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「好きでも嫌いなあまのじゃく(アニメ映画)」

総合得点
67.9
感想・評価
20
棚に入れた
68
ランキング
2309
★★★★☆ 3.6 (20)
物語
3.2
作画
4.0
声優
3.7
音楽
3.7
キャラ
3.5

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好きでも嫌いなあまのじゃくの感想・評価はどうでしたか?

ネタバレ

ひろたん さんの感想・評価

★★★★★ 4.1
物語 : 4.0 作画 : 4.5 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

み~んな「あまのじゃく」じゃん

この物語の舞台は、米沢市です。
米沢牛のすきやき、美味しいですよね。ちょっと高いけど・・・。

コロリド作品は、現実的でもあり、絵的でもある独特な質感の作画が綺麗ですね。
舞台となった実際にある場所をアニメで表現するにはとてもよい作画だと思います。


■み~んな「あまのじゃく」じゃん
{netabare}
「あまのじゃく」の意味は、「素直でない人・素直になれない人」。
本当は寂しいのに、寂しくないと言ってみたり。
本当は好きなのに、嫌いと言ってみたり。
自分の気持ちに嘘をつき、自分の気持ちを押し殺していると・・・、
そのうち、天邪鬼、つまり、本当に"鬼"になってしまうそうです。

この物語は、「素直になれない」ことを「天邪鬼」をモチーフに描きます。
また、天邪鬼は、神話に登場する天探女(あまのさぐめ)の転訛と言う説があります。
天探女とは、巫女のことです。
天の動きや未来、人の心などを探ることができるシャーマン的な存在だそうです。
しかし、その力を使って悪戯をしたことにより小鬼へと変化していったとのことです。

そして、この物語でなかなか面白いと思ったのは、「あまのじゃく」と言う、
「素直になれない人」と言う人の心を主題に置きながらも、
その由来となった巫女をもモチーフに据えていると言う二重構造。

その巫女とは、ヒロインのお母さんです。
「みんなのため」と言いつつ、自ら巫女になりましたが、本心は違いました。
「なぜ自分だけ」、「娘と暮らしたい」、そんな気持ちをもっていました。
これもまさに、「あまのじゃく」の「本心を隠して裏腹なことを言う」そのものです。

また、その巫女を囲っているのは、「鬼の里」です。
ここは、鬼達が人間とほぼ同じ暮らしをしながらも、人間から隠れているところです。
民話によくみられる「隠れ里」がモチーフなのです。
しかし、この鬼達もまた、本当は、人間と仲良くしたいと内心では思っています。
しかし、表向きは「仲良くしたくない」と言っている鬼達なのです。
だから、天邪鬼の集団なのです。

まるで、仲間に入れてほしいけど、それを素直に言えない子供のようです。
{/netabare}

■「変わる」ためにはどうする?
{netabare}
主人公もヒロインもそのお母さんも鬼の里の鬼達も、み~んな「あまのじゃく」です。
けれども、実は、自分達もそれは分かっています。
そして、「変わりたい」とも思っています。
でも、ちっとも「変われない」のです。
なぜなら、変わりたいと思いながらも、その気持ちに蓋をしているからです。
つまり、「変わりたくない、このままでいい」と思っているのです。
やっぱり、「あまのじゃく」だからなんです。

では、「変わる」ためには、どうしたらよいのでしょうか?
この物語では、それは、「素直」になればいいと言っています。

では、「素直になる」とは、どう言うことでしょうか?
それは、「勇気を出す」ことと同じ意味です。
「素直」になると言うことは、目の前のことから逃げてはいけないと言うことです。
主人公とヒロインは、最後、自分に素直になりました。
つまり、勇気を出すことによって、問題を乗り越えたのでした。

「あまのじゃく」の子供も同じです。
一緒に遊びたければ、勇気をだして「仲間に入れて」と言えばいいのです。
{/netabare}

■まとめ

主人公とヒロインは、問題を乗り越えることによって「成長」しました。
コロリド作品の王道の展開ですね。
子供の成長を描くのがとても上手い。
成長って、曖昧でいつ成長したのかを説明するのはむずかしいものです。
一方で、不思議なもので、「成長を目の当たりにする」と言う言葉もあります。
コロリドの作品はまさにこれ。
子供たちの成長の瞬間を目の当たりにしたかのような気持ちにさせてくれます。
それは、成長前後のコントラストがはっきりしているからです。
そのため、その瞬間をあたかも今、目の前で見たような気にさせてくれるからです。

