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「葬送のフリーレン(TVアニメ動画)」

総合得点
88.9
感想・評価
643
棚に入れた
2080
ランキング
97
★★★★★ 4.2 (643)
物語
4.2
作画
4.3
声優
4.2
音楽
4.2
キャラ
4.2

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葬送のフリーレンの感想・評価はどうでしたか?

ネタバレ

素塔 さんの感想・評価

★★★★★ 4.5
物語 : 4.5 作画 : 5.0 声優 : 4.5 音楽 : 4.0 キャラ : 4.5 状態:観終わった

鏡蓮華 Ⅱ

この物語の深層には「鏡」のイメージが潜んでいる。
こんな仮説を少し前に提示してみたことがあった(私記Ⅲ章参照)。
ただし、飽くまでも実体を伴わない、記号的な意味作用としてであって、
「メタファー」というような明確なものではないのだが、
この記号が孕む意味の志向性に基づいた「アナロジー(類推)」は可能だと思う。
前回に続き、「鏡蓮華」のエピソードを読み解いていきたい。


{netabare}「鏡」には元々、愛の文学的な修辞として用いられてきた伝統がある。
例えば「鏡なす」という枕詞は、通常「見る」に係るものだと説明されているが、
万葉集などの用例では「鏡なすわが見し妹を」といった具合に、多くの場合、
特に情愛の対象に向けて用いられている。
また、ボードレールの「恋人たちの死」という詩の中の《ces miroirs jumeaux》、
直訳すると「双子の鏡」となるが、これはしばしば「合わせ鏡」と意訳される。
これを「鏡なす」と並べてみれば、「鏡」のニュアンスがほぼ明瞭になる。
そこには「互いの心を映し合う」というイメージが込められているようだ。

この《鏡=心》というアナロジーを本作の読解に適用してみる。その場合、
「鏡」が示唆するものは当然、フリーレンの「心」ということになるだろう。


フリーレンという名前はドイツ語の動詞 frieren に由来するようだが、
「冷える・凍える」という通常の意味のほかに、稀に「凍る」という用例もあるらしい。
こじつけのようだが、そこには「鏡」との類縁性も認められるような気がする。
例えば、彼女の凍りついた心の鏡面には、無機的な現象が投影されるばかりで、
他者の心は映らずにいた、といった想定からまずは出発できそうだ。

物語の序盤では、そんなフリーレンの心に生じる「変化」が描かれていく。
フェルンたちとの関係をきっかけに、かつての仲間たちを理解してゆく旅。
相手のことをただ知識として「知る」のではなく、その心を「理解する」。
これはシンクロとフィードバックが繰り返される、再帰的で相互的なプロセスであり、
その鏡像的な媒介の構造にはどこか「合わせ鏡」を思わせるものがある。


「鏡蓮華」のエピソードも一応はその一環に位置づけられるだろう。
かつてフリーレンがヒンメルから贈られた、鏡蓮華の意匠を施した指輪。
その花言葉は「久遠の愛情」。そしてそれは「恋人に贈るもの」だという。

旅パートの回想シーンは、過去の出来事をフラットに語るものではなく、
フリーレンの心のスクリーンに映し出された記憶の再現である。
したがってそこには見えない形で、彼女の現在の心情が投影されているはずで、
前稿で「共時的な現在」などと呼んだものがそこには現前している。
それを通して私たちは、フリーレンの「内面」に立ち会っているのである。
鏡蓮華の意匠に託されたヒンメルの「心」も、確かにそこに映し出されている。

だがそこにはまた、払拭し得ない悔恨の影が射しかけているのではないか?
「心」を理解できても、それはどこまでも事後的な"気づき"に過ぎない。
アウラが残酷に言い放ったように、「ヒンメルはもういない」のである。・・・
しかし、逆説的だが、二人の関係性の本質はむしろこのタイムラグにあると自分は考える。
一方の不在と理解の遅延。これらは普通ならば致命的なものだ。が、本作の場合は
それを克服する深層のメカニズムが物語に内在しているのである。


以前自分は、こんな推論を試みたことがあった(Ⅳ章参照)。
「彼女の旅の本当の「目的」は、ヒンメルと交わした「約束」を果たすこと、
すなわちヒンメルたちの記憶を未来に連れていくことだった」、というものだ。
「僕たちの記憶は、彼女が未来に連れていってくれる。そうだろう?」
このヒンメルからの委託に応え、フリーレンは在りし日の彼らの記憶をたどる旅をする。
それを踏まえて、旅パートを彼らの「約束の物語」と捉える解釈を提示したのだが、
この理解をもう一歩、推し進めてみたい。


自分の仮定説を端的に言うと、フリーレンのこの「約束」に対置されるような
もう一つの「約束」を、物語の中に読み取ることができるのではないか、
そしてそれこそが、ヒンメルの銅像の「意味」なのではないか、というものである。

基本的にヒンメルの像は、本作における「記憶」のテーマを体現するものと言える。
例えば第3話Aパートのラスト、フリーレンが旅の目的についてこう語っている、
「できる限りはヒンメルたちとの冒険の痕跡をたどっていきたいかな。風化する前にね。」
このセリフに第2話の、メンテナンスを終えた銅像の映像が重ねられることから、
明らかに彼の像は、風化から守るべき「記憶」の象徴であることがわかる。

その一方で彼には、自分の記憶を残すことよりもさらに大切な目的があった。
第7話Aパート。銅像制作にまつわる回想シーンで、フリーレンがヒンメルに
なぜ自分の像を残そうとするのか、と尋ねる。その問いに対してまずは
「みんなに覚えていてほしいと思ってね。」と答えたあと、すぐに続けて彼はこう言った、

「でも一番の理由は、君が未来で一人ぼっちにならないようにするためかな…。」

ヒンメルにとって、記憶されることよりも重要なのはフリーレンのことだった。
自分がいない「未来」に、フリーレンには果てしない孤独の時間が残されている。
その「未来」でも共にあり続けようとする意思が、彼に像を作らせていたのだ。
フリーレンが旅の先々で出会う銅像は、そのヒンメルの"想い"を具現化したものだった。

本稿のⅢ章で自分は、第2クールの内容に絡めた旅パートの解釈として、
「フリーレンの現在の旅はかつての旅の"不完全な複製体"である」という見方を示したが、
あらためてその着想をここで敷衍することができるように思う。
ヒンメルの銅像とはまさしく、失われた「オリジナル」の「複製」に他ならない。
だが、その複製体(銅像)を通してなお、フリーレンへの想いは生き続けている。
そしてフリーレンは、失われた「オリジナル」を求める「複製」の旅の中で、
彼女もまた、複製体(旅)を通してヒンメルの「心」を知ろうと願い続けている。

つまり旅パートの風景の中には、フリーレンとヒンメル、それぞれの相手への想いが
銅像や旅といった具体的な形姿となって可視化されているのである。
銅像に込められたヒンメルの想いは、フリーレン本人の前で言葉にされたとき、
彼女への「約束」となった、と自分は考えている。もしそうだとすれば、そこにはまた
二つの「約束」が「合わせ鏡」のように向かい合う構図が見出されるのである。
この「対称性」こそが、旅パートの本質を表現していると言ってよいのではないか。


先に書いた、物語に内在する「深層のメカニズム」とは、
旅パートの固有の構造(=共時性)と一体となった、主人公二人のこの関係性を指している。
物語の表層に横たわる時間の"断層"はこうして「約束の物語」の中に解消され、
《時間—死》という物質的な限界を超克した、比類のない壮大なロマンスが成立する。

本稿Ⅳ章で取り上げたヒンメルとフォル爺の対話の中には、こんな言葉があった、

「でもきっとその人は、
 あなたが約束を守ってくれていることをうれしく思っているはずだ。」

ヒンメルはフォル爺の亡き妻に自分を重ね合わせて、その気持ちを言葉にしている。
そこではフリーレンが「死者との約束」を守り続ける存在に変換されていて、
したがってこの言葉には「未来」のフリーレンへの感謝が、先取りで表明されているのだ。
だから銅像は決して無言ではなく、旅の途中で再会するたび、彼女に喜びを伝えているのである。

このように、物語の深層において二人の「久遠の愛情」はすでに成就している。
その事実を花言葉と指輪に託しながら、刹那の場景の中に永遠のように結晶させたもの。
それが「鏡蓮華」のストーリーなのだと思う。{/netabare}


以上、やや遠回りしながら「鏡蓮華」を我流に読み解いてみた。
いつもながら深読みが過ぎて、何やら創作ストーリーのようでもあり、
当方の恋愛脳(笑)のせいで、幾分かロマンス成分多めの解釈になってしまったが、
一応はこの作品の複層的な読解を試みたつもりである。ご理解いただければと思う。


 「フリーレン私記」

{netabare}Ⅰ 蒼月草と青い魔法

{netabare}今季覇権の最有力候補とされるだけあって、さすがに充実している。
独特の坦々としたリズムで運ばれていく、ヒューマンな感情が濃厚に織り込まれた物語を
虚心に味わうことのできる、抜群の安定感と完成度である。
原作の世界を過不足なく再現することが基本コンセプトのようだが、
自分がたまたま気づいた、アニメ独自の創意が認められる部分について書こうと思う。

アニメの第2話Bパート。原作では第3話「蒼月草」。
とりわけ色彩の効果には、並々ならぬ力の入れ具合が感じられた。
紅葉した深秋の森と、蒼月草のコバルトブルーの鮮やかな対比が実に印象的だ、
勿論、原作には色はついていないわけで、アニメの強みを生かした
視覚的なインパクトを狙ったというような、単純な理由だけでもなさそうだ。

アニメでは原作にはない魔法が一つ追加されているのである。
足跡を魔法で浮き上がらせるというもので、こちらもサファイアのような青色になる。
そしてこのとき、杖の魔法石(?)がいつもの赤色から青色に変わっている。

ここに気づいたとき、いつもの如く我流の深読みを触発されてしまった。
と言うのも、初回四話をまとめて観た直後に勢いあまって原作の既刊分を一気に通読し、
抽出してみたシェーマに、この演出がぴたりと嵌まっているように感じられたからである。
以下には要旨だけをメモ風に記しておく。


「葬送のフリーレン」。

このタイトルに二重の意味があることを、原作既読の方はすでにご存知だろう。

作品全体を俯瞰したとき、そこに認められる二つのフェーズ、すなわち、「闘争」と「平和」。
これら二つのベクトルの二面性を、このタイトルが表しているものとまずは仮定したい。

今話のエピソードには、このシェーマが分有されていると考えられる。
一方の「平和」は表層に、他方の「闘争」は深層部から、予見的に読み取ることができる。

エピソードの中心となるのはフリーレンの「花畑を出す魔法」である。
その場面。勇者パーティーが佇んでいる場所は、戦いで無残に破壊された聖堂。
フリーレンの魔法によって、荒廃した堂内も周囲も一面に花で覆いつくされ、
歓喜した一同は子供のように無邪気に花々と戯れる。

実はここには、アニメオリジナルの演出がある。
原作では魔法で花畑に変わるのは、何もない荒地のような場所だった。
したがって、ここに一つの創意が加えられていること、
その意図が明らかに「平和」への願望を表現するものであること、
つまり、この演出には一つの解釈が含まれているということ、などが解る。
解釈とはフリーレンの魔法について、さらに具体的には「花畑を出す魔法」についてである。

そもそも今話で語られている蒼月草のエピソードには、
単にヒンメルにまつわる思い出話にとどまらずに、
フリーレンの魔法の本質を示唆する、極めて重要な内容が含まれているのである。

フェルンとの対話を順を追って引用する。

  フリーレン様は本当に魔法がお好きなのですね。
  ほどほどだよ。フェルンと同じで。
  少し違うような気がします。
  同じだよ。

 (蒼月草の花を咲かせる魔法は)ヒンメル様のためですか?
  いや、きっと自分のためだ。

  フリーレンさまは何故、魔法を集めているのですか?
  (・・・・・)
  私の集めた魔法を褒めてくれた馬鹿がいた。それだけだよ。
  くだらない理由ですね。
  そうだね。

この「そうだね」の時に見せたフリーレンの含みのある表情を、アニメではさらに強調していて、
「くだらない」にこめられたアイロニカルなニュアンスを示そうとしている。これも解釈の一環である。
(あまり使われない言葉だが、「韜晦」というのがしっくりくる気がする。)

ここで暗示的にほのめかされた事実がはっきりと明示されるのは、先取りになるが、
原作3巻の21、22話。そしてこの21、22話こそは、物語の核心となる最重要部分である。
そして、フリーレンの魔法が孕む「闘争」の契機を見出せるのはまさしくそこなのだ。

フリーレンの魔法に関わる隠された真実が明らかになる。(原作未読の方は要注意。)

一千年の間、一瞬の休みもなく、彼女は
魔族を欺き殺すのための魔法の修練を行い、「復讐のための魔法」を鍛えつづけている。

それこそが「闘争」の魔法に他ならない。

その常軌を逸した、異常なまでの執念に触れたとき、
われわれははじめて、彼女が生きてきた千年という時間の生々しい手応えを感じとる。
同時に、このキャラクターの実存の深淵を垣間見た思いがするのだ。

"くだらない"魔法への彼女の執着は、この秘密を踏まえてはじめて理解される。
すなわち、"くだらない"魔法とは、「闘争の魔法」の対極にある、「平和の魔法」のことなのだ。

フェルンに語ったように、彼女が魔法を収集する最大の動機が
"くだらない"魔法を褒めてくれた「馬鹿」たちとの思い出だったとしても、同時に、
この極限的な緊張から生じる反動が、それを求めさせているのだろうと考えずにはいられない。
「きっと自分のためだ」という言葉は、そのことを言っているのではないだろうか。

魔法は「ほどほど」に好き、という抑えた表現にも、この外部からは見えない背景に絡んだ、
魔法に対するアンビバレンツな、複雑な心情が滲んでいると見ることができる。

だから、「花畑を出す魔法」とはまさに、求められた「平和の魔法」の精髄なのである。
そして、この解釈を踏まえて演出家は、「平和」のシンボルカラーとしての青色を
このエピソードの全体に散りばめたのだろうと思う。

今話に限ってなら、「平和の魔法」は「青い魔法」とも言い換えられるだろう。
それはフリーレンにとってもフェルンにとっても、純粋に、心から愛すべき魔法のことでもある。
フリーレンの言葉をきっかけにフェルンが思い出す、ハイターとともに見た幻の蝶の飛翔も
やはり透明で幻想的な青色をしていた。

因みに「花畑を出す魔法」は、22話に再び登場する。と言うより、そこでその原点が語られる。
それは本作の「葬送」のモチーフの一変奏であり、その最も美しい結晶でもある。


要するに、第2話Bパートの演出は、色彩を用いたシンボリズムによって
作品の本質を表象しようとしたのではないか、ということを言いたかったのである。

序盤で示された時間、および死をめぐるテーマ性が縦糸であるとすれば、
ここで導入される闘争―平和のシェーマは、ストーリーを織り成していく横糸と言えるかも知れない。
この解釈の当否はさておき、遠からずアニメでもタイトルのもう一つの意味が明らかになり、
そこを転換点として物語は第二の「闘争」のフェーズに突入することになる。{/netabare}


Ⅱ 花畑を出す魔法

{netabare}クール終盤あたりから徐々に興味が減退し、第二クールに入ると視聴も滞りがちになった。
巷では大いに喝采を博したバトルなども、ただただ辟易するばかりだったのだが、
何とか最終話まで完走し、テーマの最終的な帰着点を確認できたのは幸いだった。
前章で抽出した「闘争―平和」のテーマが"回収"される過程として、以下に辿ってみたい。


今回、鍵となるのは最終二話のゼーリエである。
ここでも演出に着目しながら、第27話終盤の場面から繙いてみる。

最終試験の試験官として、フリーレンと対峙するゼーリエ。
この二人の対面シーンは明らかに「対決」の様相を呈したものになっている。
ゼーリエの挑発をフリーレンは淡々と受け流しつづける。
まずはこの対話中に挿入される花のカットを注視していきたい。

六枚の花弁のある白い花。それは明らかにフランメの墓を包む花畑に咲いていた花である。
したがってほぼ確実に、フランメを暗示するメタファーと捉えることができるだろう。
このメタファーがさらに象徴的に深化する過程を、少々細かくなるが跡づけていく。

フェルンがゼーリエの面接を受けている場面を見てみよう。
彼女の魔力の揺らぎを見破ったフェルンにゼーリエは弟子入りを促す。
その場面でほんの一瞬だけ、水に散った白い花びらのカットが挿入される。
勿論、例のフランメの花なのだが、ラストでまた意味ありげに映されている。
同じ演出が回をまたいで、デンケンとの面接にまで引き継がれていることを考え併せると、
おそらくこのイメージは、老い、衰え、散ってゆくいのちの儚さ、
つまりは人間の生の短さを花に託して暗示するもののようである。

人間のいのちの儚さを薄命な花に重ね合わせること。これはまさしく
神話の時代から何千年もの間、使い古されてきた超絶ベタなメタファーであって、
だからこれを指摘しただけでは何も言ったことにはならない。
重要なのはこのイメージがある「心象」を表現していることである。
「心象」とは文字通り、「心」の「象(かたど)り」。具体物に託して表象される心の在り様。

では、それは誰の「心」なのか?・・・言うまでもなく、ゼーリエの心である。

さらに注意を研ぎ澄ませて、ふたたびフェルンとの場面を凝視してみる。
すると、花びらが映る直前、フェルンに向けられたゼーリエの眼差しが一瞬捉えられている。
この流れを自分なりに解釈すると、おそらく彼女が弟子をもつ度に経験してきた死別の哀しみが、
フェルンを見て一瞬、予感のように心をよぎった・・・そんな風に自分には思われた。

つまり、ここでの花びらもゼーリエの内面に抱かれた「心象」であり、
人間の「儚さ」のメタファーであると見て間違いはないと考えられる。さらに言えば、
最終話で彼女は、水面に浮かぶ花びらを足ですくったり、指につまんで吹き飛ばしたりしているが、
この仕草には、常に弟子たちに先立たれる者の虚しさ、やり切れなさが表れているようで、
ややくどいくらいに、演出面でこの心理を強調しようとしている節がある。

ここまでのイメージの読み解きから明示される事実を整理しておく。

あらためて出発点に立ち戻ってみると、本作の基本となるキャラクター設定、すなわち
「千年生きてきたエルフ」という設定は、必然的に物語に二つの視点を導き入れるものだ。
一つは、エルフ視点で見たときの人間の「儚さ」。
そして反対に、人間視点で見たときのエルフの「孤独」。

勿論、物語の冒頭から主人公たるフリーレンがそれを体現しているわけだが、
最終盤でさらに尖鋭に、この両者を同時に我々に示して見せたのが
彼女と対峙したゼーリエの方だったという事実。これは自分にはかなり衝撃的なものだった。
ゼーリエとフリーレンとが実はパラレルな関係にあること、
いわば「葬送のゼーリエ」としてのその像が鮮烈に印象に刻み込まれた結果、
作品全体の基調音となる「葬送」のモチーフが実感的に把握できるようになったのである。


ただ、自分の感覚ではこれはテーマというより、テーマ風のモチーフであって、
作品のパッケージとなる設定、ないしはコンセプトとでも呼ぶ方が適当な気がする。
自分の関心はさらにもう一歩踏み込んだところにテーマを見出すことにある。
このシーンが重要なのは、そのいわば「テーマ回収」が実行されているためであって、
その核心となるのがゼーリエ、そして「花畑を出す魔法」なのである。

最終話でフリーレンがレルネンに語ったところによると、
二人の対話の最終局面にはこんなやり取りがあったらしい。
退出する間際、フリーレンはゼーリエにこう問いかける、

  この花畑、魔法で作られたものだ。・・・
  先生が好きだった魔法だ。くだらない魔法だって言っていなかったっけ?

