
Rera さんの感想・評価
4.2
物語 : 4.5
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.0
キャラ : 4.5
状態:今観てる
リボン発の少女成長物語
(第1話感想)
内気でいじめられっ子だった少女と、彼女の憧れでありクラスの人気者である少年との青春ラブストーリー。
原作は「りぼん」連載で既刊27巻、累計発行部数が何と1400万部を誇る人気作。
「りぼん」は小・中学生位が対象のはずだが、それでこの部数はすごい。
実際はもう少し高い年齢層も見ていそう。
第1話を見ての感想だが、虐められっ子を見るのはちょっと辛い。
思わず手を差し伸べたくなるが、虐めの克服には少しだけ前に進むことも必要。
彼女は仕返しにレモンソーダをかけたが、その勇気が必要なのだ。
自分が受けてきた仕打ちに比べればレモンソーダをぶちまけることなど大したことではない。ああいう連中はもう何もしてこなくなる。
憧れの人にあそこまで言ってもらえれば、恋が成就した他も同じ。もう彼は彼女の味方なのだから。
(第3話まで)
演出面で少し粗が目立ってきた印象がある。
展開が少し突飛で主人公の行動もイケメン彼の行動も唐突に感じる。
主人公羽花の性格の問題?尺の問題もあるのかもしれないが羽花の感情がくみ取れないまま話が進んでしまう。
虐められっ子だった羽花のダメキャラが前面に出てきているので、視聴も少しストレスを感じている。本人は変わるんだという意思は持っている。しかしまだ行動が伴っていないことが多い。周りがいい人なので許されているが、そうでなければまたいじめの対象になりかねない。
モノローグが多すぎるのも気になる。発する声とアンバランスに感じる。モノローグはもっと少なくていい。
作品から感じる不安定感は、羽花の感情そのものなのだろうが、作品の演出でもう少し感情の処理ができないものだろうか。
やはり「りぼん」なのでストーリーも演出も女子小中学生向きということなのだろう。
(第4話まで)
これまで感じていたこのアニメの不安定感、浮き沈みの激しさの正体は、主人公羽花の内面をそのまま反映しているせいだろう。周囲の自身に対する評価や言動で羽花の内面が大きく揺らいでしまう。
晴れと雨が繰り返される天気のようなもので、陰と陽、躁鬱と言ってもいい。
虐めの影響により精神が常に不安定なのだ。虐めはトラウマが激しくパーソナリティに影響するだけでなく精神疾患の一因にもなる。だから克服するには周囲の理解も必要となるのだ。
彼女のメンタルが安定すれば、ストーリーも安定してくるのではないだろうか。
友哉が羽花に対し、界との関係を咎めるような話をしていたが、最後登場した界の元恋人芹那が関係しているのでは。界との間に何かあったのだろうか。ひと波乱ありそう。
(第5話まで)
羽花とクラスメイトたちの会話を聞いて、違和感というのか、我々大人世代にとって理解しがたい不思議な感覚を持った。我々の時代とは言葉の伝え方というか選び方というか、そういうものが大きく違っているというのを感じる。
これが今の感覚?言動も友人関係のあり方も今の子どもたちの感覚というのはこういう感じなのかと不思議に思うと同時に違和感を感じてしまう。
芹那と界を取り巻く力関係も見えないところでどのようになっているのだろうか。
もちろんアニメ(漫画)であるというのはわかっているが、少なくとも視聴者(読者)に向けて発している言葉だったりするので、少なくとも小中学生世代には共感できるものなのだろうが、少なくとも私には不思議な感覚である。
昨日と今日の態度が極端に違っていたり、見えないところで何があったのかはわからないが、友人関係(力関係?)の中で結構打算的な考えもあるのだろうか。
彼ら彼女らの会話を聞いていてそう思った。
あとまだまだぎこちないのだが、羽花は少しずつ成長している。もともと意思は強い子なんだと思う。自分でできないと思っているだけ。それだけは私にもよく分かる。
(第6話まで)
あらためて、なぜ三浦界は石森羽花に構うのか。
結局のところ、界はお節介が好きなのだ。
羽花の行動を見ていられないと言うか、イライラして声をかけずには居られなくなるというか、こういう不器用な人を手助けしたくなる性分なのだろう。
友哉が羽花に対し、界との関係を咎めたのは、羽花に勘違いしてほしくなかったから。羽花が独り立ちし、手助けが必要なくなれば界は離れていく。だから必要以上に近づくとお前が傷つくことになるぞと。界と芹那との関係もおそらくそういうことだったのだろう。界への恋心を原動力に頑張る羽花。彼女は界に認められたいのだ。それが彼女にとって生きる力になっている。彼女はもともと頭もいいし、いわゆる「できる子」。かつての虐められていた彼女自身を克服しようとしている姿は誰もが応援したくなる。