なんとなく、とある作品に似ているぞ、展開が強引だぞ、と思わなくもないですが、
王道のジュブナイル作品として、とても楽しめた作品でもあったかなと思います。

投稿 : 2024/07/13
閲覧 : 61
サンキュー:

10

ネタバレ

薄雪草 さんの感想・評価

★★★★★ 4.2
物語 : 4.5 作画 : 4.5 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

さなぎからの羽化と分化、そして開花へ

略称は "好きあま" 。
劇場で鑑賞しました。
路線は安心のジュブナイルでした。

たまたま原作を先に読み、いくらか消化不良というか、充足感に欠ける印象が残りました。
キャラの発言に突拍子感があり、お話の組み立てがやや粗かったかなという印象です。

念のため、公式やその他の情報にも触れてみましたが、もちろんネタバレや詳細はどこにもなく。
それなら、やっぱり観るしかないと腹を括りました。
"大ハズレは嫌だな" と祈りつつです。

キーワードは「鬼、夏の雪、隠(なばり)の郷」。
鬼は、隠(おぬ)が語源。では何を隠すのか、何から隠れるのか。
夏の雪は、相反する世界概念の接近と、双方のバランス感覚を象徴していそうです。
隠(なばり)は、由緒ある言葉で、万葉集(*1)にも見られます。

アプローチとしては、人と鬼との関わり合い方 。
主人公たちを近しくさせるものは何か。
主人公たちはどんな道を見出していくのか。

ジュブナイル世代が訴求するテーマを見つけられればいいかなと思います。


~   ~   ~


ステージは、山形県の南部に位置する米沢市。
モチーフは、山岳信仰の隠れ郷に住まう鬼の伝承。
テーマは、異文化交流、価値観の多様性、自立に向けた行動と捉えました。

主人公は16才の設定ですが、視聴は9才くらいからでも大丈夫じゃないかなと思います。
後半、メルヘンチックな演出が多用されますので、理屈で観る方には苦痛を感じるかも知れません。

やや重めなのは、郷を隠さなければならない理由と背景、郷の体制を維持するための装置への評価です。
いわゆる旧態依然としたコミュニティーへの是非と、時代を切りひらく当事者性は誰の手にあるか?という "未来性を予感させるもの" と受け止めました。

大人世代が振る舞う愛情の形は多種多極であるけれど、それを受け取る子どもはまだまだ未完成。
親目線からなら、子どもは "好き嫌いの塊、天邪鬼" に他なりません。

そんな主人公が、柊くん(ひいらぎ、16才、人間)、ツムギさん(同い年?、鬼)の二人。
異なる生い立ちを同じ時間にぶつけ合いながら、ゆっくりと共感を育んでいくパートナーです。

柊とツムギは、さまざまな出会いにコミュニケーションを深めながら、他者への理解、自己の認識、自我の強化、目的の貫徹、共同の有用性などを学んでいきます。
まさに、外界に出向き、未知に触れ、自分で考え、一緒に行動する。
ジュブナイルのセオリーを踏むとはこういう事かと得心です。

描画はご当地らしく、陽の光に映えるベニバナが美しく(おもひでぽろぽろを思い出し)、山形ならではの原風景の一つに見入りました。
また、畏怖されるユキノカミの造形には、雪に閉ざされ熟していく郷土文化の奥深さが感じられ、不思議な気持ちになりました。





そんななか、私の関心は、 {netabare}人の思いの表出である雪と、鬼を食らおうとするユキノカミの振る舞い {/netabare} に向かいました。

人は自分の本心を明かすことを憚(はばか)り、つい本音を隠してしまう瞬間があります。
隠(なばり)の郷にも「ユキノカミは、姿を見せたり隠したり」という伝承があるようです。

この「抑える⇔表出する。隠す⇔見せる。」という対置しあう要素が、鬼の郷のエピソードの結節点であり、新時代への突破口になるような気がします。

ところで、柊と雪にまつわる不思議な演出があります。
ツムギは {netabare} 「柊が隠そうとした思いが雪になって出てきている。その雪のことを小鬼って呼ぶ。」 {/netabare} と言います。