この皮肉に対して、意外にもゼーリエは自分の想いを率直に語り始めるのだ。

  ・・・フリーレン、なぜかわたしは弟子をとって後悔したことは一度もないんだ。

二人がいる広壮な屋内庭園。そこはフランメが好きだった魔法で作られた花畑だった。
その一隅には彼女の思い出に結びつく例の白い花も咲き混じっている。そしてその場所が、
花々を眺めながら、亡き弟子たち一人一人の在りし日の姿を思い返し、
彼らの短かった生に思いを馳せる、そんな追憶の場所であることが彼女の言葉からは窺える。

これがゼーリエの「葬送」のかたちであったとするなら、
この、本人いわく"くだらない"魔法に対するゼーリエの態度の中に、
「闘争ー平和」のテーマの最終的な決着が示されていると見てよいのではないか。
すなわち「葬送」を媒介にした「闘争ー平和」という対立の構図の止揚である。

Ⅰ章で自分はこんな解釈を提示してみた、

  "くだらない"魔法とは、「闘争の魔法」の対極にある、「平和の魔法」のことなのだ。
 「花畑を出す魔法」とはまさに、求められた「平和の魔法」の精髄なのである。

つまり、「闘争」の権化のようなゼーリエの内部に、平和への希求が潜んでいるという事実。
ここに魔法パートを底流する包括的なテーマが読み取れるのではないだろうか。

この理解によって、魔法パートの物語を"内在的に"俯瞰する視点が確保される。
そしてそれは取りも直さず、本作におけるテーマの内在性を示すものでもある。
シンボルとしての「花畑を出す魔法」を中軸に描き出されるのは、
ゼーリエ、フランメ、フリーレン、フェルンの四代にわたる「師弟の物語」である。

いま、フリーレンの弟子フェルンによって「人間の時代」の扉が開かれようとしている。
それはフランメの願いがフリーレンを介してフェルンに託されたことを意味している。
ひそやかに紡がれる「平和の魔法」の系譜、それこそが魔法パートの物語の核心であり、
平和の希求のテーマは。最終話のゼーリエに至ってその円環を完結させるのである。

単なるストーリーの伏線回収よりもさらに高度で、さらにスケールの大きな
いわば「テーマ回収」のプロセスを経て、この物語ははじめてその全容を現すもののようだ。
すなわち、四人の大魔法使いの群像による、千年に及ぶ壮大な人類魔法史である。


これもやはり対話の中で明らかになるのだが、
「花畑を出す魔法」にはもう一つ、作中における重要な機能がある。
フリーレンがゼーリエに語った、ヒンメルとの出会いにまつわるエピソード。その内容は
ヒンメルがまだ少年だった頃にすでに一度、偶然フリーレンと出会ったことがあり、
そのとき見たこの魔法が、のちにフリーレンを仲間に選んだ理由だった、というもの。

  きっとこれはただの偶然に過ぎないことだけれども、
  ヒンメルたちと出会わせてくれたのは
  先生が教えてくれたくだらない魔法だよ。

・・・ヒンメルとの出会いは彼女にとって運命の分岐点となるものだった。
そしてその直接の契機となったのがこの魔法だったのだ。
さらにそれはまた、魔法パートから旅パートへの分岐点を意味している。


例えばこのエピソードを、第2話の伏線の回収と見なしてみる。
Ⅰ章で指摘したように、第2話の花畑のシーンはテーマ寄りに解釈できるものだが、
この魔法がヒンメルにとって特別なものであった理由が遡って明らかにされることで、
このシーンの彼の心情、特にフリーレンに示した態度に奥行きが加わるのである。
同じようにフリーレンについても、この旅立ちの"前史"を踏まえることによって、
より深くその内面を理解することができるようになるのではないだろうか。

前にも引用したフェルンとの会話、

  フリーレンさまは何故、魔法を集めているのですか?
  私の集めた魔法を褒めてくれた馬鹿がいた。それだけだよ。
  くだらない理由ですね。
  そうだね。

Ⅰ章では「過去」に遡りつつ、彼女にとっての魔法の意味を導き出したのだが、
ここでは視点を「魔法を褒めてくれた馬鹿」、すなわちヒンメルや仲間たちの存在に移すことで、
彼女の「いま」がより鮮明に実感できるようになる。
それは同時に、フリーレンにとっての旅の本質を理解することにつながる。
仲間との旅は彼女を人間へ向かわせるベクトルを内包していた。
人間の時間に踏み入ることで、永遠のような孤独な時間から彼女は解放されたのである。
おそらくそれは、魔王を倒したこと以上に価値のあることだったのではないか。

仲間との出会いによってもたらされたフリーレンの「現在」。
この「いま」を読み解くこと、それが旅パートを理解することなのではないか。

最後に一つ指摘しておきたいのだが、実に興味深いことに、
旅パートを構成する時間の内部に、魔法パートの時間軸を構成する契機が存在している。
・・・そう、フェルンである。フランメの後継者として、やがて人間の時代を到来させるだろう彼女は、
まさしく魔法史の「未来」を具現する存在なのである。
その意味で、はるか後のフェルンとの出会いにつながる、出発の契機としての花畑の魔法は、
作品全体のいわば「原点」であり、旅と魔法を"架橋"する結節点なのである。


以上から、この作品の本質的な構造性が確認できたと思う。

 序盤で示された時間、および死をめぐるテーマ性が縦糸であるとすれば、
 ここで導入される闘争ー平和のシェーマは、
 ストーリーを織り成していく横糸と言えるかも知れない。

序盤の段階で提示したこの仮説はもちろん不完全なものだったが、
着眼点と推論の方向性に関しては、概ね妥当だったと言ってよさそうである。

魔法パートが内包するフリーレンの過去、および魔法の系譜を横の時間軸とすると、
旅パートはこの軸に縦に交差する固有の時間性を有したフェーズであり、
その交差する一点が、ストーリー線上の「現在」なのである。

この「現在」の背後には、数千年にわたる魔法をめぐる闘争史が潜んでいるわけで、
本作をトータルに見るためには、この構造面を複眼的に捉えるアプローチが必要になる。
(あるいは私たち視聴者は暗黙裡にこの複眼的な観方を強いられていて、その結果、
この作品に漠然と「深さ」を感じ取っているのかも知れない…。)

そして、これはそのままこのヒロインの理解についても言えることなのだ。
魔法パートのフリーレンと旅パートのフリーレン。双方の時間が複層的に重なり合う中に、
彼女の生きた軌跡が紡がれ、内面が投影される。
前に試みたような尋常一様の心理的アプローチでは到達し得ない局面である。{/netabare}


Ⅲ 鏡像

{netabare}魔法パートに引き続いて、旅パートの読解を試みようと思う。が、
まずはかなり突飛な着想に即した解釈になっていることを最初にお断りしておく。
尋常のアプローチが行き詰って考えあぐねていたとき、ふと気づいたのが、
「対照(コントラスト)」と「対称(シンメトリー)」というシェーマだった。

Ⅱ章で述べたように、ゼーリエが「葬送のゼーリエ」となることによって、
フリーレンとの対比関係がこれまでの「対照性」から「対称性」に移行する。
表層の「対照」の奥に、より本質的な「対称」が潜む構造が認められるのである。

旅パートはまさしく、この構造に基いている。
過去と現在、フリーレンの二つの旅がパラレルに並行するストーリー。
しかも、同じルートを辿り直すという相似的な対称性をも示している。

この着眼から出発して、対称性を生み出すメカニズムについての推論を試みた。
まずは抽象的なシェーマを具象的なイメージに変換し、
イマジネーションの磁場を形成しつつ物語を主導する「力学」を読み解いてみる。


アニメ第2クールの一級魔法使い試験編。
一次試験を通過した受験者は、二次試験の舞台となった「零落の王墓」で、
自分たちの完璧な複製体に遭遇し、バトルを繰り広げる。
迷宮の最奥に潜み、複製体を創り出して侵入者を排除するこの魔物の名は
「水鏡の悪魔(シュピーゲル)」という。

・・・そう、「鏡」なのである。
鏡とはまさしく、光学的なメカニズムを用いて「対称性」を現出させる装置に他ならない。
「水鏡の悪魔」という魔物の名前から類推すれば、複製体の正体は「鏡像」である。
あたかも迷宮に潜む魔物のように、物語の深層に原型的な「鏡」のイメージが潜在し、
その作用によって「鏡像」が生み出される。それが本作の対称性の本質なのではないか?
自分にはそんな風に思えたのである。

とは言え、"物証"となるような「鏡」の実物は作中には見出されない。
だがむしろ、そのことが逆に事の本質を示唆していると自分は考える。
重要なのは本作の「鏡」が、象徴性をはらんだ"名辞"としてのみ現れることである。
言語学で言うところの「シニフィエ」ではなく「シニフィアン」としての機能であり、
テクスト論の概念を用いれば、要するにそれは「記号」なのだ。

深層のイメージとしての「鏡」は、対称性を生み出す記号的な機能を担いつつ、
物語空間の内部に固有のイメージの連鎖を形成してゆく。具体例としては、
第5話に登場する、親しい死者の生前の姿を模倣して幻惑する「幻影鬼」という魔物。
あるいはリーニエが用いた、過去に記憶した相手の魔力を真似るという「模倣する魔法」。
そして、これらに反復される「模倣・転写」のイメージは、より包括的な「本体―複製」、
すなわち「オリジナル―コピー」という関係式に還元できることに注意したい。

自分が試みたいのは、この着想を旅パートの解釈に応用してみるというものだ。
思い切って次のような仮説を提起してみよう。すなわち、
フリーレンの現在の旅は、かつての旅の「鏡像」であり、「複製体」である。
つまり「オリジナル」に対する「コピー」である、というもの。

二つの旅の目的地は同一であり、ほぼ同じルートを辿り直す旅である。
このシンプルな再現性に加えて、同行する旅仲間にもコピー的な要素がある。
かつてのパーティーの代替要員として、ハイターにはフェルン、
アイゼンにはシュタルクが、オリジナルの空席を埋めるかたちで充当されている。
(この点に関しては、すでにnyaroさんがレビューで指摘されている。)

ここで際立つのがヒンメルの「不在」である。
ヒンメルの「代替」だけが欠落しているという事実が意味するもの、それは、
ヒンメルという存在が代替不可能な、"絶対的な"オリジナルであるということだ。
その意味で、現在の旅は"不完全な"複製体と見なせるのである。

フリーレンの旅の意味とは、ヒンメルという"オリジナル"が失われたあと、
かつての仲間の"コピー"(フェルンとシュタルク)を通じて"オリジナル"へ遡ることである。
クール序盤のフェルンとの旅の情景はそのことをはっきりと示している。
二人の日常にかつての旅の回想が交錯し、そこに新たな気づきが生まれることで、
二人の距離が徐々に縮まり、心を通わせていくといったエピソード群には確かに、
「人間(=ヒンメル)を知る」というプロセスが表現されていたと思う。

「魂の眠る地」に赴いてヒンメルと再会するという旅の目的もまた、
この欠落を補完しようとする、物語の深層の力学に導かれていると言えるだろう。


上記の推論は、次の三点に要約できる。
1 この物語の深層には「鏡」のイメージが潜んでいる。
2 フリーレンの現在の旅は、ヒンメルという"オリジナル"を求める旅である。
3 したがってそれは、かつての旅の"不完全な"複製体である。

以上が旅パートの組成についての我流の理解になる。
ここを踏まえたとき、本作の回想シーンの機能はこんな風に説明できるだろう。
すなわちそれは、オリジナルに関する記憶の管理者であるフリーレンが、
コピーされた旅の中でその記憶を再現し、更新してゆくプロセスである、と。
そこにオリジナルへの渇望と、再会の願いを読み取ることができるのではないだろうか。{/netabare}


Ⅳ 死者との約束

{netabare}以前に何回か書いた事なのだが、自分がアニメ初回でいきなり躓いた話をまた蒸し返す。
物語の出発点となるヒンメルの葬送の場面でのフリーレンの反応が腑に落ちず、
ずっと拘ってきた"不審点"について、ここであらためて考えてみたい。

 「私、この人の事を何も知らない。」
 「なんでもっと知ろうと思わなかったんだろう…。」

このときの彼女の心情に同化することを妨げているのは、おそらく
「知る」ことにこだわる背景が欠落しているために今一つ実感が湧かず、
そこから「私はもっと人間を知ろうと思う」への脈絡にも飛躍が感じられるせいだ。
自分にはどうしても、この内面の描出には不備があるように思われてならなかった。

そもそも「人間を知る」という旅の「目的」がどうも皮相な気がして、
その奥に内面的な「動機」を考えてみたりもしたが、結局うまくいかなかった。
だから今回、その「目的」の背後にある本来の「目的」に気がついたことは、
個人的には "Eureka!"と叫びたくなるような発見だったのである。


第16話の「長寿友達」。フリーレンが旧友のフォル爺を訪ねる。
最初に彼と出会ったのはヒンメルたちとの旅の途中で、その折の情景が回想される。
その中で彼はこんな告白をしている。

 「わしは妻の愛した村を守っているだけだ。」
 「わしは遠い昔に交わした約束を果たしているに過ぎん。」
 「滑稽な話だろう。わしはずっと、死者との約束を守っている。」

フォル爺は数百年間村を守り続け、今ではその理由を知る村人はいない。
たまたま村に立ち寄ったヒンメル一行を相手に、心に保ち続ける想いを打ち明ける。
そんな彼に向けたヒンメルの言葉、

 「でもきっとその人は、
  あなたが約束を守ってくれていることをうれしく思っているはずだ。」

こうしたセリフは、勿論、そのままでも響くものなのだが、
キャラクターの内面にまで踏み込むには幾らかの操作が必要になってくる。
ここでは例のシェーマを応用して掘り下げてみたい。

このエピソードの主要人物の布置を整理すると、
人間と長命種との「対照」を具現する二組のペアが「対称」を示している構図である。
片やフォル爺夫婦、片やフリーレン・ヒンメルペア。 
つまりヒンメルはフォル爺の妻の心を代弁できるポジションにいるわけで、
実際、彼女の気持ちを言葉にしながら、同時にその言葉に重ねるかたちで
自らの心情を表明していると見ることができるのではないか。

次の展開から彼の心情を推測することができる。
ヒンメルの態度に感銘を受けたフォル爺は、勇者ヒンメルの記憶を自分が未来に連れていこう、
そう申し出る。それに対してヒンメルが応える、

 「僕たちの記憶は、彼女が未来に連れていってくれる。そうだろう?」

フリーレンの返事は、

 「別にいいけど…。」

このさりげないやり取りは軽く見過ごされそうだが、実は重要な意味を秘めている。
このとき、二人の間で「約束」が交わされているのである。

フォル爺夫婦のパターンが相似的に反復されていると捉えてみよう。
先立って逝く者が託した願いを、残された者が守り続けていく。
たとえ言葉で交わしたものでなかったとしても、
この両者の間には無言の「約束」が成立していると考えていいのではないか。
だからこの場面で、ヒンメルから託された未来をフリーレンが受諾したことによって、
彼女もまた、フォル爺と同じポジションに立ったのであり、
「死者との約束を守る者」という役割を担ったと考えられるのである。

フォル爺と言葉を交わすあいだ、ヒンメルの心の中にはおそらく、
自分が生を終えたあとの未来が思い描かれていて、
その中には自分という「死者」との約束を守るフリーレンの姿があったのだと思う。


旅の本来の「目的」に気づいたと言ったのは、この「約束」のことなのだ。
初回のシーンでのフリーレンの内面を、仮にこのように想像してみたい。

いま、生涯を終えて眠りについたヒンメルを前にして、彼女がもしも、
かつてヒンメルと交わしたこの「約束」のことを思い出したとしたら、どうだろうか。

ヒンメルが逝き、彼らの「記憶を未来に連れていく」べき時になって、
自分の中に残された記憶があまりにも乏しいことにまずは驚き
(「私、この人の事を何も知らない」)、
もはや知ることが叶わなくなったことへの悔恨がこみ上げる
(「なんでもっと知ろうと思わなかったんだろう…」)。
この心理プロセスから、彼女が流した涙の意味が迫真的に立ちあがってくる。

「私はもっと人間を知ろうと思う」。
この言葉もまた、同じ心理プロセスの延長上に置いて理解するべきだと考える。
今となっては最早、ヒンメルのことを直接知ることは叶わない。が、
それでもなお「死者との約束を守る者」であるためには、たとえ間接的にでも、
「人間」というもの全般への理解をとおして、今からでも彼のことを知りたいと願う、
切実な心の衝迫がこめられているのだと思う。
ヒンメルの死をきっかけに人間への関心が目覚めた、といった理解でも問題はないが、
個人的には月並過ぎて面白くないのである。

彼女の旅の本当の「目的」は、ヒンメルと交わした「約束」を果たすこと、
すなわちヒンメルたちの記憶を未来に連れていくことだったと自分は考えたい。
それは、前章で提示した「ヒンメルという"オリジナル"を求める旅」という文脈に即して
物語を読み替えることであり、そこにもう一つのフェーズが浮かび上がってくる。
フリーレンとヒンメル、この二人を主人公とした、いわば「約束の物語」とでも呼べるものが。

あるいはこんな穿った見方も可能だろう。
本作の旅パート、いや、この作品そのものがメタレベルの「約束の物語」である、と。
回想シーンはヒンメルたちの記憶を「今・ここ」に甦らせ、伝えてゆく回路になっている。
そこに、記憶を未来に連れていくというヒンメルとの約束が実現しているわけである。 
そして、そこには私たち視聴者も立ち会っているのだ。


以上の推論は、コアモチーフである「死者との約束」を介して、
テーマがストーリーに「肉化(incarnation)」される局面を捉える試みだったのだが、
さらに、本作における「記憶」が内包している固有の意味を直接、問題にしてみたい。
そこには「記憶」と「実在」をめぐる独自の思想が含まれているように思えるのだ。

この"思想"は一つのエピソードに端的に集約されている。
第2話、フェルンとハイターとの出会いの場面である。

戦禍によって両親を失った幼いフェルンが、後を追おうと崖の突端に立ちつくしている。
ハイターは無理に制止するでもなく、ただ淡々と亡き友ヒンメルへの想いを語る。
彼から学んだ勇気や意志や友情も、大切な思い出も、すべてが自分の死によって
この世から消え去ってしまう。それが惜しい。・・・などと彼女に説いて聞かせる。

 「あなたの中にも大切な思い出があるとすれば、
  死ぬのはもったいないと思います。」

ハイターの言葉を意訳してみるとこんな感じになるだろうか。
・・・もしも自分が生き続ければ、大切な死者の記憶を未来に連れていくことができる。
そうすることで死者は、親しい生者の内部で第二の生を生きられるのではないか。・・・
つまりそれは「記憶」が「実在」となるという意味ではないだろうか。

 「お伽話じゃない。僕たちはたしかに実在したんだ。」

第7話のヒンメルの言葉はこの思想をはっきりと表明するものだ。
ここに揺るぎない確信として宣言されているのは、
記憶が歳月による風化に抗い、忘却に打ち克って生き続けるものだということ。
そしておそらくは、フリーレンと交わしたあの「約束」のこと。

思うに、死者を「忘れない」ということは、
そのことがすでに彼らとの「約束」を果していることになるのではないだろうか。
「記憶」とは一人の人間が実在した証しであるとともに、
彼らと残された者たちとをつなぐ、決して失われることのない回路なのではないか?

