保護、あるいは殺害。犯人の名前は浅上藤乃。殺された被害者たちに陵辱されていた少女...
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放送時期:2003年春アニメ
幼い頃、大事故にあいながらも奇跡的に一命を取り留めた少年・遠野志貴。それをきっかけにして、彼には人の目には見えない「モノの壊れやすい線」(そこに刃物を通せばどんなモノでも壊すことが出来る線)が見えるようになっていた。 事件後、親戚の家に預けられ、線を見えなくする眼鏡をかけるこ...
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聖マルグリット学園の図書館塔の上の上、緑に覆われたその部屋で、妖精のような少女―ヴィクトリカは待っている。自らの退屈を満たしてくれるような、世界の混沌を―。その少女は語るのだ。パイプをくゆらせながら。「混沌の欠片を再構成しよう」そして、たちどころにそのどんな謎をも暴く…いや、〈言...
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長い黒髪と陰気な見た目のせいで「貞子」と呼ばれ、クラスメイトたちから避けられてきた黒沼爽子。しかし、高校に入学し、明るく爽やかで男女問わず人気のある男の子・風早翔太との出会いから勇気をもらい、友情や恋、ライバルや友達の失恋などいろんな「初めて」を経験し、大切な関係を築いていく…。
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女性にしか反応しない兵器「インフィニット・ストラトス」(IS)の操縦者を育成するための学校・IS学園。そこでは世界各国から集められた少女たちが候補生としての勉強に日々励んでいる―はずなのだが、男なのになぜかISを起動させることができた織斑一夏は、この学校に強制入学させられてしまう。当...
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ジャンル:TVアニメ動画
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ジャンル:TVアニメ動画
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