本心を隠すことは、自分を抑え込み、ときに社会への能動性を著しく低下させます。
それは自分の未来を狭くし、心が震えるような感動の喜びだったり、魂が踊りだすような感激の幸せだったりを逃してしまいがちです。

ツムギにしてみると、実はそれは自分の境遇にほかならず、柊が同じ道すじを歩むように見えてしまうのでしょう。
それが隠の郷の実相で、人間の社会の現実なら、二人がどんな意志を持って、どう行動するかが見ものです。
 
彼らの視点に立てば、世界を拗(こじ)らせているのは大人の側、大人の都合、大人が天邪鬼。
なぜ、子どもの世界に、抑圧と差別、紛争と核兵器を持ち込むのか、誰か答えてほしいと問うでしょう。





もう一つは、なぜ、有難がられるユキノカミが、謂わば氏子でもある鬼たちを食らうのか。
それは郷の規律と理屈に合いません。
合わないのは、それとは違う背反する何かの理由があり、異常行動として表出されているように感じられます。

郷の仕きたりや同調圧力に甘んじた結果、行き過ぎた自己犠牲が引き起こした結果だと仮定すれば、もしかしたらその視点が、作品の本質に触れるヒントになるのかもしれないと思いました。

隠の郷のルールは、とどのつまりは鬼の歴史(生き方の選択)から導き出された集合知の結晶であり、秩序も規律も、コミュニティの維持にとっての必然なのかもしれません。
ですが、時代の変化の中では、抑制は停滞につながり、圧迫は衰退を意味するようにも思えます。

江戸時代や戦争中の権力者にとっては当然であっても、現代では個々の幸福追求の思想が強くあり、国家への忠誠よりも、それぞれの家族の絆が優先されるのが時代の本流です。

実際のところ、国としても、SDGsやダイバシティマネジメントなど、コミュニティーへの変革と実行が提唱されています。
本作に感じとるべきは、そういった背景を踏まえての、柊とツムギの描かれ方です。





本作は、山形県ではイオン系2館による1日7回上映という力の入れようです。
また、ネットフリックスによる世界同時配信があります。

配信は、英語、中国語、ポルトガル語、日本語、韓国語圏域で、視聴者数は、20歳以下に限っても10億人ほどになります。
これは山形県民の何倍もの数字が見込める人口です。

日本では、鬼はときに神とも扱われ、郷土の祭りには欠かせない存在。
コミュニティーの影の主役とも言っても過言ではない存在です。
でも、海外ではこうした "鬼と人との距離の近さ" が、なかなか文化として理解できないそうです。

というのも、西洋ではツノを生やしているのは悪魔で、徹底的に忌み嫌われる対象です。
これは一神教を採用する文化圏の負の側面で、異なるイデオロギーへの排斥、迫害、レッテル張りです。

東洋でも、鬼は "人の霊" と規定され、面白がられることはあっても、神格化されることはありません。
支配者は、権威の誇示として神を利用し、外敵・政敵などへの侮蔑として鬼に置き換えるのです。

その点、日本は海に囲まれていることもあり、全国津々浦々、人と鬼とが共生しあう文化がさまざまに継承され、相似性とともに独自性も残されていて、気持ちの上ではまったく違和感はありません。

まさにというか、まったくというか、"鬼さまさま" と言ったところです。


また、鬼を心のありようから捉えると、本来、鬼は実体のない心の内なる存在ですが、時と場合によっては、外に暴発する怖い実態も生み出します。

そんな内在と外発を併せ持つ鬼の二律性、多様性、柔軟性、可笑し味こそが、日本人ならではの評価であり、鬼と人との親しさと近しさが見つけられるのですね。

このような鬼への親和性と共存性は、日本の独自の文化です。
ですから、海外へと発信する意味と意義をかみしめたいと思います。





ツムギと柊の立ち位置は、海外の若い世代への日本の鬼文化のアンバサダーに思えます。

マイノリティーとか怖いからとかに捉われない、内面性に目を向けることで得られる共感と安心感。

隠の郷の如く、閉じこもり変わらないことで安寧するのではなく、広い視野を持つ受容性と寛容性。

相互に理解し合い、強みを応援し、手を取り合うことで見えてくる新しい可能性と時代性。

そんな一石二鳥、三鳥、四鳥を狙ったキャラクターと言えそうです。

こうしたメッセージ性の高い作品が、米沢を舞台に世界に向けて発信されることは、大変すばらしいと思います。


ところで、ジュブナイル作品は、大人にしてみると、得てして "過去を語るもの" として扱われがちです。
でも、時代の変遷は、今の子どもたちが大人になった時の、いま大人である人にも同じに言えること(過去しか語れない人)です。