本作の「葬送」の意味は一義的には捉えられない複雑さを帯びているものの、
「死者との約束」に収斂させる理解は少なくとも、核心に近いものだと思える。
先立って逝く者と、あとに残る者とが相互に抱く、絶えることのない愛情と信頼。
そうした人間的な感情の精髄を含意した、一つの「思想」がそこに認めらるのではないか。{/netabare}


Ⅴ 旅と魔法

{netabare}本作は「旅」と「魔法」、二つのパートから成り立っていると自分は考える。
本稿が前提としているこの分割が妥当か否かは、各位に判断していただく他ないが、
この機会に頭の中を整理して揉みほぐすという意味も兼ねて、
これまでの推論を概観しつつ、少しばかり補足説明を付け加えていきたい。


初回の投稿から、すでに自分の関心はテーマの所在に向かっていた(Ⅰ章参照)。
その中で試みたイメージの読み解きから、テーマ(らしきもの)が浮かび上がり、
最終的には物語のクライマックスにおいて回収されていることが確認できた(Ⅱ章参照)。
こうして確定したテーマをめぐる一連のストーリーの流れを一つの総体と見なし、
それを魔法パートと称しているわけである。

旅パートに関しては、本作が旅アニメだという事実だけでも充分だろう。
ただし、本作独特のテイストを言語化するには、かなり複雑な操作が必要になってくる。
自分の試みは、魔法パートの読解で抽出したシェーマをイメージに変換し(Ⅲ章参照)、
それを用いて旅パートの深層部分を読み解こうというものだが、上記のとおり、
本格的な作業を始める地点で立ち止まってしまっている現状である。


・・・とは言え、こんな説明よりもっと端的でわかりやすい証明方法が実はある。
二つのパートが交代する、明らかなフェーズの転換点が具体的に指摘できるのだ。
言うまでもなく、第7話Bパートのことである。

グラナト伯爵領の街に到着したフリーレンは不意に魔族の一団と遭遇する。
咄嗟に杖を構え、彼らを攻撃しようとするが、捕えられ投獄されてしまう。
牢屋を訪れたフェルンたちにフリーレンは、かつての旅で経験した事件を物語る。
魔族の少女が引き起こした惨劇を描くそのエピソードをとおして、
はじめて開示される魔族という存在の本性は極めておぞましく、戦慄すべきものだ。

この回想がアウラ編の導入となり、魔法パートが開始される。
坦々と続いていく旅の中で、心に沁みるエピソードの数々が紡がれてきた、
これまでの穏やかなトーンが唐突に一変し、不穏な空気が漂いはじめる。
この極端な落差には自分のみならず、大多数の視聴者が衝撃を受けたはずだ。
まさしくここが、旅パートから魔法パートへの転換点なのである。

注目したいのは、この転換の起点に回想シーンが置かれていることである。
魔族というもののおぞましさを強烈に印象づけるこのエピソードが呼び水となり、
フリーレンが魔族に抱く憎悪の根源、そしてフランメとの出会いと死別にいたる、
このヒロインのいわば「前史」が語られていくのである。
こうした、物語における回想の機能に着目することによって、
魔法パートと旅パートの相異が明確になり、それぞれの本質が説明しやすくなるのである。


ここで、Ⅲ章の元レビューの中でちょっとだけ言及した
「通時性/共時性」という一対の用語をあらためて持ち出してみたい。
元々はソシュール言語学の基礎概念だが、今では一般にも用いられている。
詳しい説明は煩雑になるので、できれば検索をお願いしたい。

この対概念を、試しに双方に当てはめてみよう。

魔法パートは、歴史的なオーダーに沿って継起する出来事を"物語る"。
つまり「通時的」なのであり、回想シーンは物語の原点および背景を提示するもの、
いわばストーリーの「現在」を説明するために時間を"巻き戻す"ものだ。
そのようにしてフリーレンも含めた人間と魔族との闘争の歴史、
さらには魔法の進化や人間との関係なども絡めた歴史的な「物語」が展開される。

一方の旅パートは、構造そのものがすでに「共時的」と言っていいだろう。
フリーレンの過去の旅と現在の旅が重なり合い、さまざまなドラマを織り成してゆく。
そこでは現在と過去は、一本の時間軸の上で前後する因果関係としてではなく、
それぞれが固有の実質をもった時間として独立し、同時的に並存している。
また、どちらも日常系の、あの反復される無時間的な「現在」を基調としていることで、
旅の時間の流れに伴う変化や進展を、一層ゆるやかに感じさせる相乗効果を生む。
他作品にはない本作の不思議なリアリティーは、ここに起因しているようにも思われる。

そして旅パートの回想シーンは、それら二つの時間を交錯させる「装置」となっている。
そこに成立する「共時的な現在」こそがフリーレンの「今」であり、
このヒロインの内面のリアリティーもまた、ここに求められるのではないだろうか。{/netabare}


Ⅵ 鏡蓮華

{netabare}繰り返しになるが、最初の投稿(Ⅰ章)以来、本稿が前提としているのは、
このアニメの演出が制作者の原作理解をかなり濃厚に反映しているということである。
「鏡蓮華」のエピソードを読み解くにあたり、今回もこの同じアプローチで
まずは構成および演出から、作り手の「解釈」を考えていきたいと思う。

既読の方々はもうご承知の通り、このアニメ第14話は
原作コミックの第29話「理想の大人」と第30話「鏡蓮華」の二話を、
「鏡蓮華」のモチーフを軸にした一つのストーリーに編成したものである。
クライマックスの指輪のシーンの場所が原作では特定されていないことから、
同じ街の出来事に統一するために、アニメでは冒頭に短いパッセージを追加している。
このイントロ部分にまずは着目したい。


街に到着したフリーレン一行が賑わう街路を歩いている。 
ふと、何かが気になった様子のフリーレン。
直後、いきなり場面が転換し、かつての仲間たちが同じ街路を歩いている。
ヒンメルが話しかけ、あとで買物に行こうと誘う。
また現実に戻り、立ち止まって上方に視線を向けているが、
シュタルクに促されてその場を後にする。
彼女がフレームアウトすると、視線の先にあった街の時計塔が画面に残される。
・・・・・・・・・

フリーレンが時計塔を見て何かを思い出そうとする、この前振りによって
「かつて訪れた街を再訪するフリーレン」という設定がまずは提示され、
次いでこのときの回想が最終的にクライマックスの指輪のシーンに繋がることで、
全編が「鏡蓮華」をめぐる「ある思い出の物語」となる仕掛けである。

こうした、飽くまでも原作に準拠しつつ、巧みに創意が発揮された局面が
本作には至る所に認められる。こちらもついそれに触発されて、この構成の意図を
本稿の読み筋に即して深読みしてみたい衝動に駆られてしまうのだ。

まず、このオリジナルのシーンからは、いつもとはかなり異なった印象を受ける。
基本的に本作の回想シーンは、ふとした折にかつての旅の情景が現われ、
それがごく自然に、現在の旅の日常に溶け込んでいることで、
過去と現在とが混然となった、独特の空気感が醸し出されるのだが、
そうした通常のパターンに比べ、このイントロが例外的である点を二つ指摘すると、
①記憶がまさに甦ろうとするその瞬間の様子が描写されていること。
②新旧二つの旅の、同一の地点を通過していく場面が連続して描かれること。
・・・これらの表現意図について、以下のように解釈してみた。


前の投稿(Ⅴ章)で、旅パートの本質を「共時性」という視点で捉えてみたが、
この「共時性」は、実はフリーレンの"存在"そのものに帰すことができる。
過去と現在との二つの旅は、フリーレンの「内面」で並行しているのであって、
言い換えれば物語の表層の奥で、フリーレンはもう一つの旅を続けているのである。
それはストーリーの表層の時間と表裏して流れるもう一つの時間であり、
フリーレンの心が辿りつづける「内面の旅」とも呼べるものだ。

また、こんなことも書いている、
「旅パートの回想シーンは、それら二つの時間を交錯させる「装置」となっている。
そこに成立する「共時的な現在」こそがフリーレンの「今」であり、
このヒロインの内面のリアリティーもまた、ここに求められるのではないだろうか。」
つまり、並行する二つの旅が重なるところにフリーレンの「今」がある。
この「今」に表出される心理こそが、旅パートの本体だと自分は考えている。

要するに、このイントロの回想シーンはその「今」を描出するもので、そこには
回想が物語の中で果たす機能の本質を、可視化しようとする意図が読み取れるのではないか?
・・・かなりな深読みだが、自分はそう理解したい。

そもそもこの導入部には、構成のために追加されたという以上の意味が感じられる。
上記の解釈を踏まえての推測になるが、おそらく作り手(監督)はこのエピソードを
彼女の「内面の旅」の経過の中に位置づけようとしているのではないだろうか?
ヒンメルから指輪を贈られたその瞬間の光景は、二人の外に知る者はいない。
つまりこのエピソードの本質が、フリーレンの心の奥深くに秘められた、
"内なる"ストーリーであるという事実を、このユニークな回想シーンは示唆している、
そんな風に思えるのである。


さて、原作二話を一話に統合したもう一つの理由として考えられるのは、
それらが共通したテーマによって連続しているということだ。

まずAパート。フェルンとシュタルクの(痴話)喧嘩をめぐり、
ザインがフェルンに仲直りのアドバイスをする。その最後に付け加えた言葉は、
「想いってのは言葉にしないと伝わらないんだぜ」というもの。
この、「言葉で想いを伝えること」をAパートのテーマとしたとき、
それに対するBパートのメインモチーフである鏡蓮華の「花言葉」とは、
「(直接)言葉によらずに想いを伝える」よすがだと言える。つまり両者は
「想いを伝える」ための手段の、直接性と間接性という点で対照的なのである。

さらに、最後に双方の「想いが伝わる」結末になることも共通しているが、
二人の若者の場合と、フリーレンたちの場合との対比は痛ましいほどに鮮明なのだ。
一方には、素直に互いの気持ちを伝え合う、初々しい青春の"いま"が描かれる。
そして一方には数十年の歳月と、片方の死という決定的な断絶に隔てられながらも、
偶然の出来事に助けられて、はじめて伝わる想いがある。

このコントラストに着目することで、感動はより深いものになるだろう。
作り手もこの理解を踏まえ、「鏡蓮華」を一編のストーリーに構成したように思える。
何よりも、花言葉というものの奥ゆかしい間接性が、彼らの寡黙なロマンスには
この上もなく似つかわしく、それがまたこのエピソードを忘れがたいものにしている。


自分はこの第14話を、旅パートの心臓部だと考えている。
「想いを伝えること」、これは旅パート全体を貫く包括的なテーマと言えるもので、
本話はこのメインテーマを分有し、縮図のように展開するものだからである。

物語の序盤を振り返ってみると、"魂の眠る地"、オレオールを目指す旅のはじまりは
ヒンメルの死後、当てのない旅を続けていたフリーレンに対するアイゼンの促しだった。

 三十年前のあの日、お前はヒンメルを知っておけば、と口にした。
 あの言葉はヒンメルに直接伝えてやるべきものだ。
 ・・・・・・・・・
 フリーレン、オレオールを探してヒンメルと話すんだ。

こうして彼女を、ヒンメルに「想いを伝える」ための旅に向かわせたのだが、
それはフリーレンの心の奥底にある願望を具体化する、そのきっかけを与えるものだった。
なぜなら、フリーレンの「内面の旅」とは「ヒンメルへの旅」に他ならないからだ。
このことについては、本稿の最終章であらためて詳述する予定なので、
ここでは本稿の読み筋に即したこのエピソードの"意味"を、あらためて確認しておきたい。

前に自分は、フリーレンの旅の目的として掲げられた「人間を知ること」とは、
正確には「ヒンメルを知ること」を意味する、と書いた(Ⅳ章)。
その意味で「鏡蓮華」のストーリーは、彼女が願ったものの"成就"だと言えるのである。
この出来事をとおしてフリーレンは何よりも貴重なことを知ることができた。
ヒンメルの自分に対する想い、である。あるいはその想いを知ったとき、
自分がヒンメルに抱いていた想いもまた、はっきりと知ることができたのではなかろうか。
取り戻した指輪を眺めるフリーレンの満ち足りた表情には、
その喜びが自然に溢れ出ているような気がする。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

最後に一つ、作中の小さなカットに触れておきたい。
本話の冒頭で舞台となる街の全景が映されるが、アニメではラスト近くでもう一度、
ヒンメルとのエピソードの結びに、同じカットが付け加えられている。
夕日に染まる街の遠景。鳴り響く鐘は直前のシーンの二人を祝福するかのようだ。
そこにはまた、旅の始まりのヒンメルへの弔鐘が、かすかに反響しているのかも知れない。
自分にはこれが、フリーレンの「内面の旅」の風景のように思えたのである。{/netabare}{/netabare}


2025. 1. 29

投稿 : 2025/01/29
閲覧 : 2138
サンキュー:

23

ヨッシャア! さんの感想・評価

★★★★★ 4.7
物語 : 4.5 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 4.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

一つの極致である。

【物語】 4.5 / 5.0
 無粋なことは言いたくないのであらすじは公式のものを見てもらうとして、高く評価すべき点はいくつもある。
 中でも、個人的に特に評価したいのが「大魔法使いが主人公のファンタジー作品でありながら、故人や若い世代を想うヒューマンドラマ作品でもある」という点である。
 人は生きているうちに、何かの拍子にふと故人との記憶が蘇ってそれを懐かしく思うことがあったり、何かの拍子にふと子どもの成長を感じ取りそれを誇らしく思うことがあったりする。
 そのような「当たり前」が随所に散りばめられた優しいヒューマンドラマが、ファンタジーの世界観にうまく溶け込み、この作品にしかない唯一無二の世界観・空気感となって視聴者を惹きつける。
 特別壮大なスケールや派手さはないものの、老若男女を問わず様々な人が何かしらの要素に感情移入し、特別な体験ができる物語であった。
 中盤から終盤にかけて、少年漫画の「お約束」みたいな話になった点だけは厳しめに見て、4.5点とした。

【作画】 5.0 / 5.0
 キャラクター、背景、その他美術周り、全てのレベルが極めて高かった。
 バトルシーンのような見せ場はもちろん、「ジャケットを着る」などの何気ない日常の一幕にまで手を抜かない作画には何度も驚かされた。
 連続2クール作品でこのレベルの作画を維持したまま完走できた作品に心当たりがないので満点とした。

【声優】 5.0 / 5.0
 レギュラーキャラを演じた種崎敦美、市ノ瀬加那、小林千晃の三名はもちろんのこと、出番がそれほど多くなかった脇役たちのキャスティングにも手を抜くことなく、全員がキャラクターとしっかりマッチしていた。
 また、演技指導も徹底されているように感じた。
 キャラクターの理知的な面と人間的な面が、演技によってしっかり描写されており、この点においても制作陣が世界観の表現に力を入れているのがよくわかる。

【音楽】 4.0 / 5.0
 世界観を損なわない民族的なBGMはもちろんのこと、「BGMの引き算」を演出としてうまく利用していた点を高く評価したい。
 例えば、本作の魅力の一つである「何気ない会話」の際には無駄なBGMを省き、セリフを伴わない日常風景の描写では情景に合ったBGMを流す。
 当たり前のようで当たり前には行なわれていない当然の演出なのだが、このような細かな点にもしっかり力を入れているように感じられた。

【キャラ】 5.0 / 5.0
 全ての人類(人間・エルフ・ドワーフ他)に、本人の根幹になっている想いがあり、その掘り下げ・描写がものすごく丁寧だからこそ、キャラクター一人一人に特別な魅力が詰まっていた。
 そして、そのようなキャラクターたちが共に旅をしたり、共に言葉を交わしたりすることで作られている【物語】がつまらないはずなどなく、彼・彼女らを演じている【声優】の演技もキャラクターの魅力を一層引き立てていた。
 意図して「倫理観が人類とは相容れない」と設定されている魔族を除き、全てのキャラクターがどこか人間くさくて愛さずにはいられないデザインになっているのは素晴らしく感じた。
 なんてことない脇役キャラたちですら、どこか特徴的で忘れられない造形になっているのは、この作品が名作と評価される一つの要因だろう。



【総括】 23.5 / 25.0 (平均 4.7)
 全ての要素が極めて高いレベルで構成されており、「TVアニメ史に残る傑作」と評価して差し支えない。
 老若男女を問わず楽しめる作品であることに疑いようなどなく、全ての人にオススメできる。

投稿 : 2025/01/24
閲覧 : 57
サンキュー:

3

トロール夢民 さんの感想・評価

★★★★★ 4.3
物語 : 3.5 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

実存主義

人々との交流という新しいゲームを楽しむロリババアの物語
老化せず、悠久の時を生きる無敵の生物フリーレンにとって、地上とは既に天国そのものだ

投稿 : 2025/01/14
閲覧 : 28
サンキュー:

2

二足歩行したくない さんの感想・評価

★★★★★ 4.2
物語 : 3.5 作画 : 4.5 声優 : 4.5 音楽 : 4.5 キャラ : 4.0 状態:観終わった

生きた証を求める魔法

斯くして、魔王は勇者一項によって討伐された。
見事それを成し遂げた勇者ヒンメル、僧侶ハイター、戦士アイゼン、そして、魔法使いフリーレンは、あまりにも長い10年という旅路を振り返っていた。
しかし、1000年を超えてなお生き続けるエルフのフリーレンにとって、10年という期間はとても短いものだった。
4人は、50年に一度降るエーラ流星を見ながら、次はフリーレンのおすすめの場所で見る約束をして分かれる。

そして、50年の時が過ぎ、年老いたヒンメルと再開したフリーレンは、ハイター、アイゼンと共に流星を見に出発する。
その旅にかつての楽しかった冒険の日々を重ねながら、ヒンメルは永遠の旅路に出かける。

週刊少年サンデー連載のファンタジー漫画のアニメ化作品。
かつての10年の旅の中で、一度もヒンメルをわかろうとしなかったことを後悔したフリーレンが、人間を知るために出た旅路を描いた内容です。
舞台はなんとなく中世ヨーロッパっぽいのですが、それほど作り込まれているわけではないです。
剣と魔法が存在し、エルフやドワーフ、魔族といった種族が存在する、今どき珍しさすら感じるテンプレ的なファンタジーです。
1000年を生きた魔法使いであるフリーレンはもはや最強であり、本作は俺TUEEE系といえると思います。
ただ、強大な敵を相手取って無双したり、未開の異世界人に現代技術を披露してモテモテになるアレとは根本的に違っています。
永遠に等しい時間を生き続けるフリーレンが人と付き合い、触れ合って、その思いをはるか遠く未来へ持ってゆくであろうことがテーマなのだろうと思います。

と、聞くとまじめな作品のようですが、これで意外と女の子がたくさん登場します。
フリーレンはハイターに託された魔法使いの少女・フェルンと、アイゼンの弟子であった戦士・シュタルクと共に旅を続けているのですが、いろいろとおっきいフェルンとフリーレンのコンビはバランスもいい。
また、フリーレンを始めジト目の女の子率が高く、見る人が見れば「俺の嫁」なんていう死後が復活すること請け合いですね。
ムチムチからロリまで揃っている一方で、男性キャラは悲しいくらい個性に乏しいです。
ヒンメル、アイゼン、ハイターはあんなに個性豊かなキャラクターなのに、シュタルクを除く男キャラを分別するポイントはメガネくらいな気がします。

残念な点として、フリーレンは悠久の時を生きているのですが、その設定を活かせていない感じがあります。
設定的に、数話後にはフェルンやシュタルクもあっという間に老いて、フリーレンはその思い出と共に生き続けるようなストーリーになりそうですが、魔王はすでに滅んでいて宿敵と呼べる敵がいない世界の中、旅を続ける一行には日常系のような安穏とした雰囲気があります。
ぶっちゃけたところ、最初の数話がピークで、後はリーニエがかわいく、アウラ様がかわいいだけのストーリーでした。
サンデーの悪い癖で、売れてるので完結をむりやり先延ばしにされてしまっているのではないかと思ったりします。

投稿 : 2024/12/31
閲覧 : 41
サンキュー:

6

ネタバレ

薄雪草 さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

その魔法使いは、タイムラグにどんな料簡を見せる?

原作漫画は今も未読ですので、気持ちはいつも "これ一本" です。
本作は、"一期一会の重みと重なり" を語らう作品。

人間を知る旅。それは、Hospitality、Friendliness、Generosityという心遣い。
評価が高いのも頷けます。



4話まで。「葬送」って、生者が死者を悼んで見送るときの言葉ですよね。
{netabare}
だけれど、フリーレンにしてみると、人間と共にできる時間の長さや早さがあまりにも食い違っているので、感情はもちろん、知識さえ自分の場外にほかりっぱなしにしているみたいです。

そこから汲みとると、一義的には、そもそも人間の間尺には合わないズレ感みたいな日常とか価値とかが描かれるような気がします。
となると、葬送って意味の解釈がどんなふうに描かれ、どんなふうに受け止めるかが鑑賞のポイントになってくるのかもしれません。

フリーレン自身は、魔法使いとしては研究熱心に見えますし、能力的にも無双のようにも見えます。
その反面、人間由来の依頼にはマイペースに徹していて、相手に合わせるようなそぶりが少しも見えないんですね。
そこはまぁ、そこはかとないギャップ感で、お茶目な印象のフリーレンです。

見送りのなかには "回顧" や "懐古" といった含みがあって然るべきなのかもしれません。
ですので、そんな人間臭い文化性がどんなフリーレンを形づくるのか興味津々です。

これからのち、人のつながりや重なりが彼女を変えていくのなら、そこに生じるだろう世界観や時間軸の整合性が何を見せてくれるのか、なおさら楽しみで仕方ありません。
{/netabare}


7話まで。
{netabare}
とても、とても惹きこまれています。
もしも、もしも "今期の覇権" という表現が相応しいのなら、そう言っても良さそうな期待感が膨らんでいます。

皆さんのレビューを読むにつけ、新しい気づきにはたと膝を打っています。
「なるほど、そういう捉え方もあるのか。」
「あの演出は、そんな意図があったのか。」と。
ほんとうに感謝です。

それに、スタッフの趣向やこだわりのおかげで、毎回、鮮明な気持ちで、フリーレンの世界観へと没入できています。
ともすれば原作に手を出したくもなりますが、そこはぐっとこらえて視聴していきたいと思います。



フランメ。
今やおとぎ話に語られる彼女も、フリーレンには昨日のように思い出される師匠。

その足跡をたどれるのは、一人の継承者のみ。
その功績を体得できるのは、連れあう仲間のみ。

大魔法使いの息吹に触れる口上は、彼らにはおしなべて謎めいています。
ですが、フリーレンがハブとなって、その命脈へと導いているかのようです。

滅びへと向かうかもしれないスタンスにあっても、引き継いだ想いを果たすかのような控えめな台詞。

安易な言葉には流されない彼女の双耳。
真実のみを怜悧に見定める彼女の双眸。

種を蒔き、花を咲かせ、実を生らせるのならと、時の流れを撚り合わせていくフリーレン。

EDに写る彼女の瞳の先に、十重二十重(とえはたえ)にいろどる Timeless が咲き乱れる。

EDに映る彼女の眼差しに、光陰は矢のごとくに、一日千秋に祈る Always が見てとれる。

一瞬のまぼろしとも思える人との交わりを、永続する希望として歌いあげる Milet さんのメロディラインが心を震わせます。

すっかり、すっかりお気に入りです。
{/netabare}


9話。「断頭台のアウラ」回。
{netabare}
作劇としてはとても面白かったです。
次週が待ち遠しく感じられたのは久しぶりでしたし、皆さまのレビューも楽しめました。

ただ、一つ気になるポイントも・・。
作品には直接関係ないので伏せておきます。

{netabare}
流れとしては、フリーレンとフランメの馴れ初めを紹介する回でもありました。
気になったのは、薫陶に語られる「動機と手法」です。

二人の共通項は「魔族への復讐」です。
怒りに滲む悔恨を、知略に置きかえる発想で、行動を創り変え、目的を遂げようと図ります。
それを自らの修行として1000年を費やせるフリーレンなのですね。

「目立たなく生きろ」とのフランメの教えは、フリーレンに臥薪嘗胆と深慮遠謀を促しています。
とは言え、彼女はどんな想いで、人類やエルフの長き被虐の歴史を葬送してきたことでしょう。

その胸中にあって、魔力の体外放出の制御を「何となく?」と見抜いたヒンメルに、待ちに待った時が熟したと判断したフリーレン。
ハイターとの掛け合いにイラついたのも、案外、彼らの計略にまんまと乗せられた、と解釈しても楽しそうです。

いずれにしても、ウィンウィンの10年の長旅がそこから始まったわけでしょうし、その10年の活躍を、わずか1秒にまとめる演出は、すこぶる見応えを感じさせる見事さでした。
このシーン。私は、フリーレンが時間を俯瞰する際の習性を表現していたようにも感じました。



また、二人が一致させた手法は「魔族を魔法で欺くこと」。
意外だったのは(推測ですけれど)魔王討伐においても魔力を全開放しなかったという彼女の怜悧な判断です。

フランメとの魔王をぶっ殺す約束は果たせても、アウラら大魔族を獲り損ねたフリーレン。
魔族を撃ち滅ぼすのが彼女の最終目標なのでしょうから、全存在をかけて復讐心をたぎらせるのは、彼女の意志としては理解できるところです。

それに魔族のプライドを逆手に取る術策は、まさに頭脳戦の極みと言えそうですし、飄々とするフリーレンの風体とのギャップが、フランメの教えの凄みを更に浮き立たせています。



ただ・・・少年誌の人気作の主人公の動機が「復讐」という設定は、そのアイデンティティーにおいて相応しくあるのだろうかと、私はいくらか引き気味です。
また、「欺く」という手法にも、どうにもスッキリしない印象が残ってしまっています。

まぁ、それだけ今の世の中が荒んでいる証左を反映していると言えるのかもしれません。
騙し騙され、謀り謀られ、しゃぶり尽くされ、搾り取られるというこのご時世の悪しざま。

コンテンツとしてのフリーレンは、その体現者なのか、あるいは真逆のアンチテーゼを示しているのか、一視聴者として、今後の展開が気になるところです。
{/netabare}
{/netabare}


10話。グラナト伯爵とモンクのクラフト回。
{netabare}
アウラの魔法によって命を奪われた魂を、(ようやく?)80年越しに解放し、膝を折って葬送するフリーレン。
私は、祈りを手向ける彼女の姿もそうですが、むしろその心の寄せ方に関心を向けました。

アウラに囚われた勇者の全ての魂を解き放つのは、フリーレンの魔力総量でも厳しかった。
ですが、80年前にヒンメルに叱られたのは、彼らを問答無用になぎ払うという不遜な振る舞いでした。

だから、彼女は今回、彼らをアウラの手下として見るのではなく、勇猛果敢に立ち向かった同志として、長き呪縛から解放する妙策を案じたのですね。

「自害しろ」と背越しに言い放ったのは、無念に散った英霊らの雪辱を果たし、彼らの眼前にその首が落ちるのを見せたかったのではないかと読みました。

フリーレンの祈りは、80年前に辱めた英傑らへの非礼に対する禊であると同時に、ヒンメルとのよすがを温めたい想いでもあったのだろうと感じました。



グラナト伯爵は、フリーレンの時間軸では赤子のような存在ですが、フリーレンをリスペクトする態度は大人の振る舞いです。
それは長く独りでいたフリーレンには、なかなか理解しにくいお作法かも知れません。

でも、フランメとの約束に信義を置く以上に、ヒンメルらとの10年で培い、フェルンやシュタルクとの旅で、遂につかみ取った宝ものだったとも言えそうです。

"強い魔法使い" 。
それは、魔力の総量や技術、相手を欺く知恵はもちろんのこと、強大な魔族に立ち向かった勇者たちを慮り、その尊厳に寄り添える人格と態度のことと感じました。



クラフトはモンクであり、モンクとは武闘僧とのこと。
日本の歴史に置き換えると、武蔵坊弁慶に比肩するのでしょう。
両者とも、出自も身の果ても不詳とする伝説的な存在のようです。

クラフトは自身の功績を、女神の称賛に求めています。
エルフと人類には心許ない記憶も、女神を仰ぐならその足もとに心の安寧が得られると言うのです。

ただ、その偶像性への恋着は、抽象概念として結び得ても、誕生日を祝ったり、笑いあったりする輩(ともがら)にはなり得ません。

フリーレンの料簡は、1000年に風化し形骸化されるおとぎ話にではなく、ヒンメルらの10年、そして今生浮世の旅にこそ見出せるものなのでしょうね。



シュタルクが兄から受けていた愛ある薫陶。
そしてアイゼンとフリーレンがこしらえるビッグハンバーグ。
これらのプレゼントが、彼の意志と肉体の強さを "勇者の剣" に値する端緒となればどんなにステキでしょう。

"本物の勇者" 。
それは、神々の審判に適うモニュメントを踏み絵と拘泥しながら生きる道か、あるいは世の毀誉褒貶(きよほうへん)に惑わずに未来へと踏み出すかの違いにあるのかも知れません。

~ ~

ところで、二人がフェルンにささやいた「いい匂い」と、フェルンが連発していた「エッチ」。

怪しげな薬で、フリーレンを問答無用で真っ裸にしてしまうし(エッチ、なのかな?)。

銀のブレスレットは、古く宗教的には "精神的な束縛" という含意・・。
それをシュタルクにプレゼントするとは、エッチなんて軽口どころでは収まらないような・・。
しかも、どう見たって、いちばん "分厚そう" でしたし。

彼女の純粋にすぎる師弟愛は理解できなくもないですが、解釈次第ではシュタルクを擁護したくもなりますね。
フェルン、ちょっと怖いかもです・・・。
{/netabare}


13話。ザインの今と今更の回。
{netabare}
私としては、評価⭐️5つの回でした。
すべてのキャラのパフォーマンスにワクワクしました。

全体としては、ザインを誘うストーリー展開。
キーワードは「私は今の話をしている。」でした。

「今」とは、出会いの可能性に "期待を含ませる" 言葉。

本当はフランメから託され、フリーレンが引き継いだ言葉でした。
それは「魔王に対抗できる "いつかの今" 、ぶっ殺す "そのときの今" 」です。

でも、長年、魔力の体外放出を10分の1以下に押し込めてきたフリーレンです。
そんな "今" の積み重ねが、魔族への憎悪感も、戦う熱の総量も、自分を欺くまでにこじらせてしまったというのが実相のようでした。
言うなら、自己効力感の欠落と、自己欺瞞という底なし沼です。

彼女はヒンメルに「500年という流れに、戦い方を忘れてしまった。怖くなった。」と話していましたが、それはそのままフランメと過ごした "1000年分の今" を冒涜するものです。

フランメとの約束を反故にすることは、自分自身の生き方を偽ることに他なりません。
だから、ヒンメルから「今の話をしている。」と誘われたときに、胸を衝かれたのではないでしょうか。



80年前、フリーレンはヒンメルに誘われる立場でした。
今回はザインを誘う側、言うならヒンメルの立場です。

何百年と心を欺いてきたフリーレンを、ヒンメルのひと言が確かに変えたのです。
どうしてザインの10年を動かせないものと諦められるでしょう。

フランメから授けられた奥義(投げキッス)をヒンメルに振る舞ったのは、自己効力感(魔法使いとしての矜持)を確認したかったのかもしれません。
確かにヒンメルには効果覿面(てきめん)だったみたいです。
だから、ザインにも絶対的な自信があったのでしょう。

ヒンメルにはシュタルクばりの鼻血を流させ、ザインにはアウラばりの自惚れを糾すのが、フリーレンの料簡だとしたら・・。

これはもう、アイゼン曰くの「罪な女」認定のフリーレンですね。



それにしてもフランメから託された魔王討伐までの "その時" 。
まさか "いつもの" ダラダラ評がフリーレンの真実だったとは予想外でした。

およそ主人公で、ここまで約束を先延ばしするキャラは、アニメ界広しといえどもなかなか見当たりません。
ますますフリーレンの素性と素行が分からなくなりそうです。

あえて蒸し返しますが、フランメ仕込みの投げキッス話も、なんだか当てにはならないかも。
だって、あんな生めかしい "しな" をフランメが演じるとは思えませんもの。

いえ、むしろ深慮から教えていたのであれば、さすが大魔法使いの先生、フリーレンの性格を "わかっていらっしゃる" です。
彼女がトラウマに萎縮するのを見越したうえで、元々の意地の強さが発揮できるように仕込んでおいた "奥義中の奥義" と言って良さそうです。

投げキッスという奥義。
その効力は、"魔力に由らず" とも、自己効力感を高めたり、自己欺瞞を打ち消したり、相手の "心臓を撃ちぬく" には威力たっぷりなんですね。
やってみると分かりますよ。何か得体の知れない活気がモリモリ湧き上がってくるのが感じ取れるはずです。(自己の解釈です。)

ところで "今更" ですが、同族嫌悪は自己嫌悪のことでもありますから、ザインの10年とフリーレンの1000年は、"今を選ぶという点において質も量も違いはない" という受け止めが "オチ" なのかもしれません。
{/netabare}


14話。シュタルクは「バカ」?の回。
{netabare}
「乙女の一念、岩をも穿つ」。

ここにきて "生臭坊主" に育てられた綻びが悪目立ちしてきた "乙女な" フェルンです。

そう言えば、彼女は、フリーレンに弟子入りする前から、一途に自分磨きをしていました。

ハイターへの敬慕と、フリーレンに師事したことこそ、フェルンの何よりの強みのはずです。

とは言え、"恋の攻撃魔法には不得手" なフェルンが、"内なる恋に恋してしまったら" 果たしてどうなるか・・。

しかも、相手が "岩男" のシュタルクなら尚のこと・・。

だって、彼は、いつだってハイター様をドン引きさせるアイゼン様の "一番弟子" なんですもの。

これではシュタルクの「バカ認定」が既定路線化していくのは避けられそうもありませんね。



それにしても、大人のゆとりを振る舞いながら、その実、屋根から盗み見する "オトナ" もどうなの?と思っちゃいます。

でも、こういう "バカさ加減" が、フリーレンが一番やってみたかった "人を知ること" なのかもしれませんね。
{/netabare}


15話。タイアップ&イノベーションの回。
{netabare}
今話もよく練られたストーリーラインでした。

前半は、シュタルクとフェルンにはお休みさせて、ザインとフリーレンとのタイアップ&イノベーションです。

新加入のザインには、フリーレンとの連携には今一つ時間不足。
その懐疑を解かしたのが、ハイターから聞かされていた説法です。
その示唆は、僧侶と魔法使いのタイアップには欠かせないヒントのようでした。

両者の魔法は、指向性も有効性も違うので、相互理解は難しいもの。
「だからフリーレンの言葉を信じたのです」というハイターの言葉を信じたザインの勇断。

新参冒険者のザインに必要なのは、パーティーへの理屈抜きの信頼だったのですね。

その結果としての鮮烈な電光石火の攻撃こそが、フリーレンの料簡でした。

ハイターの知見とザインの覚悟とを絡めた、三者三様のタイアップ&イノベーションが楽しめたAパートでした。



Bパートは、ザインとフリーレンはお休みモードで、シュタルクとフェルンのタイアップ&イノベーションのお話でした。

シュタルクの兄弟愛と、オルデン卿の親子愛のタイアップが、思わぬ展開でフェルンとシュタルクのパーティーダンスにイノベートされます。

いつもなら「シュタルク様はバカ」と言ったり言われたりの体面に繕う二人です。
でも、舞踏曲にステップを合わせ、視線を重ねる二人は、とても愛らしく、初々しく感じられました。