これがこの作品の人気の秘密なのだろう。
それから、彼女の名前「羽花」は明らかに「羽化」を掛けている。彼女が蝶になって舞う姿を見てみたいと思う。
(第7話感想)
自分は邪魔な存在だと思う羽花の気持ちは、思春期によくある屈折した自己否定の感情。いなければよかった、もっと言うと生まれてこなければよかったといつも考えている。
こういう感情はいじめの要因ともなる。卑屈な感情は時として人を不快にさせる。
通常の人間関係から一歩も二歩も引いてしまう。大したこともしていないのに出過ぎた真似をしてしまったと感じる。
自分という存在があることで他人の人間関係を壊してしまうのではないかと恐れる。確かに人と関わりを持つのは大きなストレスである。しかし人間は人との関わりなしには生きてはいけない。
孤独が好きという人もいなくはないが、それとて最低減の人間関係は必要。人のことを気にすることは悪くないが、それが行き過ぎてしまうと自分を苦しめることになる。
他人を慮ることも時には必要だが、だからといって自分の気持ちに素直に出せないのは良くない。人はそこまで他人の存在の気にしてはいない。
芹那について。常に周囲に人が集まり集団の中心にいる人。怖いものはなく自分が常に正しいことをしていると信じていた。
それが一転、行動が裏目に出たときに他人が本性を現す。向けられる憎悪。これがいじめの温床。
その時に差し出される救いの手。一回それを掴んでしまうと離すことができなくなる。
「界に依存してしまい弱くなっていた」と言った芹那は、かつての彼女に戻りたいと考えている。
だが界を好きだという気持ちとの間で揺れ動く。一旦彼から離れることを決意したが、心の底ではまだ界から離れられない。複雑に絡み合い揺れ動く感情。本作はそれをわかりやすく表現している。
自分の気持ちに正直になること。その感情を相手に伝えること。そうすることで誤解は解けていく。そこに和解の糸口がある。
羽花も芹那もその感情に気付いた。少女たちはまた一歩成長する。
この作品を小中学生向けの少女漫画と思って侮ってはいけない。なかなかの秀作だと思う。羽花という少女に感情移入してしまっている自分がここにいる。
(第8話感想)
界が好きという気持ちを原動力にして羽花は前に進む。
彼女は界と出会い、好きになって強くなった。芹那は界が好きになって弱くなった。だから界は芹那から離れた。
モノローグが多い典型的な少女漫画作品であるが、この作品がどんどん好きなっている。
羽花は応援したくなるキャラ。まだ、心理的にトラウマが消えず不安定でハラハラするけれど,一歩一歩少しずつ前に進むのがいい。それがこの作品の人気の秘密なのか。
だが一方、最後の羽花に見せた親の態度は気になる。かつて羽花は虐められていたからなのか、過保護になっている。近所に買い物に行くのに車まで送るというのはあまり普通ではない。心配なのはわかるが、子の自立を阻む親は毒親でしかない。
子が親を頼らなくなったことを淋しいと本人の前で言うべきではない。
そう親に言われれば優しい子はその事を気にして親に頼ることを演じてしまうかもしれない。
子はいつまでも同じところにはとどまっていない。
子は親のために生きているのではないのだから。
(第9話感想)
8話の親の態度からしてこんなことだろうと思っていた。
親の気持ちもわからないではないが、ここまで過保護に育ててしまっていたのは親の責任でもある。
親の改心はありがたいが、実際にはそんなに簡単に改心などしてくれない。
中学時代の虐めは、羽花が隠していたために知らなかったのは仕方がないとしても、偏見や先入観というものは正常な判断を失わせる。盲目的であり、子の成長の姿さえ見えなくなっている。
子どもは演技をすることで親に心配をかけさせないようにし、親はいい子を演じている子どもを見て安心する。
現実を見誤ってしまっていたことは、今の子どもの表情一つとってみてもわかるだろう。しかし、父親にとって子供が理想的ではない環境にいる事自体が許されないのだ。父親も会社の同僚から娘の通っている学校の悪い評価を聞けば、その妄想が上書きされ、自らの娘を否定されているような気になったのだろう。そういうところでは父親の考えを否定することはできない。だがそもそも娘に向き合っていればこのようなことにはならなかったはずなのだが。
ベタなエピソードではあったが、こういうのはストレートに表現したほうが心を打つものである。
親を否定することなく、そして真実を伝えることの大切さを学んだ。羽花はまたここで大きく成長した。
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