過去は、今を通じて未来の価値を高めていく素材。
未来は、今を変えることで過去を再評価する物差し。

肉体が衰えていくことは天命なので抗えません。
いつかバトンを預けるのみです。
であれば、パンのみに生きる姿よりも、明るい未来への意思と言葉、そして行動を示す大人でありたいものと感じました。


~   ~   ~


映像の冒頭、ひとり柊が、真っ白な雪に埋もれているシーンがあります。
その表情はぼんやりとしていて、元気がなさそうにも。

そしてエンドシーンでは、なぜか真っ暗ななか、柊とツムギが先を取るかのような勢いで、何かを言いだそうとしています。

まるで {netabare} それぞれの本心を明かすのがいいこと {/netabare} のように。

二人の未来が明るくなるような気配で。





(*1)
降る雪は あはにな降りそ 吉隠(よなばり)の
猪養(ゐかひ)の岡の 寒(さむ)からまくに

穂積親王(ほづみのみこ)
万葉集 巻2 203番

吉隠は、奈良県桜井市大字吉隠のことです。
私は、ステキな歌だと思います。
もしよければ検索してみてください。

お子さまがいらっしゃるご家庭にはオススメ作品です。
ぜひご一緒にお楽しみいただき、語り合ってみてくださいね。





おまけ、とは言えないおまけ。

{netabare}
私は米沢市に伺ったことはないのですが、上杉鷹山(ようざん)は少しかじりました。

米沢の市民のみなさんの精神性を表わす次の言葉があります。

為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり。

倹約を進める政務においても、人を大切にする教育に徹底した鷹山。

"米沢プライド" なんだそうです。
{/netabare}


もういっこ、おまけ。

{netabare}
本作の上映に先だって、文部科学省が、本作の番宣ポスターを全国の中学校、高等学校等に配布をしています。
と言うのも、本作には、自分の本当の気もちを素直に伝えよう、言えるようになろうという啓発が認められるからだそうです。

このいきさつには裏話があって、当初、文科省は、本作が恋愛もの(ボーイミーツガール)の要素が認められることから、タイアップにあまり乗り気でなかったそうです。

ということで、ここからは私なりの解釈ですが、前述の "暗転したエンドシーン" は、入念に意図された演出で、それこそ文科省の主意とは真逆の、極めてエモーショナルなものに濃縮されていたように感じました。





本作のキモは、ノベライズの最後の254ページめ。
映像で言うと、残り20秒のシーンです。


{netabare}
ツムギは、柊の手に自分の手を重ね、頬を赤らめながら
 「 柊・・、私も本当の気もち、伝えにきたの。」と言います。

不意をつかれた表情で、柊が
 「 えっ? 」。

次の瞬間、 {netabare} スクリーンがまさかの暗転。
館内が真っ暗ななか、 " 音声だけの会話劇 " になります。
これには虚を突かれました。
ノベライズでは分かりようのない演出です。{/netabare}

あわてたような柊の声。
 「 ちょっと待って! 僕が先に・・・。」

いたずらっぽくツムギの声。
 「 ダメダメ、ダメ!! 次は私の番。 でしょ?」
{/netabare}





この会話の文脈の面白さは、視聴者には、二人のシンパシー(好きという感情の共感)の昂ぶりを期待させながら、二人へのエンパシー(二人に感情移入したい視聴者の思い)を、プッツリと切り取って消してしまっているところです。

遂に恋の告白なの?ってピークで、いきなりスクリーンが真っ黒になって、二人の姿が忽然と消えてしまうなんて、いくらなんでも大人のやることじゃないんじゃないですか?みたいな感じです。