プレゼントに交わしあったときの、ちょっぴり雑な心持ちを、思いもかけないフォーマルな気持ちで、受け止めあえたんじゃないでしょうか。

お互いを気遣い合うフェルンとシュタルクのイノベーションは、もしかしたらフリーレンにも同じ感覚を呼び起こしたのかもしれません。

なぜなら、フリーレンもまた、かつてヒンメルからリングをもらった記憶に、懐かしく微笑んでいたのですから。



厄介事の匂い。

旅路でのタイアップ&イノベーションには、心をときめかすツール&シチュエーションとして、指輪も、ブレスレットも、舞踏会も "あり寄りのあり" です。

ですが、大人を自負するザインには、若者&若目立ちする一座は "おこちゃま道中" にしか見えないようです。

ましてや、連れのお姉さんは、魔導書にしか興味がないようです。
理想とするお姉さん像に比べると、今さらながら、厄介事の匂いばかりが鼻に付くのでしょうね。

そんなザインも、一皮むけば、ハイターの上を行くなまぐさ坊主。
若者らの嗅覚なら、"厄介事" のオトナ臭がぷんぷんするのかもですね。

それもまた、タイアップ(協力と提携)& イノベーション(結合と活用)に生み出される "人の心" の匂いなのかも知れません。
{/netabare}


16話。心を受け止める役目、の回。
{netabare}
今話は、耄碌(もうろく)しても、頑固であっても "時の守り人の矜持" が沁み出る良作でした。

Aパートは薄れてしまった妻の面影、つまりフォル爺の内面性を、Bパートでは忘れさられた英雄像の名前、こちらは頑固婦人の外面性に焦点を当てています。

おぼろげな記憶も、風雨に消えた名前も、胸に美しくしておきたい想いは、のちを生きていくためのともしびです。
二人の持ち時間に数百年のタイムラグはあったとしても、胸中深くに秘めている矜持は同じなのでしょうね。

目には見えない心の襞(ひだ)には、過ぎ去った時間を記憶に書き留めた真実が刻まれています。

「フォル爺のおかげだよ」と昔話に花を咲かせる楽しさで、心にひとつ安堵を得たフリーレン。
「未来に持っていってあげる」と、その役目を心に誓うのです。



長寿友達とは、エルフやドワーフのような "長命族" だけの特権ではないと思います。
フランメやヒンメルらも、フリーレンには忘れることのできない面影であり、声であるはず。

それなのにフリーレンの素っ気なさといったら、ほんとうにどうなっているのでしょう。
エルフの先天的な特性なのか、それともフランメの後天的な教えなのかは分かりかねますが・・。

「ほどほどに」だとか、「別に・・・」だとか、まるで他人事のように処するのは、いくら何でも水臭いですよね。
でも、彼女がずいぶんと変わったと思うのは、誰の目にも明らかでしょう。



どうにも不器用で心尽く彼らの旅路は、のんびりとゆっくりと気心を交わしあう旅でもあります。

今のパーティー組みの時間経過は、フリーレンの感覚では、ほんの数秒ほどにしかならないのかもしれません。

でも、タイムライフとしては、フェルンらとともに、多くの視聴者を交えて継承していく確かな懸け橋となるものです。

それは、2倍速とか3倍速とかのタイパでは到底伝えられそうもない、一瞬も目が外せない極上なエピソードばかり。

けれど、やっぱりフリーレンは気だるそうな顔をしてこう言うでしょう。
「私は、ただダラダラと "魔法の収集をしているだけ" だよ。」と。

それが彼女が人払いに使う常套句であることはとっくにバレバレなんです。
でも、かつて「ダラダラと "生きてきただけ"」とヒンメルに言っていたのを私は見逃していません。

ちょっとした言い回しの違いでも、フリーレンの気持ちにどれほどの変化があったのかが窺い知れるというものです。



かつてフランメが、最後にフリーレンに話したのは「私が魔法を好きになった理由」でした。
それはフリーレンに仕込まれた「理想の魔法使い」へ回帰するための処方箋にもなっているようです。

花々が咲き乱れるその真ん中で、フリーレンが楽し気に、軽やかに笑ってほしいと願ったフランメの了簡。
それは、戦うだけの魔法使いではなく、何気ない日常に生きる魔法使いの役目であることへの心遣いです。

1000年を超える寿命のフリーレンです。
彼女が「魔法が好き」と公言するのなら、行き交う人から "魔法使いが好き" と言われることが、あるべき人生の姿形なのでしょう。

フランメには、最初から分かっていたようです。
フリーレンが人目を忍ぶ天涯孤独であっていいわけがないことを。
人の心を深く知るべきなのだと。



最も長命なエルフ族。
「葬送のフリーレン」とは、人類にも魔族にも、本質的には "その立ち位置は揺るがない" との意味で間違いないこと。

彼女は、どのようなスパンで関わったとしても、常に見送る側にいます。
視点を変えれば、誰にとっても、彼女に葬送されることを意味しています。

ですが、1000年の静寂も、10年間の戦闘も、この旅自体も、そのお作法で割り切っていいものとは思いたくありません。
ですから、私は、「葬送の」を 『錚々の』と読み替えて、フリーレンの生きざまを捉えてみたいなと思っています。


「どうしたもんだか‥。」とこぼしたザインの揺れる想いも気になるこの頃。
まもなくお正月ですが、早々に時間を進めてもらいたい気分です。

全く、フリーレンには、私の了簡が足らなくなってきました。
これも "どうしたもんだか、な" です・・。
{/netabare}


~     ~     ~
   ~     ~     ~


2期もすっごく楽しめています。


21話まで観たところで一筆。
{netabare}
今話は刺さる台詞がいくつもありました。

「魔法は自由であるべきだ。」(フリーレン)
「魔法は探し求めているときが一番楽しい。」(デンケン)
「こういう魔法使いが平和な時代を切り拓くんだ。」(フランメ)
「魔法の世界では天地がひっくり返ることもある。」(ゼーリエ)

4人の台詞は、魔法使いの矜持と深い含蓄とを、確然と感じさせるものだったと思います。

今後は、大陸魔法協会と聖杖の証とのパワーバランスや、追い求める者と授ける者との大局観の差、既知の魔法解析と魔法への奇知への期待が高まります。

加えて、エルフ特有の長命性に対峙する師匠と弟子、それぞれの人間観(人間を知る旅)なども相まって話は進んでいくものと思います。

もはや本作は、近年まれに見る大河ドラマレベルの夢想夜話といった様相になってきていますね。

どこまでも原作中心主義に突き詰めた演出の妙に期待しています。
{/netabare}


22話。心許(ばか)りのタイムラグ?の回。
{netabare}
物語の進捗でいうと、バトルのあとのお休み回といったところ。
でも、本作の特長は、アフォリズム(人生訓)満載というのがポイントです。
登場するキャラのセリフに、いちいち寓意と含蓄がありますから、ひとつも聞き逃せません。

必ずと言ってもいいほどに、"次回以降の伏線" か、あるいはともすれば "以前の回に掛かる種明かし" になっていて、なるほどそこに結びつくかと頷ける巧みな仕込みになっています。


例えば、共感を得ることで、他者の魔法を使いこなせてしまえるユーベルは、ヴィアベルとの "何気な時間稼ぎの会話" にその伏線が張られていました。
23話以降、この "共感" が、フリーレンや他の受験者たちの絡みに、どんな展開を開いていくのか期待が膨らみます。

また、デンケンが老体に鞭打っても足掻くのは、宮廷魔法使いのトップであっても、故郷の墓参りにも馳せられないもどかしさが折り込まれていました。
名誉も権威も、奥さんへの思慕には到底及ばない、その内面にある境地が、フリーレンをどのように感化させていくのか興味がつきません。



エンデへの旅に同行している私たちも、フリーレンがさまざまな人間の心根に触れながら、相見互いにアフォリズムを "血肉化している姿" に、ともどもに共感を育てているのではないでしょうか。

フリーレンは "カンネの返礼品" は無味乾燥に思えたみたいですが、お冠だったフェルンをとろけさせるには、このうえない "未知の魔法" だったようで、畏まりながらも嬉しそうでしたね。

ともに助け合って第一次試験を乗り越えたともがら。
それぞれが今を生きるのも、それぞれの未来を活かしあうのも、お互いの心を許しあってはじめて "奇知なる魔法使い" になれるのかも知れません。

"人の心とのタイムラグを埋め合わせる旅" 。
それはヒンメルとフランメが遺した、フリーレンのための "アフォリズム"。
わたしは密かにそのように思っています。
{/netabare}


23話。わたし的⭐️5つの回でした。
{netabare}
受験者にとっては、自尊心にも自負心にも触れるその複製体。
ましてや攻撃型に特化している彼らには、敗北は受け止めがたいダンジョン設定です。
北の大地の魔族に対抗するには、いかに戦局に見合う魔法を平常心で使いこなせるか。
最高峰のステータスに問われるのはそこでしょう。

複製体=実力が互角なら、いずれは魔力の消耗戦となることは自明です。
万一、勝ち負けに拘れば "自らの零落に消える" ことになります。
となれば、プライドの選択にも、柔軟な発想と怜悧な計算が試されます。
あたかも・・ミミックに押し込み、吐き出させるように。

フリーレンの複製体に対峙するデンケンのパーティー。
対抗できるとしたら未見のメトーデの魔法能力なのかもしれません。
でも、ゴーレムに次の試験にチャレンジする機会も残されているはずです。



第2次試験官の意向。

ゼンゼは試験官としては協会のメンバー。すなわちゼーリエの主意の体現者でもあります。
試験課題のクリアにのみ価値を置く協会のスタンスは、はたして聖杖の証の料簡にそぐうものなのでしょうか。
もしかしたら、それは平和主義者を主張するゼンゼの信条にも、強い影響を与えるものなのかもしれません。

ゼンゼがフェルンに不思議を感じるのは、伝説の大魔法使いに微塵も物おじしない態度と、ダンジョン攻略に恐怖しない意識性にでしょう。
平和主義を標榜するゼンゼの受験者への期待は、魔法使い同士の融和と信頼なのではないかと見て取りました。
それはフリーレンとフェルンとが、笑いあえる師弟関係に一致できるもの。
ゼンゼが「正解」とほほ笑む理由がそこにみられそうです。



ダンジョンにワクワクするヒンメルの真意。

冒険者の常識は "バカみたいなもの" ?
でも彼の本意は、限られた生をフリーレンと楽しみたいとする本懐にあるはずです。
その世界観は、それぞれが今を生き、今に活かされるという "人の心" を示すことに尽きます。
結果として世界を救えたならと笑う基底にも、今という瞬間に歓びを見つけられる彼の精神性がストレートに伝わってきます。

フリーレンの旅の気づきは、人の気持ち(=ヒンメルの想い)を知るためにあります。
ゼンゼの価値観も、その利益も、平和への希求に見出せます。
ならば、笑顔こそが彼女の評価であり、天地がひっくり返るようなゴールにもなりそうです。

零落の王墓が完璧な複製体を創出するのならば、それを選んだゼンゼが、受験者に求めるダンジョン攻略法はいったい何なのか。
次回がすごく待ち遠しいです。
{/netabare}


24話。フェルン、チャンス到来の回。
{netabare}
Strong-willed.

フェルンを一言で表すとそんな印象です。
訳すと「意志が強い、頑固、決断力がある」になります。

彼女は、両親を亡くし、自死しようとしたときにハイターに出会いました。
フリーレンに言わせれば、酔っ払いの生臭坊主、大人のふりする知ったかぶりです。
そんなハイターでも、フェルンにとっては、慕い、尽くし続けてきた命の恩人です。

フェルンは一心に修練に明け暮れますが、ハイターの余命にはおぼつきません。
でも、命を救ってもらえたフェルンだから、ハイターが天寿を全うする直前まで、自身の魔法技術を磨き、ついに課題をクリアしたのです。

二心なく奉仕してきたフェルンですが、命を賭する旅路の明け暮れも、魔法の技術ではフリーレンの足元には及びもしません。
でも、彼女は Strong-willed.
言うなら、芯の強いナルシスト、淳良なレジリエント、義理堅いデターミンドです。

そんなフェルンが譲れないのが、フリーレンが思わず鼻をくすぐるほどの "いい匂い" なんですね。



そのフリーレンの "完璧な複製体" が、彼女たちの目前に立ちはだかります。
格上の魔法使いに対抗するには、拘束魔法か精神操作魔法だとリヒターは言いきりますが、フェルンはどう受け止めたでしょう。
ゲナウによれば、彼らの本当の相手は、神話に語られる魔物シュピーゲルなのです。

ダンジョンを隅から隅まで愉しむというフリーレンの心意気が、壮観な壁画としてフェルンの心をくすぐります。
「一般攻撃魔法しか使えないよ」というフリーレンの指示は、実はそれで十分にクリアできる能力がフェルンにはあると認められているようなものです。

育ての親ハイターへの高恩、師匠であるフリーレンへの報恩、そしていつか一人前になるための自己研鑽。
ゲナウが指摘するように、冷静な自己分析、チームワークが必要なら、ここでフェルンが頑張らない理由はありません。

なぜなら、実力も、魔力も、技術さえも模倣した完璧な複製体は、謂わば "フリーレンそのもの" なのですから。

リュグナーと対峙したときにフェルンが回想していたのは、フリーレンからの強烈なダメ出しでした。
「生きてきた時間が違う。魔力も技術も違う。私に追いつくことはできないよ。」と。

でも、そう言われっぱなし、凹みっぱなしではいられない Strong-willed なフェルンです。
フリーレンの完璧な複製体と闘う機会なんて、最大にして最高、そして最上のチャンス到来。

いよいよ、魔法使いフェルンの料簡の見せ場です。
{/netabare}  


25話。4人の魔法使いの料簡、の回。
{netabare}
ダンジョン攻略において重要なのは、確かな情報、展開の想定、作戦の練り上げ、そしてチームメンバーの実行能力です。
ゼンゼも「平和主義者」というヒントを出すぐらいの最高難度の一級魔法試験です。
足の引っ張り合いや、独りよがりのあてずっぽうでは、合格など望むべくもないことでしょう。

それにしても、第1次試験での対人戦と、第2次試験の集団的連携とを擦り合わせる難しさは、冷静な合理性、明確な目的意識性、経験豊富な相互信頼が求められるところ。
ラヴィーネら若い魔法使いにとっては、ダブルスタンダードにも見えるデンケンらへの歩み寄りは難しいことなのかも知れませんね。

そんな中、フリーレンが「恥ずかしいもん。」と立つ瀬がない体で申し開きする姿は、なかなかにお茶目で、その場を和ませるにはもってこいだったんじゃないでしょうか。
ただ、それが致命的な隙であっても、それを攻める魔法使いにも弱点があるわけなので、フリーレンには対策済みといったところでしょう。

それにしてもバトルに繰り出されるWフリーレンの攻撃魔法、すごかったですね。
もしも、デンケンたちがあの場にいたら、あっという間に巻き添えになって死んでしまっていたでしょう。
大魔法使いの伯仲するつばぜり合いが、どれほどに凄まじく、また圧があるかを思い知らされました。

今話は、それが堪能できた回でした。
劇場のスクリーンサイズならもっと良かったかもなんて欲張っちゃいますね。



もう一つ、今話のポイントは、"縦" と "横" に交錯する "魔法使いの系譜" が垣間見られました。

"縦" はゼーリエ、フランメ、フリーレン、フェルンと続く時間軸で、師匠と弟子との関係性とも言えるでしょう。
それぞれの思惑と行動がよく理解できる構成と演出でした。

"横" は、ゼーリエとフリーレンだけが共有できる "エルフ種族" という系譜です。
両者は、永遠、長大、立体的な時間軸に生きており、それこそ人知を超越する魔法の深奥の世界観を見せてくれています。

これら二つの時間軸に、3人の大魔法使いの錯綜する想いを生々しく見せていること、そして助演女優の立ち位置に若いフェルンを置くことで、フリーレンの "今" をより強く押し出し、かつバトルの熱量を上げて物語を展開しているところがとても面白かったです。



加えて、エルフの悠久と、人間の刹那の交錯において、それぞれが今をどう扱うか、それぞれにどう生ききるかというテーマを対立させながら、提示されていることにも関心を寄せています。
エルフと人間の時間の尺度の違いから、それぞれが未来をどう見通すかという大きなテーマにもつながっていくでしょう。

フリーレンの先生はフランメですから、人間が語る夢、命の使い方、それを育て、託し、絶えず繋いでいく系譜に、豊かな人間の心があることをフリーレンもきっと気付けるはずです。

私は、物語のファクターには、"キャラクターの人物像" 、"それぞれの動機" 、そして "初発のいきさつ" が大切だろうと思っています。
その意味では、フリーレンの今後の料簡を占うには、肝要な回だったのではないかと感じています。
{/netabare}


26話。フリーレン無双の回。
{netabare}
無詠唱、ノーリアクション、魔力不感知。

無限の、無限による、無限のままを操作する想像力。

大気を用いた圧倒的な物理的質量攻撃。


80年ぶりに見せるフリーレンの料簡。

その術式は、神代のシュピーゲルさえ容易には発動させない。

その身に受けたのは、おそらくは魔王とフェルンの二人だけなのだ。


まさに魔法の高み、魔法使いの極みである。

なるほど、フェルンが震えるのも納得がいく。

伝説の大魔法使いは、かようにして空前絶後を見せ、かくなる敬慕欽仰(けいぼきんぎょう)に相伝されるものなのだ。


{netabare} ところで、フリーレンはミミックの中で、毎回この術式をやってるんじゃないでしょうか。

縦ロール髪におさめる程度の力加減で、ね。
{/netabare}
{/netabare}


27話。わたしの杖、わたしの先生、の回。
{netabare}
フェルンの半生は、魔法の修業、実践、そしてフリーレンの料簡に折々に触れてきました。
それは彼女が大切にしてきた日常で、一人前へと引き上げてくれたフリーレンとの旅です。

フランメに師事したフリーレンの50年。
魔力の揺らぎをコントロールする術を、フェルンはわずか8年で極めたのです。

その才覚はゼーリエの揺らぎさえも喝破する超越した境地。
フランメが種を蒔き、フリーレンが花を咲かせ、フェルンに結実したのです。

ゼーリエのほんの気まぐれから始まった魔法使いの1000年の系譜。
人間の弟子を取るということは、天地がひっくり返ることと同意なのです。


私のなかで、ようやくEDのショートストーリーに繋がりました。

あれはフリーレンの夢。
師が弟子を求める心象です。

生命の限界領域を超え、魂の邂逅を果たしたい姿だったのです。
{/netabare}


28話。錚々の魔法使いたち、の回。
{netabare}
花弁は捨てても、フランメの遺言あっての弟子の育成。
ゼーリエの目利きは、パラダイムシフトばりの当意即妙。
大魔法使いをも呑みこむ胆力が、合格ラインみたいですね。


一代魔法使いデンケンの告白。
妻への愛、魔法フリーク、フリーレンへの憧れ。
らしくないけど、それも格好いいじゃない?


ヒンメルの逸話がヴィアベルを漢にした原動力。
血湧き肉躍る武勇伝であっていい。
ささやかな人助けが矜持であってもいい。


ゼーリエへの尽誠がレルネンの鑑。
不器用な師弟は、魔法のセオリーも武器用でした。
名ばかりの戦いなど時間の無駄、それが冒険者たちの回答でした。


フェルンの旅路につきものの埃と血のり。
神話時代の必然をチョイスしたのは、いったい誰のため?
心を掴まれなかった生活者は、まったく何人いるのかしら?


ヒンメルの死に涙を流したフリーレン。
「また会ったときに恥ずかしいからね。」
彼の魂に出会ったら、果たしてどんな料簡で言うのでしょうね。
{/netabare}


まとめの感想。
{netabare}
まずは、miletさんが歌う Anytime Anywhere が、本作の精神性にまさにぴったりで、とても素晴らしく思いました。

葬送を物語る "長恨歌" 、または旅情を偲ぶ "哀傷歌" 、あるいは魂を呼び交わす "求愛歌" にも感じられます。

ですが、そんなタイムラグを愛(いとお)しみ、心を未来に向かわせるための "応援歌" が一番似つかわしいように思われました。

しっとりと包み込む愛で、力強く背中を押しだしてくれる。
エンディングを飾るに相応しい、聞きごたえのある歌曲でした。



さて、私には、本当にどの回のどんなお話も甲乙つけがたく思えるのですが、あえて15話、16話が、特にお気に入りとなりました。

シュタルクが「跡継ぎには困らなそうだ。」と話した後に、フリーレンが3人に頬を弛ませるシーン。
フォル爺に「未来に連れて行ってあげるからね。」とくすりと鼻を鳴らすシーンです。

フリーレンは、故郷の村を守れなかったことで心が深く傷つくのですが、フランメやヒンメルらとの出会いで自己回復に向かえたとも言えそうです。
ですが、彼女の深層には、成し遂げたことと喪失したもののアンバランスな想いがくすんでいると感じます。

目的達成のこととは言え、1000年もの間、自分のいちばんの強みを10分の1以下に抑え込むなどは想像を絶しますし、大好きな魔法を相手を欺くために使うという自分縛りにも驚きます。

静かな修行の中で、絶対に揺るがない強靭な確信力と、あり得ない程に繊細な想像力を作り上げたフリーレン。
淡白にも思えるその営みの背景には、全てを差し置いてでも成し遂げたかった思いがあったことに、どれだけシンパシーが寄せられるかが、作品を楽しむ一つのポイントです。



フリーレンがゼーリエに「それは本当に偶然だったのかもしれないけれど。」と話すのは、孫弟子としての弁(わきま)えとリスペクトであり、しかし、フランメの直弟子としての信念と意気地とが、混じりあい、せめぎあっていたとも感じます。

世界に50人もいないとされる一級魔法使いの門を、一度に6人に開くことになったフリーレンの料簡。
それはフランメの遺言に耳を傾けたゼーリエの思惑とも重なります。

ただ、三者が語る "人間の時代" は、フリーレンは魔法は自由であるべき、フランメは平和な時代を作るため、ゼーリエは人間の魔法使いがお前を滅ぼす、と解釈に相応の温度差があります。

そんなゼーリエの勧誘を断り、フリーレンに師事することを選んだフェルンは、唯一フランメの薫陶を踏襲できる立場。
であればこそ、人を幸せにする魔法をチョイスしたフェルンが、たまらなくうれしい "フリーレン先生" なのですね。



1000年を生きた大魔法使いと、一級魔法使い最年少合格者のこれから。
それは、時代を平和へと動かしていく魔法の高みへと、さらに昇り詰めていく入り口です。

フェルンはフランメの意をくむ「跡継ぎとしての高み」を、フリーレンは今を生きることのしあわせを「未来に持って行く役割」を、"何度でも果たしていく" のだろうと思います。

そんな気持ちで振り返ると、「葬送のフリーレン」とは、平和を希求する心を永くサポートする者、という読み取り方が、より似つかわしいような気がしてきています。

ということで


" The journey to Ende continues "


首を長くして待っています。
{/netabare}


おまけ。
{netabare}
これはもう "沼" としか言いようがないのですが、ふとした気づきがありましたので残しておきたいと思いました。

それは、フリーレンは、今もなおヒンメルの葬儀直後のような気分なのでは?という想い(仮説?)です。



28話でゼーリエが「弟子のことを鮮明に思い出せる。」という台詞からずっと引っかかっていたのですが、失敗作と評したフランメでさえも、まるで昨日そこにいたかのように語れるエルフです。
(もちろんそれは演出上の必要なのですが、伏線でもあると思うのです。)

1000年前の出来事が昨日のように思えるのなら、ヒンメルと出会った80年前、彼を葬送した30年前、そこで流した涙とその感情は、フリーレンには、ほんの1分前のことなのかもと思うのです。

これはエルフの記憶する能力による特性なのかもですが、永遠に近い時間を当たり前に生きるDNAのようなものかと思います。
現代の脳科学によれば、人間はそのポテンシャルを20%しか活用していないんだとか。
だから、エルフは、例えば、年表のような相対的な位置関係で捉えるのではなくて、絶対的、包括的、瞬間的、感覚的に出し入れできるのかもしれません。

なので、フリーレンがヒンメルを思い浮かべる行為は、人間でいうところの回想や回顧、昨日や今日ではなく、もっと真近な事象と心情、まるでその時のままであろうことに、私は十分に納得できるのです。



フリーレンがヒンメルを想うこと。

それは人間の時間の感覚なら、若い方ならお爺さんやお婆さんとの思い出だったり、ご年配でしたらご自分の死の直前に幼い頃の記憶を思い出したりとか、そんな具合なのかなと思います。

でも、エルフの感覚なら、フリーレンの想いなら、と思うとき、「葬送の」という冠詞は、まさに今の話のこと、とても生々しいリアルなことのようにも感じます。

ゼーリエは「人間はエルフよりも死に近いところにいる。」と話していて、それを感情に当てればおそらく空疎感だろうかと感じます。
人の命の短さは儚いもの。と同時にそこには「人間を1000年も忘れない哀愁」も混じっているのではないでしょうか。
それは、到底人間には窺い知れないもので、「葬送」の一般的な概念に収まりきるものではないでしょう。

本来、葬送とは、死者を悼むことで、生きていく者の心を満たすための行為です。
フリーレンとゼーリエとが、そんな "人間の時代" に評価するもの、あるいは期待するものが、何を満たすのか、満たしたいのか、とても興味深いものがあると感じます。

その背景には、平和の軸(フリーレン、フランメ、ヒンメルら)と、戦いの系(ゼーリエ、大陸魔法協会)のそれぞれの志向性に、明々と違いが出るように感じます。
常に命を葬送していくエルフとして、果たしてどちらの立場であっていいのか、物語はいつか方向性を示してくれるのだろうと思います。



ところで、人間の最大の願いは、不老不死と言われます。
その体現者がフリーレン、ゼーリエだと考えてみると、果たして、彼女らの心境や境遇に、どんなシンパシーの接近が必要になるでしょうか。
それをひと言で表現したのが「葬送の」なんだろうと思います。

葬送する者(エルフ)への当事者性は、その心情にどれだけ寄り添えるか、長い人生にどのように帯同するのかという共感によって生まれます。
難しいのは、とんでもない長生きとか、生殖欲求や恋愛感情が生まれにくいわけなので、ちょっとやそっとでは接点が見つからないことです。
長耳という外見上の違いどころではない、内面性の深奥に触れるなど恐ろしくも感じます。

だから、でしょうか。
「生き甲斐の探究」というテーマであれば、フリーレンやゼーリエと同様に、シンパシーが強まるようにも思います。
たとえそれが、受験者の選定や育成であっても、くだらない魔法を集める趣味であっても。

思い留めておきたいのは、ゼーリエもフリーレンも、フランメの遺言を得た者同士の一致点が見えることです。
私は、それを "利己愛と利他愛の融合" と捉えています。

この時世も久しく「人生80年」と喧伝され、「健康寿命(死ぬまでの約10年間)」の充実が提唱される昨今です。
自分を大事にし、他人も愛することは、きっと悪くはないものでしょう。



フリーレンが、今もヒンメルのリアルな面影を胸の内に宿し、軽妙に言葉を交わしあっていることを想像すると、あたかもそれは彼女なりの、例えば恋慕のようにも、情愛のようにも感じられます。

フリーレンが言い残した「人の心を知る」ことの意味を胸に置きながら、ヒンメルの魂に再会するまでの旅に思いを馳せ、あらためて2期が告知されるタイムラグを待ちたいと思います。


それにフリーレンの料簡なら、きっとこう言うと思うのです。


{netabare}「そんなのは瞬きする間もないことだよ。」

と。 {/netabare}
{/netabare}

投稿 : 2024/12/07
閲覧 : 1158
サンキュー:

42

take_0(ゼロ) さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

「そうだね・・・。」

アニメ化の発表の際から話題になっていた作品。
原作も追っているので、個人的には連載当初から知っているので、気持ちの上ではなじみ深く、なんなら「最初から知っているんだぜ」的な優越感もちらほら。

原作での、

ほのぼのというか、
のんびりというか、
どこか冷めた感じといおうか、
厳かささえ感じるフラットな感じといおうか、
何となく感じるあたたかさといおうか、

なんとも言えない、作品の持つ独特の雰囲気をアニメ作品の中で上手く表現できていたと思う。
「味気ないとか淡々としている」と受け止める人が居ても仕方ないとは思う。


個人的感想として、あえて、矛盾したことを言わせてもらえれば・・・

「おもしろいのか、おもしろくないのか解らないぐらい、おもしろい」

さらに言えば、

「おもしろいのかどうかも、よくわかってはいない」

アホな感想で申し訳ない。



なので、他のレビュワーさんの様に緻密な分析も、知己に富んだ考察もできはしないのだけれども、上の☆評価でとてつもない魅力を持つ作品であることは評価しておきたい。


作品中でフリーレンの異名について魔物の口から語られ、タイトル回収された場面があった。

曰く「歴史上で最も多くの魔族を葬り去った魔法使い。葬送のフリーレン。私の嫌いな天才だ」

なるほど、見事なタイトル回収。


でもね、私の個人的な所感では、やはり別の意味もあるのだと信じています。

よく言われますが、

「人は肉体的に死んでも覚えていてくれる人がいる限り、決して死ぬことは無い・・・」

数多の作品の中で類似の事が言われています。
そして、これは事実であり、多くの人にとっての希望でもあります。

「葬送」とは死者と最後の別れをし、送り出すことの意だそうです。

文字通り数多くの魔物を倒し、彼の地へ送り出したという意味とバッチリ一致します、ぐうの音も出ません。

ですが、死者を弔うという意味も少なからず持っているように私は受け止めています。(強引ですねw勝手に自分の解釈にもっていきますw)

そして、フリーレンのこの物語の中ではヒンメルをはじめ、ハイター、そして今はまだ生あるものの、フリーレンの命の長さを考えれば、必ず別れが訪れる者たちが多く登場します。

きっと人を知りたいと思ったその日からの、様々な出会いをフリーレンは記憶し、語っていくことになるのでしょう。
それは、出会った人を弔いながらも、生かし続けていくことに他なりません。

今の物語の中で、私たちがヒンメルを、カッコイイと思ったり、優しいと思ったり、いい奴と思ったり、ふざけた奴と思ったりしていることで証明されています。
あたかも、生きているのと同じように心を動かされているのです。

「ヒンメルならそうした・・・」

死して尚、人を動かす力を持つ人は、生きている人以上です。

きっとフリーレンは今作や、続く物語の中でのエピソードが終わった後も長くそうした世界を生きていくのだと想像したとき、少し物悲しく、少し可哀そうで、少し羨ましく思いましたw。


そうした中、永遠の時の中を生き続ける女性に既に出会っていたことを思い出しました。(もちろんアニメの中での話です)

私が少年だったころ、鉄道で旅をした(気になっていた)メーテルという女性ですw。
あの「銀河鉄道999」の中で、既に永遠の時間の中で生きていく辛さや悲しみ、希望というものをみていたような気がしています。

あの時・・・

「・・・・・そして 少年は大人になる。」

のナレーションと共に大人になったオッサンが、今再び、似たような感覚を覚えてしまいました。

「そして、おっさんはフリーレンと共に再び旅に出る・・・」

そんな気にさせてくれるアニメでした。




いや~~~、だいぶ気持ち悪いっすねェw

こんなポエミーなレビューw。


とは言え、思った事は素直に書いておきたいので書いておきます。

作品の持つ雰囲気、製作側の力の入れよう、
作品の持つ力量と投入されるリソースが高い次元で完成した稀有な作品であると思います。
当然、続きも気になるところですが。

続きが作成されれば、機会を作って是非とも視聴したい作品です。
素晴らしい稀有な雰囲気、魅力をもった作品と評価をいたします。

投稿 : 2024/11/13
閲覧 : 771
サンキュー:

34

ペガサス さんの感想・評価

★★★★★ 4.2
物語 : 4.0 作画 : 4.5 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.5 状態:観終わった

ネクストレベルのアニメ。

永遠ともいえる時間を生きるエルフの人生を追体験させることで、視聴者の時間感覚を変えてしまう異色のファンタジー。

時間が揺蕩うように流れる。
魔王を討伐するために仲間たちと冒険した道程を辿る、それはかつての仲間を知り人の心を知る旅でもあった。
人は死に時代は移ろい世界は変化しても、それでも変わらないものがそこにはある。
エルフの視点から見る世界は、どこか哀しくも愛おしい。

投稿 : 2024/10/06
閲覧 : 90
サンキュー:

5

ネタバレ

さささいと さんの感想・評価

★★★★★ 4.9
物語 : 5.0 作画 : 4.5 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

タイトルなし

ストーリー、声優、描写いずれも素晴らしいが、音楽が緻密で計算された感じで凄い。調べたらフィルムスコアリング(できあがった映像に対して音楽をつけていくという方法)を取り入れたとのことで納得。
8話、、9話は必見

投稿 : 2024/09/29
閲覧 : 55
サンキュー:

3

ネタバレ

かんぱり さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

魔法使いフリーレンの人を知ろうとする旅路(2期制作決定!!)

[2024.9.28追記]
やったー!!ついに2期制作決定したみたいです♪
https://www.youtube.com/watch?v=DknvOzqQCTo

たぶん2期も2クールだと思うから(黄金郷編やるし)、実際の配信は2年後とかになるかもだけど、とにかく嬉しいし、とても楽しみです!!

[2024.3.24見終わって]
ほんとうに、本当に素晴らしい作品でした!!
小説やコミックなどの原作からアニメ化をするに当たって、作品の雰囲気、キャラのイメージなどを損なわずに作品化するということは、当たり前と思われるかもですけど、尺の関係などもあって制作者の方々にとってはとても大変なお仕事なんだと思います。
そんな中、この作品はある意味作品を超えたような演出・表現がちりばめられていて、制作者の原作への深い解釈・理解があることが伺えました。
例えば第27話。リヒターが店先でフェルンたちとばったり合うシーン。
あのアニオリシーンを入れることで、その後のフェルンとゼーリエのシーンがさらに味わい深くなっています。最終話の、フリーレンが老婆が果物をこぼすのを見てるシーンも改変されてましたけど、さらに良くなっていました。
原作の最新話は127話ですが、アニメはちょうど60話まで。
ストックは充分だし人気も出たので2期はほぼ確定かもですけど、この素晴らしいクォリティを同じスタッフを維持して制作・・となるとなかなか大変で、時間がかかっても良いのでまた素晴らしいアニメを私たちに魅せていただけることを楽しみにしたいです。

[初回感想]
魔王を倒し平和をもたらした勇者一行。
パーティの魔法使いフリーレンは勇者ヒンメルの死をきっかけに、人を知ろうとする旅路が始まる。。

原作は少年サンデー連載中のコミックで、11巻まで発刊。
原作は読んでて、とても好きな作品です。
普通は魔王を倒してめでたし、で終わるところをこの物語はその後のエピローグを描いています。
人とエルフの寿命の違いによる感覚の違いを壮大なスケールで描かれる世界観も面白いし、いい意味で淡々とした雰囲気とドライなフリーレンをはじめとしたキャラの魅力も感じる作品でした。

第1話が2時間スペシャルだったのもびっくりです。(厳密には4話までをつなげたみたいです)
制作側の力の入れようが伝わってくるし、かなり期待しながら視聴しました。

作画良いです!
雰囲気もすごくいい!
良く書き込まれてるしよく動いてるし、音楽も雰囲気にあってて◎です♬
キャラの声もあってると思いました。
ドライなフリーレンも、優しそうなヒンメルも、茶目っ気のあるハイターも、渋いアイゼンも、原作のイメージのままでした。

原作ではセリフがない細かいコマが結構あって、それが作品の味にもなってたんだけど、アニメではその雰囲気をどう表現するんだろうと思ってたら・・すごい、作品の雰囲気そのまんまの再現してていい意味でびっくりでした。

作中のセリフも味があっていいんですよね。

これは今期アニメではかなり期待できそうで、とても楽しみです♡

アニメは連続2クール全28話ということで、原作最新巻まで行きそうかなと思ってたけど、8話で原作2巻のペースだとどうやら7巻あたりで終わりそう。でも1級試験編楽しみです♪

以下、印象に残った話の感想です。

6話「村の英雄」
{netabare}必要なものは覚悟だけ。必死に積み上げてきたものは裏切らない。
フェルンの言葉だけど、これって私たちの普段の仕事とかにも言えることだなぁって。
覚悟ってのは大げさかもだけど、仕事に対する気持ちとか心構えって大事なのは同じなのかなって。
ジャンボパフェのシュタルクとマスターのやりとりが好きです♪
ギャグにしようと過剰な演出とかしなくて、会話と音楽などの雰囲気だけでクスっと笑えたり。こういう演出好き。
会話の間もいい。フェルンとシュタルクのやりとりも好き。{/netabare}

9話「断頭台のアウラ」
{netabare}すごい!
これ原作超えてると思う。
漫画だと止め絵の連続を読んでる読者が脳内補完しているわけだけど、それ以上の演出・動きが素晴らしいです。
「ヒンメルはもういないじゃない」
魔族と人族が決して分かり合えないことがわかる、原作でも印象に残るアウラのセリフでした。
「戦士は最後まで立ってたやつが勝つんだ」
アイゼン相変わらず渋いし、震えながらも決める時は決めるシュタルクもかっこいい。
フェルンも天才の片鱗見せましたね。
次回はゼーリエ初登場になるのかな?どんな声なのかちょっと楽しみです。{/netabare}