ここ一番の表情やしぐさを映さないことは、心に伝わってくる感情を隠すわけだし、二人の当事者性も、二人への当事者性も、見せなくしてしまうんですね。

配信では決して得られない心象、劇場ならではの演出の妙だと感服です。
そして、この演出があるから、文科省がタイアップしたんじゃないのかなとも思います。





ツムギが " 次は私の番 " と言うことは、柊が最初に告白しているはずなんですが、実のところ、柊が "自分が一番" という自覚を示すシーンはどこにも描かれていません。

つまり、" あくまでもツムギにとっては " といえる演出になっているわけで、視聴者はツムギの心情を掬うことで、彼女の恋愛温度を爆上げしている台詞だと分かる仕組みになっています。

そのシーンがどんなふうに表現されていたかを受け止められれば、本作のテーマの「好きでも嫌いな」が分かるんじゃないかなって思います。
ヒントは、二人の、特にツムギの心情に立ち切ることです。





思うのは、文科省が認めた啓発の要素は、確かに表向きにはそう見えているけれど、もう一つのテーマでもある、少年少女の恋バナを譲ったわけじゃないよと、暗に言っているようにも感じます。

もしかしたら本当は、最後のシーンはカラフルな映像だったかもしれませんが、あえて声だけの演出に差し替えたのかもと、そんな妄想にも得心がいくのです。

ラストシーンの仕上げはこれでまとめるけど、この出来栄えのその始まりは視聴者に預けてしまう。
オトナサイドのオモテ事情と、ジュブナイル向けのウラ恋バナとを、ひねって絡めたようなウルトラわざ。

いかにも " あまのじゃく " っぽくて、私は好き。
エンドロールも、痛快で、小気味の良い余韻でした。


ちなみに山形県の中部地域では、天邪鬼を " 蝶類などのさなぎ=蛹 " といい当てる方言があるみたいです。
知らなかったなぁ。
{/netabare}

投稿 : 2024/06/08
閲覧 : 148
サンキュー:

9

ネタバレ

たわし(爆豪) さんの感想・評価

★★★★☆ 3.2
物語 : 3.0 作画 : 4.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

劇場版で作ったのは辛い出来

ネットフリックス作品。

わかりやすくラブコメです。しかも、小学校、中学校くらいをターゲットにしているので、現実の大人の恋愛映画やドラマを見ている人にはかなり辛いです。。

作画は良いですが、「デッドデーモンズデデデデストラクション」が興行に失敗したようにこのキャラクターデザインは観る人を選ぶ気がします。

投稿 : 2024/05/26
閲覧 : 133
サンキュー:

3

ネタバレ

タック二階堂 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.5
物語 : 3.0 作画 : 4.0 声優 : 3.5 音楽 : 3.5 キャラ : 3.5 状態:観終わった

ジブリがいっぱい。新海がいっぱい。

詳細は公式サイトでも。

Netflixオリジナル作品です。制作はスタジオコロリド。ま、流れ的には「泣きたい私は猫をかぶる」と同じ感じでしょうか。監督も同じ、スタジオジブリ出身の柴山智隆さんですしね。

「泣き猫」は脚本が岡田マリーさん、こちらはかっきー優子さんです。

簡単に言えば「ボーイ・ミーツ・鬼娘」。

なんつーか、世界観は「千と千尋の神隠し」。それに「君の名は。」風味をまぶしたような、いわゆる“セカイ系”を混ぜた感じの内容でしょうかね。

話自体は未知なんだけど、このように常に「どっかで観たような」がつきまとう仕上がり。すごく好意的に評価すれば、こういった長編オリジナルアニメ映画としては非常に優等生な出来だったと。

悪く言えば、目新しさがまったくない。
往年のジャイアンツ・川相のバントのような作品。手堅いけど、1点を取りにいくような作品。観客が熱狂するような大量点を奪えるような作品ではないということです。