11話「北側諸国の冬」
{netabare}前回感想で、次回ゼーリエ初登場とか書きましたけど、勘違いしててまだ先みたいですね。
9話みたいなアクションシーンすごいのもいいですけど、今回みたいに止め絵を効果的に使ったりするところも緩急あって良い演出だと思います。
自分の"偉業"を覚えてくれている人が誰もいないから、女神さまに褒めてもらうんだと話すクラフト。
でもフリーレンは昔同じようなやりとりでハイターに褒めてもらったから大丈夫と返すんです。
フリーレンの中でハイターもヒンメルも生き続けている・・
私が葬送のフレーレンという作品が好きなところはこういうところなんですよね。
自分の偉業を語らず、静かに別れていくクラフトの描写も味わいを感じます。
あと、何かとジャンボパフェが回想に出てくるシュタルクが可笑しいw{/netabare}

17話「じゃあ元気で」
{netabare}今回から第2クールに入ってOPがヨルシカに変わりましたね。
シュタルクとフェルンのやりとりが自然で微笑ましくて好き。
12話で雪の中倒れたフリーレンを抱きかかえようとするシュタルクを嫌がって自分がおんぶするフェルンとか。
些細なことで喧嘩する二人。その原因も仲直りの感じも見ててあるあるーって思ったw
ザインのもう付き合っちゃえよ!!に笑った。。でもいいお兄ちゃんキャラだなザインって。
あっさりしたお別れだったけど、また再会もあるような気がします。
ED変わらないといいなって思ってたけど、そのままで良かった。絵もだけど歌も2番に変わっててこちらもなかなか良いです🎵
次回からいよいよ一級魔法試験編がはじまります。原作読んでたときも好きな話だったのでとても楽しみです!!{/netabare}

18話「一級魔法使い選抜試験」
{netabare}この話から一気に登場キャラが増えるんですけど、魅力的なキャラが多いので動いてるところと声優さんがどんな演技をしてくれるのかとても楽しみです♡
すごい魔法使いの証だった「聖杖の証」を知っている人がほとんどいなくなってしまった時代。
「でもフリーレンがすごい魔法使いだったことは僕たちが知っている・・」
ヒンメルからの言葉に「でもすぐ死んじゃうじゃん」と返したフリーレンだけど、同じ言葉をフェルンから言われて「そうだね」と頭を撫でながら返したところにフリーレンの気持ちの変化がわかる、いいシーンでした。
ラヴィーネとカンネがいつも喧嘩してるのに、息がぴったりあった魔法の連携ができている、その意味もフリーレンは学んでいくんでしょうね。{/netabare}

21話「魔法の世界」
{netabare}ゼーリエ登場!!
声は思ってたより低い感じでしたけど、聞いてくうちに慣れるんでしょうね。
今回も原作に沿った展開ではあるけど、バトルシーンや結界を破るシーンなどなど、アニメならではの演出がとても良くて、デンケンの殴り合いじゃぁぁぁ!!の名シーンもとても良かったです。
私も原作でデンケンのこのシーン読んで、彼が好きになりました。。
次回は2次試験前のつかの間の日常回ですけど、各キャラの交流シーンが良いので楽しみです♪{/netabare}

22話「次からは敵同士」
{netabare}個人的には今回みたいな何気ない日常回の良さがこの作品の醍醐味だと思ってます。
それぞれの登場人物の人柄などが垣間見えたり、キャラ同士のやりとりが面白かったり。。
第一次試験のパーティーって一時的なものではあったけど、そこから生まれた関係がいいですね。
カンネやラヴィーネたちと部屋で女子トークしてるときのフリーレンの嬉しそうな表情がベストショットでした。{/netabare}

投稿 : 2024/09/28
閲覧 : 857
サンキュー:

51

ネタバレ

sukasuka さんの感想・評価

★★★★★ 4.8
物語 : 4.5 作画 : 4.5 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

まぁ素直に言わせてもらうと・・・

見事なアニメ化をありがとうと言うほかないなwww
正直な話、原作漫画以上に楽しめた。
一番気に入ったのは勇者ヒンメル様御一行の声優陣。
特にアイゼン(CV:上田燿司)は声質・演技共に最高だわ。
{netabare}9話目の「戦士ってのは最後まで立っていた奴が勝つんだ」のくだりとか、
顔や姿を映さずとも薄ら笑みを浮かべたその表情が伝わってくる。
いや、素晴らしい。{/netabare}
そして各シーンを盛り上げる劇伴も秀逸。
戦闘シーンで使われるZoltraakはいいよね!
本編は終了したけど、まだ「大感謝祭」とかいう特番があるそうで。
普通に考えればそこで続編発表が来るんじゃないかと。
巷では2期ではなく黄金郷のマハト編の劇場版になるんじゃねという声も
多いようだが、何にしろ続いてくれるならありがたい。
つーか原作ストックがね・・・(笑)

■大感謝祭
ふざけんなwwwwwwwwww

■1周年記念上映会にて
ようやく2期発表!!!

投稿 : 2024/09/28
閲覧 : 95
サンキュー:

13

hidehide さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

何だか色々、凄くいい…良かった!

不老長命なエルフ、そして、寿命がある人間…

1000年以上 生きている以上、
数人と過ごした10年なんて、記憶のかけら程度…

その、人生の 1/100の『かけら』が
いかに大きかったのか…と気付いた時、
そのエルフは

なにを思い、なにをするのか…

何故か、1話 1話、ジワジワきます。
なんなのでしょうね。

あの時、
こうしていれば、こう言っておけば、と、
自身の過去を想起してみたり、

この先は、
こうしよう、こう言ってあげたい、と、
思わされる作品です。

それでも
ちゃんと、笑える所は笑えるし、
『神話クラス』の強さも見せる

個人的には、
声優陣のチョイスが完璧過ぎ!と思っていますが…

実は、各話でのセリフのない、
音楽だけのシーン、というのですか?
あそこに『グッ』ときたりしています

まぁ…何せ全部が良作過ぎる…って事ですかね。

OP、ED、でチラホラ見受けるシーンには、
何やら意味深な所が多々あり、切なくなりますね…

ずっと、
3人の、時には4人の旅を、
フェルンに怒られるフリーレンやシュタルクを、
フェルンやシュタルクを褒めるフリーレンを
また見たいと…
ずっと見ていたい、そんな作品です。

フリーレンの師匠 フランメ…
この頃から闘病されていたのでしょうかね
本当に素晴らしい声優さんが次々に他界され
悲しいですね
田中敦子さんの御冥福を心からお祈り申し上げます…

投稿 : 2024/09/24
閲覧 : 194
サンキュー:

21

IjKOk87681 さんの感想・評価

★★★★★ 4.9
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 4.5 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

傑作

ここ最近みたアニメの中で間違いなく1番面白いと感じた.

1話目で話が一気に進むのでテンポが合わないかもと思っていたが杞憂であった.改めて考えると1話はエルフと人類の寿命の差を感じさせるためにあるといっても過言ではなく,早いからこそよかったのかもしれない.実際,それ以降の話はむしろエルフ的な時間の流れを表現してか非常にゆったりとした印象だ.

時間の表現についてだが,作中に合わせて敢えて音楽を流さないことによって時間を長く感じさせる手腕は見事であると同時に,早い曲調の戦闘シーンを際立たせる役割も担っていると感じた.

OSTに関しては,ヴァイオレットエバーガーデンと同じ作曲家の Evan Call の音楽が作品に非常にマッチしていて気に入った.正直これだけでも見る価値はあったように思う.

投稿 : 2024/09/18
閲覧 : 49
サンキュー:

3

ネタバレ

fuzzy さんの感想・評価

★★★★★ 4.1
物語 : 4.0 作画 : 4.0 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.5 状態:観終わった

良作。ありふれた設定なのに新しい発想の数々。

第二クールまで無事終了。
異世界転生ばかりでそれ系は観る気もなくなった昨今のアニメ界。
異世界ではないが
勇者のパーティーものってもう擦り尽くされた設定。

しかしそれが勇者が亡くなったあとの長寿のエルフのその後の話という設定がまず盲点。
ロードス島の頃からあることなのに確かにそうだわ。。

魔法が一般的ではなかった人間界だからこそ魔法を探求したというのもまたほんとの人間界の話のようで面白く。
少年誌ならこの魔法、それよりすごい魔法、それより。。っと魔法インフレになるのが楽しかったが。。この作品での魔法の発想は斬新だなぁと。

またバトルは強さインフレではなく相性や考え方を使っているのがいい。各キャラには一定の魔法しかなく、それがキャラの個性であるようなのもおもしろく。
遠隔操作のメガネくん、今だとテレワークっぽいなとふと思いましたが忘れて下さい。。。

(あ、単行本5巻72Pに『その人が得意とする魔法は人生や人間性に大きく係わっていると思う』って書いてた)


原作の絵がすごいので、アニメは頑張っているが少し物足りなく感じたが、魔法試験のラストのバトルは良かったかと。
全体的なバトルシーンはもう少し長くても良かったかと思うが、この作品の魅力は人間•エルフ模様でもあるから第二クールにつめこむにはしかたないか。

opはヨルシカもYOASOBIも◎でした。
edはチルアウト的な感じだなぁと思いましたが、最終回の流れにあっていてグッときました。

声優陣もぴったりで良かったなぁ

続きはまた何百年後に観れるかなw

良い作品でした。


ってYouTubeのTOHOアニメーションチャンネルでミニアニメ放送してたんかい!知らんかった。。今から観よう




※※※
フェルンとフリーレンが最初に戦った魔族戦で魔族側がドス黒い魔法の色だったのがアニメならではで良かったなぁと。
一級魔法試験のダミーフリーレンとのバトルシーンの魔法の表現も◎でした。

あとどうでもいいフリーレンの疑問
①魔導書をいつも本とか巻物でもらうけどどこにしまってるんだろう。。旅行鞄を良く出すので尚更気になる。(難癖ではなく)
読んだらルーラ的な呪文で専用の書庫に送るとかならおもろいなぁ
②杖を使わなくても魔法を出せる人と杖を失うと出せない人がいるのは何故だろう。魔力の鍛錬の違いかな。

魔法陣も2種類あるとか
まだまだ探求が足りないなぁ😅

※※※
オーディオコメンタリーマニアですが、こちらは今ひとつ。
でしたが、YouTubeでトークの魔法というタイトルで声優さん達が思い出を語ってるのは必聴。エヴァンコールさんのお仕事はこちらの方が勉強になった。

DVDではその他WEB版での次回予告?が入ってる
各キャラが会話やボケたりしてる。地上波の予告も神秘的で良かったが、こちらもいいのになぁと。

あとフランメ役の田中敦子さん、攻殻から好きでしたが気づかなかった。。
そして安らかに。。。

投稿 : 2024/09/17
閲覧 : 103
サンキュー:

18

アニメ記録用垢 さんの感想・評価

★★★★★ 4.4
物語 : 4.5 作画 : 4.5 声優 : 4.5 音楽 : 4.0 キャラ : 4.5 状態:観終わった

ほのぼのスローライフファンタジー

寿命の違いから人間の心を完全に理解できないフリーレン。
勇者一行パーティーでたぶん――好きだっただろう――ヒンメルの死を切っ掛けに度に出て人の心を少しずつ理解していく話。
ところどころエモい話があるので、切なくもほこっとするって感覚に襲われる。
この手の作品はバトル作画が微妙なケースが多いが、バトルシーンも気合を入れており第二の推しの子ポジションを頑張って取ろうとしていた。
始めこそこれって惹き込まれるシーンはなかったものの終わってみれば続きが気になってしょうがないじんわり魅せてくれる作品だった。
二期期待して待ってる。

追伸:やっぱりハンター試験みたいな話は熱くなるよね。

投稿 : 2024/09/16
閲覧 : 43
サンキュー:

3

でこぽん さんの感想・評価

★★★★★ 4.6
物語 : 5.0 作画 : 4.5 声優 : 4.5 音楽 : 4.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

フリーレンの旅 それは人の心を理解しようと努力する旅

これは一見、異世界冒険ファンタジーのようですが、実はそうではありません。
人間とは何なのか、生きるということは何なのかを、深く考える物語です。

人間とは何なのか生きるということは何なのかを深く考える学問として、哲学があります。
多くの人たちは、『哲学』と聞くと、敷居が高く無縁な学問だと思いがちです。
でも、この物語を視聴すると、フリーレンの心情に少しずつ共感してきます。
私達は、フリーレンの心を理解することで、いつの間にか哲学を学んでいるのです。
このような哲学だったら敷居も低いので、いつまでも学びたいですよね。


物語のあらすじは、千年以上生きるエルフ族のフリーレンが、勇者ヒンメルの死を契機に、人間を知る旅をします。
旅の行程は、七十年前に仲間と旅をしたときの道すじとほぼ同じ。
フリーレンは今を旅しているのですが、心の中ではいつも昔を思い出して懐かしんでいます。

物語の前半では、戦闘シーンは、ほんの少ししかありません。
それ以外は、旅の途中での些細な出来事です。
その些細な出来事の際に、フリーレンはいつも昔を思い出します。
その昔の思い出が、じわりじわりと心に響いてきます。
また、一緒に旅するフェルンの心情をフリーレンが理解しようと努力するシーンが何度もあり、そこには優しさが感じられます。

そして物語の後半は一級魔法使い試験を中心に描かれており、戦闘シーンが多いように見えますが、それ以上に受験者一人一人の生き様や信念、心情を描いています。
特に北部魔法隊の隊長ヴィアベルや人を殺すことに躊躇しない三級魔法使いのユーベル、この二人の顔を見た人は、誰もが彼らを悪人だと思うでしょう。
でも、この二人は、信じられないような優しい心を持っていました。きっとこの二人は、人に語りたくないような厳しい過去があったのだと思います。
また、宮廷魔法使いのデンケンの受験の目的が実に人間的です。妻の墓参りに行くため。他の人には理解できないかもしれませんが、彼にとっては最も大切な目的でした。


私達は、人の心を理解しているようで理解していないことが多いと思います。
これからはフリーレンを見習って、身近にいる人の心を理解するように努力したいですね。

投稿 : 2024/09/07
閲覧 : 332
サンキュー:

48

CfrzK48306 さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0
物語 : 3.0 作画 : 3.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

世間の評価と自分の評価は違うものですね。

評価は今一つ。
フリーレンがあまり可愛くないし、残虐な所や正義感がない所も好きではないです。
少女の姿をしているのに達観してる所もね・・・
その他のキャラも魅力的には感じずあまり好きになれないです。
ストーリー面も今のところあまり面白いと感じないです。
最後の方の一級魔導士試験は少しは面白かったかな?

投稿 : 2024/09/02
閲覧 : 130
サンキュー:

5

雑食大魔王 さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

文句なしに素晴らしかった。

続きが見たいです。

投稿 : 2024/08/27
閲覧 : 60
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1

ネタバレ

YOU0824 さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

「断頭台のアウラより」発言にしびれた

数ヶ月前、漫画にそれほど詳しくない知人が
「葬送」とか「フリーレン」と語っていた。
そういった漫画がある気はしたが、
その時は特に気に留めなかった。

恒例の3ヶ月スパーンのアニメ切換期、
次期作品を物色した。
『アンダーニンジャ』や2期目『陰の実力者』
にはすぐ目が行った。
後日、数巡目に本作に目が留まった。
輝かしい漫画賞を複数獲得、知人の発言を思い出す。

「鳴り物入り」とはこのことだろう。
初回放映は掟破りの9月29日、切り換え期限前だ。
金曜ロードショー枠の2時間SP。
主題歌はあのYOASOBI。

「ずぼらで魔法オタクの主人公の声は
『SPY×FAMILY』アーニャ役で人気の種崎敦美。
普段は澄ましているが、時折飛び出すふにゃっと
気の抜けた声がかわいい」

新聞TV欄に解説まであった。
そんなことより、注目は
「魔王が倒された後の世界」が舞台ということ。

「帰ったら仕事探さないとな。
魔王を倒したからと言って終わりじゃない。
この先の人生の方が長いんだ」

頂点を極めたところから始まる物語なんて
今まであっただろうか。
東京の空き家、地方の消滅可能都市、シャッター街、
少子高齢化、限界集落。
空虚感が今の時代と重なる。
何もないこと、潔さ。

「ぼくはね、終わったあと、くだらなかったって
笑い飛ばせるような、楽しい旅がしたいんだ」

水戸黄門みたいなのに、全然偉そうじゃない。
ステキだ。
ブッダや禅でいう「空」とか「諦念」を想起する。

「クヴァール、お前の魔法は強すぎたんだ」
「天国はある。そのほうが都合がいいだろう」
「分かり合うための言葉」と「欺くための言葉」。
「(「お母さん」って言えば)殺せなくなるでしょう…
まるで魔法のような素敵な言葉」

「人をおびき寄せるために物陰から
『助けて』と言葉を発した」

人食い魔族が人間の言葉を使う理由。
リーニエの冷ややかな表情のような
(この例えはちょっと違うか)
物語の底に流れる透徹した感性に瞠目する。
歴史に残る傑作に立ち会っている恍惚。

第13話、「同族嫌悪」の意味が分からず
もう一度観直す。
「背中を押されないとやらない、似たもの者同士」
という意味での「同族」。
こういう遣い方もあるのか。
ちなみに水無田気流は『非婚ですが、それが何か』
で「同類嫌悪」という言葉を使っていた(P177)。

「涙の別れなんて僕たちには似合わない。
だってまた会った時に恥ずかしいからね」

全話観終わって、なぜか泣いた。

投稿 : 2024/08/25
閲覧 : 67
サンキュー:

6

キシリトール昆布 さんの感想・評価

★★★★★ 4.6
物語 : 4.5 作画 : 5.0 声優 : 4.5 音楽 : 4.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

田中敦子さんの訃報を受けもう一度・・・

2024/08/24
田中敦子さんの訃報を知り、もう一度見たくなりました。
お師匠様が出てくる度に涙か止まりません。
たくさんの素敵なキャラクターを演じてくれてありがとう。
ご冥福をお祈りします。

*************************************************
2024/3/23追記
最終回まで視聴。

OP/EDは商業的に変えるのが一般的で、
2クールなのにエンディング曲を変えないでいてくれて(2番ですが)感謝。

かなり個人的に終わらせ方も含めて神。

人によっては盛り上がりに欠ける内容に感じられるでしょう。

でも、フリーレンのローテンションやヒンメルたちの回想シーンが極上に心地良くて好き。

続編はこの続きではなく、スピンオフ的なモノが見たいな。



*****************************************************
RPG神アニメの予感。

アニメにも格差社会がある。

いくら原作が良くても

人材・予算・時間をある程度揃えないと

駄作アニメになり埋もれていく。


「無職転生」1期レベルの力作で、
このクオリティのアニメは年に1本あるか無いかではないでしょうか。

あと主役のキャラが
戦艦ナデシコで好きだった劇場版のルリちゃんを彷彿とさせる。

P.S
この眉は流行りなの?(笑)

投稿 : 2024/08/21
閲覧 : 87
サンキュー:

13

ニッキ さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

どこをとっても面白い

ストーリー・世界観・キャラクター・バトル、どの観点から見ても面白い

投稿 : 2024/08/12
閲覧 : 37
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2

ネタバレ

てたい さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

このアニメえぐない?

初め絵見た時、あんま主人公可愛いないわー。どうせパッとせんアニメでありきたりの話しやろ。とか思ってた俺。
ほんまにしばきたい。

1話から泣かしてきよる。過去の話はあかんって。そーゆんのんめっちゃ好きやねん。

フリーレン、バカ可愛い。
弟子のフェルンも可愛い。
シュタルクもええ味出してるな!

雰囲気も◎。
かなりオススメ出来るで!こりゃ流行るわな!
いっぺん見出したら一気見したなるから、放送終わってから見るんもかなりありやなと思う。

まだ見てへん人おったら、是非見てみて!
絶対はまるから。

投稿 : 2024/08/07
閲覧 : 145
サンキュー:

4

サルモネラ菌 さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

完成度が凄い高いアニメだった

原作の絶妙な空気感をそのままアニメにできてる。
作画もCGをあまり使ってなかった気がする。
全部ぬるぬる動いててすごかった。
最高のアニメです。

投稿 : 2024/08/02
閲覧 : 66
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7

まっきー さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0
物語 : 3.0 作画 : 3.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

良いね!

正直、自分的に一番好きな作品にはならないけど
内容のバランス?って言ったら良いのかな。
ストーリーの中でシリアスな話やギャグ的な面白さとか出てくるキャラクターを使って上手に話を進めていく作品って感じかな!
一番好きな作品ではなくても喜怒哀楽をこれだけバランス良く表現できてる作品としては最近で一番面白かった!
多分、魔法とかファンタジー作品が好きな人には楽しく観れる作品だと思います。
ってか観た方がいい絶対⸜(*˙꒳˙*)⸝

投稿 : 2024/07/31
閲覧 : 195
サンキュー:

3

ネタバレ

ごる さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

個別の感動ストーリーが多く、たまにカッコイイ戦闘シーンがw

初回から勇者ヒンメルが死んでしまうところから物語が進んでいきます(´・ω・`)
ヒンメルの最期もすごく感動的なものですよ( ´•̥̥̥ω•̥̥̥`)

たまに来るフリーレンの最強と言われる戦闘回もとてもカッコイイですよ(ノ゚ο゚)ノ オオォォォ-
ミミックに食べられるのも愛嬌ありますね(*^^*)

投稿 : 2024/07/25
閲覧 : 59
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3

白毛和牛 さんの感想・評価

★★★★★ 4.1
物語 : 4.0 作画 : 5.0 声優 : 4.0 音楽 : 3.5 キャラ : 4.0 状態:観終わった

鳴り物入りで2023年秋クールで注目を集めた作品

2023年秋クールに鳴り物入りで放送された本作ですが、確かに話題性に違わぬ良作という所でしたが、
尤も話題性を集めた割には内容とか雰囲気は意外と地味な感じがして
こういう地味な感じの作品がよくもこれだけの話題を集めた物かなと思いましたが、
ただ話題を集めた点に付いて言えばもちろん原作自体が売れてるのも大きいが、
それと同じ位にアニメとしての出来が良かった事が世間における本作の評価が高い理由と言えますかね。

後は本作の内容に付いて簡単に言うと勇者一行が魔王を倒した後の後日譚を描く感じですが、
因みに本作の構成に付いて言うと現時間軸のフリーレン・フェルン・シュタルクの旅路を基本線としながら
その中で時折挟まれる過去の時間軸となる勇者ヒンメル一行のエピソードが回想シーンとして描かれる中において
本作の主人公にして人間よりも遥かに長寿命のエルフ族として生きるフリーレンの視点を通して
過去から現在を生きて来た中で様々な思いを馳せる部分と云いますか
この辺りにおける時間経過をドラマとした部分が味わい深く面白かったのと、
また味わい深いドラマが魅力的な一方で逆に戦闘シーンの時なんかは見応えのあるアクションで魅せてくれて
こういった部分は如何にもアニメ映えする感じで面白かったですが、
改めて本作に付いて言えば味わい深いドラマの部分や見応え十分のクオリティの高いアクションシーンに、
そして淡々とした雰囲気や登場キャラなど全般的に好みになれる所が多く且つ出来自体も非常に良い作品でした。

【評価】

83点・1A級

投稿 : 2024/07/21
閲覧 : 56
サンキュー:

3

lostmemory さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

令和にこういう作品が見れることに喜びと感謝

※視聴完了
これほど見終わった後の満足感が高いのは
本当に久しぶりだった。相当長くアニメを
見てきているから自分もゼーリエ並に見る目
は厳しい。つまらないアニメは二度と作るな!
と言いたくなる。その私を満足させた。
恐れ入ったよ。合格だ。


※視聴中感想
ここでの評価があまり高く無いことにまず安堵した。
これは万人向けの作品ではない。制作陣もそれを
分かって作っている。そして非常に大人向けの作品だ。
セリフの1つ1つを見ても、ある程度の年齢に達して
ないと理解出来ない、あるいは全く響かないものが多い。
最低でも30歳以下はお断りといった感じだ。

個人的にこれほど練り込まれて演出や構成の素晴らしい
作品はいついらいだろうか。とにかく絶賛しかない。
100点満点なら、さすがに満点はつけれないが90点
以下には絶対に評価出来ない。それくらい良い。

この作品はひたすら人間とは何かを描いている。
ほんの一言のセリフ、ちょっとした演出で
キャラクターをしっかり深堀りしている。
この作品は主人公のフリーレンが人間を知る物語だ。
それを史実に映像にしている。

少なくとも令和に入ってからのアニメでは自分の中で
トップ3に間違いなく入る。

近年の色々なアニメを見ているともう自分が見たい
アニメは見れない時代なのか…と落胆していた
だけにこういう作品が見れるのは喜びと感謝しかない。

この作品に対して戦闘シーンがどうこう言っている人は
作品の見方を根本から間違っている。この作品の本質
は繰り返しになるが人間とは何か?を描いているのだから

投稿 : 2024/07/19
閲覧 : 100
サンキュー:

17

ネタバレ

STONE さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0
物語 : 3.0 作画 : 3.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

とりあえず簡単な感想

 原作は未読。
 ファンタジーRPG的世界観の中、魔王討伐後のアフターストーリーというのが異彩を放つ。

 ファンタジーやSFで人間と異なる寿命を持つ存在が登場する作品は、共に生きられる時間の
差による離別、共に過ごしている時でも時間感覚の違いなどが描かれることがある。
 本作ももれなくそういった要素があるどころか、むしろそこが一番のテーマであるような感じ。
 ヒンメルとの死別後、人との出会いや過去の思い出を大切にするようになったフリーレンの
旅が話の主軸。
 作品の全体的な雰囲気は静的なものだが、それだけに味わいのあるヒューマンドラマといった
感じで、旅における各エピソードは人生の折り返し点を迎えた人の方が色々と思うところが
あるのではないかと思う。

 フリーレンの行動や考え方は以前とは変わっても時間感覚は早々変えられるはずもなく、
フリーレンの旅においては、そういった部分の人間との違いがシリアス展開にしろ、コメディ
要素にしろ、随所に顔を出してくるのが興味深い。
 フリーレンに関して、長寿ゆえに精神も老成しているのかと思いきや、結構子供じみた部分が
目立つが、単に長生きしているわけではなく、成長速度も遅いみたい。
 そう言えば容姿も少女然としたものだし。
 成長は遅くとも、魔法の修練を長年続けていた成果は出ているわけで、見た目に反した
とんでもない強さを身につけており、随所随所に出てくる戦闘エピソードで発揮されるチート
ぶりも見どころの一つといった感じ。

 フリーレン以外も魅力的なキャラが多く、特に後半の一級魔法使い試験編では数多くのキャラが
登場するため、魅力的なキャラの宝庫といったところ。

2024/07/14

投稿 : 2024/07/14
閲覧 : 52
サンキュー:

3

ネタバレ

えりりん908 さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

ほんのひとつの、エピソードだけでも

ちゃんとリアルタイムで鑑賞し終えたんですけど、
しばらく引きずっちゃいました。
これだけしっかり、脚本も作画も構成・演出もつくられてしまうと、
そのうえ声優さんたちの演技まで完璧だと、
もう賛辞しか浮かばないんですけど・・・

異世界ハイファンタジーなのに人間と魔族の機微が練りに練り込まれて、
バトルもエピソードも、作画と抒情性。とにかく美しくて。

アニメのハードルが、観る側にとっても、つくる側にとっても、
この作品意向では
グン!と上がったのは、間違いないですね。



以下、過去に書いた感想文です。
:::::::::::::::::::::::::::::::;;;;;;;::

12月23日、16話が放送されました。
バトルも無く、ふたつの村での静かな旅路。
それだけなのに、
愛すること、記憶にとどめ切れないこと。
後世に記憶をつむぎ、残し、伝えていくこと。
ふたつの挿話が奇しくも同じテーマを鮮明に映し出してくれていて、
今までリピートして初めて感情を揺さぶられて来たこの作品なのに、
初めて初見で、
胸に詰まって息が苦しいほどの思いをしてしまいました。
この次は年明けになりますね。
葬送のフリーレンという、素晴らしい作品と巡り合えて、
幸せです。

****************************************

12月なかばの今、15話まで放送されていますが、
こんなに「行間の密度がしっかり濃い」アニメって、
なかったんじゃないかな。と、そう感じています。

まるで小説のような。

ラノベやマンガでは稀にしか存在しない、
行間=含み、というか、「想像の余地」が拡がる心地よさ。
これって、アニメでは、正直感じたこと、ほとんどないです。
しいて言えば、
GHOST IN THE SHELLとかカウボーイビバップ、
今敏監督の作品群に少し、かな。
(エヴァンゲリオンみたいに、「脚注」の多い作品は意外とたくさんあるけどw)

だから、よく出来た小説といっしょで、
エピソードが進むたびに、アタマに戻ってまたリピートしてしまう。
そして、たとえば初見ではあまり何も感じなかった、
主人公=フリーレンが泣く初回のシーン、
エピソードが進んで立ち返るほどに、
重みとか意味とかどんどん増していって、
心に刺さって来るし、新しい発見がある。

凄くすごく、頭をフル回転させて、と同時に感情移入して、
しっかりと取り組んでおられる監督と制作プロダクションさんには、
もうアタマが下がりますとしか言えないです。

各話ごとにそんな作劇が、
初回からここまで、いっさいクォリティを落とさないで
紡がれていく。
これって、もう、それだけで奇跡のようで。
だから真面目に感想を書き綴ってしまうと、
到底いつ書き終えられるかもわからない。
そんな作品が、いま、現在進行形で作られているのです。

なので、全部は今は語り切れませんが、
今、最新の15話の、ふたつのエピソードのうちのひとつについて。
このBパートだけでも、
今回限りしか出番のないであろうオルデン卿
その嫡男と次男の物語とか、彼らの出自とか、
たくさんの含み=想像の幅と深さが拡がる感覚があって。

そういうこともあるので、
今回はこのBパートの中の、ひとつのシーンだけ、
抜き出して、感想を。

それは、シュタルクとフェルンの、ダンスシーン。
ペアダンスって、経験の無い人にはまったくわからない分野です。
今までしっかりと描かれたのは、
「ボールルームへようこそ」ぐらい。
ただこれは、競技ダンスなので、普通の社交ダンスとは違いますけど、
それですら主人公の師匠のラテンダンスは割としっかり描かれていたのに、
肝心の、主人公が主戦場とするスタンダード部門は、ペアのフォームが変だったし、
基本は止めカットで、
大きく動くところだけ目立つように作画されていて、
細かい動作は雰囲気しか、描かれてなくて。

他の作品にもたびたび、社交ダンスのシーンは描かれてきていますけど、
大抵は止め絵か天井からの俯瞰でごまかしているし、
ステップを描写するにしても、足元の作画は、
ワンカット、つまり1小節分しか描かれていません。
手技も、よくてアンダーアームターン1回だけしか描かれません。
(例外は、「デスパレード」のオープニングで、題材がオープニングだけに、中々気合いが入っていて、綺麗に手技をいくつも繰り出しています)


それが、この作品では、
フェルンの「本当に似合っていませんね」から
ダンスシーンが終わるまでの、ほんの1分15秒ほどだけで、
リードとフォローの人間関係、
フォロー役のフェルンが1ヶ月レッスンを受けただけで臨む不安感、
3ヶ月リードの訓練を受けてきて、それでもフォローの何倍も大変らしいリード役で、
シュタルクがしっかりと醸し出す「リーダー感」、
そういうところが巧みに描かれていて、見惚れてしまいます。
もちろん、足元のステップもリーダー主導でしっかりとリズムに乗って、
数小節にわたって、ちゃんとワルツしてます。
そして、特筆すべきは、ふたりのあいだの心情をうかがえる技の交換。
フォローって、自信がないと、顔が下を向いて足元を見てしまうし、
何よりも縮こまってしまって右手を大きく上げられないし、
身体の軸線=自分の肩より外に手を出せないものなんですが、
そんな様子が、ちゃんと描かれています。
そしてその状況、フェルンの心情を、しっかりと受け止めながら、
リーダーが視線の高さとダンスの進行方向への視線をしっかり保持して、
フォロー役のフェルンが安心できるように優しい表情を浮かべて、
そこからフォローの信頼を獲得すると、
一気に左手を外に伸ばしてフェルンの右手を導いて、
綺麗なアームホールドを形成してしまう力感。
ここに、シュタルクの強い身体と運動能力と、勇者のような資質が、
垣間見られて。
そして手技もワンハンドエクステンションや持ち替えてのクロスなど、
矢継ぎ早に繰り出して。
ここでシュタルクがしっかり背筋を伸ばしているのと、
空いた腕を自分の背中にピタリと沿わせているの、フェルンが空いた手を飾るのと合わせて、
凄く、すごく綺麗。
そして極め付けは、ペアダンスとしては中級技の、ダウン。
これって普通は、社交ダンスで初めてペアを組んだ同士で出来る技ではありません。
フォローが自分の上半身を、リーダーの腕に預けるのですから、
競技ダンスでの「振りつけ」でもなく、
そして初めての「実践」であっては、
普通なら絶対に出来ないことだと思います。
フェルンは、
短いペアダンスのあいだに、しっかりとシュタルクの修練を理解できて、
それ以上に、戦士としての日々の研鑽を知っているからこそ、
安心して身体をゆだねることが出来るし、
ダンスのあいだにそういう感覚を、フェルンから感じ取っているから、
シュタルクも自信をもって、ダウンをくり出せる。
こういう、ペアダンスならではの気持ちのキャッチボール、というか、
お互いを肌感覚で理解し合うところが、
本当に、本当に美しくて。
ダウンって見て分かりやすい技なんで、アニメではよく使われるけど、
しっかりムーブメント(=予備動作)まで描かれる丁寧さ、豪華さが素敵!
しかもこれ、モーションキャプチャーとかじゃなくて、
手描きらしいのです。
マッドハウスの中に、
きっと社交ダンス好きが、それもかなりの「ダンス狂」が、
ひとりか、あるいは何人か、いるに違いありません。
(そう言えば、デスパレードもマッドハウス制作でしたw)

こんな風に、15話までで既に30近いエピソードを描いて来たなかの、
ほんのひとつのエピソードの中の、ひとつのシーンだけで、
思うこと言いたいこと、言えることはいっぱいで。

これ全部やっていたら、絶対追いつけないし、堪らない。
こんな凄い作品を現実にさせてしまう、
斎藤圭一郎監督。
「ぼっち・ざ・ろっく」のときにも、
アイデア冴えわたる演出術に目を見張りましたけど、
この作品は、それ以上です。


これからの後半ワンクールも、期待でドキドキで、
もう完全に、
ファン目線で作品追い続けてしまっています(^^♪

投稿 : 2024/07/13
閲覧 : 245
サンキュー:

35

うにゃ@ さんの感想・評価

★★★★★ 4.6
物語 : 5.0 作画 : 4.5 声優 : 4.0 音楽 : 5.0 キャラ : 4.5 状態:観終わった

晴る

周りが面白いと言ってるだけにとてもよくできたストーリー展開、内容、作画。
とても面白かった。

ヨルシカ「晴る」はドイツ語で blauen Himmelだから云々かんぬんは、なるほど。

100点中92点

投稿 : 2024/07/04
閲覧 : 62
サンキュー:

4

かとー さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

原作も本当に素晴らしい!アニメは単調に感じるかもしれないけど‥

金曜ロードショーで初めてアニメが2時間の初回放送、漫画大賞の作品でハードルが上がりっぱなしだったけど期待に応えてくれた素晴らしい内容でした!

原作に忠実な作画、音楽の良さに声優さん達の
安定感!漫画もずっと面白いし、次のドル箱アニメはこの作品で決まりです!

ーー追記ーー
最終回まで見ました!独特な世界観でほのぼの系のアニメだから淡々と進んでいく。結構単調だし、それ系がダメな人は合わないかも!この作品の評価は漫画も見て判断してほしい。そうすればアニメが更に楽しく見れるはずです!

投稿 : 2024/07/04
閲覧 : 698
サンキュー:

16

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葬送のフリーレンのストーリー・あらすじ

勇者ヒンメルたちと共に、10年に及ぶ冒険の末に魔王を打ち倒し、世界に平和をもたらした魔法使いフリーレン。 千年以上生きるエルフである彼女は、ヒンメルたちと再会の約束をし、独り旅に出る。それから50年後、フリーレンはヒンメルのもとを訪ねるが、50年前と変わらぬ彼女に対し、ヒンメルは老い、人生は残りわずかだった。 その後、死を迎えたヒンメルを目の当たりにし、これまで“人を知る”ことをしてこなかった自分を痛感し、それを悔いるフリーレンは、“人を知るため”の旅に出る。 その旅路には、さまざまな人との出会い、さまざまな出来事が待っていた―。(TVアニメ動画『葬送のフリーレン』のwikipedia・公式サイト等参照)

放送時期・公式基本情報

ジャンル
TVアニメ動画
放送時期
2023年秋アニメ

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