ボーイ・ミーツ・ガールも薄っぺらいし、ロードムービーも浅い。このロードムービーで、なんでツムギがヒイラギを好きになるのか理解に苦しみます。

あ、えっと…
富田美憂さん、嫌いじゃないんですが、どんな役やっても演技プランがいっしょ。そろそろ、もう少し違った一面も見たいですよ。

雪の神の描写が、いかにもジブリ。
鬼ヶ島、まんま「君の名は。」の御神体の場所だよね。あそこのモデルは、確か青ヶ島。なにぃ? やっちまったなぁ~w

コロリドの高い作画技術は評価しますが、最近はこの程度の背景美術は「出来て当然」となっています。「泣き猫」「雨を告げる漂流団地」ときて、そろそろ新機軸を打ち出していかないと厳しい気がします。いつまでもジブリフォロワー、新海フォロワーでは、ね。

投稿 : 2024/05/25
閲覧 : 124
サンキュー:

3

ネタバレ

たナか さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9
物語 : 3.5 作画 : 4.5 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 3.5 状態:観終わった

インディビジュアリー・ツイステッド

ネトフリオリジナル。何故かR–13。
ジブリ×新海誠のキメラファンタジーインバウンド観光番組。

ボーイミーツガール×ロードムービー×セカイ系メルヘン
コテコテのわかりやすいシンプルさでインバウンドアピールも兼ねた海外向けアニメかなあ。

楽曲・ずとまよではなくベタなアニソンのが似合う気もするが海外人気高いからな。
作画・雰囲気は素晴らしく、歩くだけの作画が特にいい。CG多用も違和感なくグレイト。

もはやジェネリックにすらなり得ないレベルの透き通る味わい。キモくない新海誠的な見た目通りのアニメオタク排斥作品。萌え幼女やイケメン等フェチ記号は皆無。ムチムチも巨乳もロリもツインテも無し!特に不幸でも可哀想でもないのでキャラの魅力ガー!切り取ってミーム化を楽しむ名言ポエムも無し。商売臭が透けて見えるあからさまな聖地化狙い。あまりにもふわっとした舞台設定。うすぼんやりとした無いも同然な道理。こじつけ妄想談義を正面から否定する素直さ。なろうレベルの雑なハイテンポ。もちろん解説キャラなどいない。ここは動画勢のフォロー頼りな甘えも感じる。オタクが観る場合は亜人萌えの特殊性癖持ち、もしくはきららレベルのやさしいせかいがお好きならワンチャン。

新海誠をさらに先鋭化させたロマン主義。つまりスーパーウルトラアルティメットご都合。道すがら出会う人たち全てが聖人君子。古き伝承が新品同様の保存状態で残る街。連絡手段もないまま再開可能な豪運。不仲とは言え機能不全家族とまではいかない程度で特に機能的な生きづらさもなくやや困った程度の主人公ヒイラギ。母を探してなんとやらな鬼っ子女子のつむぎは片親育ちではあるものの、芯の通った真っ直ぐ朗らかな快活さでトラブル時ですら相手を怒らせることもなく初見の相手の懐にもスッとナチュラルに入り込むスーパー処世術を駆使するバイテリティ&メンタリティのハイスペックONI。天邪鬼ってタイトルだが特に誰も拗らせてはいない。正直このタイトルは内容にもマッチしてないし完全に失敗だと思う。

すっきり爽やかで軽やかな透き通る優しい味わい。薄い!軽い!浅い!と言えばそのとおり。だってアニメオタク向けじゃないから。漫画好きから見た怪獣8号、D&D好きから見たダンジョン飯、トールキン好きから見たフリーレンみたいな。低学年層をVチューバーからアニメ市場に取り戻す意図の企画で鬼っ子にしたのかも。

閉じた世界で育ったつむぎが「やさしいせかい」に感動するのは「それでも世界は美しい」ってやつか。つむぎがハイカーストレベルの上級陽キャなのは外部からの干渉を拒絶した弱者パラダイスな鬼の里での集団引きこもり生活による発育環境の賜物か。精神の安寧の基盤である安全地帯が担保された環境で育った子供は健全な発育が期待される発達理論、もしくは片親でも長屋の人情的な保育環境によるおばあちゃん仮説か。でも鬼のまんまなのよねえ、つむぎさん。ここらへんの設定もふんわり。余白!!!!

お里のための贄ってコテコテさもヤシロにいるだけでOKなやさしいせかい。普通死ぬよね。そんで「なんで自分だけやねんズルい!クソが!」って何故今更な謎タイミングで不意にイジけた母親のせいで雪の神が暴走するのもお約束でいいとしても鬼を喰らうってんなら討伐対象になりそう。そんで勝手にお役御免とバックレたら里が破壊されるでもなく場所がバレちゃうってだけ。でも鬼のツノは人間には見えないのでバレたところで迫害も殺害もなし。やさしいせかい。

言いたいことも言えないこんな世の中のポイズンたちはみながみな鬼と化してしまうのか?他の自閉気味な子たちはつむぎのしらないところで孤独に鬼になってたとしたら、いったいどうなってしまうのか?謎は尽きないがおそらく彼らの物語が語られることは今後もないだろう。大人の都合で。エロゲレベルのご都合マッチポンプ感はやはり新海誠リスペクト。

キモくもなく嫌味もない素直な味わいの薄口爽やかメルヘンなので特に嫌いではない。
アニメオタク相手には「観なくていいやつ」って言うかな。情報を求めると何も無い。

投稿 : 2024/05/25
閲覧 : 66
サンキュー:

1

ネムネムサラダ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8
物語 : 3.5 作画 : 4.5 声優 : 4.0 音楽 : 3.5 キャラ : 3.5 状態:観終わった

投稿 : 2024/12/27
閲覧 : 2

Ricky さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8
物語 : 1.5 作画 : 4.5 声優 : 4.0 音楽 : 5.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

投稿 : 2024/11/21
閲覧 : 1

nana さんの感想・評価

★★★★☆ 3.4
物語 : 3.5 作画 : 3.5 声優 : 3.5 音楽 : 3.0 キャラ : 3.5 状態:観終わった

投稿 : 2024/11/19
閲覧 : 2

RX-178 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.5
物語 : 3.0 作画 : 4.0 声優 : 3.5 音楽 : 3.5 キャラ : 3.5 状態:観終わった

投稿 : 2024/11/13
閲覧 : 2

まかろん さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0
物語 : 4.0 作画 : 4.0 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

投稿 : 2024/10/18
閲覧 : 4

アニメガタリ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9
物語 : 4.0 作画 : 4.0 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 3.5 状態:観終わった

投稿 : 2024/08/24
閲覧 : 4

うどん さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8
物語 : 3.5 作画 : 4.0 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 3.5 状態:観終わった

投稿 : 2024/06/07
閲覧 : 7

ニャンキチ君 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9
物語 : 3.5 作画 : 4.0 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

投稿 : 2024/06/05
閲覧 : 12

kunka さんの感想・評価

★★★★☆ 3.5
物語 : 3.0 作画 : 4.0 声優 : 3.5 音楽 : 4.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

投稿 : 2024/06/05
閲覧 : 8

ぽ~か~ふぇいす さんの感想・評価

★★★★☆ 3.3
物語 : 3.5 作画 : 3.0 声優 : 3.5 音楽 : 3.0 キャラ : 3.5 状態:観終わった

投稿 : 2024/06/02
閲覧 : 10

しむらうしろ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.2
物語 : 2.5 作画 : 3.5 声優 : 3.0 音楽 : 4.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

投稿 : 2024/05/29
閲覧 : 10

けみかけ さんの感想・評価

★★★★★ 4.2
物語 : 3.5 作画 : 4.0 声優 : 5.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.5 状態:観終わった

投稿 : 2024/05/26
閲覧 : 10

Acacia さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0
物語 : 2.5 作画 : 4.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 2.5 状態:観終わった

投稿 : 2024/05/25
閲覧 : 10

好きでも嫌いなあまのじゃくのレビュー・感想/評価は、ユーザーの主観的なご意見・ご感想です。 あくまでも一つの参考としてご活用ください。 詳しくはこちら
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好きでも嫌いなあまのじゃくのストーリー・あらすじ

「ペンギン・ハイウェイ」を手がけたアニメスタジオ『スタジオコロリド』による長編第4作。雪が降ったある夏の日、山形県に住む高校1年生の八ッ瀬柊は、頭にツノが生えたの少女・ツムギに出会う。人間の世界に母親を探しに来たというツムギは柊を旅の道連れに……。(アニメ映画『好きでも嫌いなあまのじゃく』のwikipedia・公式サイト等参照)

放送時期・公式基本情報

ジャンル
アニメ映画
放送時期
2024年5月24日

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